第九章 追い詰められた影――事件が複層化する
遺体の第一発見者として、安藤は地元警察による事情聴取を受けた。私と東川も立ち会い、野々村サキは体調が悪そうだったため、一足先にパトカーで送り出した。
安藤によると、彼は別ルートで洋館に入り、物音がしたため来てみたら遺体を発見した、とのこと。彼の主張では「俺は何も知らないし、被害者も知らない」という。警察の捜査員が「じゃあなぜ、こんな廃墟をうろついていたのか?」と問えば、安藤は「個人的な興味」と曖昧に答えるのみ。やはり何かを隠している気配がある。
現場検証が進むが、物置部屋に明確な争いの痕跡は見当たらない。被害者は胸元をナイフのようなもので刺されたと推定されるが、凶器は見つからない。まるで犯人が周到に痕跡を消し去ったかのようだ。
いずれにせよ、この遺体発見の一報は大きな波紋を呼び、私たちも上層部への報告でドタバタすることになった。
その夜、捜査連絡室にはこれまで集めた情報が山積みとなる。東川は机に向かいながら、コーヒーを飲んで夜更かし覚悟だ。私はホワイトボードに人間関係をまとめていた。
•川添(被害者①):IT研究職、機密を握っていた疑い。温泉旅館で溺死。
•謎の被害者(被害者②):廃墟の洋館で刺殺体で発見。所持品なし、メモに「マリエ」の文字。
•マリエ:海外から来た天才プログラマー。現在行方不明。川添との繋がりあり?
•安藤:旅館にも洋館にも現れた謎のスーツ姿。何らかの調査をしている?
•野々村サキ:旅館のアルバイトスタッフ。川添に誘われ、洋館へ。金銭的に困窮。
•海沼一族:洋館の元所有者。カイヌマという名が川添のメモに。現在、家系はどうなっているのか?
ここで私の頭にふと引っかかるのが、山科が最初に言っていた“黒いワゴン車”や“謎の男”の動向だ。もしかすると、会社側から送り込まれた追っ手や、裏社会と繋がった連中が動いているのかもしれない。また、川添が温泉地に潜伏していた理由は、その追っ手から逃れるためと推測される。
そもそも、この街の廃墟洋館と温泉地の洋館が重なるように絡み合っているのは偶然ではあるまい。海沼家は全国に複数の別荘や所有地を持っていたという話もある。あるいは、そこに重大な秘密が残っているのか。
推理を巡らせながら、私はぼんやりとした疲労感に襲われる。東川も黙り込み、書類とにらめっこだ。時計を見ると深夜0時を回っている。ビルの外は人影もなく、鬱蒼とした暗闇が広がっている。
そのとき、突如として事務所の電話が鳴った。こんな時間に誰だ、と嫌な予感を抱きつつ出ると、案の定山科だった。
「二階堂さん、大変だ。安藤って男、実は川添の会社の ‘内部監査部門’ に勤めてたらしいぞ。ある意味、スパイみたいな役割を担っていた可能性が高い。つまり、川添の動向を監視しようとした連中の一人かもしれない」
「……やはりそういうことか。彼は自分の正体を隠していたのね」
「それともう一つ、海沼家の情報を掴んだ。どうも、海沼一族の末裔がそのITベンチャー企業に投資しているらしいんだよ。会社の資金源の一部は彼らが握っているという噂だ。海沼の血を引く人物が、ビジネスと昔の洋館を結びつけている可能性があるな」
話がさらに錯綜する。一族の末裔がIT企業に出資し、そこに川添とマリエが在籍。川添が機密を持ち出し、命を狙われた。廃墟の洋館にはさらなる秘密が? 会社側の監査として安藤が動いていた――。
私には、一つ大きな歯車が回り出した感覚があった。これら複数の事件は、きっと海沼一族を取り巻く闇のビジネスと深く繋がっている。そして、その闇を暴こうとした川添とマリエが、次々に命を狙われているのかもしれない。