第八章 もう一つの惨劇――発見された死体
野々村サキを保護し、建物の出口まで連れていこうとしたそのとき、突然廊下のほうから人の声が響いた。
「誰だ、そこにいるのは…?」
低く沈んだ男の声。私たちが廊下に顔を出すと、そこに立っていたのは先ほどの安藤だ。見ると、彼の顔色は青ざめ、何かに強い衝撃を受けているようだった。
「いったいどうしたの?」
「お、俺じゃない……こんな……」
安藤は震える指先で、洋館の一角を指し示す。そこには薄暗い扉があり、先ほど私たちが入ってきた玄関ホールの横手にある小さな物置部屋のようだ。開け放たれた扉の隙間からは埃臭い空気が漂う。そして、その奥に……人の足が見えた。
私と東川は目を見交わし、慎重に扉に近づく。ライトを照らすと、そこには仰向けに倒れた男性の遺体が……すでに息はない。目は虚ろに開き、顔には苦悶の表情が刻まれている。
被害者の服装は作業服のような上下。年齢は50代くらいか。胸のあたりに血の染みがあり、何らかの外傷がある様子だ。安藤が怯えるのも無理はない。私たちはとりあえず身元を確認するためポケットや周囲を調べるが、財布もなければ身分証もない。
しかし、遺体の手元に何かが握られていた。紙切れのようだ。私はビニール手袋をはめ、慎重にその紙切れを取り出す。それは小さく切られたメモ用紙で、そこには「マリエ」という女性の名前らしき文字と、日付らしき数字が走り書きされていた。
「マリエ……川添のメモにも『マリエ』と書かれていたわね」と東川が思い出す。
「まさか、この人も川添と同じ秘密に関係があるのかもしれない」
私が遺体の顔を再度確かめると、どこかで見たような気がしてくる。いや、勘違いかもしれないが……。
遺体はまだそれほど腐敗していないようだ。死後数時間から半日程度か。ということは、昨夜から今朝にかけて殺害された可能性が高い。この洋館を訪れた人物は何人かいるが、誰が殺したのかは不明だ。安藤が犯人なのか? だが、彼はただ驚いているだけにも見える。
私は野々村サキにも目をやる。彼女は憔悴しきった表情で、「私、ここに来たのは今日の朝方で……こんな人見たこともない……」とうめいている。
突然、私のスマホが鳴った。画面を見ると、山科からの着信だった。こんなときに何の用だと思いながら応答すると、彼は早口に言った。
「二階堂さん、重要情報だ。やっぱり川添の会社には ‘マリエ’ って名の女性研究員がいたらしい。今は行方不明のようで、社内では退職したとか言われているが、真相は不明だってさ」
「それって一体……。ちょうどこっちでも『マリエ』って名前が出てきたところよ」
「何でも、その女性研究員は海外から招聘された天才プログラマーだったらしい。だが、会社でトラブルを起こして消えたとか。ますます怪しいぜ」
私の目の前には謎の死体。片手には『マリエ』と書かれたメモ。状況はますます深まるばかりだ。
私は東川や安藤、野々村サキにも今の情報を共有し、すぐに地元警察へ連絡して現場検証を依頼する。廃墟での殺人事件――しかも被害者の身元が不明。川添の死と合わせ、真相の糸口がどこにあるのか、いよいよ混迷を極める。