共犯者達の黄昏②
石造りの階段に立つルークは、害のなさそうな笑顔を浮かべてとんでもないことを言ってくる。
わたしはきょろきょろと辺りを見渡した。元々あまり使われない場所なだけあって人気はない。密談にはお誂え向きの状況だ。
「お願いを聞いて欲しいって、どういうこと?」
「難しいことじゃないよー」
指輪を小指でくるくると回しながら、ルークはへらりと笑う。
「ディアナ先輩ってステラ・コリンズのルームメイトでしょ。ってことは、ステラとよく話す機会があるよねー」
「そうだけど……ステラが何かあるの?」
わたしは思わず身構えてしまった。自分のことならいざ知らず、友達の名前がまず挙がってきたらそうなる。
「俺ね、ステラのことがだーいすきなの。だから俺とステラの間を取り持ってよ」
「へ……?」
予想の斜め上から降ってきた言葉に、わたしはぽかんとしてしまった。
ルークがステラのことを好き……?
「いやいやいや!」
わたしは首を降った。九ヶ月先の未来を知っている身としては、ルークの言葉は理解不能だったのだ。
「ルーク、あなたマーガレットのことが好きなんじゃないの!?」
「マーガレット? マーガレットって俺と同じ学年の?」
ルークは驚いたように灰色の目を丸くしている。わたしとしては、逆にこの反応にびっくりなんだけど。
「友達ではあるけど、どうして彼女の名前が?」
そりゃあ、未来でラブラブカップルとして名を馳せるようになるからだよ、とは流石に言えない。思わず渋い顔になるわたしを前に、ルークは困ったように頭を掻いた。
「そういう誤解は困るなー。ステラに勘違いされちゃうじゃん」
「じゃあマーガレットとはただのお友達ってこと?」
現時点では。という心の声はしまってルークの巨体を見上げると、間髪入れずに同意が返ってくる。
「まあ確かに彼女、色々親切にしてくれるから頼ってたところはあったかも。実際、ディアナ先輩のチョロ……じゃなかった。素直さを知らなかったら、マーガレットにステラのことを相談していただろうし」
むーん、と唇に手を当ててルークは唸った。何気に失礼なことを口走ろうとはしなかっただろうか。
「少し付き合い方を考えてみる。早速助言ありがとー」
助言のつもりはなかったんだけど、結果的にはそうなっちゃったのかな。
「……というか、わたし、恋愛ごとを相談する相手としてはかなり不向きだと思うよ」
自分で言うのもなんだけど、人の感情の機微を読み取るのは苦手な方だ。隠すのも上手くなくて、すぐ顔に出てしまう。
「ディアナ先輩に恋愛術的なものは期待してないなら、そこは大丈夫」
酷い言われようだ。思わず頬が膨らんだ。
ルークはもう少し先輩を敬うべきだと思う。
「ディアナ先輩にはねー、俺のことをステラに話して欲しいの」
「ルークのこと?」
「うん。まずは人づてにいい話を聞いてたら、実際に会った時に身構えないでしょー?」
てっきりもっと難しいことを要求されるのかと思っていた。それくらいならわたしでも出来そうだ。……ああ、でも。
「ステラは男の人が苦手だから、厳しいと思うなあ」
「……何それ。初耳なんですけどー」
しまった、口に出しちゃってた!
わたしは慌てて両手を振った。
「さっき言ったのは、なしでっ! 今は違うんでした!」
「含みのある言い方するねー」
ルークは疑わしそうにわたしを見ている。
うう、失言だった。未来のことに関しては、口にしないよう気を付けなきゃ……。
「ステラはカラッとした物言いをするけど、身体は小さいし、内面だって可愛い女の子なんだから、あんまり威嚇しない方がいいってこと」
「俺のこと暗にでかいって言ってる?」
「言ってる」
「ひどーい」
全然酷いと思ってなさそうな顔でルークはけらけらと笑っている。ひとしきり笑い終えて満足したのか、ルークはわたしから取り上げた指輪を差し出した。
「じゃあ俺のお願い聞いてくれるってことでいい?」
取り戻すチャンスっ! とばかりに手を伸ばすと、ルークは指輪を頭の上に掲げてしまった。無駄に身長が高いので、当然わたしには届かない。
「ディアナ先輩、魔法使えなくて大変だよねー」
「大変だから返してくださーい!」
ぴょんっと跳び跳ねて、再び手を伸ばす。それでも全く届かない。悲しい。
「返してほしくば、同意してくださーい」
「か弱いわたしから大事なもの奪って良心は痛まないのー」
「痛みませーん」
清々しいほどはっきり言う。
良心の呵責って言葉はないのかな!?
「ディアナ先輩、退学になると困るんでしょ。ね、俺に脅されただけなんだから」
早く折れなよ。そう口にして、ルークは笑う。
「……間を取り持つってどうすればいいか分かんないんだけど」
「そこは俺がちゃんとお願いするから大丈夫」
あんまり大丈夫な気はしない。
「それに、ステラの気持ちだってあるよ」
かつてわたしは男性を苦手だと公言するステラを見ている。だからステラがどう感じるのか、何を決めるかまでは責任を持てない。
「決めるのは俺じゃなくてステラだよ」
「それは……うん。そうだね」
あくまでどうしたいのか、決定権をステラに委ねてくれるのなら。
わたしは顔を上げた。
「分かった」
「よっし、契約成立!」
にかっと破顔して、ルークは掲げていた手を下げた。指輪がようやくわたしの元に返ってくる。
やっと返ってきた!
わたしはぎゅっと指輪を両手で抱き締めた。
「大事なものなら、ホイホイ盗られちゃ駄目だよー」
「それ、ルークが言う?」
「言えてるー」
口にして、ルークはけらけらと笑う。人懐っこいのに油断ならないその笑顔に、わたしは呆れてため息を吐いたのだった。
* * *
ティリッジ魔法学校には、三つの寮が存在する。赤のトンプソン寮、緑のガードナー寮、そしてわたし達が所属している青のロフタス寮だ。
アドリアーノ先生のファミリーネームが『ロフタス』で寮の名前と同じであることには、もちろん由来がある。寮の方が創設者達のファミリーネームを拝借した経緯があるのだ。
つまり、アドリアーノ先生の家系は、ティリッジ魔法学校設立に大きくかかわった由緒正しき名門でもあるということだ。お貴族様ってすごいね。
入学と同時に生徒たちはそれぞれの寮に振り分けられ、それから先の六年間を過ごすことになる。同寮の生徒はいわば運命共同体。寮はわたし達の生活の場と言っても過言じゃない。
「やっぱりこの時間は生き返る~!」
わたしはうーんっ、と伸びをした。
全身を包み込む蒸気に、燻した薪のスモーキーな香りが心地良い。ロフタス寮自慢の共同風呂に入れば、今日の疲れがみるみるうちに溶け出していく。
生徒の利用時間は限られているとは言え、まさに至福の時間だ。
「ディアナ、髪がほつれてる」
「はふう」
「もう。直したげるから、こっち向きな」
ぐでんぐでんになっているわたしの長い髪をステラが器用にまとめてくれる。体中から汗が噴き出るので、後ろに流してると肌に引っ付いちゃうんだよね。
「せっかく綺麗な銀髪なんだから、もっとちゃんとお手入れすればツヤツヤになるのに」
「してるしてる。困った時には売る予定だもん」
いい値が付いてくれないと困るしね。
わたしの合理的な返答にステラは顔を顰めている。ちゃんと香油を使って赤毛の手入れをしているステラからすれば、わたしの返答は未だに理解不能らしい。
「いつでも香油分けてあげるって言ってるのに」
「流石にそんな高価なものは貰えないよ」
香油一本買うお金で、庶民なら数日は食べていける。お金持ちの商家と我が家は金銭感覚がそもそも違うのだ。
「ほら、綺麗にまとまった」
ステラのおかげでわたしも綺麗なまとめ髪になった。自分の仕事に満足げなステラの視線が、すっきりとしたわたしの首筋に向かう。そのまま、スイっとなだらかな胸に移動した。
「えっち!」
ステラの豊かな胸に比べたらささやかすぎるボリュームだ。(普段ふかふかを堪能していることを棚に上げて)照れ隠しの冗談を飛ばせば、ステラは「違う違う」と手を振った。
「ディアナの左胸の痣、こうして見るとやっぱり目立つね」
口にして、人差し指をわたしの左胸に向ける。
「ああ、これ? わたしにとっては今更だけど、やっぱ目立つかな」
ステラが指さしたのは子供の頃からある痣で、丁度心臓の真上にあるものだ。
「模様みたいにも見えるね。不思議な痣……」
「わたしのお祖父様にも同じ痣があったらしいから、もしかするとうちの家系に時々出るんじゃないかな。詳しいことは知らないけど」
あんまり人目に付かない場所で本当に良かったよ。見える所に付いていたら、隠すの大変だっただろうし。
そう言えば、わりと最近、似たようなものをどこかで見かけたような……。どこだっけ?
「それで結局、アドリアーノ先生とはどうなんだい?」
「へ? アドリアーノ先生?」
わたしの思考は、脈略のないステラの言葉でぶった切られてしまった。先ほどまでの話題と関連が見つけられなくて、思わず疑問符が浮かんでしまう。
「もうっ、アタシは誤魔化されたりしないよ。急にアドリアーノ先生に関心を持ったと思ったら、マジックアイテムを貰ってくるし、授業でも指名されてただろ? あの時はどうかと思ったけど……なんだかんだで、ディアナが一番先生に近付いてる生徒なんじゃない?」
近付いているっていうか、命を助けられたとは流石のわたしも言えない。そもそも、どうして助けて貰ったかもよく分かってないのだ。
「指輪ってところもなんか意味深だし」
そんなわたしの内心を知る由もないステラは、ずいっと覗き込んでくる。
ううっ、心なしか目がギラギラしているような……?
「別に深い意味はないよ。丁度先生が手に嵌めてたのを貰っただけだし」
「やっぱり身に着けてるやつだったんだ!?」
ステラの勢いは止まらない。わたしは思わず半歩引いてしまった。
「や、やっぱりって、気が付いてたの……?」
「見覚えある指輪だなって思ってた」
流石はコリンズ商家の娘。目利きの確かさに思わず唸ってしまう。
わたしなんて、貸して貰って初めて先生が指輪をしていたことに気が付いたくらいだよ!
「アタシとしては、先生は性格に難ありだと思うけど、一応貴族のお坊ちゃんでしかも次男。物件的にはそこまで悪くないと思うんだよね」
「……アドリアーノ先生はやめとけみたいなこと言ってなかったっけ。もしかしてステラ、面白がってる?」
「ばれた?」
ぺろっと舌を出すステラに、わたしは半眼になった。
「アドリアーノ先生がディアナを弄るのは腹が立つけど、アドリアーノ先生でディアナを弄るのは楽しいよ」
「正直すぎる!」
それって結局ステラが楽しんでるだけじゃん!
ぶんぶんと腕を振って抗議してみるけれど、ステラはさっきから楽しそうだ。
共同風呂はなかなかの繁盛ぶりで、ひっきりなしに生徒が出たり入ったりしているけれど、皆、自分達の話に夢中になっているみたいだ。風呂場は女子の憩いの場とはよく言ったもので、汗と一緒に胸の内も流れ出していく。
「あのディアナから恋バナが聞けるだなんてねえ。アタシ、嬉しいよ」
しみじみとした口調で言われてしまった。わたしは再び抗議の声を上げる。
「だから、恋とかそういうのじゃないんだってー!」
実際問題、これはそういうキラキラしたものじゃないと思う。
生死の関わり合い、あとは退学に関する話しかアドリアーノ先生とはしていない。そりゃ最初は降って来られてドキッとしたのはあるけど……。
いずれにせよ、わたしにとっては問答無用で関わらざるを得なくなってしまった存在と言える。とは言え、仔細をステラに伝える訳にもいかないし、困ったものだ。
そこまで考えて、わたしの脳裏にルークのわんこ顔が思い浮かんだ。ステラのことが好き。確かに彼はそう言ったし、ついでに言えば協力することも約束した。
「話っ、変えるよっ!」
「はいはい。何だい、ディアナ」
しょうがないね、といった様子のステラに思うことはあるけれど、そこはぐっと飲み込んでおく。
ふっふっふ。ネタは上がってるんだから、立場逆転するのはここからだよ……!
「わたしね、最近一つ下の学年の子と話したよ」
何気ない風を装って話しかけたわたしの言葉に、ステラは予想通り食いついた。
「へえ、ディアナが学年違う子と喋るなんて珍しいね」
うんうん、掴みはいい感じ。
わたしは上機嫌でステラに向き直った。
「ルーク・ウィリアムズって言うんだけど、ステラ知って――」
「その名前は言わないで」
間髪入れずに拒絶の言葉が出てきて、わたしはぽかんとしてしまった。ステラの若草色の瞳には、今まで見たことのない強い感情が浮かんでいる。
「ステラ?」
戸惑うわたしを前に、ステラはやけにはっきりとした口調で言い切った。
「……その人のこと、嫌いなんだ。ディアナの付き合いをどうこう言うつもりはないけど、アタシの前ではその名前を言わないでくれる?」
えーっと、ルークさん?
これは、ちょっと……前途多難が過ぎない?