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第9話 ゆっくりと絆される心

 

 突然の来客から2週間。



 あれからあの少女はここに来ていない。しかし、その代わりにセラフィスが毎日の様に来訪してくる。




 彼は愛梨に何かを求める事はなく、ただいつも座って本を読むか、何かしらの書類を書いている。自室なり執務室なりでやればいいのに、と愛梨は思っていた。




 来る時間はまちまちだが、遅くとも夕方には一度顔を見せる。そして2、3時間居座って、「ではまた」と言って帰っていく。食事を共に取る事も無ければ、勿論体を求められる事も無い。愛梨は彼が何をしたいのか分からなかった。






 初めこそ落ち着かなかったが、セラフィスの事をただの置物と思う様にしてからそこまで緊張しなくなった。そっちが好きな様に過ごすならこっちも好きな様に過ごすだけだ。





 2人の間に会話は殆どなく、時たまに、マーサとの勉強中に解説を入れてくれる程度で、それもこちらの返事を待たずに、言う事だけ言って終わってしまう。






 今日もセラフィスは愛梨の下を訪ねていた。マーサとの勉強が終わった後に来たので、この部屋には2人きり。




 適当な本をペラペラと捲りながら、愛梨はセラフィスの様子を伺う。





 ____この人は何を考えているんだろう。





 素朴な疑問だった。どうしてあの日から毎日訪ねてくるのか。夫として妻の下へ通うのは不自然では無いが、偽装の為としても毎日来る必要は無いのでは。そもそもそれまで1ヶ月もほったらかしだったのに、何故今更?そんな疑問がぐるぐると頭を巡る。





 理由を知ろうにも、まだ気軽に話し掛けられる程セラフィスに気を許していない。自分への対応を見るに悪い人では無いのだろうが、それでも自ら話し掛けるのは憚られた。






 ………まぁいっか。多少のストレスになってるとはいえ、私に大きな被害がある訳でもないし。下手な事言って機嫌を損ねたら追い出されちゃうかもしれないし。





 今日も愛梨はセラフィスを置物と言い聞かせ、手元の本に視線を落とした。


 ・・・・・


 その日は、何だか城内が騒がしかった。城の奥にある愛梨の部屋にでさえ微かに喧騒が聞こえてくる。




 気になって廊下に出て耳を澄ませる。



 「あれを用意しろ」「料理の準備は済んだのか」だとかそんな会話が遠くで聞こえた。使用人の声だ。何かパーティーでもあるのだろうか。




 何にせよそういう事なら愛梨には関係が無い。賊が攻めてきた、とかそういう危険な話でないのであれば、気にする事もないだろう。愛梨は静かに部屋へ戻った。





 それから暫くして、城内の騒がしさも収まった頃、何人かの足音が愛梨の部屋に近付いて来た。






 マーサでは無い。彼女が来る時は大体1人だ。複数人の時は食事を運ぶ時位で、ワゴンの音がする筈だ。



 セラフィスでもない。彼は足音を殆ど立てない。いつ間にか部屋の前にいる。何の音もしないまま、突然扉がノックされ驚いた事が何度もあった。






 足音の正体は不明だったが、どうせ通り過ぎるだろうと気にしなかった。この先にある部屋に用事があるのだろうと。




 しかし足音は愛梨の部屋の前で止まる。愛梨は無意識に体を強ばらせる。





 マーサでもセラフィスでもないなら、一体誰が。またあのエミリーという少女が来たのだろうか。






 ノックも無く、扉が開かれる。









 「____これがあの皇帝陛下の“妃”だと?」





 乱入者は愛梨を睨み付ける。黄色い眼光が鋭く愛梨を突き刺す。





 「……ハッ。冗談だろう」




 男はこちらを馬鹿にする様に笑った。





 「これ程に醜く、何の教養も無い小娘に陛下の妃が務まる訳が無い」





 男が吐き捨てる。後ろに控えていた使用人らしき人達も、ヒソヒソ、クスクスと愛梨を嘲笑う。






 …………この間といい、何なんだろう。




 愛梨は思わずため息を零しそうになるのをぐっと堪える。ここでため息でもつこうものなら、火に油を注ぐ事は分かりきっていた。





 ____汚物みたいに扱うくせに、どうしてここの人達は皆私に構うのだろう。目も当てられないくらい醜いというのなら、私の事なんて放っておけばいいのに。






 そう思うものの、エミリーという少女といい、この男といい、ペンテレウスの恐らく位が高い人々が態々愛梨を見に来る理由は想像出来た。






 いきなり皇帝陛下が迎えた“妃”。公の場に出る事もなく、迎え入れてから自室に引き篭もりっぱなしの娘。どんな人間なのか、本当に皇帝陛下に相応しいのか、気になるのもやむを得ない。





 理解は出来るが、しかしこうして嫌悪され、見下されるのは気分が悪い。自分がどれ程この世界において異端なのか認識出来ていても、『ならしょうがない』と許せる程出来た人間では無い。




 愛梨を嘲笑う男達の言葉を聞き流しながら、苦痛と怒りに耐える様に愛梨は拳を握り締める。




 やがてひとしきり愛梨を見下した男は満足気に頷く。そして言った。






 「そんな訳だから貴様は妃に相応しくない。即刻にその地位を私の娘に譲りなさい」





 どういう訳?と言いかけた言葉を飲み込む。当然とばかりに胸を張る男を見て、愛梨は若干引いた。






 「おい、何とか言え」

 「………」





 愛梨はやはり答えない。先日と同じく、下手な事を喋って面倒な事態になるよりは、黙ってやり過ごそうと考えた。その内マーサも来るだろうし、ずっと黙っていればこの男も諦めるか、無言の肯定と良いように解釈して、満足して帰ってくれるだろう。






 愛梨は、答えない事で男の機嫌を損ねて暴力を振るわれる、なんて事は少しも考えていなかった。



 一応<皇帝陛下の妃>であるから、というのも理由の一つだが、それ以上に、ロードリアでの日々が関係していた。




 ロードリアではあれ程嫌われながらも、ただの一度も暴力を振るわれる事が無かった。最初、衛兵に捕えられる時でさえ、必要以上に暴力を振るわれる事なく拘束された。






 ……………だから、愛梨は思っていたのだ。




 “神殺し”として召喚され、黒髪黒目というこの世界の人間にとって不吉で、醜くて、嫌悪する姿の自分には、例え暴力を振るう為だとしても、簡単に触れたくないのだと。



 セラフィスやマーサでさえ、気軽には触れてこないのだから、他の人間にとっては一秒たりとも触りたくもない存在なのだと。




 同じ様な主張をしに来たエミリーでさえ、大きな音を立てて威嚇する程度だったのだから。







 ____だから、男が拳を振り上げるなんて事は予想もしてなくて。





 スローモーションで振り下ろされる拳を愛梨はただ呆然と見ていた。




 遠くなる音の中で、男の背後に居た使用人が驚愕の声を漏らしたのが聞こえた気がした。









 ………?




 拳が愛梨に届く寸前、誰かの手が男の手を掴んだ。







 「………我が妃に何をしようとした」





 低い、怒気を孕んだ声。





 その声を聞いて、男の拳にばかり気を取られ、狭まっていた愛梨の視界がパッと開ける。




 開けた視界で、セラフィスが男の腕を掴んでいるのが見えた。






 「こ、皇帝陛下………」

 「ぜネール卿、これは何の真似だ?我が妃に手を出すなど…私への謀反と捉えて良いのか」





 ぜネール卿と呼ばれた男は「滅相もございません」と拳を降ろして弁明する。使用人達もビクビクと怯えている。





 セラフィスは冷たい目で彼らを睨むと、静かに言った。





 「用が無いなら出て行け」

 「いや…しかし……」





 ぜネール卿はなおも食い下がろうとする。





 「くどい。去れ」




 セラフィスにキッパリと言われ、ぜネール卿は渋々と部屋を出て行く。彼が連れていた使用人も後に続く。





 「貴様らにはそれなりの罰を用意する。覚悟しておけ」




 彼らの背中にセラフィスの無情な声が投げかけられた。「ヒッ」と怯える声が僅かに聞こえた。









 「___怪我は」

 「……ない」





 「そうか」と頷いて、部屋の中は静寂に包まれる。先程までの騒がしさが嘘のようだ。







 「____アイリ様、陛下!」





 静寂を破ったのは、マーサだった。騒ぎを聞きつけて急いで来たのか、息が切れている。




 マーサは愛梨の身体をチェックし、怪我がない事を確認する。






 「アイリ様のお部屋の方角から慌てた様子で出てくるぜネール卿と使用人を見掛けまして、もしやと思い来てみたのですが……」

 「あぁ、ぜネール卿がアイリに無礼を働こうとした為、追い払った」

 「左様でございますか」





 「アイリ様と陛下にお怪我が無くて良かったです」とマーサはほんの少し口角を上げた。






 「それにしても、態々会食まで仕立てて陛下を足止めしてアイリ様の値踏みに来るとは……。やはり“噂”は厄介ですね」

 「……“噂”?」




 何の事だろうか?愛梨の疑問に満ちた顔を見て、マーサが驚く。





 「……陛下、まさか伝えていなかったのですか?」

 「必要無いと思っていた。伝えようが伝えまいが、やる事は変わらない」




 セラフィスは悪びれもせずに言う。




 「必要あるに決まってます!理由も話さずいきなり毎日訪ねられたらアイリ様だって困惑するでしょう!」




 マーサはそんなセラフィスをまるで母親の様に怒鳴りつける。



 愛梨は2人のやり取りについていけず、頭に疑問符を浮かべるばかり。



 そんな彼女に気付いたマーサが丁寧に“噂”について説明してくれる。






 最近、城内や貴族の間で“皇帝陛下とその妃”に関する噂がいくつか出回っている。




 〔陛下が妃を迎え入れたものの、碌に妃の下へ通っていない〕

 〔嫁入りの際に見た者の話によると妃は悍ましい見た目をしている〕

 〔部屋に引き篭ってばかりで嫁入り以降姿を見ない〕



 これらの情報が発展して、噂は生まれた。



 〔陛下は本当は妃を嫌っているのではないか〕

 〔妃が何らかの手段を用いて無理矢理その座に就いたのではないか〕

 〔そもそも本当は妃なんて存在しないのではないか〕




 そんな噂が出回った事で、妃が本当に存在するのか、存在するのならどんな人間なのか確かめる為、妃部屋へ興味本位で訪れる者が増えた。エミリーもその一人だった。





 エミリーの一件を経て、セラフィスはなるべく愛梨を1人にしておかない方が良いと考えた。



 そこで、彼は毎日愛梨の下へ通う様にしたのだ。態と訪ねる時間も、滞在する時間もまちまちにして、牽制する。いつ陛下と遭遇するか分からないのに、妃を値踏みしに行こうとする者はそう多くない。



 それに、今回は1ヶ月間愛梨を放っておいた自分の責任でもある。この間に少しでも妃の下へ通っていれば、少なくとも〔妃が愛されていない〕〔存在しない〕なんて噂が出回る事は無く、周りの人間に付け入る隙を与える事も無かった。






 「……それで、ここ最近毎日来てたんだ」





 セラフィスの行動に漸く納得がいく。要は〔妃との仲は良好〕という事をアピールしつつ、愛梨に何か起きない様守ってくれていたのだ。






 「___ですが今回、ぜネール卿の計らいにより会食が催されまして……。陛下が絶対に席を外せないタイミングを狙って、あの男はここに来たのでしょう」





 しかしぜネール卿の姿が見えない事を不審に思ったセラフィスが念の為愛梨の下へ向かった為、結果として彼は陛下に見つかり大目玉をくらう事になった、というわけだ。

 愛梨を見下し、ベラベラとどうでも良い自慢話をしていたが為に、ぜネール卿はセラフィスが追い付く時間を与えてしまった。







 マーサから説明を受け、スッキリした。





 愛梨は少し考えたあと、控えめにセラフィスの袖を軽く引く。愛梨からの接触に、セラフィスは僅かに眉を上げた。





 「あの、色々と、ありがとう」





 守ろうとしてくれて、助けてくれて。



 例えそれが愛梨を招き入れた事に対する責任や、仮初の夫としての義務感からくるものだとしても、嬉しかった。





 「礼は良い。皇帝として、夫として当然の行動をしたまでだ」

 「それでも、」






 ___味方がいないと思っていた中で、守ってくれた事、味方になってくれる事がどんなに嬉しいか。





 言葉の代わりに、愛梨は笑った。強ばった笑顔でも、控えめに喜ぶ笑顔でも無く、顔一杯で喜びを表した、真っ直ぐな笑顔。この世界に来てからそんな顔を浮かべたのは初めてだった。






 ____セラフィスとマーサ、二人は私が何者でも、どれだけ忌み嫌われる存在でも、味方をしてくれる。たとえそれが打算だとしても、心強い事には変わりない。






 そう思うと、少しだけ呼吸が楽になった。

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