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Since18

 生徒会室のドアを後ろ手に閉めると、麒麟はほっとしたように肩を落とした。

「奈江ちゃん大丈夫?」

「うん」

 5日ぶりの生徒会室だったが、見知った場所に緊張が解ける。

 紗枝と分かれてから、人目を気にしながら生徒会室まで来たのだが、誰にも会うことはなかった。

 総会の最中だから、生徒は誰もいないだろうとは思ったが、さっきの柔道部の様にサボっている生徒がいないとは限らない。

 椅子に座った奈江の前に、麒麟が跪いて奈江を覗き込む。

「本当に怪我してない?痛いの我慢したりしてないよな?」

 心配する麒麟が、奈江を覗き込む仕草が幼く見えて微笑む。

「ホントに平気」

 ふと視線を落とすと、麒麟の手の甲の方が赤くなっていた。

「麒麟くんの手、赤くなってる」

 指先が赤くなっている手の甲に触れた。

「痛そう」

 傷にはなっていないみたいだけど熱を持っているみたいだから、湿布をした方がいい。

「きりんく……」

 視線を上げようとした時、不意に麒麟の腕が伸びて、膝をついたまま奈江を抱きしめた。

「よかった」

 溜め息交じりの本当に安堵したような声。

 耳元で聞こえて、頬が熱くなる。

 どうしていいのかわからずに、それでも麒麟のジャケットの裾を指で掴んだ。

 麒麟からは、清潔ないい匂いがする。

 さっき奈江を捕まえていた男子生徒は、なにか尖った匂いの整髪料のような匂いがして、それも嫌だったけど。

 胸の奥が苦しくなる。

「奈江ちゃんに怪我がなくて、本当によかった」

 胸に抱き込まれて、奈江の髪にキスをするように唇を押し付ける麒麟に、奈江の身体の力が抜けた。

 こんな風にされたら、誤解してしまう。

 麒麟はきっと幼馴染の女の子を助けたくらいの気持ちしかないだろうけど、奈江は違う。

「助けてくれてありがとう。えっと……よく、私のいる場所わかったね」

 そういって身じろぎをすると、麒麟の腕の力が少し緩んだ。

「あ、それは……休憩時間にメール見て、すぐに怪しいって思ってた佐藤とか日下部の姿が行動になったから……、あ、佐藤と日下部は」

「元副会長さんと科学部の部長さんでしょう?」

「そう。佐藤はもともと何かやらかしそうな雰囲気があったから注意してたんだ。でも日下部が入れ替わり最終日に奈江ちゃんと話した後、どうも様子がおかしかった。あの日、隠し撮りもされただろ?」

「うん」

「身代わりのことに気が付いて、あれからずっと嗅ぎまわってたっぽい。それで多分今回の事を計画して、実行要員として柔道部の連中を抱き込んだんだろ。あいつらも紗枝のやり方に不満を持ってたから」

 それじゃ学校をうろついていたという井華水の生徒は、やっぱり彼らの仲間だったんだろう。

「科学部は実験室で活動しているから部室ないし、人を攫って隠すなら柔道部の部室くらいしかないだろうなって思って……」

「桜花女子の周りで、ずっと学校の様子を伺っている人がいて、それが井華水の生徒らしいって噂が流れていたの……」

 奈江が呟くと、麒麟が血相を変える。

「そんなことあったんなら早く言ってよ!そうすれば護衛でもなんでもして、奈江ちゃんから離れなかったのに」

「そんな迷惑かけられないよ!……それに、噂だからと思って。不確かなこと言って、紗枝ちゃんに心配かけたくなかったの」

 そういうと麒麟は奈江の肩に額を押し付ける。

「それでもこんな風になるよりずっといいよ、紗枝もそう思ってる、絶対」

 麒麟の口から紗枝の名前が出るのに、少しだけ胸が痛んだ。

 でもそれ以上に、麒麟の声が近くて落ち着かない。

 それじゃなくても腕が背中に回ったままで、そこから麒麟の柔らかな体温が伝わってきて、ドキドキしてしょうがない。

 離してほしいと言いたかったが、なんて言えばいいのかわからない。

 自意識過剰だと思われるのも恥ずかしい。

 それでもこんな風にくっついているのは、嬉しいけど切ない。

 思い切って麒麟の肩を軽く押すと、麒麟は身体を離した。

 明るい色の瞳と、視線が絡む。

「……やっぱり、私。もう帰るね」

「奈江ちゃん?」

「今がチャンスだと思うの。校舎の中も外も、ほとんど誰もいないし。こっそり出ていけばわからないと思うから。ほら、総会が終わってみんなが帰るの待ってたら、時間かかりそうだし」

「そうは言っても、どこに誰がいるかわからないから。学校離れても、その恰好じゃまずい」

「大丈夫だよ。ここまで来られたんだし、帰りだって」

「奈江ちゃん、ちょっと待って。今、久賀さんに頼んで、私服用意してもらってるから。着替えていつもの髪型にすれば、こそこそしなくても堂々と帰れるよ」

「それは……ありがたいけど、これ以上迷惑かけるの、悪いもの」

 笑顔を作って見せる。

 そっと立ち上がって麒麟の横をすり抜けようとした時に、腕を掴まれる。

「待って、奈江ちゃん」

 意識しないでおこうと思ったのに、身体はやはり小さく震えてしまった。

 麒麟が慌てて手を離す。

 でも奈江の行く手を阻むように、ドアの前に立ちふさがった。

「麒麟くん?」

「ダメだよ。帰さない」

 子供のように通せんぼする麒麟に、目を瞬かせる。

「これ以上、ちょっとでも怖い思いも、嫌な思いもさせたくないから」

 拗ねたように言う頬が少しだけ赤い気がした。

「あの、麒麟くん」

「さっき抱きしめたのが気持ち悪かったとかだったら、ごめん。あんなことされた後だったのに、無神経だった」

「え?……ぁ」

 奈江もつられるように頬が熱くなる。

「別に、気にしてないよ。麒麟くんは、……『きぃちゃん』は大事な幼馴染だもの。あれくらい、昔はいつもしてたし、そんなことで怒ったりしないよ」

 昔からの幼馴染で、きっと麒麟にとって奈江は兄妹のようなものなのだろう。

 だから優しいし、気安く触れてくるのだろう。

「なら、なんで急に帰るとか言うの?」

「それは……、これ以上迷惑かけられないから」

 まるで言い訳のように言って、次の言葉を探していると、麒麟の顔が切なそうに歪む。

 そのまま傷付いたような視線を落とした。

「オレ、奈江ちゃんが好きだよ。だからこれ以上ヤな思いさせたくない」

 言われて、鼓動が一つ大きく跳ねた。

 それからすぐに勘違いしちゃいけないと、慌てて浮かれそうになる自分を戒める。

「わたしも、麒麟くん好き」

 本当に大好き。

 でもそう言ってフラれるくらいなら、今のままがいい。

 何も言わなければ友達のままでいられるし、もし紗枝と付き合っていたとしても、友達以上の感情をもっていないと言い張れば、どちらとも気まずくならなくて済む。

 二人とも大事で、失いたくない。

「麒麟くんが仲良くしてくれて、また友達になってくれて嬉しいよ。でも、過保護過ぎ……」

「そういうんじゃなくて!」

 怒鳴られて息を飲む。

 麒麟は前髪をくしゃくしゃにするようにかき上げて、それから奈江を見た。

「奈江ちゃんのそれは、大事な幼馴染とかそういう話だろ。オレのは、ちゃんと女の子として好きだって意味だよ」

 苦しげに吐き出される言葉は、そのまま奈江を打ち据えるようだった。

 弱虫で、優柔不断で、誰とも衝突しない代わりに、理解もされない。

 いつも紗枝の後ろに隠れている、ずるい自分。

「と……っ、ともかくそういうことだから、オレは奈江ちゃんをこのまま放りだしたりできない。オレのこと嫌なら半径1m以内に近寄らない。それでもダメなら生徒会室の外に出る。だからお願い、ここで大人しく待ってて」

 頬を上気させたまま、少し怒ったように言う麒麟をじっと見つめる。

 本当の事だろうか。

 麒麟が自分の事を好きだなんて。

「あの、奈江ちゃん」

 口元に手をやった麒麟が、顔を軽く背ける。

「そんな、物珍しそうっていうか……じっと見ないで。オレ、奈江ちゃんと目があっただけでもドキドキすんのに」

「……ぇ?」

「勢いで告った挙句に、そんな顔で見られたら心臓爆発しそう」

 そんなことを言われて、頬がますます熱くなる。

 心臓が耳元で脈打っているみたいだ。

「紗枝ちゃんのことが好きなんだと、思ってた」

「は……?」

「二人は付き合っているのかなって、仲が良いし」

「どうしてそうなる……っ!?」

「話があるっていうのは、実は紗枝ちゃんと恋人同士なんだって、そのことを話してくれるつもりだったのかなって」

「全然違うよ」

 麒麟がさっきまでの照れくさそうな、怒ったような表情から一変、絶望感にまみれた顔で肩を落とす。

「なんで~……、オレが奈江ちゃん好きなのなんて、丸わかりじゃん。薫にすら露骨すぎって呆れて言われたのに」

 あの他人に興味のない薫がそんなことを言ったのか。

「紗枝なんて兄妹くらいのノリでしか見たことねぇよ、マジで……恋人とかないわ」

「そうなの?」

 奈江が首をかしげると、麒麟は疲れ切ったようにため息をついた。

「そっか~、奈江ちゃんにはそんな風に見えてたんだね~」

「えっと……」

「ってことは、オレの事なんて眼中にもないな」

「そんな、ぁの」

「別に、気にしないで。オレが勝手に好きなだけだから。でも告ったからには、振り向いてもらえるように頑張るけど」

「そうじゃなくて、麒麟くん、わたし」

 そこまでいって、喉に言葉が詰まった。

 こんな風に「好き」っていうの、ズルくない?

 さっきまで傷付きたくないとか言って、誤魔化していたくせに、相手が自分に好意を持っているってわかった途端に、そんなこと言うなんて。

 手の指が白くなるほどきつく手を握って俯く。

「奈江ちゃん、オレね……俺はずっと、奈江ちゃんのことが好きだった」

 さっきとは違った、穏やかな麒麟の声。

「もう本当にガキの頃から、ずっと。海外赴任の親に無理言って、この街に戻ってきたのだって、奈江ちゃんのことがずっと気にかかっていたからだし、もしかしたら、約束覚えているかと思って」

「……約束」

「ガキの頃、オレ本当に阿呆で負けず嫌いだったから、小児喘息がひどいのに紗枝と遊びまわって、そのたびに怪我したり、発作起こしたりしてた。

 ぶっ倒れると奈江ちゃん、必ず傍についててくれて、心配そうに手を握ってくれた。そんで、オレが何度目かにぶっ倒れた時に、言ったんだ。オレのこと治してくれるって。お医者様になって、発作の時も怪我した時も治してあげるって」



『私が治してあげる、怪我も病気も全部』



 懐かしくも、遠い、幼い自分の声が、再び脳裏に響いた。

「あの時から、もう本当にオレは、奈江ちゃんのことが好きで、忘れられなくて…」

 そこまで言うと、麒麟は照れたように口の端をあげた。

「中学生くらいになって、喘息が徐々に良くなったけど、奈江ちゃんはあの時のこと覚えてるかなって。……別に覚えてなくても、オレの気持ちは全然かわんないけど」

「……ううん、覚えてる……思い出した」

 覚えている。

 ただ今の麒麟くんとつながらなかっただけ。

 ずっとおぼろげだった記憶。

 全部、思い出した。

「……あの頃、『きぃちゃん』は、なんでも紗枝ちゃんと競争していて、転んで擦りむくのなんてしょっちゅうだった。ぶつけた所を、さらに転んで擦りむいて。紗枝ちゃんも良く怪我してたけど、きぃちゃんも怪我が絶えなかった」

 二人並んで怪我をした膝を出すのに、奈江が一生懸命消毒薬をかけ、絆創膏を張った。

 普段は、明るくて元気で、私のこともかばってくれるきぃちゃん。

 でも、ときどき苦しそうにしている姿。

「発作を起こすとすごく苦しそうで、そのまま死んじゃったらどうしようって不安になった。ずっと治してあげたいと思ってたの」

 いつもと違って苦しそうに喉を鳴らす『きぃちゃん』がかわいそうで、一緒に遊べないのが寂しくて、大人になったら絶対に病気を治してあげようって誓ったんだ。

「成績がどうしても上がらなくて、私はお医者様になるのは無理だってことがわかって……それならせめて看護師さんになろうって勉強して」

 そうしていくうちに、いつしか子供の頃の思い出は、記憶の一番深い棚にしまわれてしまった。

「麒麟くんは、ずっと覚えてたんだ」

「うん。えーと……引いた?」

「……ぇ、なんで?」

「粘着とか、ちょっとストーカーっぽいかなって」

「そんなこと思わないよ」

 なんだか泣きたいような、嬉しいような不思議な感じだった。

 麒麟の事が好きだという気持ちが溢れる。

 そしてやっぱり自分はズルいと思う。

 どんな理由を並べても、結局は自分が傷付きたくなかった。だから気持ちを隠そうとしたのだ。

 堂々と気持ちを告げた麒麟の勇気は、奈江には眩しいくらいだ。

 とても釣り合わないと思う。

 でも、このまま麒麟に本当の気持ちを隠していたら、奈江はいつまでも優柔不断でズルいままだ。

 正直に、勇気をもって、もう一度言おう。

「本当は、私も麒麟くんのこと好き」

 思い切って、持てる気力をすべて振り絞って言う。

「子供の時は、きぃちゃんは女の子だと思ってたけど、紗枝ちゃんのふりして学校に来て、麒麟くんとして会ってから、優しくてかっこよくて、困ってると助けてくれて、……あっという間に好きになってた」

 麒麟の頬がみるみる赤く染まる。

「……でも、紗枝と付き合ってるって思ってたんだろ?」

「うん、二人は仲が良かったし。紗枝ちゃんと付き合ってるなら、好きになっても迷惑なだけだと思ってたの」

 奈江は、小さく深呼吸する。

「告白する勇気もないし、傷付くの怖かった。だから気持ちを隠しておこうと思って、……ごめんなさい。でも……っ」

「あ、待って」

 目の前に片手をあげて制されて、麒麟を見る。

 口元を抑えたままの顔は真っ赤だ。

「ちょっと動揺してるから……つか、ホントに?」

「ぅん、……本当に」

 奈江も麒麟に負けず劣らず、上気した顔で頷く。

 途端に顔を抑えて、麒麟が天を仰ぐ。

「ダメ、幸せすぎて死にそう。オレ爆発する」

「ぇ?え?」

 それから麒麟は天井から視線を正面に戻し、奈江を見つめる。

「奈江ちゃん、本当の本当にオレの事好き?同情とかじゃなくて?」

 真剣な表情で聞かれて、

「同情でこんなこと言えないよ」と、答えると麒麟がくしゃっと表情を崩すように笑った。

 その顔に見惚れてしまう。

 なんだろう。

 好きと言葉にする前より、もっとずっと麒麟のことが好きになっているみたいだ。

「奈江ちゃんみたいにかわいい子が簡単に好きなってくれるとは思ってなかっただけに、ちょっと……ヤバイくらい浮かれそう」

「そ……っ、な、麒麟くんこそ、そんな風に言っているけど、すごくモテるんでしょう?かっこいいもの」

 言い返すと麒麟は蕩けるように微笑んだ。

「かっこいい?奈江ちゃんからみて、かっこいい男になった?」

「…ぅ、うん」

 そんなに期待に満ちた目で、改めて聞かれると答える方が恥ずかしい。

 俯いた奈江を、麒麟が無邪気に笑って抱き寄せる

「き、きき麒麟くん!?」

「よかった。オレずっと、奈江ちゃんにそうやって言ってもらえるような男になりたかったんだ。だからすごい嬉しい。努力の甲斐があった。報われたって感じ」

 奈江だって、麒麟にこんなに大事に思われていたなんて嬉しい。

 すごく嬉しいけど、なんて言葉にしたらいいのかわからない。

「大好きだよ、奈江ちゃん」

 あまりにも素直に『好き好き』と言われてると、恥ずかしさを通り越して、頭がぼうっとしてきた。

「………ぁの、わたしも…」

「ん?」

 優しく聞き返されて、ぶんぶんと首を横に振った。

 これ以上言葉にしたら、さらに麒麟のことが好きになって、それしか考えられなくなりそうだった。

 腰に手が回ったまま、反対側の手が頬を包むようにして触れて上を向くように促される。

「ぁ、」

「奈江ちゃん、かわいい」

 頬に触れていた手がすりっと撫でるようにして動き、耳朶をくすぐる。

「ん……」

「ねえ、キスしていい?」

 低い、囁くような声に、膝の力が抜けそうになる。

「いきなり、きゅうに……っ」

「いきなりじゃないよ。オレはずっとこうやって触って、キスしたかったもん」

 そういってにこにこと笑う。

 爽やかな笑顔で迫ってくる麒麟に、奈江は怖気づいてぎゅっとブレザーの裾を掴む。

「……奈江ちゃん、ダメ?やだ?」

「そんなこと、……聞かないで」

 やっとの思いで言うと、麒麟は眉尻を軽く下げて吐息がかかるほどに顔を近づけてくる。

「それってダメってこと?それともOKって意味?」

「きりんくん……っ」

「ちゃんと教えて。オレは奈江ちゃんが嫌なことはしたくないんだから」

 だからってそんな恥ずかしいこと答えさせないで。

 心の中で言いながらも、奈江はぎゅっと目を閉じて言った。

「ぃ、い……」

「ん?」

「キス……して」

 言ってから、自分でねだっているような言葉に、恥ずかしくなって逃げ出したくなったが、身じろぎする暇もなく腰に回った手に身体ごと引き寄せられた。

 身体を抱き寄せた強い力に反して、触れた唇は柔らかくて、優しかった。

 重なった唇を味わう様に押し付けられ、何度も角度を変えて押し付けては柔らかくついばまれた。

 キス……、長い、初めてなのにっ。

 ぎゅうと裾を掴んで引っ張りと、やっと麒麟の唇が離れて行った。

 身体を抱き寄せたまま、べたべたになった口の周りを指でぬぐい、優しく目を細める。

「かわいい、奈江ちゃん、目ぇ潤んで蕩けてる」

「……っ」

「もっとしたいけど、今日はこれで我慢するね。初めてだし」

 そういって額や頬にキスを繰り返す麒麟に、奈江は抵抗することもできず成すがままだ。

 いろんなことがあった上に、初めてのキスでぼうっとして、思考がうまく働かない。

 その時、遠くから歓声のようなどよめきの様な声に、我に返る。

「なに……?」

「多分、講堂。総会うまく進行してるみたいだな」

 そう言って、麒麟の胸の中に抱き込まれる。

「順調にいけば、そろそろ終わるし。紗枝たちが戻って来るまで、もうちょっとイチャイチャさせてよ、奈江ちゃん、ね?」

 麒麟のいつもの笑顔にどこか、甘えたような空気が混ざる。

 抱きしめられながら、奈江も心地よさに何も言えなくなってしまった。


***


 講堂の下手側に蓮が上がっていくと、桂花と薫はもちろん、紗枝も何事もなかったかのように生徒会役員席に座っていた。

 各委員会の前期活動報告を、退屈そうに聞いている。

 ほっとしたような、呆れたような気分になって、袖幕から見ていると執行部の一人が蓮に気づく。

「あ、安曇先輩、お疲れ様です」

「お疲れ」

「どうされたんですか、何か……」

「いや、進行が滞ったようだったので、様子を見に来たんだが」

 蓮がそういうと執行部員は苦笑いを浮かべて、

「あー……、それなら、大丈夫です。なんか渉会長が会議の進行シナリオを出力し忘れたとかで、いったん生徒会室に戻りましたけど。その間に久賀先輩が前期の決算報告の資料にない部分もちょっと長くしゃべってもらって、なんとか予定より15分押しくらいですが、問題なく」

「そうか。なんとか間に合わせたみたいだな」

「はぁ」

 ぼそぼそと話す気配に気づいたのか、桂花がそっと席を立って蓮に近づいてくる。

 執行部員と入れ替わりに、桂花が蓮の隣に立つ。

「お疲れ様です」

「おい、いいのか。役員席にいないで」

「大丈夫です。発表中ですが、別に私がいなくても問題ありません。紗枝がいなかった時より、全然マシです」

「確かにな。……衣笠はどうした?」

「生徒会室に。奈江さんを一人にするのは、不安だからと」

「ああ」

「それよりも、先輩の方は?」

 言われて、先ほどまでの佐藤とのやり取りを苦々しく思い出す。

 佐藤の紗枝に対する憎しみは、いろんな思うとおりにならないことの八つ当たりのようなものだ。

「……今回、かかわった連中に関しては、もう手出しはして来ないだろう。だが煽るのもほどほどにしておけと、渉に言っておけ」

 蓮の言葉に、桂花が小さく笑う。

「何だ?」

「いえ、安曇先輩が直接言われた方がいいですよ」

「アレはオレが口を出せば、返って意地になるだろう」

「……そうでもないですよ」

 桂花が言うと同時に、麒麟に変わって司会を務めている薫の声がマイク越しに響いた。

「……次は、一般生徒からの質疑応答。渉生徒会長、お願いします」

 淡々とした感情のこもらない声に、桂花が口元に手をやる。

「あら、本日のメインイベントですね。戻らなくちゃ」

 そう言って、その場を後にする。

 蓮はその後ろ姿を苦々しげに眺める。

 壇上では、紗枝が中央の演説台の前に立ったところだった。

「えー、ではここより先は、事前に行ったアンケートの学校運営に関するアンケート結果の発表を行い、その後、一般生徒の皆さんが日頃、生徒会、または学校運営の各部門に対して持っている質問や要望を受け付ける、質疑応答となります」

 進行シナリオなど椅子の上に置きっぱなしで、紗枝は堂々と語り出す。

「ですが、アンケート結果については進行が15分押しているので、これは後日プリントを配布することにします。今、決めました」

 こともなげに言うのに蓮は顔を歪め、桂花は苦笑いを浮かべる。

 薫は何事もないように、小さくあくびを漏らした。

 執行部員は背後のスクリーンに出すはずだった内容を、引っ込めるのかどうするのかと右往左往している。

 講堂の生徒たちは笑いを含みながら、ざわめき「さすが渉会長!」「天上天下唯我独尊」等と声がはやし立てる。

「あ、執行部。スクリーンに何も出さなくていいから。それでは、どんどん行きましょう。たかが15分、されど15分。さて……」

 紗枝は壇上に両手をつく。

「井華水高等学院のみなさん!」

 凛と響き渡る声に、一瞬、講堂が静まり返る。

「我が校の伝統であり、特徴でもある生徒が中心となった学院自治において、私たち自身が声をあげなければ何も始まりません。貴方たちの心の中に、何かしら思うところがあるのなら、1年に一度のこの日この場にて挙手の上、発言してください。なおこの場で回答できないような案件においても、必ず後日会議に掛け、回答を生徒全員にお知らせします。……と、まあ、堅苦しい言い方をしていますが、要するに」

 紗枝は壇上のマイクをスタンドから外して持ち上げる。

「要望、希望、質問、抗議、苦情なんでもあり。どんなつまんない発言も無礼講。いつもの面倒くさい手続きは抜きにして受け付けるって言ってるんだから、参加しない手はないよ!さあ、執行部も生徒諸君も準備はOK?」

 そういうと講堂の生徒と、その間に配置についた執行部の顔を見渡す。

 そしてにやりと笑うと、

「……では、かかってきなさい!」

 歓声の様な、それとも紗枝の態度に対する抗議の声か。

 怒涛のような生徒の声と挙手。

 その間を執行部がマイクを持って駆けまわる。

「はいはい、それじゃまず、そこの君!いま3番のマイク向けられてる君から行こう!」

 紗枝が喜々として元気に挙手している生徒を指名する。

 生徒は立ち上がり、執行部のマイクに向かって叫ぶように何かを言っている。

 袖幕の陰で蓮は額を抑えていた。

「あの、バカが」

「まあまあ、『かかってきなさい』って言った時点で、中指立てなかっただけマシです」

 いつの間にか舞台から下がってきた桂花と薫が、蓮の隣に立っている。

「……いいのか、お前ら」

「もう、こうなったら紗枝の独壇場ですから」

「オレはこの後、この現場のテープ起こしやらなきゃいけないんで……、今のうちにサボります」

 それぞれ言うのに、蓮が腕を組んでため息をつく。

 舞台の上では生徒のバカみたいな質問に、紗枝が喜々として答えている。

「まったく自分勝手でどう考えても上に立つ人間じゃないんだがな、アレは」

「でも可愛げがありますから、フォローのし甲斐があります」

 桂花がニコニコ笑って答えるのに蓮がつぶやく。

「なるほど、酔狂なことだな。この場にいない、もう一人もそういう了見か?」

「衣笠先輩は違いますよ」

 薫が眠そうに答える。

「紗枝先輩と幼馴染だからってこともあるかもしれないけど、完全に下心ありです」

 それからあごに手をやって、思い当ることがあったのか呟く。

「奈江か」

「今頃うまくいっていると、いいですけどね」

 その言葉に桂花が口に手を当てて、小さく笑う。

 マイクを片手に紗枝は舞台の上を元気に歩き回り、禅問答のごとく生徒の質疑に答えている。

「授業中の携帯およびスマートフォンの使用許可を!辞書機能入っているので、使いたいです!」

「各教科の教職員と検討。1週間以内に回答します」

「制服廃止!私服にしましょう!」

「保留!まずは生徒全員にアンケート。職員会議と父兄の方々とOB会に確認の上、回答とする!」

「学校のPCを休み時間使わせてください!」

「インターネットの使用以外は許可」

「バイトの全面許可を!」

「全面許可にしてほしい理由詳細を、後日提出」

「学食の日替わりメニュー、増やしてください」

「生徒会通すより、厨房のおばちゃんたちに直接言った方が早いわよ」

 講堂の中はいまだにお祭り騒ぎだ。

本編はここで終わりです。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

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