Since16
あれから奈江は麒麟の事ばかり考えている。
紗枝と入れ替わっていたのは、もう四日も前のことになるのに何をしても身が入らない。
授業の遅れを取り戻さなくちゃいけないし、来週の半ばからは期末テストも控えている。
そう思ってもどこか気がそぞろになる。
麒麟からは2度メールが来て、そのうちの1通が『日曜日に会えない?』という誘いの言葉だった。
この間の続きをと言われたわけじゃないけれど、話の続きをするのだろう。
幼馴染の『きぃちゃん』だった麒麟。
大好きな自分の片割れの紗枝。
その二人がつきあっているかもしれない。
そのことを伝えられて奈江はちゃんと笑ってその話を聞いていられるだろうか。
聞かなくちゃいけない。
「……奈江、奈江ってば」
「え?は、はい」
「ぼーっとして。まだ調子悪いの?」
クラスメイトに声をかけられて、誤魔化すように笑う。
「ううん、体調はもう平気。なんか気後れしちゃって」
「なにそれ」
「1週間も来ないと授業も進んじゃっているし」
「あ、ノート貸すよ」
「うん、ありがと、でもテスト前に借りるのも悪いからコピーさせて」
「いいよー、じゃ、帰りにコンビに寄ろうか」
気を取り直して、奈江は机の中から次の授業のテキストとノートを出した。
「あ、そういえば。あれ、聞いた?」
「なに?」
「学校の周りに不審者が出るって話」
「それは、聞いたけど…」
学校の周辺に挙動不審の若い男がふらついているという。
「続きがあってさ。井華水の生徒だったらしいよ」
「え!?」
「なんかフェンスのところで、校舎の中伺っているのを、用務員さんに見つけられて、声をかけたら逃げちゃったんだって」
嫌な予感がした。
「その人が井華水の制服着てたらしいんだけどさ、……名門校の生徒が、何考えて女子高なんてのぞいてたんだろうね?つーかさ、誰も言わないけど、本当は覗きじゃなくて誰かに会いに来てるんじゃないのー、なんて話も出てるんだけど」
面白がって話しかけられている内容が、半分も頭に入ってこない。
気にし過ぎかもしれない。
でも、なんとなく自分のことを探りに来ているんじゃないのかと思えてしまう。
何度も紗枝ちゃんとは別人だとバレそうになったし、私服とはいえ去年、文化祭に行って、生徒会以外の生徒と接触してしまっている。
紗枝に姉妹がいて、その片割れが双子であることは別に隠していないことだ。
挙動不審だった数日間、紗枝が奈江だった可能性に気づいた生徒がいてもおかしくない。
「奈江?」
「え?……あ、その、……こ、怖いね」
「そーお?私はかえって、怖くなくなっちゃったな。この辺、たまに痴漢が出るじゃない。だから変質者かもしれないと思ったら気持ち悪いけどさ。井華水の制服でうろついて、身元バレしちゃうような奴だしさ」
「……うん」
生返事をしながら、頭は他のことを考えていた。
昼休み、紗枝ちゃんにメールしてみようか。
スマホを取り出してみるが、結局メールを打つのも戸惑った。
生徒総会を明日に控えて忙しそうにしている紗枝に、こんなこと話して、心配ごとを増やしたくない。
とりあえず明日の生徒総会が終わるまでは、余計なことは言わない。
そう決めると同時に、予鈴が鳴り響いた。
***
土曜日。
「じゃあ、いってきまーす!」
その声を残して、朝早くに紗枝は家を出て行った。
「まったく忙しいわねー。でも、今日が終われば少しは落ち着いてくれるのかしら」
「ん……」
紗枝を送り出した母親が呆れたように言うのに、奈江は生返事を返す。
「アンタも少しはゆっくりしなさい。先週は紗枝に振り回されて大変だったんだから」
「うん。そうする」
そうはいっても、落ち着かないことに変わりはない。
ぼんやりとテレビを見る脇で、家の電話が鳴る。
「はいはい」
急かされるように電話に出ようとする母親に、
「あ、お母さん私、出るよ」
自分の方が電話に近かったこともあって、そういうと受話器を手にする。
「もしもし」
『渉さんのお宅ですか?私、井華水高等学院の生徒会執行部の者なのですが、すみません。渉生徒会長に頼まれて、お電話さしあげています』
女の子の声だった。
生徒会執行部の生徒を全員覚えているわけではなかったが、何人かの顔が浮かぶ。
「…え、はい」
『奈江さんは、御在宅でしょうか?』
「奈江は、私ですが……貴方のお名前を」
その言葉を無視して、相手は一方的に言葉をつなげる。
『では、渉会長からの伝言です。いますぐに制服を来て、学校に来てほしいと』
「…え?」
一瞬、言葉に詰まる。
どうして急に、そんなこと?
学校で何かあったのだろうか。
体調が急に悪くなったとか。だとしたら、他の生徒会メンバーは何しているんだろう?
「あの、紗枝ちゃんは、どうし……」
『会長はいま総会の最中です』
壁の時計を見上げる。
確かに総会の真最中だった。本人から連絡がないのはわかったけど、生徒会メンバー以外に身代わりがバレるような伝言なんて頼む?
『学校では通信端末の利用は禁止されているので、私が会長の指示で、学校の用務室にある電話でご連絡しています』
「え、あのちょっと、待って……」
『では、確かに伝言しましたらから。すぐに来てくださいね』
ぶつりと電話は一方的に切れてしまった。
「誰から?」
背後から呑気な母親の声に聞かれて答える。
「紗枝ちゃんの……学校の人」
どうしよう。
どちらかというと、怪しい電話だ。
いたずらだと考えた方がいいかもしれない。
でも、もし本当に紗枝ちゃんが困っていたら?
紗枝ちゃんとは連絡がつかないし、もちろん他の生徒会メンバーだって同じだ。
何もなければ、すぐに戻ってくればいい。
「……お母さん、私ちょっと出かけてくる」
「はい、行ってらっしゃい。お昼は?」
「いらない。……あ、そうだ、紗枝ちゃんの制服。クリーニングから戻ってきてる?」
「とっくに戻ってますよ」
「ありがと」
小走りに紗枝の部屋に入り、クローゼットから制服を出して自分の部屋に戻った。
***
来る途中に、一応紗枝と生徒会のメンバーにメールを打っておいた。
だが井華水についても、返信はない。
総会の途中で、スマホを見る暇なんてないだろう。
ともかく誰にも見つからないように、生徒会室に行こう。
後のことはそれから考えればいい。
こっそり裏門から入ろうかと思ったが、どうせ総会中で全生徒講堂に集まっている頃だ。
生徒会室に急ぐなら正面からの方が早い。
そう思って、正門をくぐろうとした時、
「渉奈江さん」
背後から声をかけられた。
電話の声?
それよりも紗枝の制服を着ているのに、奈江の本当の名前を呼ばれて息を飲む。
振り返ると、見知らぬ女の子が立っていた。
「渉奈江さん、ですよね?」
「貴方……」
否定も肯定もしないで、慎重に言葉を選ぼうとした時、いきなり背後から押さえつけられた。
「ぇ……や!?」
「否定しないってことは、渉会長じゃないよな。本当にそっくりだ」
嘲笑うような男の声が耳元で聞こえた。
全身に寒気が走り、悲鳴をあげようとしたが口を押さえられ、首を締め上げられる。
苦しい、死んじゃう……っ。
自分の首に回る腕に、必死に爪を立てたがびくともしなかった。
「ぁ……ぅ、やぁ……っ」
目の前が歪み、意識が遠のいた。
***
私って……本当に、バカ。
おかしいなって気がついていたのに、どうして来ちゃったのかな。
「……っ!?」
背中に強い衝撃を感じて、むせかえる。
「おい、大丈夫なのか?」
「ちゃんと活を入れたら、目を覚ましただろう。問題ない」
「人数がいたんだし、普通に連れてきてもよかったんじゃないのか?素人に絞め技なんて危険だろう」
「門前で騒がれたら面倒だ。じゃあ、お前がなにか薬物でも用意してくれればよかっただろう」
「いい加減にしろ、二人とも。そろそろ総会も休憩時間に入る。予定通りやれよ」
複数の声が頭上から聞こえてくる。
男の人の声。
どうやら奈江は気を失っていたらしい。
「そういえば、電話かけさせた女は?」
「金、やって帰した。いても邪魔なだけだろ」
電話をかけされた女って、校門で声をかけてきた女の子?
「……?」
頭がくらくらする。
咳き込み過ぎたせいだけでなく、喉が痛い。
身体は自由だったが、床に転がされていたようだった。
なんとか目を開いて、周囲を見回す。
どこかの部室だろうか。
クラブハウスには、桂花に一度案内されて来たが、中までは見なかった。
だが、ロッカーの並ぶ感じや、こもった埃っぽい匂いに、なんとなくどこかの運動部の部室じゃないかという印象があった。
この人たち、なに?
「おい、オレの事がわかるか、あんた?」
「貴方……」
あの時、廊下で絡んできた科学部の部長。
確か日下部って呼ばれていた。
それにもう一人は、一度だけ生徒会室でみた気がする。
前の副会長だった人。
名前……、多分、佐藤とか呼ばれていた。
あとの一人は見覚えがなかったけど、確かやっぱり何かの部活の部長ということで、予算案を提出に来ていたような気がする。
対応は桂香がしていたから、遠目に見ただけだったが、確かに全員に見覚えがあった。
「それにしても、良く似てるな。性格は全然違うみたいだが」
感心したように、佐藤が奈江の顔を覗き込む。
「俺には渉会長にしか見えないがな」
覗きこまれて、身体を引く。
まだ眩暈がするのを我慢して起き上がると、改めてぞっとした。
三人の他にも、二人が部屋の入り口に立ち、外からも話し声が聞こえる。
全部ガラの悪そうな男の声。
だが、怯えてばかりもいられない。
「貴方達なんなんですか?あの呼び出しは……」
「悪いが、嘘だ。でもアンタは、オレたちを責められる立場じゃないだろう?この間まで、体調不良の渉会長の代わりに学校に来ていた、双子の妹の渉奈江さん」
勝ち誇ったように奈江を見下ろす。
頭のよさそうな顔。でもどこか卑屈でズルそうな目。
嫌な目だ。
他の二人も馬鹿にしたように、奈江を見ている。
「丁度、会長の様子がおかしかった間、アンタが病気で学校を休んでいたことは、調べがついている。この状況だし言い逃れできないだろう」
「……こんなことして、何がしたいんですか?!」
強く言い返したつもりだったのに、声が震えていた。
「生徒総会の場で、今まで渉会長がしてきた強引すぎる改革案への抗議と共に、今回の不正を糾弾させてもらう」
「は?」
不正?
それは奈江が紗枝の代わりに学校に来ていたことだろうか。
確かに良い事とは思えないけど、不正とは言い過ぎな気がした。
だが、それをこの場で言っても無駄だ。
「最後の要望・決議で、全校生徒の前で渉に恥をかかせてやる。アンタにも同席してもらってな」
佐藤が下卑た笑みを浮かべた。
「馬鹿正直にうちの制服を着てくれたしな。これ以上はない、証拠になる」
冗談じゃない。
そんなものに引きずり出されるなんて、絶対に嫌だ。
「……、い、いやです!私、帰りますっ」
無駄だとはわかっていたけれども、立ち上がってドアを目指す。
それを背後から押さえつけられた。
「帰すわけないだろう」
腕を掴まれて、無理やり引き戻された。その拍子に再び床に倒れることになる。
「痛…!!」
「おい、怪我なんかさせるなよ」
「わかってるよ。うるせえな。それにしても…」
顎を掴まれて上を向かされる。
あの名前もわからない、どこかの部長。
屈強な身体から見て運動部か、武術系の部だろうか。
抗えないが、せめて顔を背けて必死に抵抗したが、まったく効果はない。
相手はニヤニヤしながら、奈江の顔を覗き込む。
「あの生意気な渉とおんなじ顔で、目ぇ潤ませてるのなんか見ると、ちょっと気分いいよな」
喉の奥で笑いながら言うのに、日下部がニヤつきながら答える。
「ああ…、まあな。確かに胸がすく」
「めちゃくちゃに泣かせて、土下座させてやったら、さぞかしすっきりするよなぁ」
「つか、あの暴走生徒会長より、色っぽくね?」
腕に力が籠められ、我慢できずに、涙がこぼれそうになる。
奈江の身体が良く見えるようにか、背中を逸らせるように腕を引かれた。
「制服のボタンはじけそうなんだけど。おっぱいでかくて」
ヒューと、下品な声が飛ぶ。
羞恥と屈辱で頬が熱くなった。
紗枝と入れ替わっていた時は、なるべく目立たないように猫背になってみたり、工夫していたがこんな風にされたら隠せない。
「いや……っ」
顔を背けると、余計に視線を感じた。
「どんぐらい違うか、ひん剥いて確かめてみてぇな」
奈江を押さえつけている男が耳元で言うのに、ぞっとした。
「おい、妙な事するなよ。そいつはこれから生徒総会の壇上にあげるんだからな」
にやにや笑いながら奈江をいたぶっているのをみて、元副会長の佐藤が苛立ったように横から声をかける。
「遊んでないで、準備しろよ」
その言葉に如何にも興をそがれたといわんばかりに、奈江を押さえつけていた男が吐き捨てる。
「さっきから、ぐちゃぐちゃうるせえんだよ。わかってんよ。まだ時間あるだろ?…いてっ!」
視線がそれた隙に、思い切り向う脛を蹴りつける。
力が緩んだ手を振り払って、乱暴な腕から逃れた。
「このアマ…っ」
ふらつく足で、出口に向かって走ろうとしたが、乱暴に髪を掴まれて引きずり戻された。
「痛…!いや、離して!」
「ふざけやがって、こいつ…っ」
腕をひねりあげられて、悲鳴をあげる。
「…ぃ、痛いっ!いやっ!……やめて、や……ぁ」
「馬鹿!騒がせるな!」
日下部が横から怒鳴るのが聞こえたが、奈江の腕をひねる力は緩むことはなかった。
「ウチの連中、外に立たせてるから、ちょっとくらい大丈夫だよ」
そういってから、奈江の耳元で下卑た声が囁く。
「それよりも、えらい可愛らしい悲鳴あげるじゃねえか、ええ?双子の片割れとはえらい違いだぜ」
サディスティックな喜びに満ちた声。
腕にますますこもるのに、奈江が激痛に悲鳴すら出ず、喉を震わせる。
「ひん剥くのはNGでもよ、このまんまちょっと痛い目に遭ってもらおうぜ。そうすりゃ暴れようなんて気もなくなるだろ」
「さぁて、どんな可憐な悲鳴が聞けるかな」
いやだ。
痛いのは嫌だけど、絶対に悲鳴なんてあげるかと唇をきつく結んだ。
自分の身体の中が限界のきしみをあげたのを聞いた瞬間。
とうとう我慢していた涙がこぼれた。
その時、
「おい、なんか外が騒がし……」
遠く、そんな声をきいた気がした。
そして、目の前のドアが開いた。
いや、開いたというのは的確ではないかもしれない。
正確には外れた。
派手な破壊音を立てて。
「あぁ?!」
全員の視線が壊されたドアに集中した。
そこから外で見張りをしていたらしい、いかにも素行の悪そうな生徒が数名転がり込んでくる。
そしてその後。
壊されたドアの外に立っている人たちを見て、奈江は自分の目を疑った。
奈江だけじゃなく、その場にいた全員が信じられないという顔をしていた。
どの人も全員、いまこんなところに居ちゃいけない人たちだ。
「き、きりん…くん…、紗枝ちゃんに、安曇先輩まで……?」
「どうして……安曇会長」
日下部も唖然として、言葉を漏らした