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未来に続く道

 さて、ここからはわたしことディアナ・エジャートンがそれからの顛末を少しだけ話そうと思う。


 アンディ・ラタコウスキー男爵は不正な取引によっていくつかの美術品を手にしていた。その中にはエジャートン家が保有していた月光石の女神像も含まれていたらしい。

 女神像の持ち出しには、サイモン・エジャートンの暗躍があった。賭博で身を崩し、実家からの支援も得られなくなりつつあったサイモンは、ラタコウスキー男爵に女神像を売り飛ばすことで多額の金を得ていたのだ。

 ラタコウスキー男爵は美しい女神像をいたく気に入り、妻を娶るならこういう女性が良いと言い出した。サイモンがわたしを売り飛ばすことを思いついたのは、前述の流れがあってのことらしい。なんでもわたしは女神像とよく似ていたそうな。

 二人の身柄は現在拘束されており、余罪を調査中とのことだ。元々後ろ暗いところがある人達だ。叩けばほこりなんていくらでも出てくるだろう。この機会にばっさばっさと出しきって欲しい。


 肝心の月光石の女神像はすでに跡形もなく消え去っていた。

 以前、ラタコウスキー男爵家の保管庫に逃げ込んだ時見た石像がそうだったのだと思うのだけど、今回は僅かばかりの月光石の破片を残すばかりで、影も形も見当たらなかった。その破片もほどなくしてただの石に姿を変えたから、月光石は正しくギーンシュの元へ帰っていったのだと思う。


 八年前に〈タイム・スリップ〉したということをリア達に話すと、三人とも唖然としてわたしを見たものだった。

 いや、わたしも同じ立場だったらそうなるとは思うよ?

 七歳のディナに〈転移〉を教えてリアの〈愛し子の印〉を移したことも、長年大事にしていたペンダントも、全部わたし自身が起点となることだったなんて思わないじゃない。

 その話をした途端、リアはものすごく大きなため息と共に頭を抱えて座り込んでしまったから、ちょっと申し訳なかった。

 夢を壊してたら、ごめん。でも真相なんてそういうものだと思うんだ。


 勿論、話はそれだけでは終わらない。

 お祖父様と一緒に月光石を祀る神殿に出向いた時の話なんて、三者三様の顔をしてわたしを見ていたことが印象的だった。

 眷属をお祖父様の大剣が次々となぎ倒していった話ではルークが「すげー!」と目を輝かせていたし、闇の神によって〈愛し子の印〉が発動してしまった件では、ステラが涙目になっていた。

 とどめに夜の女神ギーンシュとの会遇だ。彼女とのやりとりの末に、わたしは本来ギーンシュが持っていた二つのものを返すことになった。力を取り戻したギーンシュがわたしを矛盾のない時の中に送り返してくれた辺りになると、リアは眉間に皺を刻んだまま考え込んでしまったのだ。


 魔法学に携わる者として興味を惹かれる反面、無茶しかしでかさないわたしに頭を悩ませていたらしい。わたしだってこんなことになるとは思わなかったんだよ。

 口にすると、リアはようやく表情を緩めてくれた。そうして一言、「君が帰ってきてくれて良かった」と優しく微笑んでくれたのだ。

 その時のわたしの気持ちをどう表現したらいいのか、今でもうまく口に出来ない。

 わたしはリアにぎゅっと抱き着いた。しがみつくわたしの背中を、リアが優しく撫でる。暫くの間わたし達はそうしていた。リアに触れられると、驚くほど自分の心が安らいでいくのが分かる。


 軽い咳払いと共に、「アタシ達はお邪魔かな」と指摘されるまで、わたしはすっかりステラとルークのことを忘れていた。慌てて飛びのくものの、時すでに遅し。もはやステラとルークのことを言えない立場だ。


 十五の夜の一件で、わたしは随分と臆病になってしまったみたいだ。リアが刺されたのだってそう。ラタコウスキー男爵の件だってそうだ。気が付くと、無意識にリアを探してしまう。

 リアは「少しずつ戻っていけばいい」とわたしの背中を撫でてくれた。いつか、この傷はかさぶたになってはがれていく日がくるのだろうか。

 くるといいな、そう思った。支えられるだけじゃなくて、支えて一緒に歩いていけるようになりたい。そう伝えると、リアはわたしの大好きなすみれ色の目を細めて笑ってくれたから。


 そうそう、忘れちゃいけない。お祖父様のお墓参りも無事、リアと行くことが出来た。

 ずっと気がかりだったんだ。わたしと中途半端に別れてそのままになっていたから。

 お祖父様は別れの際まで、わたしの知っている優しいお祖父様のままだった。どうかルキギナロクでも、変わらず見守っていて欲しい。お墓の前でそう祈ると、「どわっはっはっは!」というお祖父様の豪快な笑い声が聞こえたような気がした。


   * * *


「うわああ」


 うすーく開いた扉の隙間を覗き込んで、わたしは狼狽えてしまった。


「不足があるか?」


 リアの問いかけにブンブンと首を振る。不足なんてない。ただ、色んな意味で想像以上だったのだ。


「思っていた以上に凄かったので、ビックリしたの」


 口にすると、リアは「そういうことか」と苦笑を零す。


「ディナの十五歳の誕生日を祝う催しだ。主賓がそれでどうする」


 わたしの誕生日兼、やりそびれた卒業パーティーということで、この度ロフタス家次男による夜会が開かれていた。

 こぢんまりとしたごくごく小さな夜会だ。来訪者も主にわたしとリアの知り合いに限られる。……と聞いていたのに、すでに結構すごかった。


 まず会場が華やかだ。品の良いえんじ色の絨毯の上には、落ち着いた色彩の調度で整えられている。白で統一されたテーブルクロスの上には色とりどりの食事が並ぶ。揺れる燭台の炎。会場の奥からは、楽師が奏でるハープの音が心地よく響いている。


「いやー、そうは言ってもこれまで培ってきた貧乏根性がですね」


 こういった綺麗な靴もドレスも幼い頃に遠ざかって久しい。へっぴり腰になるわたしを前に、リアは苦笑して手を差し出した。


「今日くらいは楽しみなさい。……ほら」


 手を取り、顔を上げる。音を立てて開かれた扉の向こう側にあったのはどれも見知った顔ばかりだった。


「ディアナ、十五歳おめでとう!」

「俺からも。あと、卒業おめでとー」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、赤毛を綺麗にまとめ上げたステラだ。十五の夜に着ていた若草色のドレスを身に纏ったステラは、ルークのエスコートを受けて輝かんばかりの笑顔を向けている。


「ありがとう。それから、ステラも卒業おめでとう!」

「ふふっ、ありがとう。ディアナ」


 結局、わたしとステラは卒業パーティー不参加のまま終わってしまった。ステラは例の女子学生の後始末に追われた後、ルークと合流してラタコウスキー男爵の家に駆けつけていたし、わたしはわたしで、あの後が大変だったのだ。何せ全身疲労に加えて頬をひっぱたかれて腫れていた。リアに至っては、刺された直後の貧血状態で動き回っていたのだ。事が一段落すると気を失うも同然でスコンと落ちたのは当然と言えば当然だった。

 よって、目覚めた時には何もかもが終わっていたのである。ステラとルークには本当に心配をかけた。


「もう卒業しちゃった訳だけど、これでいよいよディアナとは離れ離れか。寂しくなるね」


 ステラの言葉にわたしは頷いた。寮で過ごした六年間、二段ベッドで同じ時を過ごした仲間だ。眠れない時、何度ステラに話しかけたことだろう。


「コリンズ商会まで遊びに行くね」

「絶対だよ。アタシ、美味しいお菓子とお茶を用意して待ってる」

「わたし、木苺のパイが食べたい」

「アンタはほんとにそれが好きだねえ」


 こんな他愛のない話が出来るのもこれからぐっと少なくなるのだと思うと、改めて寂しさが押し寄せてくる。


「いいよ。とびっきり美味しいやつ、用意したげる」


 笑うステラの隣から、拗ねたように唇を尖らせるのはルークだ。


「ねえねえ、俺はー」

「アンタは言わなくても押し掛けてくるじゃないかいっ!」

「俺だってお招きされたーい」

「分かった! 分かったから! ただでさえ大きいんだから覆いかぶさってこないの!」


 傍目だと、大型犬にじゃれつかれている猫のようなやり取りにしか見えないのはどういうことなのだろう。まあ、仲良さそうだからいいのかな。


「アドリアーノ先生も、良かったらディアナと一緒にうちにいらしてくださいね」


 ステラが改めてわたしの傍に立っているリアに向き直る。


「そっか。もうアタシ達の先生じゃなくなっちゃうんですね」


 わたし達はティリッジ魔法学校の卒業生となった今、もはや立場が異なる。ステラは

「う~ん」

と腕を組んで、リアを見上げた。


「えーっと、アドリアーノ様?」


 貴族と平民という立場を考えると、それが最も妥当な呼び名だと言える。リアも分かってはいるのだろうけれど、慣れないのか、困ったように眉を下げた。


「……今のままでいい」

「それもそうですね」


 アドリアーノ先生がアタシ達の先生だったことには違いないですし。

 ステラも多少の居心地の悪さを感じていたのだろう。敬称問題は現状維持のまま決着が着いた。そんなことを話していると、再びルークが口を挟んでくる。


「ていうか、ごく自然にうちのお得意様を引き抜こうとするのやめてもらえますー?」


 将来的にステラだってウィリアムズになるんだし。ごく当たり前のようにルークが宣言する。ステラは分かりやすく真っ赤になった。


「まだ一年は先のことだよっ!」

「ルークが卒業したらすぐなんだねえ」

「~~ディアナッ!!」


 ステラが両手を振り上げる。こんな他愛のない会話が、酷く愛おしい。

 一通り談笑が落ち着くと、次にやって来たのはステラとルークの面影を残す二人の商人達だ。


「先ほどは愚息が失礼致しました」


 苦笑と共に切り出してきたのがドミニク・ウィリアムズ。何とも言えない微妙な顔つきをしているのがイアン・コリンズだ。


「正式にコリンズの娘と婚約してからあの調子でして……」

「いえ、こちらとしては気にしていません」


 そこまで口にして、リアは僅かに口元を綻ばせる。


「むしろ、私の婚約者と随分良くして貰っています」

「ああ、先日うちの店にいらしてくださったお嬢様ですね」


 その節ではありがとうございました。ドミニクの口調は淀みない。


「それから、ご婚約、並びに十五歳のお誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 丁寧な礼をとられて、わたしは大人達の会話に加わった。一人だけ場違いのように思えてしまって、声が上ずってしまう。


「ルークにはいつもお世話になっています。それからステラも……本当に、本当にわたしの自慢の親友です」


 口にすると、それまで静かだったイアンの目がぱっと輝くのが分かった。


「娘のステラからよく話を聞いています。まさかあの時のレディがうちの娘の親友だったとは。今後とも、末永く宜しくお願い致します」


 再び丁寧な礼をとられて、わたしも礼を返す。親友の親御さんとは言え、作法が間違っていないかとっても心配だ。


「おーっほっほっほ、わたくし達もまた親友同士ッ! 今後とも末永くお付き合い、宜しくお願いしますわね!」


 突如甲高い声が割り込んできて、わたしは思わず目を剥いてしまった。

 いやいやいや、そんなまさか。

 そう思えども、これほど特徴的な声を聞き間違える筈がない。案の定、視線を向けた先には豪奢な金の巻き髪に、本領発揮のプリンセスドレスを翻したクラリッサ・トンプソンが年上の男性のエスコートと共にやってくる。

 髪の色こそ異なるが、そのすみれ色の色彩には覚えがある。わたしが思わず視線を上げるのと、リアが目配せするのはほぼ同時だった。


「兄上」


 やっぱり。わたしは内心で頷いた。

 大人しい顔立ちでありながらも、兄上と呼ばれた男性はどことなくリアに似ている。ロフタス家の正統後継者である長男で、今後わたしが正式にリアと婚姻を結べば、義兄となる人物だ。


「相変わらず兄上は婚約者殿に甘い。……去年の冬、急に呼び出された時にも申し上げましたが、婚約者殿の手綱はきちんと握って頂かなくては」

「まあ、手綱だなんて。いくら私の肌が白馬のように美しいとはいえ、そのようなたとえはあまり宜しくありませんわ」

「いやはや、可愛いクラリッサに不便をかけるわけにはいかないからね」


 全然会話が噛み合っていない。というか、随分とのほほんとしているけれど、大丈夫だろうか。

 わたしはリアを見上げた。「こういう人だ」と目線で合図されてしまった。

 ……というか、待って。よく考えなくとも、このままリアと婚姻関係を結ぶと、もれなくセットで義姉=クラリッサという構図が出来上がるってこと!?

 わたしは再びリアを見上げた。「適当に流せ」と目線で合図されてしまった。


「何はともかく、ディアナ嬢、十五歳のお誕生日おめでとう。これからもうちの弟のこと、よろしく頼むよ」


   * * *


 小さな夜会とは言え、貴族に平民入り乱れ状態となっているとはいったい誰が思うだろうか。

 まさかエジャートン家の現当主様まで挨拶してくださると思っていなかった。いや、ロフタス家の人が来ていることを考えたら、そりゃそうか。今更ながらに貴族社会の難しさを実感する。

 お世話になった図書館の司書さんやバーバラの姿まであって、わたしとしては驚きの連続だった。

 気が付けば、あっという間に時間は過ぎ去っている。慣れないことをした為か、わたしはふうと息を吐いた。


「ディナ」


 名前を呼ばれて顔を上げると、リアと目線が合った。「こちらへ」と手を引かれるままに歩いていくと、石造りのバルコニーへと辿り着く。

 夜会の喧騒が遠ざかるのが分かった。

 どうやら気を遣って貰っちゃったみたい。


「疲れたか」


 短いリアの言葉に、わたしは小さく笑みを零した。


「ううん……って言うと嘘になるけど、皆、わたしの誕生日を祝ってくれてるんだもの。ちゃんと応えたいよ」


 わたしの返事に「そうか」とリアが応える。

 なんとなく会話が途切れて、わたし達は空を見上げる。

 月の綺麗な夜だった。あんなに大変な目に遭った満月だというのに、その淡い輝きは目を奪われるほどに美しい。


「ディナ」


 名前を呼ばれて、わたしはリアを見た。


「おいで」


 優しい声だった。その声の響きに誘われるように、リアの傍に歩み寄る。そうすると、リアはわたしの後ろに立って、さらりと髪を撫でた。

 リアにそうやって触れられるのは好きだ。わたしは目を細めた。

 大きくて少しだけひんやりとした手のひらは、夜会の興奮で火照った身体に丁度いい。

 首元でチャリ、と微かな音が聞こえて、わたしは視線を下げた。


「……これって」

「失くすなといったペンダントを早々に失くしてくれたからな」


 わたしが手放し、七年間を共にして、〈タイム・リープ〉と共に消えたペンダントと全く同じ意匠のペンダントがそこにはあった。


「……流石にもう月光石はないが」


 夜の女神に返してしまったので、もうどこにも存在しない。代わりによく似た薄黄色の石がはめ込まれている。


「君に私の未来を託せば、物理的に導かれてしまうということが分かった」


 そう言えば、前のペンダントを渡された時に、そう告げられた気がする。結果的にわたしは過去に飛び、十五歳と共に死ぬ運命にあったリアの命を救ってしまった。

 託された未来をしっかり導き出したということになる。


「そういう言い方されたら、わたしが破天荒な生き物みたいじゃない」


 思わず頬を膨らませると、「実際、破天荒だろう」とピシャリだ。もう少し手加減してくれたっていいと思う。


「……だから」


 わたしの首筋を飾るペンダントを手に取って、リアは唇を寄せる。


「十五歳の先を共に生きて行こう」


 わたし達は十五の夜を越えた。

 先がなかった未来のその先に、一歩踏み出したのだ。

 踏み出したその先はただ真っ白で何もない。何もないからこそ、何者にでもなれる。どんな道だって作り出していける。


「そんな覚悟、とっくに出来てる」


 生きる為に足掻くと決めたのだ。

 泣いて、苦しんで、走って、それでも笑って。足掻いて、足掻き抜いてきたから、わたしは今ここにいる。

 わたしは、十五歳のわたしへのバトンをとうの昔に繋いでいたのだ。


「それにね、リア」


 わたしはすみれ色を覗き込んだ。その透き通るような瞳の中には、不敵に笑うわたしの顔が映り込んでいる。


「誓うなら、ペンダントにじゃなくてわたしでしょう?」


 見上げたその瞳が微かに丸くなって、それからくしゃりと崩れる。


「……違いない」


 ふわり、と魔法書の匂いがした。

 満月の光が遮られて影が落ちる。そうしてわたしは、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。

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