第11話 “心を傾ける”を知った日
「この橋を渡るのじゃな?」
目の前の丸太橋を指差して、シェリールを見上げたディセルネ。
緩やかな水流を跨ぐその橋は、とても簡素な作り。
蔦で作られている手すりは、大人の手が届く位置にあった。
「そうだよ。少し狭いから、手は引けないね。ディーちゃん、抱っこしようか?」
繋いでいた手を解いたシェリールは、彼女の前にかがみ込んで両腕を伸ばした。
「シェリールよ、妾は幼くないと言うたはずじゃが……」
ムッと口を尖らせたディセルネに、目尻を下げたシェリール。
「そうだったね。でもディーちゃんの背丈だと、手すりに届かないよ……、落ちたら大変だし……、ねぇ?」
同意を求めて、すぐ近くでお座りしているヤーナへ視線を送る。
すぐさまヤーナはディセルネの足元に擦り寄って、念話を飛ばした。
『ディセルネ、ここは好意に甘えるべきだぞ』
『なぜじゃ?妾は自分で渡れるぞよ』
『その短い手足でか?』
『それを言うなら、其方もじゃろ?』
『まぁ……、そうだな。
でも俺はあえて小さくなってるだけで、能力は前と変わらないからな。だから、俺は大丈夫なんだ』
『妾も大丈夫だと思うのじゃがなぁ……。皆がそう言うのであれば、そうなのかもしれんのぅ』
シェリールに向き直ったディセルネは、彼に向かって短い両腕を伸ばした。
「シェリール、妾を向こう岸まで運んでくれるかのぅ……、
じゃなかった……、お願いします……なのじゃ」
「もちろん!」
優しい笑顔を向けてディセルネを抱き上げたシェリールは、今度はヤーナにも手を伸ばした。
「ヤーナくんも、抱っこしようね。君も落ちたら危ないからね」
『俺は大丈夫なの!俺様は、神獣だ!』
ぴょんっと後ろに飛び退いたヤーナは、シェリールの足元をすり抜けるように走って行く。
『俺、先に行くぞ』
一度振り返ると、真っ先に丸太橋を渡りはじめた。
「あっ、ヤーナくん……」
シェリールの声が届く頃には、すでに向こう岸に辿りついていた神獣ヤーナ。
「シェリールや、心配せずともよい。ヤーナは、本当は大きな狼じゃ。あれは仮の姿なのじゃよ」
「そうだとしても、心配はするよ。ディーちゃんだって、身近な人の事は気にならない?」
「妾には、よくわからぬ」
首を傾け、キョトンとした目を向けたディセルネ。
「そうなんだね。いずれディーちゃんにも、誰かに心を傾ける時がくるよ……、きっと」
柔らかく目を細めたシェリールは、丸太橋に向かって歩きはじめた。
――――心を傾けるとは、なんぞよ?
そのままの意味なのかぇ?
誰かに妾の心を寄せるという事かのう?
「のう、シェリール?」
「どうしたの?」
「さっきの其方が言うた、“心を傾ける”だが、心を傾ける事が心配する事なのかぇ?」
「そうだね、心を傾ける事は心配する事でもあるけど、そればっかりじゃないんだよ」
「心配だけじゃないのかぇ?」
「そう。心を傾けるって事は、相手に心を配ること。つまりは気にかけるってこと」
「気にかける……?」
「そう、その人の立場で考えたり、配慮したり」
「なぜ、それが必要なのじゃ?」
「自分がされて嫌な事は、きっと他の人も嫌だと思う事が多いでしょ?それに、自分がされて嬉しい事は、他の人も嬉しいと思う事が多いかもしれないよ」
ふと何かを思い出したように、声を上げたディセルネ。
「……おぉ、“ありがとう”の気持ちが出てくるのと同じじゃな。
確かに、シェリールが妾が雨に濡れぬように守ってくれた時も、妾の濡れた足を拭いてくれた時も、妾は嬉しい気持ちだったのじゃ」
自分なりの答えを探り出したディセルネに、シェリールの口角が上がる。
「そうなのか、あの時のシェリールの気持ちが、気にかける、なのじゃな?」
そう言って彼に視線を向けると、ディセルネの頭に優しく手が添えられた。
――――自分がされて嬉しい事は、他の人も嬉しい……。
自分がされて嫌な事は、他の人も嫌……。
「あぁ、大変じゃ!」
突然声を上げて、目を見開いたディセルネ。
「えぇ、どうかしたの?」
ディセルネの様子に、慌てて彼女の顔を覗き込んだシェリール。
「妾は、大変な事をしでかしたのじゃ。
妾は……セレナのドレスを破いてしもうた。妾も妾の大切な服を勝手に着られたら、嫌じゃ……。それに、その大切な服を破られたら、悲しいのじゃ」
今、事の重大さに気がついたと言わんばかりのディセルネ。
彼女の視線は下がり、だんだんと表情も硬く険しくなる。
ちょうど丸太橋を渡り終えたシェリールは、そっとディセルネを地面に下ろして向き合うと口を開いた。
「ちゃんと、間違いに気がついたことは偉いね。それに気がついたって事は、ディーちゃんはその人の立場で考える事ができたってことだね」
俯いたまま、そのもみじのような小さな手を強く握りしめているディセルネ。
シェリールは彼女の手を掬うと、語りかけた。
「起こってしまった出来事は、消せないよね?
だから今からできる事をしたらいいと思うよ」
スッと顔をあげたディセルネに、頷き返した彼。
「今からできる事とは……なんじゃろうか?」
「もう同じ事を繰り返さないこと、それと今の気持ちをちゃんと相手に伝えて謝ることかな」
「同じ事を繰り返さない……、
この気持ちを伝えて……謝る」
「そう、それが今できる事だと思うよ」
シェリールの言葉を聞き終えたディセルネは、彼から少し離れて空に向かって叫ぶ。
「セレナ、ごめんなさい!
妾が悪かった。もう、あんな事は二度としないと約束するぞよ」
――――
【セレナ、ごめんなさい!】
水鏡から少しくぐもったディセルネの声が、あたりに響き渡った。
そう、ここは天界。神々の住む世界。
「ガタン」「ガチャン」「パリーン」「ドン」
椅子の倒れる音、
カップが割れる音、
お皿が落ちて割れる音、
誰かが転ぶ音。
一斉に動揺を纏った音があちこちで、鳴り出した。
「ディセルネ……」
声を震わし涙を浮かべるセレナ。
「……あいつ、今謝ったのか……」
驚きで目を白黒させるアース。
「おぉ……、ディーちゃん」
感動で思わずディーちゃん呼びの創造神デウス。
この日の天界は一日中、まるで祭りのような浮き足だった空気が流れていた。




