Since12
生徒会室に先輩と戻ると、麒麟と薫も戻ってきていた。
「おかえり」
麒麟に言われて「ただいま」と返事をする。
「なんか棚から書類とろうとして、パイプ椅子から落ちたって聞いたけど、先輩下敷きにしたって?」
「ぁ……うん」
「で、先輩のその怪我」
「大したことはない」
そっけなく答える。
「紗枝は?」
「私も平気」
落ち着かなく答えると、麒麟に妙な顔をされた。
おそらく奈江の態度に違和感を覚えたのだろう。
「戻ってくるのが遅いから、様子見に行こうかって話してたとこ」
「そうか。心配をかけたな」
心配そうに様子をうかがっていた桂香を、蓮がちらっとみる。
目が合った瞬間、桂香はすべての事情を察したように肩を落としてため息をついた。
「……もしかしなくても、バレましたね?」
「え?どうしてわかるの?!」
奈江が思わず声をあげる。
桂花は眉尻を下げて、力なく微笑んだ。
「止める暇もなかったからしょうがないですけど、貴方が保健室に先輩を引きずっていくシチュエーションがまず不自然ですし」
言われてみてば、そうなのだ。
でもあの時は、先輩の額から血が流れるのをみて奈江の中にあるスイッチが入ってしまった。
「保健室から帰ってくるのに時間がかかりすぎですし、それに何より、……先輩のその、厳しい顔をみれば何があったかは、だいたい」
「炯眼というほどでもないが、人の顔色を見るという点では、この中では一番優れているようだな、久賀」
「褒められたとも思えませんけど、ありがとうございます」
桂花が言うと、麒麟と薫も顔を見合わせた。
「この場にいる全員に話がある。この渉の妹について」
蓮が不機嫌そうに目を眇める。
その低く響く声に麒麟は天を仰いで、薫は面倒くさそうに口元を抑えた。
***
「まったく……、これが生徒の代表のすることか」
苦々しく呟くのに、全員が押し黙る。
「ともかく今後のことだ。衣笠」
「はい」
名前を呼ばれて、麒麟が返事をする。
「もうこれまでのことはいい。問題は今後のことだ。どうするつもりか説明しろ」
元生徒会長の威厳をそのままに指示をだす蓮に、麒麟が居住まいを正す。
「紗枝は明日には登校できるとのことでしたので、明日からは通常通りということになります。これまでの作業の遅れはありますが微細なものです。現生徒会としては問題ありません」
「生徒総会の準備にも、影響はないんだな?」
「ほぼありません。前年度の決算報告は顧問の承認もらっていますし、来年度の予算申請の通っていない部活動も残り2%となっています」
ハラハラしながら奈江は事の成り行きを見守っていたが、いつもより大人っぽい口調で、蓮の質問に答える麒麟に、少しだけ感心する。
やっぱり井華水の副会長なんだと思わされる。
麒麟だけではない。
蓮にいろんな資料を見せて説明する麒麟の脇で、時折、会計面は桂花が適切な説明を添える。薫は黙っているが、パソコンから資料を出せと言われれば、スムーズに提示していた。
みんな本当に優秀なんだ。
奈江だけが、ただぼんやりと座ってそのやり取りを見ていた。
「……だいたい、わかった」
連は目を通していた資料から視線を上げると、難しい顔のままチューブファイルを閉じた。
「確かに生徒総会の準備については問題なさそうだ。あとは渉が戻ってきた後に、どれだけ対応できるかだが」
そういって眼鏡を外して、こめかみを指で揉んだ。
「……どうせなんとかするだろう。暴走機関車みたいなヤツだが、最後はうまく帳尻を合わせるヤツだ」
そういって、眼鏡をかけ直すと立ち上がる。
「まったく、……危なっかしいが、しょうがない」
そのため息とも呟きとも取れない言葉と、少し苦しそうに歪んだ表情に、一瞬、胸を掴まれるような気がした。
呆れよりも、何よりも。
この人、紗枝ちゃんのこと、実はすごく心配しているんじゃ……。
なんの脈絡もなくそんなことを考えると、蓮は眼鏡のブリッジをあげた。
その顔はいつもの厳しい表情だ。
「あ、あの、安曇先輩…?」
立ち上がって、そのまま出て行こうとした先輩を思わず呼びとめる。
「なんだ?」
「えっと、あの…どこに行くんですか?」
奈江も間の抜けた質問だと思ったが、それ以外に聞きようがなかった。
「帰るにきまっている。これ以上、身代わりのお前に引き継ぎしてもしょうがないだろう」
「……そう、ですけど」
「久賀、渉が登校してきたら、俺のところに連絡をするように伝えろ。さっさと生徒会の残務を整理したいのは、お互い様だろうからな」
「わかりました」
「それじゃ、先に上がる」
「お疲れでした」
麒麟が頭を下げるのに、桂花も倣う。
「お疲れ様でした」
薫は目礼だったが、それでも彼にしては殊勝な態度だった。
奈江も慌てて頭を下げた。
ドアの締まる音が響いて、蓮の気配が廊下を遠のいていく。
「…はー…緊張した」
麒麟のため息とともに漏れた言葉に、全員ががっくりと緊張から解き放たれる。
「あの、これって……」
「一応お咎めなしってことでいいみたいね。よかった。一時はどうなることかと思ったわ」
「でも安曇先輩にバレちゃったし、もっと怒られたりしなくていいんでしょうか?」
「それだと怒られたいみたいだね、奈江ちゃん」
麒麟が苦笑いするのに、慌てて否定する。
「や、そういうことじゃないんだけど。怒られても当然かなって思ってたから」
「そうでもない。安曇先輩怒ってなかった」
薫が答える。
「ああ、安曇先輩、全然怒ってないな、あの態度なら」
疲れたように背もたれに身体を預けて座る麒麟が言うのに、奈江は目を瞬かせる。
「……そ、うなの?」
「呆れて物が言えないという状態かもしれませんが、怒ってはいませんね。実際、不正は許さないと、もっと頭ごなしに説教を受けるかと思いましたけど」
「さすがに現役引退したから、本意気で説教も馬鹿らしいと思ったのかもしれない」
麒麟は肩のあたりを撫でながら、そんなことを言っている。
3人は怒ってないと言うし、予想に反してあっさりと帰ってしまったから、確かに怒ってはいないかもしれない。
でも、いやな気分だった。
本当に紗枝のことを心配している人を、騙してしまった。
そんな罪悪感があった。
***
家に帰って紗枝の様子を聞くと、今日は微熱も出ていないし、だいぶ元気だという。
予定通り明日には紗枝が登校できそうだ。
とりあえず紗枝の顔を見ようと、部屋に行く。
「紗枝ちゃん、入るよ」
「はーい、奈江ちゃんお疲れ」
ノックをすると、元気な返事が返ってきた。
「具合どう?」
「ちょっとだるいけど、だいぶいいよ。で、奈江ちゃん、今日の報告は?」
促されて、一瞬、言葉に詰まってしまう。
「……それが、実は……桂花さんから、メール来てない?」
「着てたかな。いまスマホ充電中だから、見てないや」
「そっか……」
それから紗枝に入れ替わりが蓮にバレてしまったことを話した。
「あと少しで隠し通せたのに、惜しかったね」
紗枝がまるで他人事のように言う。
話をしている間も、スマホをいじっていて、上の空のように見えた。
「それで安曇の野郎は、なんだって?どうせまた青筋立てて、わめき散らしたんでしょう?」
「ううん。そんなことしないよ」
首を横に振ってこたえると、紗枝は意外な顔をした。
「へぇ、そうなの?」
「うん。生徒総会の準備の進捗と、明日紗枝ちゃんが登校できるって聞いたら、あとは特にお説教もなく帰っちゃった」
「へぇ」
「あとは紗枝ちゃんが、どうにかするだろうからって……」
「またそういう、わかったようなことを」
紗枝が目を眇めるのに、思わず苦笑が漏れる。
「先輩には悪いことしちゃった。あんなに丁寧に引継ぎしてくれたのに……、実は偽物でしたなんて」
紗枝はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「別に気にしてないんじゃないのー?」
「そんなことないよ、受験勉強の合間にきてくれてたのに」
「前生徒会長の義務じゃん」
「もう!紗枝ちゃんがそんな言い方するから、先輩と喧嘩になるんだよ」
「あいつと喧嘩になるのは、単に相性が悪いから。私ばっかりが悪いわけじゃないし……つかさ、奈江ちゃん」
そう言って、じっと顔を覗き込んでくる。
「やけにあっちの肩もつね?」
「別に安曇先輩の肩を持っているわけじゃないよ」
紗枝の顔が真剣なだけに、かえってため息が漏れる。
「紗枝ちゃんこそ、どうしてそんなに敵視するの。私はいい先輩だと思うよ」
「さっきもいったけど、それはヤツの義務なの!だからやって当然なの!それやったからってイイ人ってことにはならないから!」
子供がわがままを言う様に叫ぶと、毛布をかぶってしまった。
「紗枝ちゃん……」
「奈江ちゃんは、誰のことも好意的に捉え過ぎなんだよ!安曇なんて、超やなヤツ!大っ嫌い!」
むきになる紗枝を「はいはい」と宥める。
病人を興奮させてもしょうがない。
私の知らないところで、きっと二人の間でいろんなやり取りがあったんだろう。
でも
「紗枝ちゃん、天邪鬼なところあるからな」
「何か言った!?」
独り言を聞きつけて、毛布の中から怒鳴ってくる。
「なんでもないよ。ほら病人は大人しくしてて」と、毛布越しに頭を撫でた。