プロローグ~第一章『変えられない過去と未来』
プロローグ
虫や動物、はたまた人間の形はしているが、それぞれ材質や構造が機械的でもあるのに、どこか生物を思わせる。異質な存在が空や地面を埋め尽くし、大軍となって進軍している。
人々が機械生命体と呼ぶ一団が、山を目指していると、頂上に大きな火柱が立つ。それを発端に、隣り合う山にも炎は壁のように繋がり、やがて陸一つを分断する壁にまで大きくなる。
山間には、炎を纏いながらコートをなびかせ軍服に身を包んだ茶髪の男。不動彰真が苦虫を噛み潰した様な笑いをして、すぐに大軍を睨みつけている。
(西日本から先には未来がある。ここにあっていいのは、くず鉄と俺の屍だけだ)
意に介さず大軍は機械の回路を思わせる道路を越えていき、手付かずの自然に踏み入る。
「お前達には絶望の炎だ」
機械が埋め尽くす空に不動が跳ぶ。それを、コウモリを模した翼に細い体をした物の胸が開き、丸い玉に触角が一本生えた物の目が光る。胸からは緑色の散弾、目から光線が放たれる。
咄嗟に空中で防御姿勢を取ると、纏った炎が煙に覆われ、不動は鼻をつまむ。
「それで、攻撃なんて言うなよ」
ゆっくり落下する不動は体を中腰にして、纏った炎が噴火を思わせ大きく広がっていき、空を飛ぶ物や地上を這う物達を巻き込んでいく。着地した瞬間には爆風が広がり、耳障りな轟音だけの世界になった。
やがて爆風が晴れていくと、辺りはくず鉄一つ無い焼け野原になるが、同時に綺麗な青空を拝む事ができる。
「こんな日は、縁側で昼寝したいね」
たった一人の戦場で軽口は虚しい。そこに赤紫色の巨大な閃光が襲いかかる。
大抵の物なら破壊できる筈が、炎を纏う不動の前では効果が無く、何事も無かった様に歩いている。
空いた隙間をすぐに埋めようと、機械達は勢いよく押し寄せてくる。人型が見えたと思ったら、空一面を傘型の大軍が覆いつくす。人型が止まると傘が開き、持ち手の部分から青い光の矢が一斉に飛んでくるが、防御の構えでやり過ごす。
「のんびりしてられねぇな」
両手を前へ突き出すと、掌に火が点く。その火はすぐに大きくなり、攻撃中の奴らを一直線に巻き込む程の大火となった。再び視界が開けると、一直線に焼け野原が広がる。
「不動彰真か。貴様程の達人が弱い者いじめとは、退屈だろう」
声の主は、はるか遠くの大地を進む巨大戦艦の船首からだった。
その船首に立っていた人型が跳躍する。
「進軍せよ同胞。最大の障害は我が排除する」
焼け野原を照らす光が、どんどん強くなっていく。それは、太陽が二つあると思う程だ。
「俺に炎か、上等だ」
不動は渾身の力を込めたのか、彼の周囲を包む炎は更に勢いを増す。すると、一本の白髪が舞う。視界に入ったのか、ため息をつく。
(思ってたより時間がねぇみたいだ)
気を取り直した不動は、すぐに地面を蹴ると、瞬く間に迫って来る太陽へ突進する。
「くたばれぇッ」
その叫び声と共に、拳を勢いよく太陽目がけて放った。拳は太陽さえ貫きそうな、燃え滾る炎に包まれている。
千九百五十年。不動彰真は大日本帝国の侵攻を一ヶ月間一人で食い止めた。その時間が西日本を日本国として独立させたのだった。
英雄が帰還しないまま十年が経った。現在、日本と大日本帝国は膠着状態にある。
第一章 変えられない過去と未来
私、翔井天夢は冷たい風を肩で切りながら、商店街を走っていた。買い物をしている人々にぶつからないように注意し、尚且つ、屋根から屋根へ跳ぶ標的を見逃さないように神経を集中した。
あれは正午過ぎだった。青葉町にある君塚駅の前で、人々が次々と襲われる事件が発生した。駅前にある治安維持部隊の分署が対応していたが対応できず、巡回している者に応援へ向かうように指令が出された。
当然、その指令に私も従った。現場に近づくとやかましい銃声が聞こえてくる。理由はすぐに分かった。赤い閃光がしたと思ったら、黒い影が常識では考えられない跳躍力で、視界に見えた五階建てのビルに降り立った。近づくと商店街を示すアーチ状の看に降りた。
標的は商店街を外れ、再び駅の方へ向かった。なんとかそこまで追っているが、このままでは逃げられて徒労に終わる。私は走りながらホルスターから銃を取り出した。標的は相変わらず屋根から屋根へ跳んでいる。
それなら撃ち落して、落下の衝撃で隙だらけの標的を始末しよう。
狙いをビルの屋上と屋上の隙間に定める。標的は跳ぶ筈だ。そう自分に言い聞かせて神経を研ぎ澄ます。急に悪寒が走った。
私の頭の中に暗闇が広がる。そこに、顔の色はコバルトブルーで、頭は蛸を連想させ、目は大きく緑に輝き、複雑に彫りこまれた顔を持つ機械生命体が浮かんだ。
激しい憎悪が湧いた。その憎悪が込められた弾丸はアイツではなく、余裕そうに跳んでいる標的に命中した。だけど、発射するタイミングが一瞬だけ遅く、地面に落下せず屋上へ落下した。標的が逃げ出さないようにすぐビルへと駆け込む。
突然の銃声と治安維持部隊の突入で、ビルの関係者は戸惑っていたが緊急事態だ。一刻も早く標的を始末しようと非常階段を全力で登る。
屋上に辿り着いて銃を構えると、スーツを着た中年のサラリーマンが床に倒れていた。
「残念だったな。俺が片付けといたぜ」
死体に気を取られ、人がいた事に気づかなかった。私が正面を見ると、少し離れた所にカーキ色のトレンチコートに身を包んだ少年がいた。しかし、コートのサイズに至っては、本人の背丈に合わないのか膝を隠している。その上、全体がボロボロなのでとても怪しく見えた。
「両手を頭に組んで、私の方に向きなさい」
はっきり言ったつもりだが、少年は私の言う事が聞こえないのか微動だにしない。
「オイオイ、俺は悪い事をした覚えは無いけどな」
「ふざけないで」
「別にふざけてないし、俺はちゃんと答えた方だと思うよ」
「……」
恐らく犯人はあの少年だろう。そう思った私は自分の手の甲を見た。手には髑髏をモチーフにした縁取りに特殊な記号の羅列の陣が顔を思い浮かばせる。
これは深想出力術式、自分の魂が出す特定の感情を元に想気を生み出して身体に纏い、身体能力を強化する。
きっと、あのサラリーマンにも子供はいた。きっと子供は悲しみに沈むだろう。そう思った私は少年に『憎悪』を感じた。
その瞬間、深想出力術式が紫色に輝くと、全身に力がみなぎり、周囲に黒いオーラが発生する。一般的にこれを想気凱装と呼ぶ。
攻撃の為に、私は腰に差した何も無い柄を振り抜いた。柄から私と同じ想気凱装の様な刃が生まれる。これは想気剣と呼ばれる剣である。他にも想気銃があり、先程、発砲した銃はそれだ。
私は漫画の様に掛け声を出さず、間髪入れずに少年へと切りかかった。むろん、その反応を推し量る為だ。本当に殺すわけではない。
「危ねぇな。なに考えてんだよ」
驚いた。刃を振り下ろすと同時に、少年は僅かな足裁きで避けて、私の方を向いているのだ。余裕綽々な笑みと少し逆立った髪が特徴的だった。
「喋り方からして、老けていると思ったら、けっこう若いな。何歳だ」
若いと言われたが、平均的な身長より高い私だと言う事を差し引いても、彼の身長は百六十cmギリギリと低く、向こうの方が明らかに年下だ。
「だんまりかよ。立派な乳をお持ちのようだが、将来、行き遅れるぜ」
この少年に更に殺意が湧いた。大丈夫、お灸を据えるだけだから。少年に苦痛を味わわせようとみぞおちを殴ろうとしたら、少年はそれを手で受け止めた。
「アー、悪かった。大丈夫。風でなびく銀髪も綺麗だし、笑えば可愛いんじゃねぇの」
ニヤケ顔で軽口を言う。不服だが実力は私より上のようだ。通じないと思うが、不意打ちで倒すしかないみたいだ。
「もう用は無いよな。残念だけど、もう手遅れだ。後の事は任せた」
少年は私に背を向けた。再びみぞおちを狙ったが、拳はギリギリのところで空を切り、少年は屋上の淵から飛び降りるところだった。
「なぁ、お前の術式、変だぞ。想気に違う感情が混じってる」
意味の分からない事を言い残して少年は消え去った。残ったのは被害者とやり場の無い憎悪と虚しいものだった。その後、仲間達が駆けつけ然るべき処理が行われた。
青葉町にある治安維持部隊の基地はとても大規模だ。何故ならここは国境線上にある街で、軍事的に重要拠点である。おかげで広いホールも備わっている。
上官の話しは重要だが、私には気になる事があった。あの少年が言い残した言葉である。深想出力術式は特定の感情を基に想気を生み出す。私の深想出力術式は、治安維持部隊に入隊した時に志願して彫ってもらった。政府認可の術師が彫ったものだ。闇で行われているような無認可の人間が彫ったわけではない。さっきの戦闘でも正常に術式は起動した。
変なのは、術式無しで術式を発動させた私と対等に渡り合えた事だ。私の腕前が低いとしても、攻撃に耐えられるのはおかしい。
「貴様らは甘い」
ボソボソとした声が一転して、大きくて低い声が私達隊員を一喝した。ホールの壇上には、ご年配の上官ではなく、白銀に輝く篭手と同系色のマフラーを付けた巨躯な男が、私達隊員を睨み付けている。
「貴様らはたるんでいるのだ。この十年間の平和に胡坐を掻き、高給だからと言う理由で、入隊した志亡き者達よ」
今、壇上で私達に檄を飛ばしたのは尋芦隆宏大佐である。彼は大日本帝国から日本を独立させた不動彰真の弟子だ。弟子達のほとんどは大日本帝国との戦いで深手を負い、最終決戦には参加する事ができなかった。けれど、その武功は本物で、私達隊員が束になってかかっても敵う事は無い。
「お前達の真価は今問われている。本来、治安維持部隊は帝国機械から日本を守る為の存在」
先程の襲撃は機生体によるものだった。人間が機械生命体に乗っ取られた場合は別の個体として扱う。もし、少年が機械生命体なら、どうして同胞を殺したのか理解できない。
(……あの少年は何者?)
機械生命体は、大日本帝国政府を乗っ取り、帝国機械と名乗っている。彼らは動力源から放たれる力を元に活動している。その力を遮断し、物理的に彼らを通さない障壁を政府は開発した。その為、機械生命体は日本へ簡単に入ることができない。仮に侵入しても障壁はすぐに再生し、動力を断ち切られ、活動不能となる。
「だが、機械生命体の侵入を我々は許してしまった。その為に人々の尊い命は奪われた。これは許されざる事態だ。我々は一刻も早くこの日本にできた機械生命体の巣を取り払わなければならない」
尋芦大佐は話すのをやめて、咳払いをした。
「もうすぐ、日本の独立十年祭が行われようとしている。帝国機械は日本にとって、この意味のある日を狙っているだろう。いいか、一刻も早く機械生命体の巣を破壊しろ。この町の陥落は日本の終わりだと思え!!」
尋芦大佐は私達に檄を飛ばして、ホールを出られるとすぐに集会は終了した。
トイレを出ようとすると、他の隊員達の話し声が聞こえてくる。
「しかし、休日無しって酷いな。特別に給料増えるわけじゃないし」
「明日から術式使いと二人一組だったな」
「あいつらの術式と機械生命体は元が同じだろ。おっかねぇよ」
「俺達はまだいい方かもな。一番可愛そうなのは銀人形と組む奴だろ」
「そうか? 組んだら口説くつもりだったんだけど」
本人が聞いていると知らず好き勝手言っている。声が遠ざかったのでトイレから出る。
「下らない」
一言で彼らを表せるには丁度いい言葉だが、呟いた後に自分も下らないと思った。
「何が下らないんだい?」
心臓が止まると思った。動揺を隠しながら振り返る。
「いえ、めんどくさいと思った自分を戒める言葉です」
そう言うと、こちらを真面目に見ていた男がクスッと笑う。
「それは嘘だね。翔井さんはいつも休日なんていらないって顔をしているよ」
「夏休みは取りました。大津兵長」
ため息と共に、大津兵長は首を振る。
「一日だけだよね」
大津直哉兵長。治安維持部隊で私が所属する巡回部隊で一つ上の上官に当たる。新米の私は彼から治安維持部隊の仕事を教わり、現在は一緒に街を巡回している。
「新しい編成でも、僕達は一緒に巡回するみたいだ」
私は今のままでいいと思う。今更、別の人間と組むのは疲れる。仕事をする気の無い人間と組むくらいなら、若干頼りないがまだ信頼できる。
「そうですか」
「嫌かな?」
『そんな事はありません』と言おうとした途端、眩暈がする。
〝意識がハッキリすると、辺り一面を壊れた機械の部品で覆いつくされた世界が見える。大津兵長が大の字に倒れた姿が見える。腹部には大きな穴が開き、身体はじょじょにだが炭化している。
「クッ………アッ……」
焼け爛れた顔の大津兵長は、何かを言おうとしたが聞き取る事はできず、そのまま炭化し最後には塵となって消えた。〟
その衝撃はすさまじく、戦慄として私に襲いかかる。
「大丈夫かい? 気分が悪いのなら、僕と一緒に救護室へ行こう」
何事も無かったように努めようとしたが隠し通せず、余計に気を遣われてしまった。
「……大丈夫です……そろそろ戻らないと怒られますよ」
私はこれ以上大津兵長を見ることはできない。見たら取り乱してしまう。だから、彼から足早に離れる。
薄暗い場所で、ガスマスクを連想させる頭に細い体をした機械生命体が、私の想気剣で一刀両断される。続けて二体ほど、腕から鉤爪を生やした機械生命体が向かってくる。一体は跳躍して口から光弾を放つ。後退して避けるともう一体の機械生命体が、私の心臓めがけて前のめりになりがら鉤爪を伸ばす。
それを刹那で左にかわし、隙だらけの背中に想気剣を突き刺す。
「次」
そう言うと、残った機械生命体の口元に光が収束している。気づくのが遅かった。強力な出力の光線が私に放たれる。
「クゥウッ」
想気凱装を発動させても、かなりの痛手を負う。私は想気銃を取り出し、機械生命体の頭に狙いを定めて、憎悪を込めた弾丸を放つ。結果、機械生命体の頭は吹き飛ぶ。更に五回引き金を引いた事で、胴体や四肢に命中して戦闘不能にした。
どうにか勤務を終えた私は鍛錬室で一人訓練していた。この部屋には深想出力術式が彫られている。術式は対象の魂を読み取り、適切な相手を映し出して鍛錬をする。
二十九体程倒すと呼吸が乱れる。いよいよ三十体目の敵が登場する。私はここでいつも負けるが、そうはいかない。
ふと、私の手に彫られた術式が目に入る。心想出力術式と魂の持つ生来の気質との相性が良いと、象華体と呼ばれる特殊能力が得られる。これを取得できる可能性はとても低く、一般人や術式を彫った隊員でさえも迷信だと思っている人が多い。
不可解なのは、術式を彫ってない筈の幼少から、未来視ができることである。何故できるかは未だにわからないが、私はこの能力を機械生命体と同じくらい疎んじている。
いつでも使える訳でもないし、未来を変えようと努力しても、結果的には観た通りの未来になってしまう。奴に勝てれば、大津兵長が死ぬ未来を回避できる気がするし、両親の仇を取れる気がする。
拍手の音が聞こえるが姿は見えない。見つけ出そうと、辺りを見回したが姿は見えない。後ろから視線を感じたので振り返る。
「……」
私の後ろに立っているのは、全身はコバルトブルーで、蛸頭で緑色に光る目を持つ顔、肩は両端に楕円形が空に向かっている構造をし、全身は彫刻を想起させる筋肉質な身体をした機械生命体である。
その姿を見た私の脳裏に、嫌な映像が流れ込む。七歳の頃の私の前には、血まみれで倒れている父の姿とさっきの機械生命体がいる。奴はゆっくりと私と母に迫る。奴の手の甲にある真ん中の結晶がエメラルドに妖しく輝く。 母が私を機械生命体から庇おうと前に立つ。機械生命体はおかまいなしに母の心臓を貫く。貫かれた腕が抜かれると、コバルトブルーの体が返り血に染まる。
怖気が私の身体を震わせ、足には力が入らない。想気剣の刃は形状が不安定で脆く、今の私を表している。
「……ッ、ハァハァ……」
目がかすみ、過呼吸になる。偽物だと頭では理解しているが、身体は正直だ。これを乗り越えられれば、未来は変えられる。
「ヤァァァァァァァッ」
感情を剥き出しにした私は、どう構えたのかも分からないまま奴に攻撃をする。私が奴とすれ違った時、どこかで負けを悟っていた。私は動きを止めた瞬間、想気剣を床に落とし、立っていることさえできそうにない。
(……力が欲しい……)
よろめいた瞬間、何かにぶつかった。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある優しい声、なんだか安心できる触り心地に体を預けたくなる。
「疲れているんだね。そろそろ休んだ方がいいよ」
顔を上げた。私の体は大津兵長に支えられている。状況は理解できるが、どうしてこうなったのかは理解できない。
「泣いているみたいだけど、良かったら僕に話してほしいな」
『泣いている』その単語を聞いた途端、心の奥底から怒りが湧き、力任せに大津兵長を押してしまう。
「……ッ」
泣く事はあの日からもう二度としないと誓った。私は泣いていないはずだ。現に視界に映る大津兵長の姿ははっきり見える。
「…………」
自分の下らないプライドを優先した事を即座に後悔した。彼は部下であり一緒に組む仲間である私を心配してくれた。互いに会話のきっかけが掴めないせいで沈黙が訪れる。当然、私から大津兵長に謝る必要がある。割り切れない自分がいるが、悪いのは私だ。
「……ごめんなさい」
「気にしてないよ。いつもの翔井さんで良かった」
大津兵長は、私に微笑んで見せた。
「どうして、ここに来たんですか?」
「九時になったら基地は閉まるから、帰るようにって言おうと思ったんだけどね」
「……すいません」
「訓練ばかりしても強くなれないよ」
心外。訓練無しで機械生命体を倒せる方法があるなら、是非ご教授願いたい。どんな事をしてでも家族を殺し、挙句に貴方を殺す存在を倒したい。
「私は、私から全てを奪った機械生命体を倒したい。それだけです」
真剣に私の生きる意味を告げると、大津兵長はため息をした。
「気持ちは分かるよ。両親を殺されたのだから……だけどね……」
そう言うと大津兵長は、私の想気剣を見せる。何をするのか図りかねる。そう思っている内に、青白い刃が生まれた。それを横にして持つ。
「強すぎる刃。これが翔井さんだ」
「はぁ……」
どうしてこんな例え話をするのか、理解できなかった。
「その刃は、敵を切るのに充分過ぎる程の威力を持っている」
大津兵長は刃を折った。
「けれど、簡単に折られる脆さをはらんでいる」
「大津兵長。貴方のさじ加減で決まるのではないでしょうか?」
私がそう言うと大津兵長は、首を左右に振りながら想気剣を返した。
「あくまで物の例えだよ。翔井さんは機械生命体を倒す為の機械じゃない。人間だ。人間には弱さがある。それを自覚した方がいい」
私は反論できなかった。三十体目を前に取り乱し、大津兵長に甘え、泣いていると言われ動揺した事(私は絶対に泣いてない)、どれも私の弱さが原因だ。
「はい……」
「じゃ、明日に備えてゆっくり寝た方がいい。おやすみ」
論破されて居づらくなった私は、そそくさと鍛錬室を後にした。
夜の路地を歩いていると、北風が吹いてきて体温を奪う。おかげで早く家に帰りたくなる。この道は街灯が少ない。代わりに早く自宅に帰れるのでよく使う。それを聞いた私の同居人は『キケンだよー。変態さんに襲われちゃうよ』等と言うが、治安維持部隊の隊員で術式を彫っている以上、色情狂に後れを取る事は無い。まぁ、私を襲う物好きなどいないだろう。むしろ危険なのは同居人である彼女の方だ。
レンガ色の壁をした五階建てのマンションが見えてくる。青葉町の地価は大日本帝国に近く、機械生命体からの攻撃を受けやすいと言う理由で安い。建物は広くて東君塚駅まで徒歩十分程と言う立地で家賃十二万円する。給料は一般的な職業から見て若干高いが、それでも厳しい。だから、私は高校時代に気を許した娘と家賃を折半して住んでいる。
玄関を開けると、月明かりが玄関に差し込む。そこに布団を頭から被り、体育座りをしている少女がいる。
「アッ、あーたん」
何のつもりだろうかと私は絶句してしまう。
「あーたーーん」
布団を吹き飛ばし、立ち上がると思ったら、素早い身のこなしで私の胸に飛び込んできた。
「さみしかったよー」
そう言いながら少女は、桃色に染まるツインテールを揺らしながら、私の胸に頬ずりする。
「……なんで?」
「アイディアに行き詰まったから、気晴らしに、あーたんのけしからん乳を堪能しようと待っていたの」
今、私の胸をおもちゃの様に遊んでいる少女こそが、私の同居人である。
「きらら、離れてよ」
「いーでしょ。女の子同士だし、最近やってないんだから~」
くすぐったいし、なんだか火照ってくる。ちょ……ちょっと、そろそろ……はなれ……。
「クチュン」
きららがくしゃみをしたので、私はその隙に抱きついている彼女を放す。
「自業自得ね」
「おっかしーなー。布団で温まったはずなのに」
反省する様子が無いきららに呆れると、私の火照った体も治まっていく。
ローテーブルには鮭の塩焼き、きんぴらごぼう、アサリとワカメの味噌汁、ご飯が二人分用意されている。さっきのくしゃみを見て、私が料理をすると言うと、きららは『疲れているんだし休んだ方がいいよ』と言って台所に立たせてくれなかった。そういえば、私が台所に立ったのは、一緒に同居してから一回だけだ。以降、作ろうとすると何かしら理由を付けてきららが作っている。
(見栄えが悪いだけで、食べる事に支障は無いと思うけど……)
「ハァー」
きららがあからさまに嘆息する。私は正面を見た。ベランダ側に無造作に画材道具が置かれている。
「独立十年祭に展示する絵は間に合う?」
「うーん。イメージはできてるんだけど、テーマとかけ離れているんだよね」
「確か、日本国の過去、現代、未来の3つを表した絵」
独立十年祭は、機械生命体が支配する大日本帝国から、日本が独立して十年と言う節目を祝う祭りだ。内容は日本の歴史を振り返り、その上で自身の心の大切さを認識し、国民が一致団結して日本を良い国にしたいと願うようにする。
もっとも、それは建前で、私達を都合良くまとめようとしていると思う。
「そうそう、過去の部分は合っていると思うんだけど、現代と未来らしくないって言うか」
きららは美大に通っている。成績の方は知らないが、一般公募の展示ではなく、プロと同じ場所で展示されると言うのだから、優秀だろう。
「煮詰まっているなら描けば?」
「分かってないな~。独立十年祭は日本がちゃんとした国である照明と、これからの日本の未来に私達が希望を抱けるようにしたいんだよ」
『希望』私の嫌いな言葉である。『希望』は未来に良い展望を期待する言葉だ。私には未来視があるから、感じる事だが、未来は不条理しかない。
「だから私は、見てくれる人が明日もがんばるって思う絵を描こうと、考えてんの」
「そう」
綺麗事に私は耐えられず、アサリの貝殻から身を取る作業に神経を裂いた。
「うわぁー。反応薄すぎ、いいもん。あーたんを絶対感動させる絵を描くから」
投げやりな返事にふて腐れたきららは、私の鮭を奪い口に入れた。とりあえず、無視しながらテレビをつけると、ニュース番組のようだ。
「今日十二時三十分頃、青葉町の君塚駅前で機械生命体が人に寄生し、機生体となって人々を襲いました」
「エーッ、また来たんだ」
テーブルをガタッと揺らしながらきららは立ち上がる。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
その勢いのまま、きららは私の肩を揺らす。
「無事じゃなかったら、病院のベッドで寝てるよ」
そう言うときららは、揺らすのをやめ、再び自分が座っていた場所に座る。
「それもそうだね。でも、機械生命体はどうして最近来るのかな?」
「誰かが動力源をこの街に設置したからだと思う」
「障壁を壊して、ここまで来れたんだ」
まるで分かってないきららに嘆息しつつ、私はしかたなく教える事にした。
「障壁は簡単には壊せない、壊してもすぐ再生する。そうなると、動力源からの波動は断絶されて、侵入した機械生命体は動けなくなる」
「地下からって手もあるよ」
「確かに、地下や上空にも限界があるけれど、空から来た奴は、動力切れで墜落したけどね」
落胆するようにきららは頭を抱え込む。
「空まで言われちゃったよ」
「後、障壁を物理的に破壊されれば、私は機械生命体と戦う事になるから、二度ときららに会えなくなるかもね」
泣きそうな声できららは言う。
「そんなのはイヤだよぉ。あーたんのけしからん乳を触るって楽しみが無くなるなんて、耐えられないよぉ」
思わず、自分の胸を見てしまった。この娘は、私の事を玩具と思っているのではないかと疑いたくなる。話題を変えようと思い、テレビを切る。電源が切れるプツンと同時に、きららは悔しさを滲ませる。
「アーッ、ニュース見たいのに。いじわる」
「さっさと、独立十年祭の作品にでも取り掛かれば」
頬を膨らましきららは私の事を見る。
「こうなったら、あーたんの嫌いな機械生命体を描いてやる」
その言葉に、思わず激昂しそうだったが、彼女も絵で苦心している事を考慮し、控えめに言ってみる。
「見た事無いのに描けるの?」
今の言葉は、きららを追い詰めるには効果があったらしく「うぅ」と呻く。
「歴史の教科書で見たから描けるもん」
「写真だけ見て描いた絵なんて、本物を見た人が描いた絵に比べれば,断然劣る」
今度は「もぉー」と呻きながら、きららは頭を抱えローテーブルに顎を乗せる。
「そういえば、機械生命体は何で私達に寄生するの? 最初の頃は戦闘機や戦車を体にしていたって聞いたよ」
こっちを見ると思ったら、高校で習った筈の歴史を忘れたのか、質問してくる。
「機械生命体の本来の姿は魂の集合体。体となる材質は後で強化できる。対象の魂を乗っ取り、支配する事で仲間を増やす。これを繰り返す事で奴らはより強力になる」
何でこんな説明をしなければいけないのかと、思わずため息をしてしまう。
「うーん。絵のモデルになってもらうのは難しいんだね」
あまりに悠長な発言をするので、危機感を煽ろうと私はイヤミを言う事にした。
「もし、きららが機械生命体と鉢合わせしたら、あっけ無く乗っ取られるかもね」
「エーッ、逃げるよ。ちゃんと」
狙い通り慌てている。玄関での仕返しも兼ねて、更に煽ってみる。
「そうなったら、友人としてきちんと介錯してあげるから、安心して」
「もう乗っ取られる前提なんだ。しかも、あーたんに殺されるんだ……」
きららは半泣きしたまま箸が進まず、それをしりめに私は食事を終えた。
猫足バスタブに溢れんばかりのお湯が溜まっている。そこに体を沈め、お湯が溢れる様を見るのはとても気持ちいい。足を組み、湯船にもたれかかって、天井を見上げると、さながらテレビで時折見る洋画のワンシーンになるが、好きでやっている訳じゃない。天井は裸電球がぶら下がり、タイルが所々剥げた壁が見えるのでムードに浸るのは困難だ。
本当の理由は、視界に私の胸をいれたくないからだ。大体、戦闘には不要だし、割高な下着を買わされるし、それに老いればたるんでくる。年相応に見られないきららが年相応に見られるようになるなら、捨ててもいいかもしれない。
『立派な乳をお持ちのようだが、将来、行き遅れるぜ』
憎らしい笑みが思い浮かんでしまい、思わず水面を殴ると、激しく水飛沫が生まれる。中学時代まで遡っても、異性からそんな破廉恥な事を言われた覚えは無い。そこに私の胸が視界に入ってしまう。
「私は戦士だ」
思わず叫んでしまったが虚しい。きっと大津兵長の仰るとおり疲れているんだろう。私は目を閉じる事にした。
〝暗闇が覆う世界から苦しそうに少女の呻き声がする。このままでは少女は死んでしまう。そう思った私は暗闇の中でもがいてみた。すると、闇が晴れていく。ローテーブルの上には、きららが絵を描く為の小型のイーゼルの足とチョコレートの包み紙が見える。
「……た……たす……けて」
今度は、きららが自分の首を自分で絞めている。状況を聞きだそうにも声が出ない。彼女の頬と手には血管とは違う管状の物が浮かび、蛇のように体の中を動いている。
「たす……あー……」
きららは、助けを求めようと手を伸ばしたが、床に力無く倒れてしまう。
その瞬間、視界はぼやけたが、すぐに良くなり紺色のコートの端と黒のジーンズ、ブーツが見える。あれはきららを襲った者の後姿だ。もっと見ようと思った瞬間、視界がいきなり途切れてしまう。〟
(大津兵長の次はきらら…………どれだけ私の前から大切な者を奪ったら気が済む)
ドアを開けると、ソファに座り眠そうにテレビを見ているきららがいた。私に気づいたのかこっちを見る。
「もぉ、あーたん。長湯しすぎ。待ちくたびれちゃったよ」
「……」
目を擦り背伸びをするきららを見て、まだ彼女が生きていることを実感する。それでも不安が消える訳ではない。近い未来に私が冗談で言った事が起こるかもしれないのだから。
「あれ、ボタン掛け違ってる」
何を言ってるのか分からず、戸惑ってしまったが、本当にパジャマのボタンが掛け違っているみたいなので、その通り直してみる。
「それに髪も乾かしてない」
「……ああ」
何かが触れる感触がする。気が付くと私の手にきららの手が重なっている。
「ずっと術式を見てる。どうしたの変だよ。何か嫌な事でもあった?」
必死にこちらを見上げ、何かを訴えかけている。
「術式のせいで嫌な事言われたの?」
(違う)
「術式を使うと、機械生命体みたいにおかしくなっちゃうって言う人も多いけど、あーたんが本当は優しい娘だって知っているからね」
私は小さくて軽いその手をふりほどいた。
「私の事を知った風に言わないで」
どんなに心配されようが機械生命体は倒せない。必要なのは倒す為の憎悪。これが無ければ守れる者も守れない。
廊下の方を振り返り、早足でドアに手をかける。
「そ、そんな事言ったって、いつも通りにするからね。朝ごはんは、私がいないとできないんだって知っているんだから」
その声は鼻声でとても弱い。機械生命体を倒せれば、未来を変えられれば、後でチョコレートを何枚でも買ってやる。私は二人を守り、この忌々しい怨嗟を断ち切ってやる。そう思いながら私はリビングを後にする。
青葉町は三つの区画に分けることができる。大日本帝国から遠い西側は、市役所や百貨店にきららの通う美大も建っている。中央と南北は住宅が多く、商店街もある。東側は大日本帝国との国境線の為、治安維持部隊の施設が密集している。
「確か、ヨーロピアンコーヒー甘さ控えめでしたよね」
そう言って私は大津兵長に温まっている缶を渡す。
「ありがとう。翔井さんは何を買ったんだい?」
「梅コブ茶です」
「……渋いね」
現在、機械生命体から市民を守る為に巡回が強化されている。私達は君塚駅のロータリーまでワゴン車に乗って移動し、順路が指定された地図を元に歩いて巡回をしている。学校や周辺の住宅街を巡回したが、特に異常も無かった。当然、良い事なのだが機械生命体の巣が排除されたわけではないので、いつ事件が起きてもおかしくない状況である。
とは言っても私達は機械では無い。多少の休息が必要である。今は赤、黄と色づく公園で座れる所を探している。
「やっぱり絵を描く人は多いみたいだね」
「そうですね。大賞を取れば、大金が貰えますからね」
ベンチには既に先客がいた。作業着でパレットと筆を持った男が、花壇の柵にとまったトンボを描いている。
「翔井さんだったら、大金はどう使うかな?」
「貯金」
「現実的だね。もっと、夢のある使い方があると思うけどなぁ」
夢のある使い方と言われても、急に振られた事だから戸惑ってしまう。
「僕だったら、長期休暇を取って旅行かな。でも車も捨て難いし――」
次から次へと夢が大量生産される。いくら上司とはいえ、うるさくてしょうがない。彼のモデルであるトンボがどこかへ飛んでいってしまう。明らかに私達は絵を描くのに邪魔だ。普通なら理由を言ってやめさせようとするが、相手が治安維持部隊では怖くて言えないのかもしれない。私はやめさせようと、大津兵長の顔を見る。
「邪魔したみたいだね。違うところを探そうか」
(ここで、話を始めたのは貴方でしょ)
描いている彼の邪魔になるので、速やかに空いているベンチを探す。少し歩くとすぐに見つかったので、私達はそこで昼食をとることにした。
「……あっ……」
「可愛いお弁当だね」
思わず弁当箱に蓋をしてしまうが、もう既に見られているので意味が無い。今朝、いつも通り起きると、きららの姿は見なかったが朝食と弁当箱とメモがローテーブルに置かれていた。メモには「朝食とお昼のお弁当を作っておきました。がんばってね」と書かれていた。もう一度開けてみると、ご飯にケチャップでファイトと、何故かハートまで描いてあった。
おかずの方はまともで、カボチャとピーマンを炒めた物、にんじんやいんげんをベーコンで巻いた物、ハンバーグに覆われたゆで卵があった。
「……いただきます」
まず、ハートを消そうと、黙々とそこを食べる。昨日のケンカで食事は買って済まそうと思っていたので、作ってくれた事に感謝はする。だけど、ハートを描いた意図は、どうにかして本人から聞き出さないといけない気がする。
「羨ましいね。お弁当を作ってくれるお嫁さんがいて」
思わず噴出しそうになったが、必死にそれを堪える。
「嫁……な、な、何を仰るんですか?」
「翔井さんと一緒に住んでいる娘だよ。料理が得意みたいだから羨ましくてさ。どうやって口説いたのかと思ってね」
「く、口説く? きららは、ただの同居人です」
そう言うと大津兵長はクスクスと笑うので、私は声を荒げてしまう。
「今は休憩時間と言っても、警戒態勢ですよ。真面目にやってください」
「ごめんね。翔井さんの言う事はもっともだと思うよ。でも、怖い顔をして、ご飯を食べるのはいただけないね」
苦笑をしている大津兵長は、一瞬だけ表情を曇らせたが、秋なのに春風が吹きそうな笑顔を見せた。
「休憩時間くらいは、笑わないとね。疲れてしまうよ」
衝撃が走った。何故、死ぬ前の人間の表情はこんなに生き生きしているのか理解できない。
「……すいません」
「後、悲しそうな顔もダメだよ。だから、罰としておかずを貰うよ」
意識が上の空なので、何を取られたか分からない。どうすればいいのか、どんな風に振る舞えば良いのか、全く分からない。
「このスコッチエッグ、美味しいね」
「そうですか」
へぇ、ハンバーグに覆われたゆで卵って、スコッチエッグって言うのかと初めて知った。それ以降のやりとりと彼女の弁当の味は覚えていない。
「そろそろ、巡回に戻らないとね」
巡回に戻った私達は、地図に書かれた順路に従って歩いている。場所が住宅街なので、洗濯物を干したり世間話をしたり犬の散歩をしている様子を見かける。少し進むと、閑静な住宅街に不釣合いな、溶接バーナーの音や金属を叩く音が聞こえてくる。更に進むと、公園で見かけた作業着の男が、働いているだろう工場に通りかかる。
「アイツ。まだ、戻ってきてないのか」
「そろそろ戻るだろ」
トラックに、荷物を乗せている男達の会話によると、どうやら戻ってきてないらしい。
まぁ、私の知った事ではないので、先へ進もうとした時、頭に映像が流れ込んでいく。
〝最初に見えたのは、獣に噛み付かれたのか、血と髄液まみれだが金髪だった事が分かる女性の顔。二番目は白黒のボーダーのカーディガンが干されたベランダ。三番目は壁だろう。塗装があちこち剥げているが、上部に一と記されている。四番目に、殺された人が寝巻き姿で歩いている様子と壁掛け時計が一時三十分を指している。最後に「松」と言う文字が見えた。〟
殺害方法からして人間業ではない。恐らく、機械生命体の仕業だろう。腕時計を確認すると一時十分、いつも時計を一日一回、時報を聞いて修正しているので、僅かな誤差はあるかもしれないが正確だ。あと二十分以内に、そこまで行けば助けられるかもしれない。
「どうしたの翔井さん?」
「すいません。別の事を考えていました」
時計をチラリと見る。後十七分。本当は今すぐ行きたいが、二度も順路から抜け出した事があるので、上手く撒く必要がある。正直に話したいが、大津兵長が死ぬ未来を見ている為、危険な目に遭わせられない。
「……関係ない話ですけど、女性は料理ができないといけないんでしょうか?」
「うーん。僕はできなくても気にしないけど、一般的にはできたほうがいいかな」
「初心者でも簡単にできそうなお料理をご存知ですか?」
「肉じゃが、とん汁かな。ところで、翔井さんは「料理のさしすせそ」って言える?」
「ッ、……酒、シュークリーム、すずき、セロリ、蕎麦」
「こうなると、基礎の基礎から教えないとダメだね」
よし、ここからは彼が独りよがりで喋るだろう。私は急いだ。
場所は分かる。順路を戻る事になるが、緑野団地の一号棟。階は分からないが、白黒のボーダーのカーディガンが干された部屋へ向かえばいい。深想出力術式を使い身体能力を向上させた私なら、ギリギリ辿り着く事ができるかもしれない。
私はわき目もふらず走り、どうにか緑の団地に着いた。時計は一時二十八分を指している。後二分で視た場所へ行かないといけないが、一と書かれた壁が目に入る。ベランダが見える所へ向かい、見上げると四階に例の服が干されている所を発見、急いで部屋へ向かう。階段を全力で上り、視た部屋の扉を無我夢中で開ける。
「治安維持部隊です。緊急の為、上がります」
構造上、リビングはすぐ見えた。急いで奥へと入る。部屋を見渡しても血痕や怪しい物は一切無い。時計を確認すると一時三十分だが、金髪で寝巻き姿の女性はいない。振り返って、この家の時計を見ても一時三十分を指している。
「…………どうして?」
疑問は湧いたが、この部屋で惨劇が起きるのは確かなはず。そう思って私は、想気剣を取り出し、いつでも迎え撃てるように準備をする。
水が勢いよく流れる音が聞こえてきた。振り返ると、黒髪の女性が現われた。
「いったい何が起きたって言うの?」
「……ち……ちがう」
「違う? 分かりやすく教えなさいよ」
女性はけんまくを立てて、こちらに寄ってくる。状況を把握している筈の私だって説明が欲しい。ここにいる女性は、私が視た女性とは似ていない。
「ここは一号棟ですか?」
「ハァッ、一号棟に決まっているじゃない」
ここの住人なのだから間違い無い。私が視た服や時計も確かにある。女性の容姿は違うが、未来視で視た出来事は、現実に起こりうる。視た出来事と現実が完全に一致する訳ではない。
「私は、貴女を殺しに来る者を捕まえる為に来ました。隠れてください」
「突然、なに、意味が分かんない。私を殺す奴って」
突拍子の無い話とは言え、治安維持部隊の姿を見ても信用してくれない。
「絶対に来ます。来なかったら、治安維持部隊の翔井天夢に襲われたとでも、訴えてください」
「た、大した自身ね」
そう言うと女性は振り返る。これで、死ぬかもしれない女性が私になる。もちろん、やすやすと殺されるつもりは無い。倒して未来は変えられると証明してみせる。
「キシャァァァァァァァァァァァァァ」
突然の金きり声。私は咄嗟に耳を塞いだ。声はすれども姿は見えず。
「何、今の声。六号棟から聞こえたんだけど」
六……一瞬、思考が止まった。私が視た一は何だったのか、分からなくなる。
「あの……もしかして、ここに来るの初めて?」
頷いた。すると、女性は何故か申し訳なさそうにする。
「実は十号棟って、塗装が落ちたせいで一に見えるのよね」
驚愕した。さっき視た塗装の剥げた部分は、十の縦の部分も含むというのか。私が視た服と時計がここにある理由を確認しなければならない。
「あの服はどこで? 他にもっている人がいるの?」
声に驚いたのか。女性は震えている。
「あ、あれ人気があって、持ってる人は多い」
「だったら時計は? まさか、あれも人気があるとか?」
「時計は全部の部屋に同じのが――」
言い切る前に私は部屋のドアを開け、階段へと向かう。一号棟の隣は五号棟、十号棟はここから最奥部になる。機械生命体を倒し、未来を変える。その為にここにいると、自分に言い聞かせて、更に急ぐ。
「ここだよ」
「ありがとうございます」
十号棟にたどり着くと、丁度良く住人がいた。治安維持部隊に通報していたらしく、外で待っていたらしい。おかげで、金切り声がした部屋にすぐ辿り着いた。
「早く、解決しておくれ。気味が悪い」
「ここから離れてください」
離れたのを確認し、ドアを開ける。血の匂いを嗅いだ瞬間、脳裏に視てしまった死体が思い浮かぶ。
頭からそれを消して、改めて部屋を見る。肉を引き裂き、咀嚼している音が聞こえる。
私の前には、トンボを上から見た時の姿を、後姿にした奴が、頭を噛み砕かれた女性を、お姫様抱っこしながら、死肉を貪っている所だ。
「ごぇんよー。ごぇんよー」
くぐもった声を聞き、憎悪を感じる前に、疑問が湧いた。何故、彼女を抱いて謝る。
「でぼぉ、こうずるじがながった。ごれからぁわ、ずっどいっじょだ」
そう言って奴は女性の死体を畳の上に寝かせる。
機械生命体は心を持たない。だけど、目の前にいる奴には心がある。殺した事を狂った倫理観で正当化する、身勝手極まりない心だけど。
「下種が、死者を冒涜するな」
憎悪を込めた弾丸が背中を貫通する。
「だっだら、あのびのばじょへいごう」
貫通した箇所が修復していく。攻撃された事に気づかないのか、尻尾から強酸を放ち、遮る物全てを溶かす。
「逃がすと思うか」
そう言って弾丸を放ったが、奴は瞬く間に上空へ飛んでいく。
「落ちろッ」
本気で撃墜しようと撃ったが、当たらず、想気の弾丸は虚しく消滅する。
「ッ」
拳を握り締め、溶かされてしまった床を睨む。
「あの、もう終わりましたか? ッェエェッ、い、伊藤さん?」
住人は様子を見に来たらしい。血の臭いや貪られた女性の死体、溶けて大きな穴となった壁と言う惨劇を見て驚愕した。
「ああ……。恋人がいたのに……」
「申し訳ありません。私の力が至らなくて」
「嫌だよ。私じゃなくて恋人や家族に謝っとくれよ」
「そうですね。そうします」
あくまで、仮定の話しだが、トンボの姿をした機械生命体は、被害者の女性伊藤さんに語りかけていた。そして、逃げた場所は伊藤さんにとっての思い出の場所である確率は高い。伊藤さんと面識が無いので、思い出の場所は知らない。思い当たるのは、私が視た「松」である。それこそが、機械生命体の逃げた場所を突き止める鍵となっている可能性が高い。
「すいません。聞きたい事があるのですが、いいですか?」
「なんだい。こんな時に」
「伊藤さんから「松」に関する話しを聞いていませんか?」
「こんな時に、突拍子も無い事を言うんじゃないよ」
「どんな小さい情報でもかまいません。お願いします」
頭を深く下げた。機械生命体を倒せるなら、小さな情報でも聞き出したい。
「困ったねー。…………そう言えば、松の湯で初めて会ったって聞いたよ」
「ありがとう」
機械生命体を迅速に追う為、奴があけた穴から地上へ飛び降りる。術式を使えば、落下の衝撃はだいぶ軽減される。上から悲鳴が聞こえたが、気にせず目的地へ向かう。
松の湯と言う銭湯は順路から外れるが、場所は三ヶ月前に覗きの現行犯を捕まえる際に行ったので覚えている。住宅街を走っていると、家から人がぞろぞろと出て行き、松の湯へ向かっている。ここの人達は命よりも、明日の話題の方が大切らしいと見える。
小さな煙突が見えたと共に、群衆がたくさんいるのが分かる。
「治安維持部隊です。どいて下さい」
群集達をかき分け、入り口に近づくと、タオルを巻いた男達が見えてくる。これは状況上、やむおえない事なので、破廉恥だとは思わないが、いい気分ではない。
「アンタ、治安維持部隊か?」
「はい」
「急いでくれ、戦っている奴がいるんだ」
「はい」
私は返事をして銭湯の中に入ったが、戦っている奴が誰なのかと疑問が湧いた。
(急がないと)
激しい音が、男湯から聞こえたので、脱衣所を抜けて大浴場に入る。
「よぉ。手伝ってくれないか?」
(……どうして?)
驚愕した。半袖のTシャツにボロボロなカーゴパンツ。昨日、私が取り逃がした少年だ。
「危ねぇッ」
さっき、団地の壁を溶かした酸が飛んでくる。それを想気凱装で防ぐ。
「なんで、君がここにいるの?」
「別にいいだろ。倒したら、教えてやるよ」
そう言うと少年は、逃がしてしまった機械生命体に突っ込んでいく。一瞬遅れて、私は別の方向から機生体に攻撃を仕掛ける。
機械生命体は、尻尾を少年に向けて酸を放つと、彼は跳躍で回避した。僅かな隙を突き、私は奴の上方から斬りかかる。が、手応え無く湯船に着水してしまう。少年も以下同様である。奴は天井の隅から私達の様子を伺っている。
(どうして逃げない)
効率を重視する機械生命体ならば、私達の相手をせず、姿をくらます方がいい。
(ここに執着しているの?)
「来るぞッ」
言われたと同時に剣を振り下ろす。手応えは無く、衝撃で大量の水飛沫が視界を覆う。すかさず振り返ると酸が襲いかかる。
「ッ」
防御したが、優先権は空を飛んでいる奴が握っている。
「頼む。奴を撃ち続けろ」
「勝算は?」
「さぁね」
信用はできないが、今は少年を味方だと思って引き金を引くしかない。弾丸は避けられているのに、少年は真っ直ぐ走る。こうしている間にも、敵はジグザグに飛びながら、高速で近づいてくる。
弾丸を放った瞬間の僅かな隙。奴の口が開き、鋭い歯が見える。
諦めた。
想像していた痛みは無い。見開くと、少年は奴の背中に拳を振り下ろしていた。バッシャーーーン。そんな音と共に大きな水飛沫が起きる。
羽ばたき、体をジタバタさせながら、奴は逃げようとする。少年は両膝を突き、体を掴みながら、もう一度後頭部を殴り、動きを止める。
少年は肩で呼吸しながら、私を見上げる。
「コイツも手遅れだ。悪いが、腹が減ってトドメをさせない。頼まれてくれないか?」
「いいけど」
湯船の底で、奴は少年にのしかかられている。よほどの衝撃だったのか微動だにしない。私は躊躇無く、奴の頭を貫いた。そこから油でも出てくるかと思ったが、穴だけ空いた。
「どいて」
「あ、あぁ」
念には念を、少年が奴から離れた瞬間、胴体を剣で貫いた。
「心配性だな。もう死んでるのに」
殺人人形、両親の仇の仲間、未来を変えられなかった事実の証拠。奴に同情の余地は微塵も無い。ただ、破壊するのみ。更に、手、足、羽も同様の事をした。
「やめろ」
腕を掴まれ、迫力のある低い声で言われた。意味が分からないので聞き返す。
「どうして?」
「見てみろ」
眉をひそめ、勢いよく奴を指す。私は改めて奴の姿を見てみる。
「ゥ…………」
作業着姿の男が血を流して浮いている。その為、湯船は紅く染まり、血と石鹸の臭いが混じってしまう。よく見ると、奴を剣で貫いた箇所と酷似した裂傷が見受けられる。間違いない。昼食を取る際に寄った公園で、トンボの絵を描いていた男だ。
「機械生命体は人間を乗っ取る。俺達が戦ったのは、敵でもあり被害者なんだよ」
(忘れていた……)
少年の言う通り、機械生命体は殺人以外にも、人間の体を乗っ取る。それなのに私は、乗っ取られた人間である可能性を忘れ、憎しみに身を委ねて過剰に亡骸を傷つけた。これは死者を冒涜する行為そのもの。そう思ったら彼の死体にきららと大津兵長の姿が重なる。
あまりにも現実的に感じ、怖気が一気に襲いかかる。
そもそも二人は、近いうちに死ぬかもしれない。機械生命体に乗っ取られれば、どのみち殺さなくてはならない。
もし、きららか大津兵長が相手だったら、何もせずに怯えて殺されるのだろうか。もし、殺してしまったら、私は大切なものを殺した罪悪感に苛まれ、自分が自分でいられるか分からない。
絶望的な思考が頭を巡った途端、吐き気まで催しそうだ。
「オイ、オイ、しっかりしろ」
うるさいなと思い、催しそうな衝動をなんとか堪える。
「何?」
「ああ、良かった。戻ってきたか」
「私は、さっきからいたけどね」
「ごめん」
突然、両手を合わせて謝ってきた。意図が分からないので困惑してしまう。
「俺がお前に頼んだから、嫌な気分にさせちまった」
「気にしてない」
気づくと外から喧騒が聞こえてくる。何が起きたのかを量る為、注意を出入り口に払う。
「あーっ、掃除メンドクセェ。なぁ、手伝ってくれよ」
話しかけてきたが、関係無いので、それを無視して外へ出ようと歩く。
「どうやら、俺の出番は無いな。お前のパートナーが全て片付けちまった」
白銀に輝くマフラーをなびかせながら、尋芦大佐が現われる。
「そうですね」
少し後から大津兵長が姿を現す。尋芦大佐は彼に目線をやった後、私の目と鼻の先まで近づかれた。
「ヒーローごっこは楽しかったか? 機械生命体を倒したんだからなぁ」
恫喝せず、ただ無表情に皮肉を言われた。思っていたより軽いと僅かに安堵する。
「今、笑ったな。たるんでいる奴は組織の癌だ。すぐに切除したっていいんだぞ」
断じて笑ってはいないが、その隙を狙われ、大目玉を食らってしまう。
「……すいません」
私が謝ると、尋芦大佐は鼻で笑った。治安維持部隊の規律を守らなかった以上、どんなに成果を上げても、責められて当然。
「謝ったのに、そんな態度かよ。おっさん」
「ン」
余計な事を、少年は尋芦大佐に食ってかかった。
「アイツがいたから、風呂掃除の手間が増える程度で済んだんだ。規律を守って被害が増えたんじゃ本末転倒だろ」
少年がそう言うと、また尋芦大佐が鼻で笑う。
「ガキの正義じゃ。治安なんて保てないんだよ」
「かもな。尋芦隆宏。ならず者の頭から、今度は軍人か?」
「大人を舐めるのも、大概にしろよ。なんなら、今すぐ豚箱に入れてやろうか」
尋芦大佐と少年は睨み合っている。驚くべきは少年だ。尋芦大佐に睨まれても、全く物怖じしようともしない。
「俺は弟子に、師匠を豚箱に入れる方法なんて、教えた覚えは無いんだけどな」
「弟子だと……。俺はガキを師匠にした覚えは無い」
嘆息しながら少年は、みんなから距離を取る。何故か、勢いよくTシャツを脱ぎ捨てる。
「尋芦。ギャフンと言わせるからな」
そう言って半裸になった彼は、親指で自分の胸を指した。
「俺は不動彰真だ。この術式が目に入らないか、バカ弟子」
少年いや不動彰真は心臓の位置を指す。そこに炎をモチーフにして縁取った円環、内側には術式の羅列が彫りこまれている。
おかしい。不動彰真は十年前に大日本帝国の進軍を一人で一ヶ月間食い止めた。その後、日本に帰還せず行方不明となっている。もし、生きているのだとしたら三十代になる。だけど、目の前にいる不動彰真は明らかに十代の少年。本物とは思えない。
「フッ、英雄の生まれ変わりだとでも言いたいのか。 ありがちな設定だぞ。ガキ」
「なんだと、忘れたのか。俺は昔、お前に術式を見せたぞ」
「ああ、見たぞ。愚かにもお前は、治安維持部隊に犯罪者だと名乗った」
そう言われた途端、不動は首を傾げてしまう。
「何で俺が犯罪者なんだよ? ここを襲った機械生命体を倒そうとしただけなのに」
「翔井。説明しろ」
尋芦大佐の命令に従い、私は不動の犯した罪と法律を照らし合わせる。
「刑法五十二条、許可を与えられた者以外による深想出力術式の使用や術式の施術をする事は、社会秩序の維持及び国民の健康面を保護する観点からして、危険と見なし禁止する――」
「理解できたか」
「ハァッ、俺の術式は、法律ができる前からあったんだよ」
「――尚、この法律を破った者は、最低でも懲役十年の刑に処す」
「十年だとォッ、冗談じゃねぇ。俺は臭い飯を食いに来たんじゃねぇぞ」
不動が叫ぶと、尋芦は銃口を向ける。
「大人しく拘束されろ。抵抗すれば、射殺も辞さないぞ」
苦虫を噛んだ様子で、不動は私達を睨み、悔しそうに唸る。
「ッ」
不動は天井ギリギリの高さまでバク宙すると、遅れて発砲音が響く。穴が空いた天井の真下に彼は着地している。
「バカ弟子。次会うまでに思い出せよ」
そう言い残すと、腹が減っているくせに高い跳躍力を発揮し、松の湯から立ち去った。呆然と見る事しかできない自分に腹が立った。
溢れんばかりのお湯が入った湯船に入り、それを溢れさせる。コーヒーや煙草、ましてや血の臭いなどは水に流し、代わりに石鹸と入浴剤の匂いで満たされた憩いの空間が、疲れた体と心を休ませてくれる。この至福の一時が私には必要不可欠だ。
不動彰真と名乗る少年が逃げ出した後、やじ馬に事件が解決した事を告げて収拾し、鑑識が現場を保存するまで立ち入りさせないように見張った。保存が終了すると、順路を勝手に抜け出した罰の一環として、全体の掃除を命じられた。
本来なら、大津兵長の監督責任を挙げられそうだが、次の命令違反で私の首が飛び、彼は一般隊員へ降格されるそうだ。
大人しく刑に服し、湯船や床の掃除はもちろん煙突の手入れや薪割りも行った。当然の事だが、終わっても迎えは無い。だから、術式を使用して急いで基地に戻ると、最後に待っていたのは始末書である。
一番困るのは、不始末を起こした原因を書く事だ。「象華体による未来視で視た未来を回避しようと順路を抜けました」と、そう書きたいができない。
象華体の存在は、世間から迷信だとされている。政府もその存在を否定していないが、肯定もしていない。
始末書には「市民が異変を感じたと言う噂を耳にし、勝手に調査しようと上官を欺き、順路を抜けました」と書き、後は反省の意志で原稿用紙を埋めた。
グゥゥゥゥゥッと腹の虫が鳴った。
(誰かに聞かれなくてよかった。何か腹に入れないとな)
私は湯船から上がり、脱衣所に向かった。
タオルで体を包み、廊下を歩く。とりあえず、冷蔵庫にある牛乳でも飲んだら部屋に戻って着替える。それでありものを使って夕食を作り、食べたら歯を磨いて寝る。そう思ってリビングの扉を開ける。
「よぉっ、世話んなってるぜ」
悪夢かと思い、扉を閉め、もう一度開ける。
「待て。目の毒だ」
ソファに座っている不動が、私から視線を逸らす。
「なんのつもり? 今すぐ消えて」
きららの身を案じて、術式を発動し距離を縮める。
「くっ、来るな。目の毒にも、ほどが、ほどがァッ」
首を違う方向に向け、横目で私を見ている。実力は向こうの方が上だとしても、その態度は許せない。
「その態度は何? ちゃんとこっちを見て言いなさい」
「見れるかバカヤロォ」
大声を出し、人さし指を向けるので、自身を見た。タオル一つ纏ってない………………。
「ォオイ、一緒に戦った仲だろ。なっ、落ちつ……」
気が付くと私の前には、気絶しながら座っている不動彰真と呆れているきららがいた。
「あーあ、やっちゃった。そのけしからん乳が、いつかは死因になると思っていたんだ」
「いや……死んでないし……たぶん……」
「後片付けはやるから、着がえて来た方がいいよ」
「そうする」
きららの言うとおりにして自室に向かう事にした。起きたら、たっぷり尋問しよう。そう心に決めた。
パジャマに着替え、ソファに座っている私の正面には、不動が正座している。
「名前は?」
「さっき、名乗ったじゃねーか」
「へぇ、『さっき、名乗ったじゃねーか』ね」
「どうして、そうなる」
「嫌だったら、ちゃんと答えて。名前は?」
「不動彰真」
「それなら不動。貴方はどこから来たの?」
「だいにッゴホッゴホッ……大日山から来た」
今、明らかにごまかした。まぁ嘘ならほころぶもの、冷静に聞き出そう。
「そこは、どこの県にあるの?」
「鹿児島だ。地元に帰ったらサツマイモを送るから、楽しみにしとけよ」
「ええ、そうさせてもらうわ。どうして、私達の家に我が物顔でいるの?」
本当に、今すぐ追い出したい。そんな気持ちでいっぱいだった。
「逃げている途中で、困っているきららちゃんがいたからさ。それを助けて、飯をご馳走になったのさ」
「事実だとしたら、お礼を言うわ」
「信用無いねー」
機械生命体を倒し、きららを助けたから、信用できるかは別だ。犯罪者なのだから、迂闊に信用できない。
空腹で半裸になった彼は、何故、悪条件で私達から逃げられて、きららを助ける事ができたのかと疑問だった。空腹状態でも深想出力術式は使えるが、集中できずに、やがて使えなくなると聞いた事がある。
「どうして、空腹なのに、ここまでたどり着けたの?」
「必死だから、何でもやれる。そう言うもんだろ」
聖人君子でも、偉そうにした彼を見れば、殴り飛ばしたくなる。
「……つまり、きららに取り入るのも必死だからできたと?」
「きららちゃんの件は違うな。困らせてる奴の味方になりたくないだけだ。……まぁ、お礼は期待してたけどな」
「今、貴方について困っているんだけど、どうやって解決してくれるの?」
少し唸ったようだが、無視して質問を続ける。
「ねぇ、どうしてここへ来たの?」
「にぎやかな所へ行くのが好きなだけだ」
普通に考えれば、独立十年祭の観光客だと思う。引っかかる点は多数あるが、尋芦大佐への不遜な態度の中に、本当の目的が隠れている気がする。
「尋芦隆宏大佐とはどういう関係? 貴方、偉そうにしてたけど、彼は日本の独立に貢献した英雄の一人よ」
「ハッハッハッハッハ、アハハハ、やっべ、死ぬ」
「なっ、何がおかしい」
声を荒げてしまったので、奴は笑うのをやめる。冷静にと決めて、このザマとは。
「ぁあ、わりぃわりぃ。尋芦の奴、昔はチンピラだったのに、今じゃ英雄扱いなんだから、笑っちまうよ」
耐え切れず、天板を叩く。
「まだ、侮辱するか。尋芦大佐は、一千もの機械生命体を想気銃だけで撃破した。それを超える事ができるのか!!」
沈黙が訪れる。機械生命体を倒した英雄が、侮辱されるのは腹立たしい。
グーーーーーッ。
「プッ」
「丁度いいね、あーたん。ご飯できたよー」
とんだ赤恥だ。穴があったら入りたい。
気づくと、ローテーブルには料理が並べられている。ハンバーグ、ポテトサラダと洋風だが、主食と汁物は和風だった。
(またハンバーグか……)
それより、ウンザリする奴が目の前にいる。ニヤけている不動だ。ちなみに左側にはきららが座っている。
「食べないのか。あーたん」
その名で気安く呼ぶなと、殺意を込めて睨みつける。
一食抜いても死にはしないと言うが、万全な状態でなければ守れる者も守れない。
「いただきます」
ご飯を一掴み、味噌汁をすすり、ポテトサラダやハンバーグを口に入れた。
不思議な事に、ご飯の素朴な甘み、ポテトサラダの酸味がかった甘み、味噌汁が出す磯の香りや豆腐の食感、ハンバーグのケチャップと肉汁が合わさる美味しさをあまり感じない。
念の為に言うが、彼女の料理だけは保障できる。
「どうした。嫌いなモンがあったか? 好き嫌いは良くないぞー」
美味しいはずの料理を、不味くさせる調味料は、目の前に座っている奴のせいだ。無視してここに連れてきた張本人を見る。
「ねぇ、どうしてコイツをここに連れてきたの?」
「三時位かな。画材を買いに行ったら、怖いおにーちゃん達にお茶に誘われて、ごめんなさいって言ってもダメで、困っていたら不動君に助けてもらったんだよね~」
本当だとしても納得できない。多少の恩義を感じても、自宅に連れ込むのは危険だ。
「知らない人を家に入れるのは、危険って常識でしょ」
「だって、おにーちゃん達から服は貰えたからいいけど、お腹空いてたみたいだから、食べられる所を探したけど、みんな準備中だったから、作ってあげようって決めたの」
(犬や猫じゃあるまいし)
ため息しながら、ここが動物禁止になっている事を思い出す。
「食べさせたなら、追い出してよ。お風呂まで貸して、泊める気なの?」
「うん、そうだけど」
当たり前みたいに答えるので、怒りを通り越して引いてしまい、鳥肌が立つ。
「助けてくれたから、信用できるは間違いだから」
「でも、不動君なら大丈夫かなって、感じたんだよね」
改めて不動を見ると、目線はきららの方を向いている。正体不明だが、銭湯での一件ときららの証言を信じると悪人とは思えない。けれど、油断は禁物。きららが死んでしまう未来はここで起きる。不安の芽はできるだけ摘みたい。
「ダメ。今すぐ出て行って」
そう言うと、きららは机に身を乗り出し、顔を密着させんばかりに近づく。
「イヤだ。不動君はカワイそうなんだよ。住む家も無いし、お金も無いし、服も着て無いし、友達もいないし、ナイナイ尽くしだけど、優しい子なんだよ。助けてあげようよ」
「あのー、きららちゃん。心がかなり抉られたんだけど」
きららより身長の高い不動が、傷ついたのか萎縮し、小さく見える。
「と・に・か・く。不動君を泊めなかったら、明日からご飯を作らないからね」
どうやら彼女は本気らしい。こちらも死を避けたいので、引くには引けないが、治安維持部隊に引き渡すにも、逃げられる可能性が高いので、このまま置いて油断させるのも手だ。
「しょうがないな。行くあても無いだろうし、十年祭が終わるまで、めんどうみるよ」
「良かったね不動君。これでグッスリ寝られるよ」
二日位、置いておけば、向こうも油断するだろう。それまでの辛抱だと割り切った。