表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

共通型お題「背中」

作者: 875@

この話は、個人的に私の大好きだった彼女へ贈ります。

顔を見せれなくてごめんね。貴方は少なくとも私たち二人には好かれていたから。あんなに愛されていたのに、仇で返すようでごめんなさい。貴方の顔を見て、涙が止まらなかったことは本当だからね。

 彼女は、鼻歌が好きだった。

 僕には何の歌かわからない、けれど妙に頭に入ってくる彼女お気に入りのその歌が、幼い頃から僕は大好きだった。

 入院中の彼女に、僕は今、お見舞い品を持って部屋を訪れようとしている。個室ではないから、きっと退屈はしていないだろう。

 寂しいと感じるのは僕だって一緒だ。不安は恐らく彼女の方が大きいだろうが。

 部屋を見つけ、彼女のベッドを探す。相部屋の患者と話し込む後ろ姿が見えた。

「母さん」

 僕が声を掛けると、彼女は顔をこちらへ向け、花が咲いたような明るい笑顔を見せた。

「勇希」

 話していた患者から、息子さんかい、立派そうで、などと言われ、彼女は口ではそんなことないですよ、とあしらっていたが表情はとても嬉しそうだった。

 車いすを広げ、彼女はゆっくりと自分で座る。

 まだそんな年じゃないと言っていたが、今は病人なんだからと僕が言うと、恥ずかしそうに彼女は車いすに手を伸ばした。


「どうなの調子は」

 僕は彼女の座る車いすを押し、ゆっくり病院の庭を散歩する。

 彼女のお気に入りの花は今、小さな花壇に満開に咲いていた。

「普通だよ。友達も出来た。バイトも……そうだ! 店長に、お前は覚えが早いって褒められたんだよ」

 僕の取り留めのない話にも、彼女はうんうんと相槌を打ってくれる。

 すごいじゃない、とか、頑張ったね、なんて、絶対に言わない人だった。

 その代わり、怒るようなこともあまりない。

「あなたはどうしたいの?」

 自分にも言い聞かせるように、僕に自分で気づかせるように言う。僕はそうやって育てられて来たんだ。

「あら、見てみ勇希。花壇の中に……」

 彼女の指す方向を見れば、花壇に生えている雑草に混じって、四つ葉のクローバーが見えた。

珍しい。存在するのかも疑う程不確かなものを、こんなにすぐ見つけることができた。実際に見つけたのは彼女だが、この先悪いこともあまりないのでは、と物事を少し楽に見れるような気がした。

「クローバーにもね、花はあるんだよ」

「へえ、そうなんだ」

 素直に僕は驚き、彼女の言葉に耳を傾けた。

「こおんな丸い小さい白い花でね、ちゃんと花言葉だってあるんだから」

 幸せそうに笑う彼女の横顔を見ながら、クローバーなんだから、きっと幸福とか、そんな感じの花言葉なのだろうと思った。

 部屋に戻ると看護士がいて、僕たちにふわりと笑いかけた。

「山形さん、今日は機嫌いいみたいね。息子さんがいらっしゃったからかしら」

 彼女を車いすからおろし、看護士は体温計を渡した。

「この調子だと、外出願も受け取ってくれるかしらね」

 そう言いながら体温を計る彼女を、僕は見つめていた。

 

 僕が病室に入ると、彼女の姿はなかった。

 車いすがある。入院して体力の落ちた体で、どこに向かったのだろう。

「母さん」

 探してみればすぐに見つかった。

 お気に入りの花壇の前に座り、花を見つめていた。

「勇希。綺麗でしょう、チョウチョみたいに見えるね」

「うん」

 最近よく見る花は、よほど気に入ったのか、いつもここを通るたび立ち止まって花を見つめる。

 今では病室に鉢うえにして飾っているほどだった。

「戻ろう。先生が心配してたから」

「そうね……」

 けれどこのチョウチョのような花と、傍らに生える小さなクローバーが気に入ったのだろう、病室に飾ってある花よりも、彼女はここで見る花の方が好きなようだった。

「勇希……あんたは、子供に心配かけちゃいけないよ」

 ふいに、彼女の声が、言葉が僕の胸にどんと響いた。

 彼女自身、子供に心配や、迷惑をかけていることが痛いほどわかっているんだ。

「いつの話になるかな」

「約束だよ」

「……うん」

 有無を言わさない言葉に、僕は些か驚いた。彼女がここまできつく言うのは初めてかもしれない。

 クローバーの葉の近くから、白い丸いものが咲いているのが見えた。

「これ……花?」

 僕が驚いたようにその白い固まりに手を添えると、彼女は嬉しそうに白い花を見つめた。

「四つ葉のクローバーの花言葉は"幸運"だけど、クローバーの花は"約束"というんだよ」

 優しい目でそれを見ながら彼女は教えてくれた。

 このクローバーの花の前で、僕と彼女だけの約束を交わした。

 

 母の日の贈り物は、月並みだけどカーネーションを贈ることにした。

 彼女の好きなものは花くらいしか思い浮かばず、けれど最高に喜んでくれるだろうと想像できた。

 彼女のよく口ずさむあの鼻歌を思い出しながら、僕は病院へ向かった。

「山形さん! 今……ご連絡しようとしていたところです」

 顔を見るなり看護士は目に涙を浮かべた。

 つい数日前に個室に移り、それでも優しい笑顔を見せていた彼女は今、たくさんのチューブを取り付けられ、医者たちに囲まれていた。

 ――嘘だ。悪戯好きな彼女のことだ。医者も丸め込んで遊んでいるに違いない。

 明日になれば、笑い話になる。

 車いすを押しながら、彼女と二人で散歩しよう。大好きな花壇の花を見て――。

「山形さん……」

 

「山形さんがよく歌っていた歌? あ、知らないですか? テレビとかでもよく流れてますけど……"ケ・セラ・セラ"って歌ですよ。可愛らしいですよね、山形さんらしくて」

 お世話になった看護士が教えてくれた歌は、確かにテレビで流れていたのを聞いたことがあった。

 彼女のアレンジのおかげで、今まで似た歌としか思っていなかった。

「毎年、母の日に行きますね。私、本当にお世話になったんです。あなた方母子を見ていたら、とても心が洗われるような心地がしたの」

 鼻声を必死に隠そうとしながら話す看護士は立派で、僕はそれがとても嬉しかった。

「あの花を見る度、まだ苦しいけれど、その内また好きになれると思います」

 そう言って笑った看護士の表情は、彼女のように優しかった。

 

 

 ある花屋で彼女の好きだった花を見つけた。

 カーネーションにしようとしていた僕は、その花についているカードを見て、チョウチョのような花の名前を知った。

「スイートピー……」

「その花になさいますか?」

 店員に話しかけられたが、僕は無視してしまいそうなくらいその花に見入ってしまっていた。

「可愛らしいでしょ、花言葉だけだと贈り物には向きそうにないんですけど」

「花言葉?」

「"門出"とか"別離"って意味があるんです。少し寂しくなっちゃいますよね」

 彼女は、知っていたはずだ。

 そして、わかっていたんだ。

 僕が彼女の眠る墓に目をやると、あの時の看護士が立っていた。

 僕を見て、酷く驚いていた。

「山形さん……花言葉を知ったんですね」

 僕は泣いていた。

 彼女は静かに自分の最期を見つめていたのに、僕は何一つわかっていなかった。自分はこんなにも馬鹿だったのか。

「山形さんは、気づいてほしかったんじゃないと思うの。本当にわかってほしかったなら、気づくかどうかわからないようなことしないと思います。……きっと、純粋にその花が好きだったのよ」

 敬愛する貴方へ。

 気づけなかった僕を赦してとは言いません。

 ただ、これから僕が歩む道筋を、貴方は何をするでもなく見守っていて。

 守ってくれてありがとう。


H17.8.13.


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ