番外編01:渉紗枝と衣笠麒麟
奈江ちゃんは、初めて会った時から天使だった。
ふわふわの色素の薄い髪に、柔らかそうな頬。
長い睫に縁どられた大きな丸い目に、透明な優しそうな笑顔。
本当に天使かと思った。
背中に羽が生えてないのが不思議なくらい。
「妄想乙」
麒麟は生徒会室で頬杖を突きながら書類を清書している紗枝に一言、めった切りにされてぐっと喉を鳴らす。
「でも奈江ちゃんが可愛いっていうのは激しく同意~、もうマジ癒される奈江ちゃん~、あー早く帰って奈江ちゃんにすりすりしたい」
「おいこら」
パソコンのキーボードを打っていた手を休めて、手元にあった消しゴムを投げつける。
「痛い、何すんのよ?」
「人の彼女に何してんだよ」
「アタシの可愛いかわいいカワイイ妹に、何しようと勝手でしょ。疲れた心を癒すには、奈江ちゃんのふわふわボディに抱きしめられて、頭撫でてもらうのが一番なの」
「何それ、うらやま……、じゃねえ!このシスコン」
「シスコンだもーん、何が悪いの?そっちこそ、ついこの間まで片思い小僧だったくせして」
へっと鼻で笑われて、麒麟は視線を逸らす。
そうなのだ。
確かに十年以上も片思いをしていたわけだが。
「今はれっきとした彼氏だ」
「去年なんて顔合わせるのもビビり腰で、こそこそしてたのに。ヨカッタネー、出世シタネー」
「紗枝、てめえ」
「あーでも、思い出したら笑えてきた。去年の文化祭。マジで受けるwwww」
「……思い出すな」
「いや、思い出した」
紗枝はボールペンを回しながらニヤニヤと麒麟の顔を見上げた。
***
1年前。
紗枝は正門脇に立っている看板の脇に駆けてきた。
きょろきょろと周囲を見回す。
看板には『井華水高等学院学園祭、一般公開日』と大きく表示されていた。
そしてその看板の陰にしゃがみこむ影を見つけると、大きな声をあげる。
「ちょっと、麒麟!なんでこんなところにいるのよ!」
「紗枝」
「奈江ちゃん、もう来てるよ。会うんでしょ?運命の再会やるんでしょ?早くしなさいよ」
「……無理」
「え?」
「やっぱ、ちょっと心の準備が必要」
正門にもたれたまま、顔を隠すように口元を手で覆った麒麟に、紗枝は眉根を寄せる。
「はあ、なんでよ?」
「だって、さっき影からちょっと見たけど、………すっげ、かわいくなってんじゃん」
「奈江ちゃんが?」
言うと、麒麟が何度も頷く。
「あーやっぱダメだ!オレ、自信ない。単に覚えられてないとかならいいけど、超情けない奴とか印象あったら最悪じゃん!」
しゃがみこむ麒麟に、紗枝が腕を組んで目を眇める。
「……まあ、そうね」
「それにお前から写真とか見せてもらってそれなりに覚悟してたけど、想像以上だよ。何アレ、可愛過ぎじゃね!?もう天使じゃん。マジ天使だよ。羽が見えるもん、背中に!!」
「麒麟、あんた視力落ちたって言ってたけど、多分、悪くなってるの頭の方だと思う」
辛辣なことを言ってみたものの、自慢の妹が天使に見えるほど可愛いのは、あながち間違いないと思う。
とりあえず妹の可愛らしさに打ちのめされた麒麟を、自慢半分呆れ半分で見ろしていた。
「告っても玉砕する気がしてきた!」
「何ヘタレたことぬかしてんのよ」
がばっと顔を起こした麒麟に、紗枝は苛立って腰に手をやって言い返す。
「…ったく、さっさと顔合わせて、くっつきゃいいのに。たまに激しくイライラすんのよね。ほら、そんなところにしゃがみこんでないで、行くわよ」
そう言ってしゃがみこむ麒麟の手を掴んで引っ張る。
だが麒麟は動こうとしない。
「今日は………やめとく」
「へそ抜け!」
麒麟の手を床にたたきつけるように放り出すと、恨めし気に睨み返された。
「なんとでもいえ!今日のオレは、本物の奈江ちゃんを見られただけで満足なんだよ!」
「チッ……どこまでヘタレなのよ!ったくガキの頃にくらべて、強くなったのは英会話と腕っ節だけか!?」
「うるせー、俺はお前と違って繊細なんだよ!
「だいたい、毎日同じ顔みて免疫ついているはずなのに、どうしてそんな奈江ちゃんだけに過剰反応するのよ?」
「そうなんだよなあ。……おんなじ作りなのに、どうしてこうも違うんだろうな」
真顔で言う麒麟に、紗枝は笑顔でローキックをかます。
「わかった、やめろ、マジで蹴るのはっ!」
「ったく、……私たち双子は一卵性。かわいらしい顔は、まったくもって瓜二つなの。違うところと言えば、奈江ちゃんは天使の様に清らかで、優しく、ちょっとだけ胸が大きいことくらいよ」
「え、そうなの?胸おっきい……」
「どこ部分に食いついてんだよ、お年頃め!……つか、こんなところでアンタとミニコントしている場合じゃないのよ」
そういって、腰に手をやってしゃがみこむ麒麟を見下ろす。
「……本当に、奈江ちゃんに会わないの?」
「うーん」
唸っていると、不意に背後から高い、鈴を転がすような声が響く。
紗枝とまったく同じ顔なのに、どこかふわふわとした柔らかな笑顔の少女が、こちらに向かって駆けてくる。
「紗枝ちゃん!」
「……あ、奈江ちゃん」
「待ってても来ないから、探しに来ちゃった。あれ?」
奈江が自分の隣に視線を移して首をかしげるのに、ふと紗枝も自分の隣を見る。
さっきまで麒麟がいたはずなのに、忽然と姿が消えていた。
……根性なし。
紗枝が心の中で呟く。
「誰かと話してなかった?」
「あー、いや……うん」
「同じクラスの人?」
「あぁ、うん。そうなの」
適当に返事をしていると、奈江はきょろきょろと周囲を見回した。
どうやら麒麟の姿を探しているらしい。
「奈江ちゃん、……あの人、気になるの?」
問うと、奈江が目を丸くした。
「え?なんで…」
「いや、なんか、探してるみたいだから、気になるのかなって」
「そんなことないよ!……ただ、ちょっと一瞬だけだけど、見た感じが、えっと背がおっきいなあって……」
「それだけ?」
「それだけって、……ちらっとしか見えなかったけど、……かっこよかったかも」
口元を抑えて言うのに、紗枝が驚く番だった。
奈江はあまり男の子に興味がない、というか苦手らしい。
そういうことはめったに言わない。
「へええ」
「なによ、紗枝ちゃん。からかってる?」
奈江に軽く睨まれても、口元が緩む。
「いいや別に。それよりも、せっかく来たんだから案内するよ。文化祭」
「いいの?忙しいんじゃないの?」
「大丈夫。大丈夫。…それにしても、まったく千載一遇のチャンスを逃したかもね」
「え、なに?」
「んー、なんでもない。なんでもない」
鼻歌交じりに、紗枝は奈江の背中を押して、校舎の中に入っていった。
***
「あの時、覚悟決めてればさー、もっと早く付き合い始められたのに」
「うるせーな、オレはお前と違って繊細なんだよ」
麒麟はパソコンモニタに向きなおる。
その背中を横目で眺めた。
「ねー」
「んー?」
「今週末、奈江ちゃんと何処に行くの?」
「……。」
「別に他意はないわよ。ただやたら熱心におかずレシピチェックしていたからさ。主にお弁当に入れるっぽい……、ってニヤけた顔、こっちに向けるんじゃないわよっ」
パソコン用のデスクチェアを蹴ると、それでも麒麟はニヤついた顔を紗枝に向けた。
「奈江ちゃん、マジでオレのリクエスト答えてくれるんだ」
「なによ。アンタのリクエストなの?」
「うん。紗枝が奈江ちゃんは料理得意ってさんざん自慢されたからオレも食べてみたいなって言ってみたんだよな」
「……へえ」
「今度、水族館行くときにお弁当とか作ってきてほしいなあって、でもそん時はあんまりいい返事くれなかったんだけど……そっか、楽しみ」
…まあ、実は知っているんだけど。
紗枝にも散々、聞いてきた。
『手作りって今嫌われるんでしょう?何入れられてるかわからないから、バレンタインのチョコだって、手作りは食べないで捨てるって。……麒麟くんが食べたいって、言ってるんだけど、本当に作っていっていいのかな』
『何が好きかわからないけど、やっぱりお肉がいい?』
『男の子ってどれくらい食べるのかな?お父さんと同じくらいと思ってればいい?』
……今までは紗枝の為だけに、リクエストにこたえてお菓子やご飯を作ってくれていたのに。
奈江ちゃんを独り占めしていたのは、私だったのに。
紗枝は無意味に麒麟の座っているパソコンデスク用のチェアを蹴りつける。
「あームカツク」
「なんだよ?」
「いい気になるんじゃないわよ、奈江ちゃんはあんたのものじゃないんだからね」
「オレのだろうが」
「ち が う わ よ。いい気になるなよ、小僧」
「誰が小僧か、つか、いいかげん足やめろ」
麒麟に椅子ごと逃げられて、奈江は不機嫌にため息を漏らす。
「……チッ、あーあ、もう帰ろ」
「終わったのか?」
「いや、まだだけど」
「……おい」
「桂花も薫もいないし、もう今日はのらないからやめ」
そういって片づけ始めると、麒麟は苦笑いしてパソコンに向かって、学校案内のパンフレット原稿を確認している。
「麒麟は、まだやってくの?」
「もうちょっとな」
「じゃ、戸締りよろしく」
カバンを手にして片手をあげて見せながら、多分週末までに仕事がたまらないようにしているんだろう。
麒麟は真面目だ。
勤勉で頭もそこそこいいし、結構コミュ力も高い。
顔はまあまあだし、腕っぷしも強い。親の海外赴任でシンガポールだか、タイだかについて行っている間につけた英会話力と格闘スキルはなかなか使える。
まあ、奈江ちゃんを任せるには、いい物件なんだろうな。
そう思いながら、扉の所で振り返る。
「ねー、麒麟」
「なんだよ」
「キス以上のイヤラシイ真似したら、あんたの引っこ抜いて、後ろの穴につっこんで溶接するから」
「は!?」
ハトが豆鉄砲食らったような顔をして、麒麟が振り返る。
「じゃあね、お先ー」
そういって何か叫んでいるのを無視してドアを閉める。
薄暗い廊下を歩きながら、紗枝は何ともいえない気持ちで呟いた。
「私も、そろそろ妹離れしなくちゃかな」