Since03
次の日の朝、紗枝はまた熱が上がっていた。
それでも変なテンションのまま、自分の制服とカバンを押しつけた後、てきぱきと奈江のスマホに友達のアドレスを送信した。
『友達に全部説明したから。何かあったら逃げるか、彼女に助けを求めて。じゃ、健闘を祈る』と言って、部屋に戻った。
身代わりを務める代償として、奈江とお医者様がいいというまでベッドから出ないで、おとなしく療養するという約束をしたからだ。
***
井華水高等学院の正門近くまで来て、周囲を見回す。
紗枝の友達、今回のフォロー役、久賀桂香と登校途中で合流する予定だった。
一人は不安なことが多すぎるけれど、あからさまに待ち合わせをして一緒に学校に行くのは不自然だ。
だから、学校近くで合流すると。
うまく合流できるのだろうか。
久賀桂花とは去年の文化祭の時に、一度会っている。
でもあの時は『友達』と、さらっと紹介されただけで、桂花本人とは大して話をする暇もなかった。
その後は紗枝にあっちこっち連れ回されて、楽しかったが疲労感の方が強く印象に残っている。
学校に近づくにつれて、緊張しすぎてどきどきしてきた。
「紗枝」
「は、はい!?」
背後から呼ばれ、肩をたたかれて跳び上がるように振り返る。
「おはよう」
「おはよう、……ございます」
長身のスレンダーな美人。
栗色の背中までの髪に、にこやかな微笑み。
久賀さん、だよね?
「やだ、どうしたの?改まってしまって」
そういって微笑むと、耳元に顔を寄せてきた。
「久賀桂香です。お久しぶり。このあたりはすでに我が校の生徒の目がありますから、なるべく紗枝としてふるまった方がいいわ。私のことは呼び捨てで」
「わ、わかりました」
小さな声で答えると、桂花は身体を離した。
「風邪はどう?」
「ええ、もうだいぶ……」
「渉会長、久賀先輩、おはようございまーす」
通りすがりの生徒に挨拶されて、ぎくりとする。
「おはよう」
「お、おはよう」
「渉生徒会長、風邪ですか?」
「そうなの」
覗き込まれて内心冷や汗をかく。
あんまり近くで見ないでほしい。
「お大事になさってください」
「あ、ありがと」
こちらの心の声など知る由もなく、優しい言葉をかけてくれて笑顔で去っていく女子生徒。
その傍から、また別の男子生徒に声をかけられる。
今度は同級生っぽい。
「渉、はよぉす。あれ、おまえ昨日休んだの、やっぱり風邪だったのか?」
「う、うん」
「鬼のかく乱だなー」
からからと笑われる。
……どうしよう。
次から次へと声をかけられる。
なんとなく予想はしていたけど、紗枝ちゃんって友達が多すぎる!
バレるよ、これ。
身代わりがバレるの、時間の問題だよ。
「紗枝?」
「ぇ?……あ、うん」
すぐに自分のことだと気づかず、慌てて顔をあげる。
桂花が心配そうに隣から覗き込んでいた。
「あんまりまだ本調子じゃないようね。教室に行く前に、ちょっと生徒会室に行きましょうか?」
「……うん」
ありがたい申し出に素直にうなずく。
このまま教室に行ったら、明らかにパンク状態になる自分が想像できた。
正直、もう家に帰りたかった。
***
「はい、ここなら普通に話しても大丈夫よ。奈江さん」
桂花に伴われて生徒会室に入った途端、力が抜けた。
「……はー」
大きなため息をつくと、小さく笑われた。
「昨日紗枝からメールをもらった時も、無茶だと思ったけど……やっぱり無謀じゃないかしら?」
冷静な桂花の言葉に、思わずすがりつきたくなった。
「私もそう思います。でも、両親もなんだか反対しなくて」
「それも聞いているわ。ご両親も了解の上だって。紗枝は『絶対、大丈夫。何とかなる』って言っていたけど」
「……『何とかなる』は、紗枝ちゃんの口癖だから……。すみません。久賀さんにもご迷惑をおかけして」
「桂香でいいですよ。というか、言い慣れた方が、いいと思うわ」
「じゃあ。……桂香」
「はい」
微笑んで言われると、見惚れてしまいそうになった。
今朝あった時も思ったけど、桂花は大人っぽい美人で品がある。
なんだか物怖じしてしまう。
せめて『さん』づけしたい。でも自分はいま奈江ではなく、紗枝なのだ。
『さん』付けで呼んだりしたら、一発でバレてしまうだろう。
「ともかく、あんまり校内をうろつかない方がいいかも」
口元に手をやって、何かを考えるように桂花が言う。
「そうですよね。やっぱりわかりますよね。いくら双子でも……今日もマスクと眼鏡してこようかと思っていたんですけど、紗枝ちゃんに返って不自然だって言われちゃって」
制服に着替えて、眼鏡をかけてマスクをしようとした時に、
「何やってるのよ、奈江ちゃん。私たちの場合、顔を隠したらかえって別人だってわかっちゃうよ」
そう言って、取り上げられたのだ。
「そうですね。正直、顔はそっくりです。文化祭の時に会った時も思いましたけど、本当に瓜二つ。今日は髪型も制服も、紗枝のものだし。ただ、話し方と表情の作り方が……ちょっと」
「あ……」
反射的に口元を押さえる。
てきぱきした口調の紗枝と違って、奈江は話し方もおっとりだ。聞いている方にしてみれば、随分と差があるのだろう。
「基本的にまだ体調が悪いことにしておけば、おとなしくても怪しまれないでしょう」
「そうでしょうか。ちょっと、紗枝ちゃんっぽくしゃべるようにしてみます」
「いえ、無理すると逆にぼろが出るので。それよりもいざとなったら気分が悪いと言って保健室か、それじゃなかったら生徒会室に逃げ込むといいでしょう。鍵は預かっていますか?」
「一応」
ポケットから生徒会室のカギを出して見せると、桂花は頷いた。
「それなら、一安心ですね」
桂花が微笑む。
紗枝とはまた違ったタイプだが、桂花もまた頼りになる人だった。
少しだけ安心して、多少緊張もほぐれてきた時、予鈴が鳴り響いた。
「あ、授業……」
「とりあえず、2時間目から顔を出すことにしましょう」
「でも、せっかく身代わりに来たのに」
言うと、桂香さんは「大丈夫です」とにこやかに答えた。
「今回、紗枝が奈江さんに身代わりを頼んだのは、出席日数を稼いでもらう為じゃないんですよ。だから多少授業に出なくても、問題ないです。それよりも渉紗枝として、新生徒会長としてここにいることが大事なんです」
「は、はあ……」
「その辺のことも、紗枝はきちんと話してないって言っていたから、私の方で説明しますね」
「はい、よろしくお願いします」
頭を下げたら、またくすくすと笑われた。
「奈江さんは紗枝と違って真面目なんですね。本当にあの大雑把な紗枝と双子とは思えない」
嫌な気はしないけど、なんか恥ずかしい。
「……ほんと、奈江さんってかわいい」
「は……?」
「紗枝が妹にべったりな気持ちも、ちょっとわかってしまいました。まあ、それはともかく、まずは生徒会のメンバーの顔を覚えてもらうことから始めましょうか」
そうって桂香さんは資料が沢山並んでいる戸棚から、アルバムらしきものを取り出してきた。
「生徒会の共用PCにもデータがあるけど、私いまいち操作が理解できていないの」
それをパラパラとめくって、広げて見せられる。
どうやら生徒会の活動記録を収めているアルバムのようだ。
「これは去年の文化祭の時の写真と、あとはこの間の生徒会選挙の時のスナップです。ちょうど生徒会選挙の写真だと、現生徒会が全員映っているかな……これなんかわかりやすいかも?」
右から桂香、紗枝。それに背の高い、朗らかに笑っている男の子。明るい髪の色をして、なんだかアイドルみたいだ。
あとは無表情だけど綺麗な男の子。
こっちは男子の制服着てなかったら、多分女の子と間違っていただろう。真っ黒で少し長めの前髪。
「私と紗枝は置いといて。一番左端の綺麗な男の子が書記の藤原薫くん。1年生ね。その隣の身長の高い子が副会長の衣笠麒麟くん。私たちと同じ2年生」
順番に指差していく。
「衣笠くんは1年の時から、随分紗枝と仲が良くって、執行部時代もでもコンビみたいにして仕事していた。今回の紗枝の補佐役にあたる副会長就任も、まあ当然と言えば当然みたいな感じだったな。
ただ今はそれぞれ役付きになったから、常に一緒に何か作業するってことはなくなったけど。明るくてあんまり小さいことにガタガタ言わないっていうか……大らかで面倒見もいいし友達も多い人気者よ」
桂香さんの長い指が、移動して綺麗な顔の子を指した。
「それでこっちの藤原くんは、……うーん、いつの間にか紗枝が連れてきて、執行部の仕事をさせていたというか。どういう経緯で知り合いになったかも、私にはわからないわ。紗枝は『かわいいから拾ってきたー』なんて言っていたけど」
紗枝らしいといえば、らしいエピソードだ。
「彼は基本的に口数も少なくて、おとなしいタイプだから、こっちから接触しない限り、特に話しかけてきたりはしないと思う」
「そうですか」
紗枝ちゃんが心配していたのって、この子だよね?
確かに写真で見た限りだと表情も乏しいし、すごくおとなしそうだ。
「あとは、こっちの文化祭との時の写真かな。前生徒会メンバー……と、いっても、全員は覚える必要ないわね。一応、多少引き継ぎ作業があるから、生徒会室に出入りすることもあるけど、適当に挨拶だけしてくれればいいし。あと必須なのは、この元生徒会長の安曇蓮先輩だけかな」
体育館だろうか。
壇上で何か話している姿が映っていた。
フレームレスの眼鏡に、切れ長の目。
見るからに、すごく頭良さそうで、それにちょっと意地悪そう……に見える。
『すっごくいやな奴』と紗枝から聞いてしまったせいだろうか。
「頭脳明晰、運動もできるし。ただ、いろいろと厳しい人でね。他の人たちはともかく、この人にバレるとけっこう厄介なことになりそうだから、気をつけて」
やっぱりと心の中で呟きながら頷く。
「あ、でも紗枝ちゃんから聞きましたけど、この人から生徒会長の仕事の引き継ぎがあるんじゃ……」
「ええ、話はするしかないんだけど……、ま、多少の違和感は病気のせいということで、誤魔化していきましょう」
確かに、実際それしかない。
苦笑い交じりに桂花が腕を組んで答える。
「今から心配してもしょうがないから、ま、元気出して」
そんな風に桂香に励まされながら、大まかにだが生徒会に関わる、執行部の人たちの説明をざっとされる。
次々説明される人の顔と、どんな立場の人なのかを無理やり頭の中に入れた。
「……と、まあ、ざっとこんなところかな。大丈夫?」
「えっと……すみません。全部覚えきれてないかもしれないです」
「さすがに今の時点でそこまでは望んでないわ。ただ『見覚えのある顔だな』くらいのレベルでいてくれると助かるかな」
それでも十分ハードルは高い。
さすがに紗枝ちゃんの学校の、しかも生徒会のメンバー。
「なあに?」
じっと顔を見てしまっていたのか、桂花に首をかしげて聞かれてしまった。
「いえ、あの、やっぱりみんな頭よさそうだなって」
「そんなことないわよ。偏差値の数はアレだけど、馬鹿もいるわよ」
綺麗な顔に似合わない言葉と笑いを浮かべるのに、
「ま、奈江さんが畏縮することなんてないわよ。リラックスしてないと、疲れちゃうから。私もできるだけフォローするし」
「桂香さん、心強いです」
「奈江さん、呼び捨てにしてってば」
クスクスと鈴を転がすような声で笑われて、照れてしまう。
「さて……時間もそろそろなくなってきたし、最後に聞きたいことはある?そうじゃなかったら、確認したい人とか」
机の上でぱらぱらとアルバムをめくりながら桂花に言われて、写真に視線を落とす。
「えっと」
気になる人。
紗枝ちゃんもかなり嫌っていて、桂香さんも要注意って言っていた安曇先輩。
あとは同じ生徒会役員の2人、接触の多いだろう衣笠麒麟と藤原薫だろうか。
「やっぱり生徒会のメンバーと、元生徒会長さんが気になります」
「そうよねぇ……、話す機会も多いだろうし」
「はい、安曇先輩ってかなり頻繁に出入りされているんですか?」
「そうね。何せ引き継ぎが終わってないし、早く終わらせてしまいたいと思っているだろうから、最悪毎日来るわね」
毎日という言葉に、すごいプレッシャーを感じた。
「……毎日ですか」
「受験生だしね。余計なことはさっさと片付けて、受験勉強に精を出したいでしょう」
桂花は軽くため息をつく。
「ただ奈江さんは神妙な顔をして、話を聞いていればいいと思うわ。興味のないことには、無関心な人だから言いたいことだけいって、帰っちゃうと思う」
そうだといいのだが。
「あ、ちなみに呼び方は、安曇元生徒会長って言ってね。紗枝がイヤミを込めてそう呼んでいたから」
「はあ……」
思わず苦笑いが漏れる。
「衣笠君のことは麒麟。藤原君のことは、薫って呼び捨て」
男の子の事を呼び捨てか……女子高育ちとしては、ハードル高いなぁ。
もともと男の子苦手だし。
逃げたくなる気持ちを、懸命に振り払う。
ここまで来てしまったら、いまさらやっぱりやめますってわけにもいかないのだ。
気を引き締め直して、改めて写真を見る。
「そういえば衣笠麒麟くんって、同じ2年生ですけど、何組なんですか?」
「C組。ちなみに紗枝がAで、私がBね。お隣だから、何かあったら本当にすぐに来て」
「ありがとうございます」
「それにしても……正直、衣笠君には話してしまってもいいような気がするんだけどね」
桂香は少し眉間にしわを寄せて、小さく独り言のように呟いた。
「今回の入れ替わりのことですか?」
「そう。紗枝は『あいつは単純で顔に出るし、ぽろっと本当のこと言いそうだからだめ』なんて言っていたけど、正直、もう一人くらい味方がほしいところだわ」
確かに桂花の言う通りだと思った。
だが紗枝がバツを出すのでは、事情を話すわけにはいかない。
「衣笠君がダメなら、藤原君……うーん、藤原君に相談か。微妙」
「そういえば藤原くんって、すごく紗枝ちゃんが気にしていたんですけど」
「んー……でも、それほど心配しなくても大丈夫だと思う。最近は話しかければしっかり受け答えするし。衣笠君も面倒見がいい性格しているから、けっこうかまっているみたいだし。紗枝は結構過保護なところがあるから、心配なのね」
「ええ……でも、ちょっと紗枝ちゃんの気持ちわかります」
「なに?」
「写真とか、どれを見ても笑ったところとかあんまり映ってないから」
どこかぼんやりした視線。
ともすれば虚ろな表情。
せっかく綺麗な顔をしているのに。
「もともと表情は乏しい子よ。紗枝以外には、あんまり笑ったところもみたことないわ」
もったいない。
そんなことを考えていると、1時間目の終了のチャイムが鳴り響いた。
「さて、そろそろ行かなくちゃね」
「え?」
「教室。さ、心の準備をして、奈江さん……いえ、紗枝」
桂花に言われて、気は重かったが立ち上がった。
心なしか桂花がニヤニヤしているような気がする。
「なんか、面白がってませんか?」
「まあ、ちょっとはね」
そういって口元に指をやって、上品に笑った。
「だってこんなこと楽しまなければやってらないでしょう?」
「……はあ」
類は友を呼ぶ。
桂花は何だかんだ言っても、やっぱり紗枝の友達だった。
しかしここで怖気づいてばかりもいられない。
楽しむなんてできそうもないけど、いつまでも生徒会に引きこもっているわけにはいかなかった。