二つの商家③
絵画を元に戻すと、隠し通路は真っ暗になる。辺りの見えない闇の中、ルークの声が短く響いたのが分かった。
『光明』
ぱっ、とルークを中心として周囲が明るくなる。
「光属性持ちなんだ」
適正持ちの少ない属性だ。わたしは「おお」と手を叩いた。明るい光に照らされて、指先までしっかり見える。
「そうだよー。回復も出来ます。この通り」
ルークが〈治癒〉を唱える。わたしの指先が温かな光に包まれて、先ほどの授業で作った切り傷はすっかり綺麗になっていた。
「あ、ありがとう」
「気が付いちゃったら治したくなっちゃうよねー」
口にして、ルークは切れてしまった〈光明〉を再びかけ直した。高位の魔法使いでなければ魔法の重複発動は出来ないからだ。
「足元、気を付けてー」
ルークが唱えた〈治癒〉も〈光明〉も光属性特有のものだ。
余談だけど、暗闇の中で明かりを灯すことが出来るのは光か火属性となる。夜属性しか持っていないわたしには不可能な芸当だ。
「いいなあ。わたしの属性だと〈夜目〉くらいしかないんだよね」
「夜目が効くならいいじゃん」
「地味なんだよ……」
「そう? かっこいいと思うんだけどなー」
冗談なのか本気なのか、ルークが言うとどちらにもとれるから難しいところだ。
「着いたよ」
軽口を叩いている内に目的地に着いたらしい。わたしは辺りを見渡した。
隠し通路内の広めの空間を使って、簡易的な机と椅子、それから小さな棚が設置されている。さながらちょっとした休憩室のようになっていた。
「じゃーん。俺の秘密基地」
視線を移せば、どこからともなくランタンを持ち出したルークが火を灯し終えたところだった。手際がいい。
「〈光明〉は便利だけど疲れるからさー」
「魔力使うしね」
「それー。あと俺自身が光るから、普通に恥ずい」
「付与魔法にして杖にでも灯したら?」
「……天才?」
灰色の目を丸くしたルークがわたしを見る。心なしかキラキラとしてるので、ちょっと気持ちがいい。
「そりゃあ、ブローチ持ちですから」
「よっ、流石のディアナ先輩ー! キャーッ、ステキ!」
「ふっふっふ」
「……で、本題だけど」
切り替えが早い。もうちょっと褒めてくれてもいいんだよ。
そんなわたしの内心など知らないルーク「どうぞ」と椅子をひいてくれた。先ほどのエスコートといい、さらっとこういうこと出来るんだなあと感心してしまう。
椅子をわたしに譲ってくれた為か、ルークは低めの棚の上に腰かけることにしたようだ。余った長い足を組んでいるのがなんとも憎い。
ランタンの火が揺らめいていた。オレンジ色の光がわたしとルーク、それから暗い通路を照らし出している。
「少し、昔話をしてもいいかな」
「昔話?」
「そう。多分、その方が色々早いと思うから」
「分かった」
ルークがそう言うなら、そういうことなんだろう。わたしは頷いた。
「むかしむかし、あるところに仲の良い二人の商人がおりました」
いつもの煙に巻くような響きではなく、どこか親しみのある口調でルークは語り始める。
それはまさに、彼が口火を切ったように二人の商人の物語だった。
目利きが確かなコリンズ。広い人脈と巧みな話術が売りのウィリアムズ。旅商人だった二人は瞬く間に意気投合し、やがてこの国、レウカンサに辿り着く。
旅先で集めた珍しい商品を売りにした二つの商会が軌道に乗るまでそう時間はかからなかった。レウカンサで根を下ろした商人達はそれぞれに妻と出会い、やがて子宝に恵まれることとなる。
「それって、もしかして……」
わたしは思わずルークを見た。彼は静かに頷いた。
「そうだよ。ステラ・コリンズとルーク・ウィリアムズ。……俺達は幼馴染みなんだ」
話の流れからそうかな、とは感じていた。それでも、わたしは驚きを隠すことが出来なかった。
だって、幼馴染がいるだなんてこと、ステラは今まで言ったことがなかったから。
「これでも昔は仲が良かったんだよ」
ルークは遠い昔を懐かしむような顔をしている。その灰色の瞳は、これまで見たこともないような柔らかい色を持っていた。
「コリンズの家は子沢山でね。ステラはお兄さん達に揉まれて育ったからか、昔から面倒見のいい女の子だったよ。ウィリアムズの長子である俺のことさえ、実の弟みたいに可愛がってくれた」
ルークは見るからに人懐っこそうなわんこ系だ。面倒見のいいステラと相性が悪い訳がない。ステラが小さなルークを可愛がっていた、というのは簡単に想像出来てしまった。
「今でこそこんな図体してるけど、昔の俺はちっちゃくてねー。身体が小さくて苛められる度に、ステラに助けられてた。……ステラは、俺にとっての一番星だったんだよ」
ルークから聞かされるステラの話は、わたしのよく知る彼女そのものだった。正義感が強くて、優しくて、困っている人がいれば身体を張って助けてくれるような、そんな素敵な女の子。
「俺はそんなステラのことが大好きで、いつもガチョウの雛みたいにくっついて回ってた」
お嫁さんになって欲しいって言ったんだけど、アタシより大きくて強い男じゃないと駄目ってバッサリだったなー。
今となってはわたしよりも小柄なステラに、そんな可愛いエピソードがあったなんてびっくりだ。
でも、なんとなく分かる気がする。おしゃまなステラが得意気にルークに語る。そんな可愛らしい光景が目に浮かぶようだ。
「そんなに仲が良かったのに、どうして今、ステラはあんな態度なんだろう……」
共同風呂でのステラは、ルークのことを頑なに拒絶する態度だった。あんな彼女を見るのは初めてのことで、わたしはそれ以上言葉をかけることが出来なかったのだ。
ルークの目が細められるのが分かった。その灰色の瞳からはうまく感情を読み取ることが出来ない。
「……俺達は子供だったんだ」
苦いものを吐き出すかのような口調だった。
「あれは、なんの変哲もない普通の日だったよ」
ルークがまだ八歳の誕生日を迎える前のことだ。その日のステラはやけに上機嫌だった。
鼻歌交じりにやってきたステラを前に、ルークが「どうしたの?」と尋ねる。彼女はふふんと小さな胸を張って、得意げに口にした。
「パパがね、新商品を出すの。アタシもお手伝いしたんだ!」
「新商品?」
「そう。ほんとは秘密なんだけどね、ルークには特別に教えてあげる。あのね……」
ステラはちょっとした秘密の共有のつもりだったのだろう。可愛い弟分とのないしょ話。他愛のない、ただの子供同士の会話だ。
だけど、その日、ルークの傍にはウィリアムズ家の従者が付いていた。
コリンズ家が新たな商売として売り出そうとしたものは『眼鏡』だったのだ。
眼鏡の元になるレンズ自体は、以前から存在していた。水晶を研磨したもので、主に火を熾す用途で使われる。
元は火熾しの道具だったものを、視力を補助する商品として売りに出すのだ。これがどれほど突飛な発想だったのか想像するに難しくないだろう。
視力の悪化は、闇の神の呪いと呼ばれており、二度と戻ることはないというのが当時の通説だった。
それが根底から覆ったのだ。けして安価な商品ではなかったものの、眼鏡さえあれば失われた視力が蘇る。視力に問題のある貴族や富豪であれば、まず間違いなく金を積むような新商品だ。
ウィリアムズ家の従者は、ステラのないしょ話をすぐさま家主に自分が極秘に仕入れた情報として売りに出した。
「水晶は元々ウィリアムズが得意としてきた商材だ。人脈のあるうちが市場へ流通させると、眼鏡は莫大な利益を生み、ウィリアムズ商会は瞬く間に大店へと格を上げた」
ルークは淡々と話している。わたしは堪えられなくなって声を上げた。
「それじゃあ、コリンズ商会は……!」
「二番目の商会と言われたよ」
世間を揺るがすような新商品を作り出したにもかかわらず、その手柄を親友だった男の商会に横取りされたのだ。
「ステラは俺が情報を洩らしたと思っているだろうね。おかげで、コリンズの親父さんからは大目玉だ」
始まりは子供同士のないしょ話だった。
なんてことはない。それはただ、可愛い弟分と共有したいという子供心だった筈だ。
「じゃあ、コリンズ商会とウィリアムズ商会が不仲だって話は……」
「新商品の横取りがきっかけだったってこと。あれ以来、コリンズとウィリアムズは犬猿の仲だよ。当然、俺はステラと会えなくなった」
「そんなのって……」
わたしは思わず手のひらを握りしめた。
「ルークは何も悪くないじゃない」
両家の仲に亀裂を入れた直接の原因は、全てを自分の手柄にしてしまったウィリアムズ家の従者だ。けして、ルークの責任じゃない。
「ステラのことが好きなのに、犯人だと思われて嫌われちゃうなんて……あんまりだよ」
「でも、結果的にはウィリアムズ家は得をしたよ」
ルークはへらりと笑う。こんな風に傷つけられてなお、笑うルークの気持ちがわたしにはよく分からない。
「それとこれとは別! 家と自分の意志が同じとは限らないでしょ!」
わたしは声を荒げてルークを睨み付けた。
「こんなの間違ってるよ!」
無実の人が汚名を被って、好きだと慕った人に嫌われながら生きていく。そんなのって、あんまりだ。
わたしは立ち上がった。
「決めた。ステラとルークに仲直りしてもらう」
力強く行った宣言に、ルークがぽかんとした顔になったのが分かった。灰色の瞳がまじまじとわたしを覗き込んでいる。
「ディアナ先輩?」
「指輪の脅迫とかもう関係ない。わたしはわたしの意思で、ステラとルークの二人に昔みたいな関係に戻って欲しいの」
決めた。今決めた。お節介だろうがそんなの関係ない。わたしがそうしたいから、そうするんだ。
わたしの瞳に闘志が宿ったことに気が付いたのか、戸惑うルークと目線が合う。
「そりゃ俺だって、ステラと仲直りできたら嬉しいよ。でも、どうやって?」
もつれた糸は絡み合って、がんじがらめになってしまった。ステラは誤解したまま、今なおルークに対して頑なな態度をとり続けている。
「ステラが真相を知らないっていうのがまず良くないと思う。新商品を盗られてしまった事実は一回置いておいて、ルーク自身に非がないことはちゃんと潔白しておかないと」
「俺はウィリアムズ家の人間だよ。結果的に得をしている。ステラが俺を許せない気持ちは変わらないかもしれない」
ルークの言葉にわたしは首を降った。
「ステラはそういう子じゃないと思う」
義理堅くて、面倒見がよくて、何より懐に入れた人のことを大事にしてくれる温かい女の子だ。そんなステラだから、わたしは彼女のことが好きになった。
家のこととルーク自身のこと。ステラなら分けて考えることが出来る筈だ。
「……そうだね」
眩しいものを見るような眼差しになって、ルークは静かに頷いた。
「ステラと話さなくっちゃ」
彼女に近いところで、気兼ねなく話しかけることが出来る人物は、この場においてわたししかいない。
だったら、やるしかないじゃない。わたしは手のひらを握りしめた。
「現実問題、ステラは俺の話をするのも嫌がってるんでしょ。ああなったステラは頑固だけど、どう切り崩していく気?」
「それねえ……」
ルークの指摘はもっともだ。ステラが頑なである以上、無理なアプローチはかえって逆効果になる。どうやって話をしていくかが当面の課題になるだろうけど……。
「まあ、そこは追々考えていくってことで」
今の状況で妙案は出てこない。そもそも、コリンズ家とウィリアムズ家の状況を知ったばかりだしね。もうちょっと情報が出揃ってから動いたって問題はないと思う。
「妥当っちゃ妥当か。俺としてはディアナ先輩が乗り気になってくれただけでも上々ってことでー……はい、これ」
ぽん、と手のひらに何か乗せられる。
ランタンの灯りに照らしてみて、わたしは飛び上がりそうになった。
「これって水晶玉じゃない!」
属性を調べる時にもお世話になった水晶玉は、幅広い用途で使用される魔法使いの定番アイテムだ。基本的に、魔力を通す触媒として優秀なんだよね。
透明度が高く、澄んだものほど触媒としては一級品となる。眼鏡が市場に出回るようになってからは価値が上がって、お値段も右肩上がりだ。
不純物交じりの水晶玉でさえ、庶民には手が届かないような代物だ。小ぶりとは言え、ルークが手渡してきた水晶玉は混じり物がなく、明らかに高級品だと分かる。わたしが逆立ちしたってこんな代物には手が出せない。
「こんな高価なの持ってて、盗られでもしたら怖すぎるから返す!」
「返されちゃ困るなー」
すっかりいつもの調子を取り戻したルークが、へらりと笑う。
「ディアナ先輩、俺との連絡手段ないでしょー?」
言われてみて、はっとした。いつもルークからわたしに接触してきているので、わたしから連絡手段がないのは先ほど気が付いた通りだ。
「ディアナ先輩が水属性持ちだったら〈水鏡〉使えたんだけどねー」
水属性同士は水を鏡に見立てて、連絡を取り合う手段があるそうだ。わたしは夜属性しか持っていないので、そういう便利なことは出来ない。……っていうか、ルークは光に加えて水属性も持っているのか。羨ましい。
「水晶玉なら属性関係なく魔力通すから、必要になったらこれで連絡してー」
なんと細かい所にまで気が付く男なんだろうか、ルーク・ウィリアムズ。便利だし、ウィリアムズ家の得意分野であるというのはよく分かったけれど、こんな高級品をぽんと出さないで欲しい。ステラといい、ルークといい、儲かっている商家は羽振りが違う。
「……そういうことなら、ひとまず借り物として預かるね」
「別に気にしないのにー」
「あとでお金請求されても困るので!」
ひとまず話はまとまったということで、わたしは席を立った。いくら一番乗りで授業が終わったと言っても、あまり油を売っていられない。そろそろ次の授業が始まりそうだしね。
「出口の絵画、重いから俺が開けるよ」
こういうところでも、ルークはやっぱり紳士だ。実家太くて、作法もスマート、おまけに成長期を迎えて高身長。顔立ちも可愛い系の彼がよくこれまで一途にステラを想っていられたなと感心してしまう。こんな優良物件、世の女の子が放っておかないと思うけど。
脳裏に〈タイム・リープ〉前が蘇る。
ルークのラブラブカップルという噂が出回ったのって、もしかして……。それ以上は考えない方がいいような気がしてきた。うん。
周囲に人気がないことを確認して、わたし達は無事絵画の外の通路へと降り立った。あまり人が来ない区画だからとはいっても、流石に隠し部屋から出てくるところを人に見られるとマズい。
「ディアナ先輩の次の授業はー?」
「社会学だよ」
「んじゃ、俺と方向一緒だ。途中まで一緒に行こー」
「おっけい」
他愛もないことを喋りながら、ルークと教室へと向かう。
見上げるほど大きいルークの隣を歩くことがどれほど注目を浴びることだったのか、この時のわたしはまだ気が付いていなかったのだ。