Since01
『双子のパラドックス』
相対性理論の割とメジャーなテーマらしい。
でも最初にその単語を聞いた時、実はものすごい勘違いをした。
だって『双子』で『パラドックス』だから、
『双子についての矛盾しているようで正しいこと』だと思った。
同じ遺伝子・環境で生まれた双子なのだから、まったく同じ能力であり、その後、同じ環境で育てたとしたら、まったく同じ人間として完成されるはず。
でも実際には、まったく同じ人間には育たない、……みたいな。
そんな風に勝手に想像してしまった。
本当は、全然違う話なんだけれども。
ネットで調べたら全然違うことが書いてあって恥ずかしくなったくらい、まったく違う話なのだけれども。
ともかく、双子ってやっぱり違う人間なのだ。
顔や声が似ていても、やっぱりどこか違っている。
だから最初から無茶な話なのだと思う。
たとえほんの数日でも、誰にも気づかれずに入れ替わろうなんてこと。
***
朝食を食べていると、双子の姉がひどい顔色でリビングに入ってきた。
「…………ぅ……おはよ」
ガサガサにささくれた声に、ぎょっとする。
昨日の夜からひどい咳だったなと思いながら、立った一晩のうちにひどい炎症は、まったく別人のようにしてしまった。
それに、不自然に真っ赤な顔。
あの顔だと、熱は39度から下がっていないはず。
そんな状態だというのに、本人は学校に行く気満々らしく制服を着てふらつきながらテーブルに着いた。
「さ、紗枝ちゃん、大丈夫?まさか、……学校いくの?」
「もちろん、行くわよ」
当然と言わんばかりの返事。
浅い呼吸を繰り返しながらそう答える姿は、鬼気迫るものがある。
「大丈夫、ただの風邪くらい……休んでなんていられないわ」
「でも、39度も熱があるんでしょ?病院に言った方がいいよ。インフルエンザかもしれな……」
インフルエンザという言葉が出た途端に、きっと睨まれて続きを飲み込む。
「ないわよ、熱なんて!あの体温計壊れているのよ、きっと」
ガサガサの声で怒鳴られた。
むちゃくちゃだ。
だいたい体温計は、数日前に買い換えたばかりなのだ。壊れているとは到底思えない。
「あらあら、紗枝、制服なんて来て、あんたまさか学校に行くつもりじゃないでしょね?」
洗濯ものをベランダに干しに行っていたお母さんが、やはり呆れたように言う。
「まさかってなに?行くわよ、学校に行くのは、学生の本分ですからねっ!」
よせばいいのに無理をして怒鳴るものだから、激しくせき込んでテーブルに突っ伏している。
説得力も何もあったものじゃない。
「赤い顔して言ってるの。熱は?あら、下がってるって顔じゃないわね」
「だから、その体温計壊れてるって」
「そんなわけないでしょ。ちょっとあんた、寝てなさい」
「やだ!学校に行く!」
お母さんにこれだけ止められても子供のように駄々をこねるのに、少し違和感を覚える。
もともとじっとしているのも苦手だし、友達多いから学校に行くのも楽しくてしょうがないっていうタイプだけど、ちょっといつもと違う。
こんなに意固地になるなんて珍しい。
心配になって、つい口をはさんでしまう。
「紗枝ちゃん、どうしたの?そんな無理したら、余計に悪くなっちゃうよ」
「無理じゃーなーいー!!!……っ!」
さらに顔を真っ赤にして怒鳴ったかと思うと、ふらりと身体が揺れて、紗枝の身体が傾いだ。
「紗枝ちゃん!」
びっくりしてつい大きな声を出してしまったが、紗枝ちゃんはなんとか倒れずに踏みとどまった。
「ああ、もう、興奮するから」
やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
後ろから覗きこんでいたお母さんは落ち着いたもので、ため息をつくと椅子からずり落ちかけている紗枝の身体を起こした。
「ほら、しゃんとしなさい」
言いながら、額に手を当てた。
「紗枝はちょっと落ち着くまで寝かせて、病院に連れていくわ。アンタはもう学校に行きなさい。学校は遠いんだから」
「……わかった。」
息苦しそうに寝ている紗枝のことは気になったが、このままぐずぐずしていたら遅刻してしまう。
後ろ髪をひかれる気持ちもあったが、とりあえず学校に行くことにした。
***
学校に向かうバスに乗ってからも気になって、つい寝込んだ姉のことを考えてしまう。
姉の紗枝はあまりまったくの健康優良児で、大きな病気などしたことがなかった。
明るくて活発で、勉強も運動もできる。
まさに文武両道の姉の紗枝。
つい先日、生徒会長に就任したばかりだという。
別々の高校に進学したせいで、普段の学校でどんな風なのかはわからないが、生徒会選挙のために、随分頑張っていたようだった。
疲れがたまっていたのかな。
少し休めば熱も下がると思うけど、紗枝ちゃんのことだからな……おとなしく寝てるかなあ。
ともかく今日は学校が終わったら、モモの缶詰でも買って帰ろう。
そう思って下車するバス停のアナウンスが流れたのに、慌ててボタンに手を伸ばした。
***
「……え、急性気管支炎?」
学校から帰って、その診断結果を聞いて驚いた。
もしかしたらインフルエンザかと思って心配していたけど、気管支炎だったのか。
確かに咳もひどいし、呼吸が苦しそうだった。
「そう。インフルエンザじゃなくてよかったけど、しばらくは、おとなしく寝てなきゃ……」
そういってため息をつくお母さんの背後から、突如不機嫌そうな声が響いた。
「やだ!明日は絶対、ぜーったい学校に行くから!」
腕を組んで仁王立ちになっても、まだだるそうでいつもの勢いがない。
「紗枝ちゃん、寝てないと……」
「大丈夫!大丈夫ったら、大丈夫!」
力強く(本人はそのつもりなんだろう)言い切るのに、お母さんはうんざりした顔になっている。
おそらく今日一日この調子だったんだろう。
「本当に紗枝は、何をいっても聞かない子ねえ……。」
しょうがないな。
途中で寄ってきたスーパーの袋を軽く上げて見せた。
「紗枝ちゃん、ともかく寝てようよ、ね?モモのシロップ漬け買ってきたから」
「モモのシロップ漬け!」
眼の色が変わった。
「モモ缶じゃなくて?瓶詰のヤツ?」
「そうだよ、瓶詰の」
頷いて見せる。
「黄桃?白桃?」
「もちろん紗枝ちゃんの大好きな白桃だよ」
袋の中から、瓶詰の白桃のシロップ漬けを見せると途端に機嫌が直った。
「わーい!アイスは?アイスある!?」
「アイスと一緒に持っていってあげる。だからまずは部屋に戻って寝て……」
「やったー!」
両手をあげて喜ぶ姿は病人とは思えない姿だけど、熱があるから変なテンションなのかもしれない……。
そう思って部屋に戻っていこうとする背中を見ていると、ふいと紗枝が振り返った。
「あ、部屋に戻って寝るのはいいけど、明日は学校に行くから」
その言葉に、つい顔をしかめてしまう。
「……紗枝ちゃん。」
「だって休むわけに行かないのよ。ほら、私、生徒会長だし、生徒会発足したばっかで、いろいろ仕事があるしさ」
「でも急性気管支炎ならウイルス性だから、ちゃんとお医者様がいいって言うまで外に出ちゃいけないんじゃ……、」
「ウイルス性っていっても、インフルエンザとは違うし。家の人も外に出ていいって言ってたし、マスクしていけば大丈夫じゃん?」
「他に人にうつしたら大変……」
「大丈夫だって」
……全然大丈夫じゃない。
明るく笑っているけど、たぶん、今普通に起きていられるのは薬が効いているせいだ。
普段から病気をしない紗枝は、そう言うことがわかっていなくて、薬が切れたら今朝みたいに倒れちゃう可能性だってある。
安静にしていなかったら、どんどんこじらせて本当に悪化してしまう。
入院することにだって、なるかもしれないのに。
これは優しく言っているうちは、誰の言うことも聞かないパターンだ。
病人相手だからと思って優しくしていたが、これは少し言って聞かせないと本当に救急車を呼ぶ羽目になるだろう。
心を鬼にして、厳しい表情を作る。
「紗枝ちゃん!」
名前を呼ぶと、びくりと小さく飛び上る。
「は、はい?」
少し口の端を引きつらせるような愛想笑いを浮かべるが、ここで甘い顔をしてはいけない。
「気管支炎はこじらせたら、入院するくらい大変なことになることもあるんだよ。お年寄りや体の弱っている人なら、悪化して合併症で死んじゃったりするんだから。いま紗枝ちゃんが元気なのは、お医者に診てもらって薬飲んだから、多少楽になって、起きてられるんだよ。薬が切れたらまた咳も出るし、ひどくなって倒れたらどうするの?!」
真面目に話をしていると、徐々に紗枝はしゅんと萎れた様子になったが、それでもまだ納得したと言う顔ではない。
「紗枝ちゃんは、あんまり病気しないからわからないかもしれないけど、馬鹿にしていたら大変なことになるんだから。」
「奈江ちゃん、そんなおっかない顔しなくても……ほら、かわいい顔が台無し……」
「そんなこと言ってごまかそうとしてもダメ。ほら、わかったら、すぐに部屋に戻って、おとなしく寝て。熱が下がるまでベッドから出たら怒るからね」
「わかったよ……もう怒ってるじゃん」
すごすごと部屋に戻っていく紗枝の後ろ姿を見ると、ちょっとかわいそうかと思ったが、あれくらい言わないと部屋に戻らなかっただろう。
「はー。やれやれ、やっとおとなしくなった」
そう呆れたように言うと、お母さんは肩をすくめて台所に入ってしまった。
大分手こずっていたらしい。
「お母さんも、もっと厳しく紗枝ちゃんに言ってよ。あれじゃ良くならないよ。」
「そんなこと言っても、あの子は誰の言うことも聞かないじゃない。あんた以外。まったくどっちが姉なんだかって感じだけど……」
間違いなく紗枝ちゃんが姉だ。
そんなのお母さんが一番よくわかっているくせに。
「それにしても、高熱あって、体の節々痛くて、頭痛もしているらしいんだけど、あれだけアクティブだとなんだか、ちょっと学校に行かせてもいいような気に……」
「お母さんまで!」
「冗談よ。でもねぇ食欲も落ちてないし……。それになんだかんだ言って、あの子があれだけ学校にこだわっているのをみてると、可哀想な気もしてくるのよ」
確かにそれは気になっていた。
何か学校であるのだろうか。
だがそれは口に出さなかった。
「それでも病気の人は、体を治すのが第一大事なことだよ」
「はいはい。……なんだかこうやって話していると、あんたやっぱり頼りになるわ。さすが看護科」
ちょっとからかう様に言われて、口をとがらせる。
「なに?」
「あんたが紗枝と別の学校に行きたいっていった時は、正直面倒臭いと思ったけど、いいわね、そういう人が家に一人いると頼りになって」
お母さんが満足そうに笑うのに、能天気だなとため息が出た。