第1話 神殺しの少女
___どうしてこんな事になったんだろう。
光も届かない地下牢の中、1人の少女が蹲っている。自分を抱きしめる様にギュッと強く肩を掴む。
少女の名前は藤沢愛梨。ごく普通の女子高生だった___半年前までは。
いつも通り授業を受けて、いつも通り友達とお喋りして、通り慣れた帰り道を歩いていた。特別な事なんて何もしてない。平和で、平凡な日常そのものだったのに。
帰り道に突然足元に現れた魔法陣。それが彼女の人生を狂わせた。
魔法陣から発せられた光に包まれ、思わず目を閉じた。そして次の瞬間、見知らぬ場所居た。目の前には太ったおじさん。格好こそ王様の様だが、よくよく見るとマントも礼服もボロボロ。恐らくブロンドだったであろう髪は汚れやホコリで汚れていて、ボサボサ。ボールの様に丸い顔には沢山の脂汗。到底“王様”とは思えない風貌だった。
ボロボロの王様は言った。
「ケ、ケヒヒ!やった、やったぞ!“神殺し”を召喚した!!これであのクソみたいな神官も!神も!!終わりだ!!」
唾と汗を飛ばしながら喜ぶ男に、愛梨は嫌悪感を抱き、ぶるりとその背中を震わせた。何、この人、気持ち悪い。頭おかしいんじゃないの。
“神殺し”だとか、よく分からない事を叫ぶおじさんの事も、今の状況も理解できず、愛梨は困惑しながら辺りを見回す。
愛梨の下には魔法陣があり、それを囲む様に蝋燭が立てられている。他にも髑髏のオブジェや、何かの爪や牙、果ては虫の死骸までもがまるでお供え物の様に置いてある。まるで黒魔術の儀式でもするかの様だ。
___趣味悪いなぁ。空気も悪いし、気持ち悪くなってきた……。
思わず吐き気を催す愛梨。そんな彼女の様子にまるで気付かない男は、全てを嘲笑するかの様に一通り笑ったあと、「さぁ神殺しの時間だ」と呟いて、愛梨の腕を掴んで彼女を立たせる。
「ちょっ!何!?触んないで!!」
「うるさい!!貴様は私が呼んだ!私のモノだ!!良いからさっさと神を殺せ!!!」
「意味わかんない!!」
必死に暴れる愛梨にイラついた男は、彼女の頬を思いっきり殴る。成人男性の筋力で思いっきり殴られた愛梨は、あっさりと後ろへ倒れる。ジンジン痛む頬を抑え、怯えた目で男を見上げる。
「来いっ!!」
男はもう一度愛梨の腕を強く掴んで立ち上がらせる。愛梨はもう抵抗する事が出来なかった。恐怖で身を縮こまらせながら、言われるがまま男に付いていく。
男が愛梨を連れて行ったのは教会だった。とても大きな教会で、中には沢山の人が居た。彼らは皆、静かに祈りを捧げている。
そんな空気をぶち壊す様に、男は大きな音を立て扉を開け、自分の存在をアピールするかの様に大きな足音を立てて進んでいく。愛梨は腕を掴まれたまま、ズンズンと先に進む男のせいで足がもつれそうになりながらも、必死にあとを付いていく。
祈りを捧げていた人達は、何だ何だと途端にざわめき出す。男は彼らには目もくれず、教会の祭壇へと一直線に進む。
「___さぁ、出番だ!神を殺せ!!」
「…………え、」
乱雑に放り投げられた愛梨は、男の言葉の意味が分からず硬直する。物騒な言葉と共に祭壇へ投げられた少女に、周囲の視線が集まる。
「……ねぇ、見てあの子、なんて醜い色なのかしら」
「本当だ。“黒”だなんて縁起でもない」
「そんな娘を神聖な場所に連れてくれるとはどういう了見だ!」
突然の事に戸惑っていた人々も、愛梨の容姿を見ると、嫌悪にまみれた瞳で彼女を睨む。「出ていけ!」という声と共に注がれる嫌な視線に、愛梨は更に縮こまった。
「___これはこれは、マグナー様ではありませんか。本日は如何なさいましたか?」
騒ぎを鎮める為、1人の神官が姿を現した。男___マグナーは、憎しみに満ちた目で神官を睨みつける。
「お前の“神託”とやらのせいで私は破滅した!!お前も、私を認めない神も、全部ぶち殺してやる!!
___その為に、コイツを召喚したんだ」
マグナーはニヤリと笑って愛梨を見る。神官の視線が愛梨に注がれる。神官は呆れたようにため息をつき、静かに言い放つ。
「貴方は王の器ではない、と神様は仰りました。やはりそれは真実だった様ですね。
___黒魔術に手を出し、“神殺し”を召喚する様な人間は、王に相応しくない」
「反逆者です。捕らえなさい」と神官が命令を下すと、衛兵が現れマグナーを拘束する。
「何をする!?やめろ!!不敬だぞ!!
そうだ!お前!!今すぐコイツらを殺せ!!」
「な、何言って……そんな事、出来るわけが……」
「あぁ!?お前は“神殺し”だろうが!!その力を使って殺せって言ってんだよ!言う事聞きやがれこのクズ!!」
「ヒッ」
唾を飛ばしたがら怒るマグナーに、愛梨はすっかり萎縮してしまう。訳が分からない。今何が起きてるのか。“神殺し”って何。私はなんでこんな目に……。そんな事ばかりがぐるぐると頭を巡る。
マグナーの言葉には一切の反応も示さず、衛兵は淡々と彼を連れて行こうとする。なおも叫び、抵抗するマグナーに嫌気がさしたのか、容赦なく彼を殴り、強制的に黙らせる。気絶したマグナーを、衛兵は引き摺りながら奥へ運んだ。
1人残された愛梨に衛兵が近付く。咄嗟に抵抗したが、彼らにとって一般人の愛梨の抵抗など何ら脅威では無く、呆気なく捕らえられ、連れて行かれ、牢に入れられた。
「処刑の日が決まるまでここで大人しくしていなさい」
神官が愛梨に言う。処刑?なんで、私、死ぬの?こんな訳わかんない所で、何も知らないま?
「ま、待って!私はアイツに連れてこられただけで……!何も知らないの!!」
「……そうですか。貴女はマグナーに何も聞かされていないのですね。可哀想に。
しかしながら、“神殺し”を放っておく訳にはいきません。貴女はこの世界にとって害悪なのです」
「害悪……?なんで、私は、何もしてない……」
「___何も知らずに死ぬというのも酷な話。良いでしょう。教えて差し上げます」
神官は愛梨に全てを語った。
この世界には“神様”が存在し、神様の“神託”が絶対である事。
マグナーはかつての王様で、神託によりその座を降ろされた事。そしてその出来事を深く恨んでいる事。
世界を、“神”を恨んだマグナーが、異世界から“神殺し”を召喚する黒魔術に手を出した事。そして___
その儀式により、召喚されたのが愛梨だという事。
「___“神殺し”として召喚された以上、貴女は神を害する力を持つ。そんな存在を放っておく訳にはいきません。なので貴女には消えて貰います」
理不尽な話だった。勝手に召喚され、まだ何の力も発現していないのにも関わず、危険な力を持つ“かもしれない”から処刑するなんて。
愛梨は時間の許す限り自分の無害さを訴えた。何の力も使えない、持っていない。“神”を害する気なんて無い。元の世界に帰る方法さえ分かれば、大人しく帰る。それまでの間、雑用でも何でも私に出来る事ならする。だから、だから、どうか、私を帰して___。
いくら訴えても神官の心は動かなかった。しかし、王様の心は動いた。
マグナーの代わりに玉座に着いた少年、エリオス。まだ幼い彼は、愛梨の話を聞いて純粋に“可哀想”だと思った。だから処刑を止める様に臣下へ命を下した。
“神様”が絶対ではあるが、神はご多忙であられる。“神託”がなければ国を治める王の言葉に従うべきだ。しかし“神殺し”を生かしておいていいものか。迷った彼らは神にお伺いをたてる事にした。儀式を行い、祈りを捧げて、神託を待つ。
______結果、何も神託は降りなかった。愛梨を殺すべきとも、生かしておくべきとも、何も言われなかった。
ならば王の命に従うべきだ。神は少女を生かせと言っていないが、殺せとも言っていない。神託がない以上、従来の掟に従って、王の命令通りに行動するべき。
だが、“神殺し”をおいそれと市中に投げ出す訳にはいかない。監視は必要だ。なるべく自由にもしたくない。王は「処刑を止めろ」と言っただけで、愛梨の処遇について具体的に言及している訳ではない。
______ならば、閉じ込めてしまえ。光も届かぬ程、地下深くに。
こうして愛梨は今日も、異世界の地下牢で生きている。いや、“生きている”と言っていいのかは分からない。確かに息はしているが、心はとうに限界を迎えている。勝手に異世界に召喚され、何も分からぬまま捕えられ、まるで臭い物に蓋をするかの様に地下深くに閉じ込められ、生きる気力も、希望も、ない。
_______私はこのまま、ここで一生を終えるのかな。
むしろいっそ、殺して欲しい。元の世界に帰る事も出来ずにここで朽ちていくだけならば……いっその事、早く楽になりたい。そんな事を思いながら、虚な目で天井を見上げる。見えるのは無機質な灰色だけ。もうどれだけ青空を見ていないのだろう。
何をするでもなく、ぼーっと天井を見つめる彼女に、声を掛ける人物が一人。
「そんなに天井を見つめて何が面白い。それとも、そこに神でも居るのか?
_______“神殺し”」
声のした方を見れば、そこに立っていたのは“白”の青年だった。髪も、肌も、服も、全てが白。瞳の色でさえ、白が混じったグレー。
____神様、みたい。
愛梨が彼を見て感じた印象はそれだった。絶世の美青年という言葉が相応しいほど整った顔立ちといい、全身を“白”に包まれた彼は神様の様だった。思わず見惚れてしまう。
青年は、何も答えない愛梨に特に気分を害した様子もなく、淡々と言った。
「“神殺し”よ、お前___ここから出たいか?」
食事の配給を除いて滅多に人が訪れない“神殺し”の少女の元に来た、“神の如き”青年。彼との出会いが彼女の運命を変えていく。




