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二つの商家①

 ノックとほぼ同時に勢いよく開いた魔法準備室は、もぬけの殻だった。


「あれっ、いない」


 従って、「返事を待ってから扉を開けなさい」と言う常識的な指摘も飛んでこない。わたしはむーん、と腕を組んだ。


「アドリアーノ先生に相談したいことがあったのに」


 とは言え、いないものはしょうがない。また改めて魔法準備室を訪ねるべきか、はたまたアドリアーノ先生が帰ってくるまで待つべきか。


「くぁ……」


 そこまで考えたところで、わたしの口からは間の抜けた欠伸が飛び出した。

 結局、昨日はステラにルークのことを聞けなかったんだよね。どうしたらいいのかもよく分からなくて、考えている内に夜更かししちゃったから、眠い……。


「ちょっとだけ。ちょっとだけなので……」


 アドリアーノ先生を待つ間だけだし、いいよね。わたしはそこら辺にあった椅子に手を伸ばした。

 山のように乗っていた魔法書は脇に寄せておきましたよ。相変わらずというか、片付けの概念がない。机の上に突っ伏すと、よほど眠かったのかあっさりと瞼が落ちていく。

 懐かしい夢を見たような気がした。

 黄金色の麦畑。その一角で誰かが蹲っている。


『……どこか痛いの?』


 そう尋ねると、今にも泣きそうな顔がわたしを見たのが分かった。

 大きな手のひらが、そうっとわたしの髪を撫でる。まるで壊れ物でも扱うみたい。


『ディナ』


 思わず、どきりとする。

 そんな風に優しい声でわたしを呼ぶのは誰?

 滲む視界の中で、すみれ色を見つけたような気がした。


「…………はれ?」


 応用魔法学講師のアドリアーノ先生は、呆れたようにわたしを見下ろしている。

 わたしは慌てて顔を上げた。仮眠のつもりが、まさか熟睡することになるとは思ってもみなかったのだ。

 涎出してなかったよね!? ていうか先生! もう帰ってきちゃったよ!


「魔法準備室で寝こける生徒がいるか」

「す、すみません」

「……なぜ私のところに来る」


 心底嫌そうな顔をしてアドリアーノ先生はこちらを見ている。わたしは椅子から立ち上がった。

 魔法準備室は相も変わらず散らかったままだ。この人、研究は出来るんだろうけど、生活力はあまりなさそうだよね。そんなことを考えながら、わたしは息を吐いた。


「わたしの学友の少なさを舐めてもらっちゃ困りますね」

「胸を張って言うことではないだろう……」

「それはそれとして、未来のことを話せるのってアドリアーノ先生しかいないっていうのもあります」


 じとりとしたすみれ色の瞳がわたしを見る。わたしはささやかな胸を張った。

 なんだかんだ言いながらも、アドリアーノ先生が面倒見いいことはもう分かってるんだからね。


「それでですね。うちの寮生であるルークの恋に協力することになったんですけど」

「帰れ」


 間髪入れずの返答だよ! 酷くない!?


「私を学生同士のつまらん恋愛事情に巻き込むな」

「不可抗力なんですよ! 私が〈魔力なし〉っていうのがバレて、ルークに指輪を盗られちゃったんです。返してもらう見返りに協力するって……あの、先生? どうしてそんな顔してるんです?」


 アドリアーノ先生は顔を手のひらで覆い隠して、特大級のため息を吐いている。

 ため息つくと幸せが逃げるって言いますよ、とは流石に言わなかった。圧が強すぎる。


「なぜ〈魔力なし〉だと露呈した」


 咄嗟にわたしの目線は泳いだけれど、アドリアーノ先生が見逃してくれる筈がない。わたしはしぶしぶ観念した。


「……廊下でステラと話しているのを聞かれました」


 直後、すみれ色の冷ややかな眼差しがわたしに向けられたのが分かった。


「君は馬鹿なのか?」


 そ、そこまで言う? 仮にも学年最優秀のブローチ持ちなんですけど!


「エジャートンは勉強は出来るが、おつむが弱いのはよく分かった」

「酷い言われよう……」

「反論は?」

「ありませんっ!」


 わたしは元気いっぱい手を挙げた。

 うん。考えてみたら、人気のあるところで大事な話をしたわたしが悪い。だからそんな怖い目で見ないでよ~!


「……それで、ウィリアムズに協力することになったはいいが、問題が発生したということだな」


 呆れたような物言いだけど、一応話を聞いてくれるみたいだ。アドリアーノ先生を前に、わたしはしゃんと背筋を伸ばした。


「ルークの好きな人はステラだったんです。でも、ステラはルークのことを話したくもないほど嫌いみたいで……」


 ステラとはなんだかんだで長い付き合いになるけれど、あんな態度を取られたのは初めてだった。不特定多数の男性が苦手と言ったのとはまた違う、明確な相手を遠ざけようとする姿勢だ。

 基本的にステラは人当たりもいいし、誰とでもうまくやれる。それが、ああもハッキリ突き返されてしまっては、何かあったと邪推してしまうのも仕方のないことだろう。


「ウィリアムズとコリンズといえば、名の通った商家だろう。確か、お互いの家は対立関係にあったと記憶しているが」


 なんですって?

 まさに青天の霹靂だ。思いもよらなかった言葉に、わたしはぽかんとしてアドリアーノ先生を見上げた。


「有名な話だぞ。知らなかったのか?」

「うちは貧乏なので、基本的に商会のお世話になることはないんですよ……」


 アドリアーノ先生が知っているような貴族御用達の商家ならなおさらだ。お世話になる用事がない。


「とにかく、どうしてステラがルークと関わりたくないのか分かった気がします」


 家同士の仲が悪いのなら、関わりたくないという気持ちが働くのも頷ける。それにしても、まさかお家の事情だったとは。


「……じゃあ、どうしてルークはステラのことが好きになったんだろう?」


 対立関係にあるなら、なおさら接点なんてなさそうだ。家族にばれたら猛反対されることも分かっている。どう考えても相手を好きになるメリットがあるとは思えない。


「それを確かめるのは君の役割だろう」


 首を傾げるわたしを前に、アドリアーノ先生が再びため息を吐く。まるで不出来な生徒を前にでもしているかのようだ。

 い、言われなくても自分でやろうと思っていたよ!


「うう、やりますよ。ルークにああ言った手前、二言はありません……」

「よし、帰れ」


 アドリアーノ先生は相変わらずの無表情でそう言い放つと、しっしとわたしを追い出すべく手を振った。いくら何でも将来命を救おうとする相手に対する扱いが雑なんじゃないだろうか。

 恨めしパワーを込めてアドリアーノ先生を見たけれど、肝心の相手は魔法書に視線を落としていて、心ここにあらずといった様子だった。


 なんとなく、魔法書を捲っている指先を見る。普段室内に籠っているせいか、アドリアーノ先生は日に焼けておらず、指先も白い。

 あの指に嵌まっている指輪を貸して貰ったんだよね。


『指輪ってところもなんか意味深だし』


 不意に共同風呂(サウナ)で聞いたステラの言葉が蘇る。わたしは思わず顔を顰めてしまった。


「どうかしたか?」


 わたしが部屋から出て行かないことには気が付いていたのだろう。アドリアーノ先生がいかにも嫌そうに声をかける。


「……いえ。どうして貸して下さったのが指輪だったんだろうって思いまして」


 わたしの問いかけに、アドリアーノ先生は目を瞬かせている。まるで、わたしがそんなことを気にしたこと自体が意外だ、とでも言いたげだ。


「丁度いいマジックアイテムが指輪しかなかったからに決まっているだろう」

「ですよね」


 わたしはさっくり頷いた。

 うん、ほら。やっぱり深い意味はない。


「早く出て行きなさい」


 わたしがなかなか出て行かないことに痺れを切らしたのか、アドリアーノ先生がいよいよ追い出しにかかってくる。いい加減出て行かないと、本気で迷惑がられそうだ。


「はあい」


 わたしは生返事をして、魔法準備室を後にした。


   * * *


 長い石の階段を上りきると、その先にあるのは展望台だ。両側に迫っていた石の壁がなくなって、視界が一気に開けるのが分かる。


 わたしはショールを羽織り直した。遮るものがなくなった分、風がよく通って肌寒い。元は砦だったものを改築しているだけだから、ティリッジ魔法学校には至る所にこういう吹きさらしの場所があるのだ。

 おまけに駆け上がれば息が切れるほどの高さがある。寒い上に訪れるにも苦労する場所なだけあって、滅多に人は来ない。だけど、労力に見合うだけの価値があるのをわたしは知っていた。


「うわあ~っ、綺麗!」


 インクを流し込んだような漆黒の闇の中、まるで銀砂をちりばめたかのように星々が瞬いていた。

 手を伸ばしたら届いてしまいそうだ。わたしの真上には少しだけ欠けた月が昇っている。

 星と月に彩られた夜の帳は、思わず歓声を上げてしまうほどに美しかった。勿論わたしのご機嫌も急上昇。展望台を進む足取りも、自然と軽くなる。


「そうそう。忘れない内に月光に当てておかないとね」


 アドリアーノ先生にも念押しされていたことだ。

 わたしは襟元をくつろげて、中から革紐を引っ張り出した。その先端には薄黄色の石の付いた指輪が光っている。

 アドリアーノ先生から強請……じゃなかった。貸してもらった指輪だ。今は月の光を浴びて、淡い輝きを放っている。


「不思議……」


 まるで石自体が発光しているかのようだった。わたしの首元をほんのりと黄色く照らしている。

 明るいところならいざ知らず、夜だとどうしても目を惹くから、人目があるところでは仕舞っておいた方が良さそうだ。

 そんなことを考えながら、わたしは指輪の革紐を持ち上げた。


 元はアドリアーノ先生の指輪だ。

 男性用なので、わたしが嵌めるにはどの指にも大きすぎた。仕方なく親指に嵌めていたんだけど、緩かったことも相まって、あっさりとルークに盗られてしまった訳だ。

 そういう諸々の事情を踏まえて、指輪は首から下げることにしたのだ。

 あと、指輪がアドリアーノ先生のものだってファンの子達にバレたら面倒なことになりそうな気もするしね。ちゃんと対策は立てておきました。


 定位置にあった満月色のペンダントは未だ見つかっていない。あの後〈探索〉でも探してみたけれど、どうしても見つけることは出来なかった。ペンダントを失くして寂しくなっていた胸元が、指輪のおかげで少し賑やかになった気がする。


「……怒涛だよねえ」


 ペンダントのこともそうだけど、ここ数日で色んなことがありすぎたように思う。

 卒業パーティーの日にアドリアーノ先生に呼び出されたと思ったら、先生は急に倒れてしまうし、訳が分からなくて慌てている内に〈タイム・リープ〉で九か月も前に戻っちゃうし。

 目が覚めたらアドリアーノ先生から特別課題を積まれるわ、わたしの魔力は失くなってしまうわで大騒ぎ。アドリアーノ先生の指輪の力でなんとか事が落ち着いたかと思いきや、今度はその指輪をルークに盗まれてしまう。

 盗られた指輪を取り返す為、わたしはルークの相談事を受けることになった。

 ルークはステラのことが好きなんだって。対するステラはルークのことが嫌いだって突っぱねてしまう。なんでも、ステラとルークの家は仲が悪いらしい。


 ……わたしってばめちゃくちゃ巻き込まれてない!?

 これまでの出来事を振り返って、わたしは頭を抱えてしまった。平穏無事なわたしの魔法学校ライフは一体何処へ行ってしまったと言うの……。

 これは唸っても許されるほどのてんこ盛りっぷりじゃないだろうか。こんな特盛りいらなかった。


「はあぁ」


 思わずため息も零れる訳だ。身体中から力が抜ける。

 散々脱力しきってから、わたしはぽつんと言葉を零した。


「……でも、前は知らなかったことばかりだったな」


 鬼講師だと呼ばれていたアドリアーノ先生は思っていた以上に面倒見が良かった。

 ルーク・ウィリアムズという、人懐っこそうに見えて抜け目のない後輩がいた。

 わたしにとって優しくて頼れるステラに、あんな一面があるとは思ってみなかった。

 全部、〈タイム・リープ〉してから初めて知ったことだ。前の学校生活でわたしがどれほど周りに無頓着だったのか、否が応でも思い知らされる。


「……でも、もう逃げ道は見つかったから」


 呟いて、わたしは天に向かって手を伸ばす。その先には少しだけ欠けた月があった。


「今度はちゃんと学校生活を楽しんだっていいよね」


 月は訪れた時と変わらず、淡い光でわたしのことを照らし続けている。

 わたしは革紐を服の中に大切に仕舞い込んで、展望台の階段を降りて行った。

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