Since02
紗枝のリクエスト通り、モモにアイスクリーム添えてお皿に乗せる。
部屋に戻ったのはいいけど、おとなしくしてるかな。
あの様子だと何かやっていそうだが、まあ、眠らなくてもせめてベッドに横になっていてくれれば。
そんなことを考えながら、紗枝ちゃんの部屋の前まで行く。
部屋の前でノックをしようとして、中からぼそぼそ話す声に、ノックしようとしていた手を止める。
あれ?
「……から、うん。なんとか……わかってる、薫は?来てるのね…………うん、うんそれは、麒麟に任せて大丈夫だから」
話し声。これって……。
「チェックだけしてもらったら、私の机に書類は積んどいて、絶対明日なんとかするし、明日顔を出すから、安曇のくそ野郎には……」
奈江ちゃん、スマホで誰かと話してるんだ。
しかも内容が内容だっただけに、カっとなった。
大人しく寝ていると思っていたのに、まずは安静にしていなければ治るものも治らないじゃない。
急性気管支炎なんて、肺炎一歩手前の状態なのに。
ドアノブに手をかける。
「紗枝ちゃん!」
「うわあっ!?」
ノックもせずにドアを開ける。
ベッドに座って携帯で話している態勢のまま、悲鳴を上げるのにも構わずに怒鳴った。
「何話しているの!?安静にってあれほど……っ」
「わかった、わかったから!もしもし、桂香?ごめん、切るわ……」
あわてて通話を切って隠す紗枝に近づくと、苦笑いしながらスマホを背後に隠した。
「紗枝ちゃん……。」
「奈江ちゃん、落ち着いて。」
「どうして、わかってくれないの?紗枝ちゃんは今重病人なんだよ?本当なら、立っているのも辛いはずなのに、ちゃんと寝てもいないで……」
「ごめん、悪かったって」
ごまかすように笑う姉の顔を見て、すぐにわかった。
これは反省してない。
「紗枝ちゃんが治す気にならなかったら、いつまでも治らないんだよ」
「……わかってる」
「わかってないよ!だいたいさっきだって、こっそり学校に行く相談なんかして!
生徒会長になったからいろいろ大変なのかもしれない。でも責任のある立場なら、自分のことより他の生徒にうつさないよう気を使うべきじゃないの?生徒会長のお仕事がどれだけ大事かわからないけど、気管支炎にかかっているのに学校に行くなんて迷惑なだけだよ!」
「そんなこと、奈江ちゃんに言われなくても、わかってるよ!」
怒鳴り返されて、我に返る。
紗枝が辛そうに息をしながら、指が白くなるほどスマホを握りしめている。
「私だって、他の生徒のこと考えたら学校に行くべきじゃないことなんてわかってる。身体治すのが一番大事だっていう、奈江ちゃんのいうこともわかるよ。他の時なら、私だっておとなしくベッドで寝ているよ。でも今は状況が違うの。いま私が倒れたら、これまでしてきたこと全部無駄になっちゃう!」
言葉を喉から引きはがすように、ざらついた声。
喉の奥から絞り出すような声で言い返されて、後悔した。
言い過ぎた。
「私だけじゃない。私のこと応援してくれた人や、協力してくれた人の努力が全部無駄になっちゃうのよ!そういうわけには……っ」
怒鳴っていた紗枝が、口元を押さえて激しくせきこむ。
「紗枝ちゃん!」
身体を二つに折って、咳き込み続ける紗枝の背中をさすりながら後悔する。
「紗枝ちゃん、ごめん。大丈夫?」
病人を興奮させるなんて、最低だ。
「ん……へ、き……、」
「ごめんね、紗枝ちゃん病人なのに、興奮して怒鳴らせて……」
「……んー、違う。いいの、私が勝手に興奮して怒鳴ったの。……あ、力が抜けてきた」
そう言って、ベッドにひっくり返る。
「紗枝ちゃん」
「ダイジョブ……、ちょっとベッドに戻る。んで……モモ……アイスが溶けかけてるから、ちょうだい」
言われて、初めて自分が持ってきたものの状態を見て、慌てた。
「ご、ごめん、紗枝ちゃん、アイスが……」
「いいから、いいから。喉も乾いたし、それ頂戴。一休み」
半ば溶けてしまったアイスの添えられたモモがのった器を差し出すと、紗枝ちゃんはそれを口に運んでため息をついた。
***
もともと紗枝ちゃんの通う井華水高等学院は、歴史のある学校だ。
昔は良家の子息が通っていたが、昭和も終わりの頃に共学になった。付属の大学もあり、卒業生は大手企業や政界にも派閥を持っている。
だが近年は進学コースを強化して、さらに上のランクを目指す人も増えたという話。
でも生徒の自主性を尊重する自由な校風は、いまだに変わっていないらしい。
「まあ、自由な校風ってことは、いろんなことが生徒任せってことで、そうなると自然と生徒会の力は強いということになるのよね」
「……ふうん」
「で、詳しいことは端折るけど、私が生徒会長になるのに、ちょっといろいろ揉めたのね。だから、この新生徒会発足時に、私がぶっ倒れているわけにはいかないの」
「……紗枝ちゃん、ちょっとそれは説明を端折りすぎじゃないかと思う……。もしかして、すごく忙しいの?」
「その通り。ものすごく忙しいの」
そう言うと、人差し指を立てて説明する。
「まず事実上の、外部への新生徒会お披露目、他校交流会が目前に迫っています。今年は会場ウチだから、資料の準備とか、当日の運営とか準備しないとならないし。さらに、そりの合わない前生徒会長からの引き継ぎが途中。ただでさえイヤミの連発なのに、滞ったらどんな罵詈雑言を受けるか」
持っていたスプーンをゆらゆらさせながら、目を眇めて淡々と呟く。
「その上、生徒総会が10日後にある」
「せいと……そうかい?」
「奈江ちゃんのところは、……もしかしたら、ないのかな。校則について改定案とか、今年度前期までの生徒会の報告とかするのよ、いろいろ。まあメインイベントは、午後からある各部予算編成についてなんだけど」
自分の学校では、そういうのはやった記憶はない。
大体、校則について特に不満を持ったこともないし、すごく不満を持っている人も自分の周りにはいない。
部活に入っていないから予算とか言われても、あまり実感がない。
でもそういうことまで生徒会で取り仕切っているのは、すごいとは思う。
「たいへんそうだね」
「まあ、毎年揉めるね……。ということで、それまでにはなんとか各部活動から上がってくる決算報告と予算案に目を通さなきゃいけない。その前の他校交流会だって、適当なことできないし……、いろいろやらなきゃならないことは山積みなのよ」
「そっか……すごく忙しい時期なんだね」
「新生徒会のメンバーはさ、優秀だし信用できるから処理に関してはまったく心配してないんだけど……。ただ、さっきも言った通り、私が不在という点がね、あんまりよろしくないんだ」
「どうして?」
「さっきも言ったでしょ?私が生徒会長になるのには、ちょっと……揉めたの。だからこんな大事な時期に私がびしっと仕切れてないというのは、ヒジョーにまずい。それに作業に関しては問題なくても、心配なメンバーもいるし」
「心配って?」
聞くと、少しだけ考え込むような顔をする。
「新しい書記の子が 1年なの。おとなしい子で私が無理やりひっぱりこんだようなもんだから、どうしているか気になってんの。 他のメンバーがフォローしていると思うけど、いま時期の生徒会室は、人の出入りが激しいからな……」
そこまで言ってから小さくせきこんで「ごめん」と呟く。
辛いのだろう。横になった方がいいと促すと、素直に従った。
さっきから、喉で空気がかすれるような微かに嫌な音が声に混じっている。
すごく苦しそうだ。
「……いろいろ大変なのはわかったけど、やっぱり紗枝ちゃんは治すことに専念するべきだと思う」
また熱っぽくなってきた紗枝の額に手をあてる。
やっぱり熱が上がってきている。
気管支炎だったら、本当なら1週間くらいベッドから起き上がれなくてもおかしくないと思う。
「普段、病気しないから無茶しそうで心配だし……お願いだから、おとなしくしててよ」
ため息交じりにそういうと、じっと布団の中からこちらを見上げていた紗枝ちゃんが、小さく笑った。
「……奈江ちゃんは、やっぱり未来の看護師さんだね」
「なに?急に」
「お母さんなんか全然心配している風じゃないっていのにさ。やっぱり奈江ちゃんは優しいなあ。まったく、顔は私とかわらないのに、どうしてこんなに違う……。ん……?」
急に言葉を止めて、数回瞬きした。
それからじっと見つめられて、その視線の強さに気圧される。
「……?どうしたの」
「そうか」
呟くなり、がばりと起き上がる。
「きゃ!……なに!?」
驚いてのけぞったが、手を取って引っぱり戻される。
顔を覗きこんでくる紗枝の表情を見ても、嫌な予感しかしなかった。
「奈江ちゃん、お願い!……あたしの代わりに学校行って」
「……は?」
最初、言われている意味が理解できなかった。
「そうだよ。奈江ちゃんは私と同じ顔しているんだもん、私だっていっても気づかれないよ!」
「ちょ、ちょっと……紗枝ちゃん何言ってるの?」
「1週間でいいのよ。とりあえず生徒総会に間に合うようには、なんとかするから!直すから!それまでの間だけ、私のフリして」
「は?!そんな……無理だよ、いくら双子って言っても……雰囲気だって全然違うし」
「大丈夫よ!髪型変えて制服着てバレそうになったら、病み上がりだからってマスクしておけば!」
そんなの絶対に無理。
「安曇の野郎との引き継ぎは、適当に聞いてるフリしてりゃいいから。今のところ基本的に承認だけだし、内部に協力者がいれば……っ」
このテンション。
また、ひっくりかえることになるから、とりあえず冷静になってほしい。
「紗枝ちゃん、落ち着いてよ。そんなの無理に決まってる。だいたい紗枝ちゃんの代わりに学校に行っている間、私の出席日数はどうなるの?私だってそんなに学校休めないよ」
「大丈夫よ!奈江ちゃんのところの学校、いま時期行事ないじゃん!うちより定期考査の予定先だし」
「まあ、それはそうだけど……」
「奈江ちゃんの学校には、奈江ちゃんが病気ってことでお母さんに電話してもらうから!お願い!」
「でも、授業が遅れちゃうよ」
「そんなモン……、病気が治ったら理系だろうが文系だろうが、バッチリたっぷりみてあげるよ」
私より偏差値が10も上の人に言われたら、言い返せなくなる。
紗枝ちゃん教え方上手だから、確かにテストの前に勉強見てもらえるのは助かるかも……。
いや、やっぱり無理!
「……っ、だ、だめだよ!そんなの、お父さんとお母さんが許すはずないもん!」
その言葉に紗枝ちゃんはひるむどころか、口の端を上げる。
「じゃあ、お父さんとお母さんがいいって言えば、奈江ちゃんは引き受けてくれるのね?」
「え?」
「わかった、約束したから!」
「ええ?ちょっと紗枝ちゃん!?」
あ、あ、まずい。
紗枝ちゃんがあの顔をした時は、絶対に自分の思い通りにするのだ。
***
呆れた顔をした両親の前で、紗枝ちゃんは両手を合わせるポーズをしていた。
「奈江が紗枝の代わりに学校へ?」
「うーん。そうだなあ……あんまり関心はしないな」
お父さんもお母さんも、渋い顔。
当たり前だよ。
そんなの二つ返事で許す親なんていないと思う。
「だいたい身代わりなんて……、それに奈江はその間、学校の授業が受けられないわけだし」
頬に手を当ててお母さんがため息をつくのに、間髪いれずに紗枝が答える。
「勉強のことなら私が面倒みるから!」
「そうか」
お父さんが呟きながら、微かに首をかしげる。
「……しかし、紗枝。お前、気管支炎って言う割には元気だな。身代りなんてしなくても、学校行けるんじゃないのか?」
「あ、お父さんもそう思う?」
のんきなお父さんと、笑顔で答える紗枝ちゃんの間に、慌てて割って入る。
「お父さんも変なこと言わないで!!本当なら紗枝ちゃんは起きているのもつらいはずなの!」
「そうなのか?」
「そうだよ!……本当はすごく苦しいはず……」
普通なら話すのも辛いはずで、起き上がってこんなにしゃべれるはずない……んだけど。
多分、いまは自分の思いつきでテンションが上がっているし、薬も効いているから元気なんだ。
調子に乗ってはしゃいでいれば、病気はより悪化する。
紗枝ちゃんはちょっとでいいから、大人しく休んでいるべきだ。
こんな悪ふざけみたいな話し合いは即刻止めて、ベッドに戻るべきなのに。
「ともかくさ、絶対バレないようにするから!奈江ちゃんには迷惑かけちゃうけど、そのかわり奈江ちゃんの定期試験の時に一緒に勉強する。前回の奈江ちゃんの順位より必ず上が取れるように責任持つから……っ」
説得しながらも、小さく咳き込む紗枝の背中をさする。
やっぱり。
具合が悪いのに、頑張りすぎだ。
どうしてお父さんもお母さんも、早く「ダメ」って言わないだろう。
確かにこんな必死な紗枝ちゃんを見ていれば、気の毒になってくる。
お父さんもお母さんも同じだろう。
でも無理なものは無理なのだ。
「いくら顔が同じでも奈江と紗枝じゃ、全然違うじゃない。学校に先生や生徒さんたちにバレちゃったら大変よ。先生から連絡着たりしたら、お母さんなんて答えたらいいの?」
顎に手をやって言う。
「絶対バレないって!ね、お願い、お父さん、お母さん!お願いします!」
テーブルに着くくらい頭を下げる紗枝に、お父さんがため息をついた。
「しょうがないな。紗枝、頭をあげなさい。……奈江、やってやったらどうだ?」
「ええ?」
「だってお前。あの頑固な紗枝が、こんなに頭を下げるなんて見たことないだろ」
「でも」
まさか賛成するとは思わなかったから、頭が真っ白になった。
反論する言葉はいっぱいあったはずなのに、何も言えなくなる。
「そうね、2~3日ならバレないんじゃないの?」
「お母さんまで!?」
「やってあげなさいよ、奈江」
どうしてここにきて、みんな紗枝ちゃんの味方になってしまうのか。
入れ替わりなんて、無茶苦茶言ってるのに。
「みんなどうかしてるよ!何で許しちゃうの!?」
お父さんは少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「確かに紗枝はちょっと混乱してるかもなぁ……。奈江を自分の身代わりになんて、荒唐無稽過ぎて、お父さんびっくりしたよ。けど病気したことない紗枝が、初めて寝込んだんだから、ちょっとパニックを起こしていても、しょうがないんじゃないか」
「混乱しているんだから、お父さんたち止めてよ」
「紗枝を止められる人間なんていないよ。なあ、奈江、諦めていうこと聞いてやれ」
「そうねえ。やってダメなら、紗枝も納得するでしょ」
「だめならって……」
「バレそうになったら、走って帰ってきちゃいなさいよ」
「そんな簡単じゃないよ、お母さん」
肩を落として言うと、呆然とした気持ちとは裏腹の声が隣で聞こえた。
「やったあ、お許しが出た!」
「紗枝ちゃん、待って!私まだ……っ」
「あー、安心したら、どっと疲れが……。さっき薬飲んだのが効いてきたみたい。ちょっと寝るわ」
聞いてないのか、わざと聞かないのか。
満面の笑顔の紗枝に言われて、また言葉に詰まる。
「奈江ちゃんは明日の朝、私の部屋から制服とカバン持って行ってね。よろしく~」
リビングを去っていく紗枝ちゃんを見送ってから、能天気を通り越してほとんど無責任な両親を振り返る。
「お父さん、お母さん!なんであんなこと言っちゃったの?!」
「しょうがないだろ、紗枝は言い出したら聞かないから」
「それに紗枝だって、本当はこんなことあんたに頼みたくはないと思うけど……あの子なりの苦肉の策なんでしょ」
のほほんとした答えに、怒りが徐々にしぼんでいく。
「……雑すぎるよ」
「それにかわいそうじゃないの。もしこれが理由であの子がやっとやりたかったことが、うまくいかなかったら。奈江だって、紗枝が生徒会選挙でどれだけがんばっていたか知っているでしょ?」
痛いところをつかれた。
確かにそれを言われると、少しは助けてあげたい気にもなってしまう。
選挙どころか、それよりずっと前から紗枝ちゃんはがんばっていた。
一年生の頃から執行部にいて、細かいところは知らないけど、紗枝ちゃんはずっと生徒会に入って、やりたいことがあったんだって知ってる。
なんか……ずるい。
「……みんな、紗枝ちゃんを甘やかしすぎると思う」
「おまえもな」
お父さんに笑って言われては、もう何も言えなかった。