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第5話 恐怖に抗うために

 コンコンとドアをノックする音で愛梨は目を覚ます。とは言っても目は開いているが、頭はまだ半分寝ている状態だ。ボーッとしたまま、殆ど反射的に「どうぞ」と答える。




 「失礼します」




 入ってきたのはクラシックなメイド服に身を包んだ老年の女性だった。きっちりとした身だしなみ、キリッとした目付き、“メイド長”という言葉がピッタリだ。




 「初めまして、アイリ様。私は本日より貴女様の世話係を務めさせて頂きます、マーサと申します。どうぞよろしくお願い致します」




 愛想笑いの一つもなく、淡々とした声でそう言う彼女からはとても「よろしく」なんて気持ちは感じられない。





 「早速ですが、軽食をご用意させて頂きました」




 マーサがそう言って手を叩くと、今度は執事らしき人達がワゴンを持って入ってきた。ワゴンの上には紅茶ポットと、様々なケーキやスコーン、サンドイッチが乗ったケーキスタンドが乗せられている。ふわりと漂う甘い香りが愛梨の鼻腔を擽る。




 マーサは慣れた手つきでテーブルクロスを敷き、紅茶とケーキスタンドを用意した。一口サイズに作られたそれらはとても美味しそうではあるが、食欲よりも警戒心が勝る。愛梨はベットから動かず、まるで野良猫の様に警戒した眼差しを向ける。





 「……ご心配なさらずとも、この軽食を持って行く様に指示されたのは皇帝陛下です。陛下の用意したものに何かを仕込む様な馬鹿な真似は致しません」




 そう言って、マーサはサンドイッチを一つ口に入れる。2つ目のティーカップに紅茶を注ぎ入れ、それも自分で飲む。




 「___ほら、毒など入っていないでしょう。まだ信じられないというのなら、私がいくらでも毒味を致しますが」




 「全て食べてしまうかもしれませんがね?」と悪戯っぽく笑う。最初の印象が嘘のようなお茶目な一面に愛梨は少々面を食らった。




 ____サンドイッチなら、大丈夫そうかな……。




 一度マーサが口を付けているサンドイッチなら何かが仕込まれている可能性は低いだろう。愛梨がどれを選ぶが分からない以上、毒が仕込まれていたとしても全てに仕込んでおかなければ意味が無い。一度毒味をしたものなら少しは安心して食べられる。




 愛梨は席につくと恐る恐るサンドイッチに手を伸ばした。じっくりと検分し、おかしな匂いもしない事を確認してから、ゆっくりと口に入れる。



 オーソドックスなハムとチーズのサンドイッチは、ハムの塩気とチーズのまろやかさが溶け合ってとても美味しかった。パンもふんわりとしていて、僅かに甘みが感じられる。




 丁寧に咀嚼して、マーサが入れた紅茶を飲む。爽やかな風味が口の中を駆け抜ける。ほんのり果物の様な匂いが感じられる。フルーツティーなのだろうか。紅茶に詳しくない愛梨には何の茶葉なのかは皆目見当もつかない。




 例え毒か何かが仕込まれていたとしても、もういいや。こんなに美味しものが食べられて死ぬのならそれはあのまま牢屋で息絶えるより大分マシな死に方だ。愛梨は遠慮なく次に手を伸ばす。





 外はカリッと、中はしっとりしたスコーン。ふわふわ甘いクリームの乗ったショートケーキ、ビターな甘さのチョコレートケーキ、濃厚な栗を堪能出来るモンブラン。どれも美味しくて、愛梨はあっという間に食べ終えた。




 こんなに甘い物を食べのは久しぶりだ。いや、ちゃんとした食べ物自体、この世界に来てから殆ど口に入れていない。牢屋に居た頃は固いパンと味の薄いスープしか支給されなかった。




 幸福感に包まれながら、愛梨は出された軽食を全て平らげた。


 ・・・・・


 「___ごちそうさまでした」




 愛梨のその言葉を合図に、マーサが素早く片付けをする。あっという間に綺麗になったテーブルを見て、愛梨は少し寂しく思う。用意された軽食はどれも美味しくて、見た目も可愛かった。もっとゆっくり、目に焼き付けながら食べれば良かったと後悔する。







 「___さて、アイリ様、少々お時間よろしいでしょうか」




 片付けを終えたマーサが言った。愛梨は首を傾げる。それを肯定と受け取ったのか、はたまた最初から愛梨の返答を聞く気はなかったのか、マーサは話を続けた。





 「貴女様には、これからお勉強をして貰います」

 「___え?」




 言うや否や、マーサは本棚からいくつかの本を取り出し、愛梨の前に置いた。積み上げられた本のタイトルは見た事がない文字が使われているものの、不思議と読める。転生特典、というやつだろうか。




 「貴女様はお飾りの妃。ですので妃作法を身につけろ、とは言いません。民の前に出る事もありませんしね。



 しかし、異世界から召喚された貴女様にとって、この国は、この世界は分からない事だらけでしょう。知らないから怖い、よく分からないから怖い……無知は時に恐怖にも繋がります。



 ………正直に言いますと、知った所で貴女様を取り巻く環境___“神殺し”として忌み嫌われる状況は変わらないでしょう。しかし、それでも知る必要があるのです。貴女様が抱く恐怖が少しでも軽くなる様に。



 ____忌み嫌われたとしても、この国や世界に対する恐怖が軽くなれば、少しは生きやすくなるでしょう?」




 椅子に座る愛梨と目線を合わせる様にしゃがみ込み、マーサは微笑んだ。“神殺し”である自分にこんな風に微笑みかけてくれるのが嬉しくて、愛梨は少し泣きそうになる。







 確かに愛梨はこの世界が怖い。だって訳が分からないのだ。勝手に召喚されて、“神殺し”だとか言われて捕まって、牢屋に閉じ込められて、未だにこれが現実なのか疑う程理解不能だ。




 ____世界を知れば、少しは分かるかな。“神殺し()”の存在や、みんなが崇める神様とやらについて。分かれば、怖くなくなるかな。





 「___分かりました。よろしくお願いします」




 愛梨は覚悟を決めて頭を下げた。


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