Since10
土曜日の交流会から、日曜日を挟んで月曜日。
奈江は井華水高等学院へ。
紗枝は病院へ。
今日の診察でもう学校に行っても大丈夫だと言われれば、明日からは紗枝が学校に来ることになる。
「本人は絶対大丈夫なんて言っていたけど。どうなのかしら?」
普通、気管支炎って2週間くらい寝込むものじゃないのかしらと、生徒会室で会計業務をこなしながら、桂花が首をかしげる。
「経過はいいと思うよ。本人は元気が有り余っているし、昨日で熱も完全に下がったし。そろそろ登校しても大丈夫じゃないかな?」
本当は桂花の言う通り半月くらい寝込んでもおかしくないのだが、紗枝は大分回復が早いようだ。
桂花が、頬に手を当てて考え込む。
「今日あたりから、そろそろ本格的に生徒総会の準備をしなくちゃいけないし……心配だわ」
「各部活の決算報告と予算案、集まってきたんだっけ?」
「ええ、すべて提出済みですけど」
「それじゃ、やっぱり紗枝が来ないと作業止まるな」
麒麟が薫の操作するノートパソコンを横から覗き込む。
「しっかし、この申請内容……、やっぱり会議自体が荒れるのは避けられないだろうな」
桂香が手元の書類をまとめて、チューブファイルにしまう。
「というか、紗枝が避ける気がないでしょうね」
「あぁ」
奈江二人の会話を聞きながら、書類に印を押していく。
この作業も慣れてきたが、それも今日が最後だ。
紗枝のふりをしなくていいというのは嬉しいが、解放されてすっきりという気持ちに慣れない。
いろいろと面倒なことが多いし、みんなにも迷惑かけている。
わかっているけど、もうここに来なくなると思うと寂しい気がした。
「奈江さん?どうかしました?」
ぼんやりして、いつの間にか手が止まっていた。
「え?ぁ、……なんでもないよ、ただ今日で最後なのかなと思うと、ちょっと寂しいっていうか……」
「そうだなぁ、寂しいよな」
麒麟が背もたれに身体を預けながら、頭の後ろで腕を組む。
「奈江ちゃんは紗枝と違って癒し系だし、殺伐とした生徒会の空気が和んで最高だったのに」
「衣笠君、今のはもれなく紗枝に伝えておきますね」
「久賀さん、どうしてそんなつれないことをいうのかなぁ」
にこやかにいう桂香に、ひきつった笑顔で答える麒麟。
その脇でスマホをいじっていた薫が、顔をあげることもなく小さく呟く。
「奈江さんに迷惑がかかっているし、早く紗枝先輩が来た方がいいとは思う。……でも、もし紗枝先輩が無理そうなら、もう少し奈江さんが来てても僕はいいけど」
少し眠そうな口調で話すのに、桂香と麒麟が目を丸くする。
「あら」
「おお?珍しい。薫が意見を」
「それによっぽど奈江さんが気に入ったんですね。めったに人に懐かないんですけど」
まるで犬か猫みたいな言い草だ。
奈江はスマホから顔を上げて、じっと自分を見つめてくる薫に微笑みかける。
「藤原君、ありがとう。えっと……、多分明日から、紗枝ちゃんが戻ってくると思うし、また面倒かけるけどよろしくね」
薫はじっと何かいいたげに大きな目で奈江を見つめたまま、小さくと頷いた。
やっぱりちょっと、猫とかそんな感じかもしれない。
「こら、薫。なに良い雰囲気になってんだ。仕事の続きしろ」
なぜか不機嫌そうに目を眇める麒麟に、薫が物言わぬまま目を眇める。
「……やきもち」
薫の不満そうな声。
「奈江さんと紗枝先輩で態度違いすぎ。親切すぎ。やーらし」
「お前こそ、奈江ちゃんの前で猫かぶりすぎだろ!」
「衣笠先輩のむっつりスケベ。キモい」
無表情でぼそりと呟いた言葉に、麒麟が口元を歪めて立ち上がる。
「え、え?二人とも……、ちょ」
麒麟が伸ばした手を、薫がするりとすり抜ける。
本当に猫のようなしぐさだ。
それを繰り返しているうちに、いつのまにか狭い生徒会室で鬼ごっこ状態になった。
「ああ、もう埃が立つわね。はいはい、暴れないで。……それよりも、紗枝から連絡来ないわね」
「診察終わったら、連絡するって言っていたんだけど」
奈江がスマホを取り出してメールを受信してないか確認するが、新着のメールはなかった。
「何か着てました?」
聞かれて首を横に振る。
「着てないです……、二人のところには?」
追いかけっこから、こう着状態で睨み合っていた二人がポケットに手をやる。
「着てない」
答える薫の隣で、麒麟スマホを睨んだまま動きが止まっている。
「麒麟くん?」
声をかけると、途端にいつもの笑顔に戻った。
「あ、なに?」
「紗枝ちゃんからメール、着てない?」
「…ぁ、うん。着てない」
どこか上の空だ。
「どうしたの?」
「いや、別に…。ぼーっとしてた。悪い」
なんとなく何かを隠しているみたいだったが、それ以上は無理に聞くことはできなかった。
視線を感じてそちらを向く。
桂香と、ばっちり目が合ってしまった。
「そういえば、ずっと気になってたんですけど」
「はい?」
「二人はいつから、名前で呼び合うような仲に?」
『二人』といいながら、奈江と麒麟を交互に見る。
別に特別なことなど何もない。
ただ友達同士なんだから、名前で呼んでって言われただけだ。
それなのに桂花に改まって聞かれたら、勝手に頬が熱くなった。
「……真っ赤になって、言葉に詰まるようなことがあったのなら、紗枝に報告しないと」
桂香がいそいそとスマホを出す脇で、すでに薫がスマホをすごい速さで操作している。
「なんにもないって!ちょ、そういうのやめろ……薫、お前もどこにメール打ってんだ!?」
「紗枝先輩に報告」
「やめろって!そういうことをすると」
「なに?」
「奈江ちゃんが恥ずかしがって、名前で呼んでくれなくなっちゃうだろ!」
「……うわあ」
薫が心底呆れたような視線を向けた。
「必死ね」
くすっと桂花が含み笑いをする。
「あの二人とも、本当にからかわないで。なんでもないの。ただ友達同士なんだから、名前で呼びあおうかって話になっただけだから」
「じゃあ、僕のことも名前で呼んで」
薫がすかさず自分の事を指差す。
「いいよ、薫くん」
確かに桂香は最初から名前呼びだし、薫だけ名字ではよそよそしい感じだ。
呼んでみれば、なんとなくしっくりきた。
薫もいつもの無表情から、微かに笑みを浮かべた。
男の子にこんなことを言うのは悪いかもしれないが、花が綻ぶようとはこの事だった。
かわいい。
「奈江さんの呼び方、紗枝先輩の違って優しい」
薫はいつも無表情だから、たまにこうやって機嫌よく笑ってくれると、嬉しくなってつられて微笑んでしまう。
「おいこら、薫。妙な雰囲気を作るな。この天然タラシが」
なんとなく和やかな雰囲気の中、麒麟だけが妙に不機嫌に口をへの字に曲げている。
薫もそれをみると、またいつもの無表情に戻ってしまった。
「……衣笠先輩、うるさい」
「なんだと?」
「子供相手にむきにならないの。……あら、もうこんな時間。安曇先輩がそろそろ来るわよ」
言われて壁の時計を見る。
確かに引継ぎで蓮がくる時間だった。
「あ、じゃオレらはその間に顧問のところに行ってくるか。ついでに生徒総会の進行、掲示するヤツできているか、書道部に確認して来るわ。薫、ノーパソもってついてきて」
言って立ち上がるのに、薫が頷く。
二人が出ていくと、急に静かになった。
書類を整理しながら、蓮が来るのを待つ。
今日で最後かと思うと、肩の荷が下りる気持ちだったが、やっぱり連と顔を合わせる事がなくなると思うと、少しだけだが寂しい気持ちがした。
紗枝は嫌っているが、奈江は低い穏やかな蓮の声は、耳に心地よく思っていた。
実際、素直になれば蓮は少しも声を荒らげず、わかりやすく尊敬できる先輩だった。
何が気に入らないのかわからないが、紗枝も好き嫌いが激しいところがあるから、きっと何か一歩的に毛嫌いしているのだろう。
しょうがないと自分の双子の姉のくせの強さを想っていると、生徒会室の扉がノックされた。