Since11
いつものように入ってくる蓮に挨拶する。
「お疲れ様です。安曇先輩」
桂花はいつもの完璧な笑顔。
その隣でなるべく無愛想にしている奈江は、毎度のことながら居心地が悪い。
でも『紗枝』であるなら、蓮に愛想よくするわけにはいかないのだ。
「お疲れ様です」
「……。お疲れ」
じっと蓮が物珍しそうに奈江を見下ろす。
「なんですか?」
「いや、最近お前の態度が、ちゃんとしすぎていて……落ち着かない」
奈江としては出来るだけ無愛想に、またツンツンしているつもりなのだが、紗枝はもっとひどいようだ。
「安曇先輩、紗枝はまだ体調が良くないんですよ」
桂花が横からフォローを入れる。
「それに生徒会選挙から、もう一ヶ月ですよ。紗枝だってそろそろ落ち着きますよ。これからは先輩から教わったことを教訓に、生徒会活動に取り組むことにしたんでしょう。その方が効率的ですものね?」
桂花の言い訳に、奈江はなんともリアクションのしようもない。
変に反応すると、偽物だとバレそうだ。
「そうだといいがな」
ため息をついて、席に着く。
蓮は時折何かを見透かすような目をして、奈江を見る。
正体がバレる前の薫とは、また違った感じだが、明らかに何か不審に思われていると感じ取れた。
今のだって、桂花にしてみれば冷や汗ものだっただろう。
奈江も背中に嫌な汗をかいた。
ごめん。私が紗枝ちゃんっぽくできないばっかりに。
とっさに紗枝のように反応しようと思うのだが、そんな時ばかり頭が真っ白になる。
「まあ、なんにせよ落ち着きが出たのはいいことだ。じゃ、引き継ぎ始めるぞ」
「はい」
つい、素直に返事をしてしまう。
桂香のかすかに恨めしげな視線を感じながら、心の中で謝る。
でも悪い感情を持っていない相手に、ふて腐れた態度を続けるのは難しい。
引継ぎを受けていて、連が愛想はよくないが頭のいい、それなりに思いやりのある人だと思ってしまった。
それに構内を歩いていると、たまに蓮の噂を耳にすることがあり、その大半は蓮を尊敬し、好意を持っているようなコメントだ。
紗枝も人気者のようだが、蓮だってやはり支持する人は多い。
「おい、渉。聞いているのか?」
「は、はい、聞いてます!」
蓮のことを考えてぼんやりしていたとはいえず、反射的に答える。
すると蓮は無表情に眼鏡のブリッジをあげて、冷淡な声で言った。
「じゃ、いま説明した話をお前、同じように説明できるか?」
できるわけがない。
「……。すみません」
「すみませんじゃない。まったく、少し褒めたらこれか」
「え?私、なにか褒められましたっけ?」
「……もういい、先に進めるぞ。次、文化祭での一般誘導の際の……あれ、消防から来ていた資料があっただろう。どうした?」
「え?……出してないです。持ってきます」
慌てて立ちあがって、奈江は隣の倉庫のようになっている部屋に入る。
そういえば指示されていたのを、慌ただしさにまぎれてすっかり忘れていた。
「ええっと、文化祭関係の資料は……ここか」
棚の上の方にある段ボールに、『文化祭関係』と書いてある。
奈江では背伸びしても、もちろん届かない。
しょうがないので、パイプ椅子を持ってきてその上に乗る。
けっこう不安定だけど、大丈夫だよね。
段ボールに手をかけると、けっこう重い。
両手で支えきれないかもしれないと思った瞬間、不意に段ボールがバランスを崩した。
落ちてきそうになるのを必死に支える。
どうしよ……、これ重い……。無理。
「おい、渉。お前、なんかガタガタ音させてるけど、まさか…。…!おい、何やってる!?」
「え?わ!!」
怒鳴られた声に驚いて、バランスを崩してしまった。
落ちる!
「馬鹿か!」
すごい音とともに段ボールの中身が降ってきた。
中身と一緒に床に落ちた瞬間に、目をきつく閉じた。
「……?」
床に倒れた衝撃もない。
おそるおそる目を開ける。
「安曇先輩!?」
奈江の頭を抱えるように腕で保護し、なお自分が下敷きになっている安曇を見て悲鳴をあげる。
「や……!安曇先輩!?しっかりしてください!先輩?!」
「ちょっと、すごい音したけど……、先輩!奈江さん!?」
桂香の声が、扉の方で響いた。
「…っ…でかい声を出すな。大丈夫だ」
顔を歪めたまま起き上がる蓮を支えようと、奈江は手を伸ばす。
それを手でやんわりと拒否すると蓮は、床に手を這わせた。
何かを探していることに気づいて、床に落ちていた眼鏡に気が付く。
奈江は眼鏡を拾うと、割れていないことを確認して、蓮に手渡した。
「先輩、大丈夫ですか?どこか痛いところとか、動かないところは?」
「ない。それよりもお前、あんな……パイプ椅子なんて不安定なものに乗って、物をとる馬鹿がどこにいる」
眼鏡をかけ直すと、蓮が顔をあげて説教を開始する。
それまで額を押さえていた手が離れると、そこは赤く血が滲んでいた。
「先輩、額が」
「あ?」
「怪我してます。血が」
「ああ、だいじょうぶ……」
そういって何か言いかけるのを、奈江が遮る。
「手当てしないと。立てますか?眩暈は?」
「?……ああ、ないが」
「よかった、桂花さん」
振り返る。
「は、はい?」
「先輩、額に怪我したみたいなんで、保健室に行ってきます。あと任せていいですか?」
「え、ええ、……もちろん。だけど」
「それじゃ、あとよろしくお願いします」
連の手を取って、立ち上がらせる。
「おい、ちょっと待て。そんな大げさにしなくても」
「おおげさじゃありません」
きっぱりと言い切るのに、蓮は困惑したような目で奈江を見た。
「どんな怪我でもきちんとした処置をしないと、後で大変なことになったりするんです。行きましょう」
奈江が蓮の腕をとって生徒会室を出ると、それ以上は何も言わずに黙ってついてきた。
***
「傷は、落ちてきた書類で切れただけだったみたいですね」
養護の先生がいなかったので、奈江は勝手に保健室のものを借りて蓮の手当てをした。
鍵のついた棚に入っている物は使えなかったが、消毒液はあった。
ガーゼもテープも鍵のかからない引き出しの中で見つけて、手当てに支障はなかった。
「他に痛いところはないですか?私の下敷きになった時に、どこか打ったりとか。もし痛まなくても、先生が戻られたら病院に行くかどうか、相談した方がいいと思います」
「必要ない」
無愛想な返事に、奈江が困ったように眉尻を下げる。
「先輩、……面倒だからって、病院に行かないと後で困ることに」
「ウチは医者だ」
「え?」
「この先の、大通りにある安曇総合病院。この学校でも知らない奴の方が少ない」
ぎくりとした。
奈江は両手を合わせて、慌てて言い直す。
「あ……、あー!そうでしたね、忘れてました!それじゃ、心配ありませんよね。おうちに帰ってから、検査してもいいわけだし」
じっと見つめてくる蓮の視線に、嫌な汗が滲む。
「おい」
低い声に勝手に身体が逃げようとして後ずさったが、遅かった。
蓮に腕を掴まれて、動けなくなる。
「お前、誰だ?」
心臓、飛び上るように大きく鳴った。
「だ、れって…」
「お前は俺の知っている渉と違いすぎる」
蓮に睨みつけられて、舌が凍る。
「顔がまったく同じだし、最初は体調が悪いせいで大人しいのかと思っていたが、……間違いない。お前は渉紗枝と別人だ」
「あの、私…わたし、は…」
誤魔化せる雰囲気じゃない。
それでも紗枝だと言い張るしかない。
「答えろ」
「わ、わたしは、…私は、渉紗枝です」
「嘘つけ!」
「うそじゃありません…っ」
逃げようとして後ずさると、両腕を掴まれて蓮の正面に無理やり立たされてしまった。
「少なくとも俺の知っている渉は、こんなに器用じゃないぞ。絆創膏ひとつまとも貼れない女だ」
確かに紗枝は、そういうことは苦手だ。
「不器用で行き当たりばったりで、自分勝手で、傲慢で、生意気な口を利いては、人の話などバカにしてろくに聞かない……」
「ひどい!紗枝ちゃんは、そんな子じゃありません!」
叫んでしまってから口を押えたが、遅かった。
「やっぱり渉紗枝の関係者か」
「…っ…。」
「確か姉妹がいたな。単なる姉妹にしては顔が似すぎているし、……双子か?」
まじまじと顔をのぞきこまれて俯く。
もう隠しておける状況じゃなかった。
明日には紗枝が戻ってこられるはずというこのタイミングで。
鈍くさい自分を呪いながらも、奈江は諦めて口を開いた。
「……双子の、妹です」
白状してしまえば、後は黙っていても無駄なことだった。
促されるままに、今回の入れ替わりのことをすべて話してしまった。
連は最初怒ったような顔をしていたけど、聞いているうちにだんだん呆れたような顔になって、最後はため息をついて肩を落とした。
「お前たちは……いったい何を考えているんだ?」
額を抑えて呟いた声は、ひどい疲労感を伴っていた。
怒られるよりも、申し訳ない気持ちになった。
「渉の考えそうなことといえば、言えなくもないが……生徒会メンバーまで一緒になって協力するなんて、どうかしてる」
「すみません」
「だいたい、お前だって学校があるだろう。どうしてるんだ?」
「私の方が急性気管支炎で寝込んでいることになってます」
「……呆れたな」
蓮の言葉に、両手を握りしめて視線を落とす。
どうしよう。
一番バレちゃいけないって言われていた人だったのに。
「あの…っ」
「なんだ」
「紗枝ちゃん、今日の診察でOKが出れば、明日から学校に来られると思うんです。だから……このまま、見逃してください!」
勢いよく頭を下げる。
蓮の反応はわからないが、頭を下げたまま続ける。
「紗枝ちゃん、いつもすごくがんばっているけど、今回の生徒会選挙はとくに、体調崩しちゃうくらい無理してて。本当にやりたいことがあるんだなって思っていたんです。だから何か助けてあげたくて……。でも、よくないことだってわかってます。でも…あの…」
だんだん奈江の声が小さくなる。
自分のせいでバレてしまったのだが、頑張って蓮を説得しなくてはいけない。
でも蓮を説得できるような言葉が出てこない。
厳しい表情で黙っている蓮は、取りつく島もないように見えた。
「渉とお前が入れ替わったのは、一日休んだあとから、ずっとか?」
「あ、はい!」
「ということは、……今日はほとんど話をしてないから、4日間か。まったく別人に引き継ぎをしていたわけだ。とんだ間抜けだな、オレも」
怒っている。
当たり前だ。誰だって怒るだろう。
これまで大事な時間を割いてしてきた事が、まったくの無駄骨だったのだから。
「本当にごめんなさい、でも紗枝ちゃんも悪気はなくて……っ」
「言い訳はいい」
「お願いします、聞いてください。先輩の引き継ぎしてもらった内容、ちゃんとまとめて紗枝ちゃんに渡してあります。先輩のお話はすごくわかりやすかったので、私でも理解できました。だから紗枝ちゃんにも、ちゃんと伝えたつもりです」
蓮は無表情に奈江のことをじっと見ている。
「先輩は不安かもしれないですけど、それでも全部無駄にはなってないと思うんです。こんなこと私が言っても、だめかもしれないですけど……」
「わかったから、もういい。渉の行動が斜め上なのは、知っている」
「安曇先輩、あの」
「とりあえず生徒会室に戻るぞ。ぐずぐずするな。早く来い、ぁ…。」
奈江の顔を見て、小さく呟く。
「お前」
「なんですか?」
「姉の方と区別できないな。名前は?」
「……奈江です。渉奈江」
「奈江か」
……名前、呼び捨てなんだ。
後輩だし、紗枝も同じ名字なんだから、おかしくはない。
「奈江」
「は、はい!」
「ぐずぐずするな、早く来い」
言われて焦って立ち上がり、先輩の背中を追いかけて保健室を後にした。