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悪役令嬢が処刑されるはずの日に、なぜか王子が土下座してきた  作者: 夜凪 蒼


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第6話「無口な護衛がついた」

国政の手伝いを始めて二日目。


朝、執務室に向かおうとしたら、廊下に人が立っていた。


長身。銀髪。無表情。腰に剣。


騎士団副団長エリック・ヴェルナーである。


「……おはようございます」


「…………」


無言で頭を下げられた。


えっと。何この状況。


「あの、何かご用ですか?」


「護衛を。命じられた」


五文字。主語なし。最低限の情報量。


「護衛、ですか。誰の命令で?」


「殿下」


二文字。


なるほど。レオンハルト殿下が護衛をつけてくれたらしい。処刑を取り消したばかりの元・悪役令嬢に護衛って、なんだか皮肉な話だ。


「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」


「…………」


頷き。以上。会話終了。


(この人、ゲームだと好感度イベントが全部行動で発生するタイプのキャラだったな。台詞は少ないけど、要所で助けてくれる——って、今まさにそれか)


執務室に向かって歩き出す。エリックさんが二歩後ろをついてくる。足音がほとんどしない。体格の割に気配が薄くて、振り返らないと本当にいるのか分からないレベルだ。


背中にかすかに視線を感じる。それだけが、後ろに人がいる唯一の証拠。


執務室に着いて、昨日の続きに取りかかる。優先度Aの残り十八件。


エリックさんは扉の横に立った。微動だにしない。


一時間経過。


エリックさん、微動だにしない。


二時間経過。


まだ動かない。


(この人、もしかしてスクリーンセーバーに入ってる?)


「あの、エリックさん。座っていただいて構いませんよ」


「立つのが、務め」


六文字。今日の最長記録だ。


「……お茶くらい飲みませんか」


「不要」


二文字に戻った。


コミュニケーションの壁が厚い。いや壁というか城壁だ。投石器でも持ってこないと突破できない。


仕方ないので仕事に戻る。


昼過ぎ、問題が起きた。


財務卿のグレーゴル卿が執務室に乗り込んできたのだ。


「クレスティア嬢! 君が勝手に南部の橋梁予算を起草したそうだが、財務省の承認なしに予算案を作成する権限は君にはないはずだ!」


来た。ゲーム二周目の「財務卿との衝突イベント」。


ただし、ゲームではセラフィーナがまだ権力を持っている時期に発生するイベントだった。今の私は処刑を取り消されたばかりの身で、立場が全然違う。


「グレーゴル卿、おっしゃる通りです。起草したのは申請書であって、承認は財務省にお願いするつもりでした。回送メモにもそう書かせていただいたのですが」


「回送メモ?」


グレーゴル卿の太い眉が寄る。腹が出っ張った初老の男性で、額に汗が浮いている。ここまで早足で来たのだろう。


「はい。昨日ハンスさん経由でお送りしました。『財務省のご判断を仰ぎたく』と」


「……聞いておらん」


ハンスさんが裏で伝え忘れた可能性がある。あの人、三ヶ月の疲労で限界だもんな。


「申し訳ございません。連絡が行き届いておりませんでした。改めて、橋梁の件をご説明してもよろしいでしょうか」


グレーゴル卿の表情が少し和らいだ。怒鳴り込んできたのに、相手が素直に謝ると拍子抜けするものだ。


(ゲームのセラフィーナはここで「私の判断に口を出すな」って言い返すんだよね。それで財務卿が敵に回って、断罪イベントの証人になる。やっぱりゲームの悪役令嬢ムーブ、自分で見ると「いやそりゃ処刑されるわ」って思う)


南部の橋の状況を説明する。雨季までの猶予。修繕しなかった場合の被害想定。代替ルートの有無。


グレーゴル卿の表情が変わっていく。怒りから、驚きへ。それから、何か複雑な色を帯びた。


「……これだけの試算を、いつの間に」


「昨日の午後に。過去の修繕記録と気象データが書類の山の中にありましたので」


嘘じゃない。ただ、ゲーム二周目で「南部の橋が崩落して物流が止まるイベント」を知っていたから、どこを見ればいいか分かっていただけだ。


グレーゴル卿がしばらく黙って、それから腕を組んだ。


「……予算案は財務省で正式に検討する。明日までに回答を出そう」


「ありがとうございます」


グレーゴル卿が出ていく。扉が閉まる直前、彼がこちらを振り返った。


「クレスティア嬢。君がいなくなってから、こういう話ができる人間がいなくなった。——自覚はあるのか」


扉が閉まった。


自覚、と言われても。私はゲームの悪役令嬢で、本来なら処刑されている人間なんだけど。


「……」


ふと気づくと、エリックさんがわずかに——本当にわずかに——口の端を上げていた。


「今、笑いました?」


「いや」


即否定。でも目元がちょっと緩んでいる。絶対笑っただろう。


午後はひたすら書類と格闘した。エリックさんはあいかわらず扉の横で石像をやっている。


夕方、肩がもう限界で首を回していたら、エリックさんが動いた。


すっと机の横に来て、何かを置く。


湯気の立つカップ。紅茶だ。蜂蜜の甘い香りがふわりと鼻先をくすぐる。


「……いつの間に」


「淹れてきた」


三文字。


「護衛が持ち場を離れていいんですか」


「厨房は、近い」


四文字。合計七文字。今日の台詞量としては大サービスだ。


一口飲む。蜂蜜がたっぷり入っている。甘くて温かくて、凝り固まった肩の力がふっと抜ける。


「……おいしいです。ありがとうございます」


エリックさんは何も言わず、定位置に戻っていった。


ゲームでは「エリックはセラフィーナに恩がある」という設定だった。昔、彼の妹の病気を治す薬を手配したんだとか。


でも、私にその記憶はない。ゲームのセラフィーナがやったことで、「前世の記憶を持って転生した私」がやったことじゃない。


恩を返す相手、間違ってません?——とは、さすがに言えなかった。


この蜂蜜の紅茶が、やけにおいしかったから。


「エリックさん」


「……」


「明日も、お願いしていいですか。護衛」


「…………命令、だから」


七文字。でも、ほんの少しだけ声が柔らかくなった気がする。


気のせいかもしれない。この人の表情と声音を読み取るの、ゲームの隠しルート攻略より難しいんだけど。

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