小説家になりたい
何気なく手に取った一冊の本が、私の琴線に触れた時。
私も小説を書いてみたい!と強く思った衝動を今でも思い出します。とはいえ…私には文才などなく、書いたことすらない私に果たして小説など書けたものか。
古池は、本屋に立ち寄ると深く息を吸った。
インクの香りが好きだった。
言葉が紙の上に重なっているだけなのに、何故だか心臓の奥がざわついた。
「俺も……書きたいな」
小さなつぶやきが喉の奥に引っ掛かった。
読むことが好きだった。
物語が好きだった。
誰かの世界に迷い込み、ページをめくるたび温度や空気が変わるあの感覚――
自分もそれを作りたい。
誰かと同じ景色を見てみたい。
そしていつか、自分の作品を読んだ誰かが笑ったり泣いたり、
ほんの少しでも心に残ればいいと思った。
だが現実は容赦なかった。
家に戻ると古池はスマホを手に取り、「小説家になる方法」と検索した。
すると画面を埋め尽くす動画や記事――
「AIで小説を量産!」
「初心者でも今日から小説家!」
「10分でプロ作品が完成!」
古池は絶望した。
机に肘をつき、スマホを見つめながらため息を吐いた。
もう無理なのかもしれない。
自分の頭で浮かばせた物語を、
苦労して書き上げても、
誰にも見つけてもらえない。
誰かに感動を与える作品を読んで欲しい!
そう熱をもっていたけど…
今や世界は小説家で溢れ返っている。
AIが、素人が、学生が、主婦が、サラリーマンが、
毎日、毎秒、数えきれないほどの作品を量産している。
例えるなら、インターネットという砂場で、
自分という一粒の「砂」が誰かに拾われる見込みは、
ほとんどゼロに近い。
しかも無名で、特段面白い訳でもない。
フォロワーの多い、キラキラしたアクティブなアカウントでもない。
「何を夢見てたんだか……」
「l」と「お」のキーだけ反応が悪い画面に、
呉変換を直しながら、
感動を与えたいなど…自分自身に恥ずかしさを覚えた。
文豪たちは万年筆を愛し、
その重みを感じながら言葉を紡いだというのに。
この薄いガラスと、
反応の悪い画面越しに指を滑らせて文章を書く自分は、
あまりに頼りない。
だが――
打ち終えた一文を読み返してみると、
胸の奥にじわりと温かさが広がった。
あれ?楽しい。
自分の文章が、自分を楽しませている。
完成した短編を何度も読み返す。
誤字を探し、修正しながら、
古池は気付いた。
著者であり、同時に一番に読む読者は自分なのだと。
書く理由なんてそれでいいじゃないか。
気張る必要なんてない。
誰かに読まれなくても、
評価されなくてもいい。
――自分が読みたいから書く。
ただそれでいい。
そう思えた瞬間だった。
食う為に書く。そんな状況では作品は生まれない。
追い込まれて書く。その状況自体は面白いかもしれないが、作品は生まれない。
だけど…
その夜、机に向かった古池の指は止まらなかった。
次々と物語が降ってくる。
一冊。
二冊。
三冊。
もう短編集として出版できる量を書いた。
ふと気付く。
電子書籍なら、
無料で出版できる時代だった。
万年筆なんて持っていない――
それでもいいのだ。
スマホ一台で、
頭の中の世界は紙になる。
ページになる。
物語になる。
古池は微笑んで、スマホを見つめた。
「小説家になりたい――
なら、もうなってるじゃないか。」
書きたい時に書く
何にも縛られず、時間も気にしない。締切もない。
途中でやめたっていい。
果たしてこの先、古池は出版まで漕ぎ着けたのだろうか…
多くの人が思う、通る道なのかも知れませんね。
そしてこの作品もきっと、誰の手にも取られず、ひっそりと数多の良作に埋もれてしまうことだろう。
だとしても、私は私の作品が好きだ。




