Since13
紗枝ちゃんもあれだけ元気なら、明日は学校に行くだろう。
久しぶりにちゃんと桜花女子に登校できる。
そう思って用意しながら、今日まで借りていた紗枝の制服を丁寧にハンガーにかける。
明日、紗枝が着ていく制服はあるだろうから、これは母親に頼んでクリーニングに出してもらう様に頼んでおこう。
制服を手に部屋を出ると、隣から話し声が聞こえた。
紗枝ちゃん?
「……から、あんたがぐずぐずしてるから……」
ドア越しに微かに聞こえる声。
「麒麟、意地になってる場合じゃないでしょうに、これはチャンスなの!」
電話の相手は麒麟のようだった。
いけない事だとわかりつつ、奈江はつい廊下に立ちつくしてしまう。
聞き耳を立てる必要もなく、断片的に聞こえてくる紗枝の声。
「…で、………が。じゃあ、いつまで私たちの事、隠しておくつもりなのよ!?」
私たちの事って?
「私たちが、ずっと……から…、…ってる…なことも、全部話した方がいいって。私もそろそろ、奈江ちゃんに黙ってるの限界だし。つか、イライラして黙ってらんない」
頭で理解する前に、胸の奥がざわつく。
「ともかく……早く、一秒でも早く、説明して、その上で……なんとでも」
紗枝の声が途切れ途切れに響くが、それはもう耳に入らなかった。
制服を手にしたまま、奈江はそっと自分の部屋に逆戻りした。
***
盗み聞きした言葉が、ぐるぐる頭の中を回っている。
私たちのこと。
紗枝ちゃんと麒麟君のことだろう。
二人は何を隠しているんだろう。
『ずっと……』
その続きは、『付き合ってる』とか。
「……だって、今まで、そんなこと一言も……いってなかったし」
でも、全然不思議なことじゃない。
二人は、ずっと前から付き合ってたのかもしれない。
「それでも、おかしくはないよね」
だってすごく仲がいいみたいだし。
奈江が紗枝の身代わりであると、最初に口にしたのは麒麟だ。
薫も気づいていたようだが、確証はなかったみたいだ。
でも麒麟は違う。
『奈江ちゃんだよね?』
そういって確認した。
別人だとはっきりとわかっていた口ぶりだった。
付き合っている彼女なら、すぐに別人だと気が付いても不思議じゃない。
なぜか足先から身体が冷えていくようだった。
二人は恋人同士なんだろうか。
奈江は紗枝のこと大好きだし、麒麟はすごく明るくて良い人で、二人がつきあっているなら、それは嬉しいし、祝福してあげるべきだ。
祝ってあげなくちゃ、いけないことなのに……。
部屋のドアがノックされて、びくりと顔をあげる。
「奈江ちゃん、ちょっといい?」
「ぁ、うん」
部屋に入ってくる紗枝の顔を、まともに見られない。
「どうしたの?」
紗枝はへらっと笑う。
「いやぁ実はさ、明日もう一日、奈江ちゃんに身代わり頼みたいなあって」
「え?」
あんなに学校に行きたがっていたのに。
「……なんで?」
「んー、奈江ちゃんうまくやってくれているみたいだし、もうちょっと身体休めてもOKかなーって」
「そんなことないよ。生徒会のみんながフォローしてくれるから、何とかなってるんだもん」
「でも、お医者さんにも無理するなって言われたし。あと1日ゆっくりしようかなって気分なんだよね。ほら、学校行ったら仕事山積みなの判ってるし、今のうちに休憩取っておこうかって」
紗枝の不自然な態度に、さっき廊下で聞いた電話の断片的な声が脳裏を過る。
コールタールのような、どろりとした嫌なものが、胸の奥にたまっていく気分だった。
「学校、行けるなら行った方がいいんじゃないかな」
「あれ?意外。奈江ちゃんのことだから無理しない方がいいって、賛成してくれるかと思ったのに」
「それは……確かに休養は取った方がいいと思うけど、みんな紗枝ちゃんのこと待っているんだもん」
紗枝は軽く肩をすくめた。
「そうかなぁ、そうとばかりは言えない気もするな」
そんなことを言って頭をかいている。
「意外に私がいない方が、のびのびやってたりして。うるさいのがいないから清々したーみたいな?」
「清々しただなんて、そんなこと言う人いないよ」
紗枝はいつもの軽口でふざけたつもりかもしれないが、奈江は少しだけひっかかった。
「生徒会のみんな、紗枝ちゃんの体調を心配してるし、私にもすごく気を使ってくれてるよ。いくら冗談でも、そんな風に言ったら罰が当たるから」
ついむきになっていうと、紗枝が目を丸くする。
「ごめん」
しゅんとなった紗枝に謝られて、奈江も我に返る。
「……ぁ、ううん。でも本当に、できれば早く元気な顔みせてあげたほうがいいんじゃないかな。私もそろそろ学校行かなくちゃ、あんまり授業に遅れるのも不安だし」
「んー……そうだよね」
紗枝はそういって腕を組んで唸ったが、しばらくしてから両手を合わせた。
「でも、やっぱり明日だけ。もう一日だけお願い!」
「紗枝ちゃん」
「迷惑かけるけど、もう1日頼むわ。授業の遅れに関しては、絶対責任持つから」
行きたくない。
咄嗟にそう思ったけど、口は反対の返事をしていた。
「……わかった、じゃあ、明日までね」
そういって真剣に頼まれてしまえば、奈江にだって断ることはできない。
「ありがとう、奈江ちゃん」
「いいよ。もうあと一日だもん」
返事をしたけど、うまく笑えていたか自信なかった。
***
昔から紗枝ちゃんは、なんでもできた。
一人でどこにでも行ってしまった。
同じ双子だというのに、正反対の私たち。
私は一人では、何処にも行けない子供だった。
いつも紗枝ちゃんの背中ばかり追いかけていた気がする。
でも紗枝ちゃんの背中は少しずつ遠くなって、いつしか追いかけきれなくなった。
置いていかれて、悲しくて、しゃがみこんで泣いていた。
「……奈江ちゃん、大丈夫?」
頭上から降ってくる声に、驚いて顔をあげる。
「紗枝ちゃんは?はぐれちゃったの?」
頷くと、手を差し伸べられた。
「大丈夫、紗枝ちゃんのこと探しに行こう」
優しい声。
「手つないだらいいよ。そうしたら、はぐれないから」
誰、だっけ?
こんな風にしゃがみこんでいる私を、いつも迎えに来てくれた子がいた。
「泣かないで、ほら、ちゃんと紗枝ちゃんのところまで連れてってあげる」
温かい手。
覚えているのは、泣いている私をなだめるような優しい声と、つないでいる手の安心感。
私の手を引いてくれた子。
大好きな、『きぃちゃん』。
***
「結局、今日まで来てもらうことになってしまったわね。ごめんなさい」
申し訳ないと、桂香さんは顔をしかめた。
「桂花さんが謝ることじゃないです。」
「でもね」
まだ何か言おうとした桂花に
「紗枝ちゃんも、まだちゃんと直ったわけじゃないし、病後は安静にしてくれた方が、私も安心だから」
周囲を気にしながら、囁く。
「……確かに不完全な状態で、暴れまわられるよりかはいいかもしれないわ。あと1日よろしくね」
桂花が気を取り直したように微笑む。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「じゃ、また昼休みに」
「うん」
桂香と別れて教室に入ろうとした時
「紗枝」
呼ばれた声に、ぎくりと心臓が小さく跳ねる。
麒麟が、反対側の廊下から歩いて来るところだった。
「おはよう」
なるべく今まで通りの顔をして挨拶をする。
「おはよ。あのさ」
いつになく麒麟は声を潜めている。
何か内密な話をするつもりなのか、麒麟が顔を寄せてくるのに、俯いて視線を逸らした。
「……何?」
視線を合わせない奈江の態度に、違和感を覚えたのか少し困惑気味に麒麟が囁く。
「えと、昼休み、ちょっといいかな?」
「……。どうして?」
「どうしてって……」
「今、ここでじゃだめなの?」
「あ……うん。できれば人目につかないところで」
戸惑ったような麒麟に、奈江も自分で不思議になる。
どうしてこんな嫌な言い方するんだろう。
「桂香と…、お昼約束があるから」
桂花とは別にどうしても一緒にお昼を食べなくちゃいけないわけじゃない。
麒麟が話を聞いてほしいというなら、優先してあげるべきだろう。
「それじゃ、放課後でもいいけど」
「放課後は、生徒会の仕事があるから」
「それはオレも同じだよ、そのあと。あの……送ってくし」
こんな感じの悪い態度をとっているのに、麒麟は怒るでもなく、あくまで優しい。
「聞いてほしいことがあるんだ」
頭の奥が一瞬かっと熱くなって、そのまま血の気が引くような感じがした。
できれば聞きたくない。
「衣笠、何やってんのー?」
「朝っぱらから廊下の端に、紗枝会長連れ込んで」
「痴話ケンカ?」
麒麟と同じクラスらしい、男子生徒が通りすがりに冷やかしてく。
「うっぜ、お前らとっとと教室入れ」
「副会長も、予鈴なる前に教室入れー?」
「あぁ、もう、わかったから!さっさと行け!」
麒麟がしっしと犬を追い払う様に手を降って見せるのに、男子生徒たちはげらげらと笑いながら教室に入っていった。
麒麟の陰に隠れるように立っている奈江に、申し訳なさそうに顔を向ける。
「ごめん……あの」
そこからまた声を潜める。
「お願い、奈江ちゃん、どうしても聞いてほしいことあるんだ」
「でも」
予鈴が廊下に鳴り響いた。
「ともかく放課後!約束、ね?」
強引に念を押されて、返事をする暇もなかった。
急ぎ足に教室に戻っていく麒麟の背中を眺めながら、小さくため息をつく。
自分でもどうしたいのかわからなかった。