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悪役令嬢が処刑されるはずの日に、なぜか王子が土下座してきた  作者: 夜凪 蒼


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9/12

第9話「帰る場所がない」

一週間が終わる。


正確には、明日の朝で終わる。私がレオンハルトに「一週間だけ」と約束した期限。あと半日もすれば、この仕事部屋ともお別れだ。


書類の山に埋もれた机を眺める。一週間前は「国が滅びかけてるじゃないですか何これ」と絶叫したあの机が、今は嘘みたいにすっきりしている。


——いや、すっきりさせたのは私なんだけど。


窓の外に夕焼け。オレンジの光が書類棚の金具に反射して、壁に小さな光の粒を落としている。インクの匂いと、誰かが淹れっぱなしにした冷めた紅茶の香りが混じる。


ミリアに借りた羽織の襟元を引き寄せる。春とはいえ、執務室は夜になると冷える。薄い布の下、腕に鳥肌が立つのがわかる。


さて。帰ろう。


……帰る?


どこに?


ペンが止まる。


公爵邸は処刑宣告の翌日に王室に接収されている。ゲーム三周分の知識でそれは知っていた。家財道具は競売にかけられ、使用人は解雇された。


知っていた。知っていたから遺書を書いて、身辺整理をして、最後の紅茶を飲んで、処刑台に向かったのだ。


死ぬ前提で準備を済ませた人間に、帰る場所なんて残っているわけがない。


「……あれ」


声に出して、ようやく気づく。


私、この一週間どこに泊まっていたんだっけ。


答えは簡単だった。この執務室だ。ソファで仮眠を取って、ミリアが持ってきた着替えで凌いで、三食は厨房のおこぼれ。


それを「帰る場所」とは呼ばない。


「セラフィーナ様」


ノックもなしに扉が開く。エリック・ヴェルナーだ。騎士団副団長にして、この一週間ひたすら私の護衛をしていた男。


彼の無口さには慣れた。一日の会話が「おはようございます」と「お先に失礼します」の二往復で終わる日もある。第6話の時点で「この人とどう会話すればいいんだ」と悩んだ私の苦労を返してほしい。


——って、第6話って何だ。ゲーム脳が過ぎる。


エリックは私の前に紙の束を置いた。


「……明日の警備配置表です」


ああ、いつもの業務引き継ぎか。私がいなくなった後の——


「それと」


エリックが口を開く。


いや、それ自体は珍しくない。彼だって喋る。必要最低限は喋る。


でも彼は、必要最低限以外のことを言おうとしている。


その違和感に、思わず顔を上げた。


エリックの眉間に皺が寄っている。口元が微かに動いて、止まって、また動く。普段は鉄面皮のこの男が、明らかに言葉を探していた。


「——俺は、口が下手です」


知ってる。


「だから、こういうことを言うのが得意じゃない」


うん、それも知ってる。


「でも」


彼の声が、少しだけ大きくなった。


「あなたが七年前に妹の薬を手配してくれたこと、俺はずっと——いや。俺だけじゃない。この城で働く人間の半分以上が、あなたに何かしてもらっている」


……え。


「経理部のアンナは、あなたが予算を通してくれたおかげで息子を学校にやれた。厨房のベルトは、あなたが食材の仕入れ先を変えたから腰を壊さずに済んだ。庭師のヨハンは——」


「ちょっと待って」


待って。待ってほしい。


エリックが「長い台詞」を喋っている。この事実だけで脳の処理が追いつかない。


あの無口なエリックが。一日二往復のエリックが。


「——だから」


彼が私を見る。


「帰る場所がないなら、ここでいいんじゃないですか」


言い切って、エリックの耳が赤くなっている。


あ、照れてる。鉄面皮が照れてる。無口属性のキャラが長台詞を言った後に照れるの、ゲームのイベントCGで見たことある。というか三周目のサブルートで見た。


——違う違う違う。ゲームの話じゃない。


「……エリック」


「なんですか」


「あなた、今まで聞いた中で一番長く喋りましたね」


「……そうですか」


耳がさらに赤くなる。


可愛いな、この人。いや、可愛いって言ったら怒るだろうけど。身長190センチの騎士団副団長を可愛いって言ったら確実に怒る。


でも。


胸の奥が、じわりと熱い。


「ここでいいんじゃないですか」という言葉が、まだ耳の中に残っている。温かくて、不器用で、だからこそ嘘じゃないと思える響き。


——帰る場所がない。


それは事実だ。


でも、「ここにいていい」と言ってくれる人がいるなら。


それは、帰る場所がないこととは、少し違う意味を持つんじゃないだろうか。


「……考えさせてください」


私がそう言うと、エリックは一つ頷いて、部屋を出ていった。


足音が遠ざかる。


机の上の警備配置表に、明日以降の私の名前はない。当然だ。一週間の約束だったのだから。


でも、余白がある。


配置表の一番下に、わざわざ一行分の空白が残してある。


——この不器用な人は、そういうことをする。


私は鼻の奥がつんとするのを堪えて、冷めた紅茶を口に含んだ。苦い。砂糖を入れ忘れている。


明日の朝、答えを出さなければならない。


でも今はまだ、この苦い紅茶の味をゆっくり味わっていたかった。

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