共犯者達の黄昏①
賑やかな教室の中に、授業の開始を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
ほどなくして、ブーツの足音が聞こえてくる。ドアの向こう側から姿を現した長身は、応用魔法学を担当するアドリアーノ先生だ。
分厚い魔法書を広げ、アドリアーノ先生が教卓の前に立つ。
「本日の授業は属性について掘り下げていく」
大きな声という訳でもないのに、アドリアーノ先生の声はよく通る。何より、不真面目な生徒には容赦なく課題を積んでくると評判の鬼講師だ。先生の一声で、教室の喧騒はあっという間に静かになった。
「魔法学と神学が密接な関係にあることは諸君らも知っての通りだ。大蛇を打ち倒した聖者とその弟子らが神となり、この世界の魔法体系を司っている」
神学ではこの世界ブリナバルトの興りが伝えられている。
人の祖である巨人によって栄えたブリナバルトは青空の美しい世界だった。ところが、神の世界ルキギナロクから大蛇がやってきてから、ブリナバルトは一変してしまう。
大蛇は恐ろしい闇を産み、青空を覆い隠してしまったのだ。
巨人は闇に立ち向かい、あと一歩のところまで追い詰めた。ところが、長い戦いに疲弊した巨人の喉笛に大蛇が食らい付き、巨人は死んでしまう。
大蛇に支配され、人々は暗黒の時代を生きていた。そこに光を携えた聖者が六人の弟子と共に現れたのだ。彼らこそが大蛇を打ち倒して青空を取り戻し、のちの七神となって魔法体系を司るようになったと言われている。
「君、それぞれの属性と司る神について述べなさい」
アドリアーノ先生が最前列の生徒に声をかける。
基本的に席は決まっていないので、最前列に座っているのは授業に熱心な生徒か、アドリアーノ先生のファンだ。
指名された生徒が勢いよく立ち上がった。
「夜の女神『ギーンシュ』、火の男神『テュノール』、水の神『ウスメルクリ』、木の男神『ルートゥオ』、金の女神『フロレイア』、土の男神『トゥルサヌース』、そして最高神である光の神『ダルヘイム』です」
「よく予習出来ているようだ」
淀みなく答えてみせた生徒に、アドリアーノ先生は満足そうに頷いた。
「私を含め、諸君らは〈夜〉〈火〉〈水〉〈木〉〈金〉〈土〉〈光〉のいずれか七神の祝福を受けている。以前、水晶玉で属性を確かめた筈だ」
口にして、アドリアーノ先生が教室の中を見渡した。確かめるようなすみれ色の視線と目が合った気がしたけれど、属性に関して言えば〈魔力なし〉のわたしでも問題ない。
水晶玉のテストをしたのは、魔力が失くなる前のことだったからね。
「たとえばコリンズ、君の属性はどうなっている」
「はい。アタシは水と夜属性があります」
「ふむ。ウスメルクリとギーンシュの祝福があるということだな。ウスメルクリは商売、ギーンシュは月読みを得意とすると言われている。適正で見れば、コリンズはそれらの分野を伸ばす魔法がより習得しやすいということになる」
ステラはコリンズ商家の娘なので、適正バッチリということになる。本人も家の役に立つ魔法を覚えたいって言ってたから、ウスメルクリの祝福はまさに鬼に金棒ってところだ。
神学の授業を受けた時、両性具有の神様って聞いてびっくりしたけどね。
「アドリアーノ先生、お尋ね致しますわ。他の神様の祝福を得ると、どのようなご利益がありますの?」
ステラに張り合うように、前列の女子生徒が手を挙げる。
アドリアーノ先生の片眉がぴくりと上がるのが分かった。
「……神学の授業でも習っていると思うが、代表的なものを掻い摘んで話そう。火の男神テュノールは豊穣、木の男神ルートゥオは戦い、金の女神フロレイアは愛と美、土の男神トゥルサヌースは農耕、光の最高神ダルヘイムは芸事に祝福があると言われている」
アドリアーノ先生は複属性持ちだけど、その中に金属性もあった筈だ。そう考えれば、あの美貌もフロレイアの祝福の一つだと考えられる。
はー、女神の祝福って凄いね。
「このように、単に七属性に分類されるだけでなく、神々の祝福を受けた分野の能力は伸びやすいことが分かっている。応用魔法学では諸君らに属性ごとの魔法を習得して貰うことになるが、伸ばしたい分野や適性をよく考えて行うように」
不真面目な生徒には厳しいことで知られるアドリアーノ先生だけど、授業内容はとても丁寧で分かりやすいし、きちんと生徒の将来を考えてくれている。
いい先生なんだよなあ……。
卒業パーティーで呼び出されるまで、わたしだってただ普通にそう思っていた訳だし。
「口で説明しただけでは不十分だろう。一つ、実演しようじゃないか」
不意にアドリアーノ先生がこちらを見たのが分かった。その脈絡のなさに思わずぞわりとしてしまったわたしとは裏腹に、前列にいた女子生徒が色めき立つ。
「エジャートン、特別課題だ。前に来なさい」
美形からの指名はろくなことにならない。ディアナ・エジャートン学びました。だから周囲の皆様、どうか親を殺した敵でも見るような目でわたしを見ないで貰えますか。命は惜しいです。
ステラが心配そうにわたしを見ている。わたしは目線で大丈夫だよ、と合図して立ち上がった。
「君の属性は」
「……夜です」
ブローチ持ちなのに単属性しかないんだー。
これ見よがしなヒソヒソ声がすれ違いざまに飛んでくるけれど、わたしは聞こえなかったふりをした。
「よろしい。では今日は、エジャートンに夜魔法を実演して貰おう」
わたしは全然よろしくない。
これは昨日の意趣返しってことなんだろうか。だとしたら、アドリアーノ先生って結構大人げなくないかな!?
唇を戦慄かせるわたしを他所に、アドリアーノ先生は着々と話を進めていく。
「夜属性は基本属性と勝手が違い、環境に強く影響される。条件さえ整えれば、効果を飛躍的に高めることが出来るのが特徴だ」
ほとんど表情を変えない癖に、すみれ色の瞳はどこか挑発的だった。
出した課題をチャラにした訳ではない。暗にそう言っているのがよく分かる。
「その条件は何か。答えてみなさい」
「月です」
アドリアーノ先生の挑戦をわたしは間髪入れずに叩き返してやった。
「夜魔法は月の満ち欠けに影響を受けます。ですから、月が満ちる満月の夜に最も効果が高まることが分かっています」
伊達に九カ月分の予習を終わらせている訳じゃないんですよ。ブローチ持ちを舐めないで頂きたい。
にこりと微笑んで答えてみせる。
「正解だ。夜魔法はその名の通り、夜に力を発揮するものが多い。日中は効力が落ちやすいので注意しなさい」
どうやら望む水準には達せられたらしい。わたしの回答にアドリアーノ先生は満足そうに頷いた。
「以上を踏まえて、エジャートンにはこの石膏棒を〈転移〉してもらおう」
全然終わってないじゃない!
ていうか、実技! 〈魔力なし〉相手にわざわざやらせることじゃありませんよね!?
わたしの荒れ狂う内心など知ったことではないように、アドリアーノ先生は教卓に石膏棒を乗せた。
「この教卓の上から諸君らが今日潜ってきた教室の扉まで、移動させるイメージで魔法を完成させなさい」
学年最優秀のブローチ持ちなのだろう? アドリアーノ先生の顔は暗にそう言っている。
「杖を出し、もう片方の手で石膏棒に触りなさい。私の言ノ葉を復唱して、呪文を完成させるように」
ここまでお膳立てされてしまった以上、退くことは出来ない。
澄ました顔面に反して案外好戦的なアドリアーノ先生の逆襲に、わたしは腹を決めた。わたし達は共犯者。毒を喰らわば皿まで、だ。
「転移対象には、最低でも一度は接触をしなければならない。忘れないように」
アドリアーノ先生の言葉に従い、わたしは杖を取り出して教卓の前に立ち、石膏棒に触れる。
魔法はイメージが重要だ。実現する未来が想像出来るかどうかどうかが成否に大きく関わってくる。
手の中の石膏棒が消えて、教室の扉までぱっと移動する……。
頭の中で描いた光景をわたしは言ノ葉に乗せた。
『転移』
「きゃっ!?」
短い悲鳴が聞こえて、わたしは慌てて視線を動かした。
悲鳴の主はステラだった。見れば、ステラが使っていた机の上に石膏棒が転移している。
「ステラ、大丈夫!? 当たってない!?」
「だ、大丈夫……驚いただけだよ」
「良かったぁ」
扉の方角を見てみるものの、そこに石膏棒はない。やはり教卓の上にあった石膏棒はステラの目の前に誤転移してしまったようだ。
ざわざわとし始めた教室の中に、ぱんっと手を叩く音が響き渡る。視線が一斉にアドリアーノ先生に集まった。
「このように日中では夜魔法に負荷がかかり、望む通りの結果が得られにくいということが分かる」
最初からわたしの夜魔法は失敗すると見越していたのだ。思わず渋い顔になるわたしのことなどどこ吹く風で、先生は今日の授業を総括した。
「次回の授業は予定通り夜半に行う。夜間に行使する夜魔法にどれほどの効能があるのか、今日の出来事を踏まえてよく確認するように」
まるで見透かしたかのように、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
アドリアーノ先生が広げていた魔法書を閉じる。教室の中が俄かに騒がしくなったのが分かった。
「ああ、それと。エジャートンは魔法準備室の片付けを手伝いなさい」
さらりとアドリアーノ先生が追加でわたしに用事を言いつける。途端、前列にいた女子生徒の目がギラリと光るのが分かった。
「お手伝いでしたら、わたくしの従者に行わせますわ」
「……トンプソン。学校内では原則、従者に肩代わりをさせてはならない取り決めだ」
小さくため息を吐いて、アドリアーノ先生が踵を返す。わたしは慌ててその背中を追った。
ううーっ、背中に突き刺さってくる視線が怖い!
「……なんで実技でわざわざわたしを指名してくるんですか」
アドリアーノ先生が根城にしている魔法準備室に辿り着くや否や、わたしは抗議の声を上げた。
「魔法使えないのがバレちゃったらどうするんですか。わたしの退学がかかってるんです!」
わたしの渾身の叫びを前にしながら、アドリアーノ先生はどこ吹く風だ。
「事実、君は魔法を使えた」
「使えないと困るからですよ! もーっ、回数に制限あるって言ったの先生ですよね!?」
わたしは左手をアドリアーノ先生の目の前に突き出した。
その親指には薄黄色の石が嵌まった指輪が光っている。先ほどの授業で使った魔力の正体がこれだ。
「ブローチ持ちの最優秀者が授業中に指名されない訳がないだろう。私の授業で予行演習が出来て良かったな」
「そう言われれば、それまでですけどぉ……」
なんか、丸め込まれてない?
思わず半眼になるわたしを他所に、アドリアーノ先生は指輪の石を覗き込む。
「指輪の魔力も問題なさそうだ」
〈魔力なし〉のわたしが、先ほどの授業で魔法が使えたからくりがこれだ。昨日アドリアーノ先生から渡されたこの指輪の石には、魔力が込められているらしい。小ぶりな分、込められた魔力に制限があるので使用回数には気を付けないといけないけれど、今の私には必要なマジックアイテムだ。
「昨日言ったように、指輪は夜、月の光を浴びさせなさい」
「今日の授業のおさらいですね」
指輪の石は夜属性を帯びているそうで、漏れなく月の満ち欠けに影響する。月の光を浴びると消耗を抑えられるんだって。
「以上で用件は終わりだ。帰ってよろしい」
さくっと用事が終わってしまった。
「……片付け手伝わなくていいんですか?」
山と積まれた魔法書を横目に、わたしは思わず口にしてしまった。別に働きたい願望がある訳じゃないけど、名目上は片付けをする為に魔法準備室を訪れている。
「どこに何があるかは全て頭の中に入っている。場所を移されると分からなくなるので、手を付けないように」
ぴしゃりと一刀両断だ。
分かっているんだったら整頓した方が使いやすくなるんじゃないですかね、という言葉は飲み込んだ。こういうタイプは大体こだわりが強い。
「はあい」
無難に返事をして、わたしは魔法準備室を後にした。扉を開くと、少し離れたところからステラが駆け寄ってくるが分かる。
「ディアナ!」
「ステラ~!」
ふわふわのふかふかに抱きしめられて、わたしもぎゅっと抱きしめ返す。事情を知っているとは言え、昨日の今日のことなので、ステラには心配させてしまったようだ。
「もう、心配させないでくれよ」
「ごめんごめん」
「まったく! ディアナの魔力が失くなってるっていうのに皆の前で魔法を使わせようとするなんて、どういう了見だい!」
ステラは今にも噛みつかんばかりの勢いで魔法準備室を睨みつけている。
「愛想はないと思ってたけど、随分といい性格だねぇ!」
「す、ステラ、声抑えて」
本人の近くで言うことじゃない。わたしは慌てて、ステラの前で手を振った。
「アドリアーノ先生がいい性格してるのは否定しないけど、わたしを助けてくれたのも事実だから!」
「ディアナも褒めてるんだか貶してるんだか分からないこと言うねぇ」
「褒めてる褒めてる!」
ステラは半信半疑の顔をしている。その若草色の瞳が、スイッとわたしの左手に吸い寄せられた。
「ええと、その指輪に魔力が入ってるんだって?」
「うん。回数制限付きだけどね」
まさかアドリアーノ先生を脅して入手したとは口に出来ず、相談してこっそり貸して貰ったということになっている。おかげでステラの中でのアドリアーノ先生は『意外と融通の利く、性格ひん曲がりの応用魔法学講師』になってしまった。
「便利なマジックアイテムもあるもんだねぇ」
薄黄色に色付く指輪を見下ろして、わたしは頷いた。
「おかげさまで。でも、わたしの魔力が失くなってることには違いないんだから、油断は禁物。大事にしなきゃ!」
――と、確かに言った。言ったけどさぁ。
まさかその直後に指輪を盗られることになるとは思わないじゃん?
「ふーん。これに魔力が入ってるんだー」
のほほんと間延びした声を上げたのは、先日講堂外れで自己紹介もどきをした相手、ルーク・ウィリアムズ。一つ年下の不真面目わんこ系後輩だ。
「えっと、あの、ルーク……さん?」
ちょんちょんって肩を叩かれたら、普通振り返るじゃん。
手、出してって言われるじゃん。
言われた通りに手を出したら、親指から指輪を抜かれるなんて思ってないよっ!
「これがないとディアナ先輩困るんだよねー」
「はい。返してください」
「即答じゃん。〈魔力なし〉って本当なんだ」
なんで知ってるの!?
びっくりしすぎて目玉が零れちゃうかと思った。秘密にしてる筈なのに、どうして学年違いの相手に知られているのか。思わず凝視していると、ルークはけろっとした顔で喋ってくれた。
「廊下でステラと喋ってただろ? たまたま俺、あそこにいたんだよねー」
「以心伝心じゃん……」
言葉にしていないのに、どうして聞きたいことが全部口から出て来るのか。わたしが呆然としていると、ルークは今度こそけらけらと笑い出した。
「ディアナ先輩、顔に全部出るからねー」
慌てて顔を手で覆ってみるものの、時すでに遅し。わたしの弱みはしっかりと後輩の知るところとなってしまった。
「それで今、指輪は俺の手元にある訳だけど」
ルークは相変わらずニコニコと笑っている。食えない笑顔を前に、わたしはだらだらと冷や汗をかいた。
「可愛い後輩のお願い、聞いてくれないかなー?」
それ、お願いじゃなくて脅迫だよね!?
ディアナ・エジャートン、人を呪わば穴二つという言葉をこれ以上なく実感する今日この頃です。