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彼女に至る魔法②

 私は瞼を押し上げた。

 見慣れたティリッジ魔法学校はすでになく、そこにあったのは金に物を言わせて建てられた豪華な屋敷だ。


(……相も変わらず悪趣味だな)


 高級建材を惜しみ無く使うことしか考えられていない。これだけの財を尽くせるのだという、自己顕示欲丸出しの屋敷とも言える。


(この屋敷にディナが……)


 そこまで思考して、私は杖を振り上げた。


探索(探し尋ねる魔法)


 失せものを探し尋ねる魔法だ。狭い範囲では精度が上がり、広範囲であるならば、大まかな位置を割り出せる。反響してきた魔力の揺らぎを検知して、私は屋敷の二階を睨んだ。

 ディナはこの屋敷の二階にいることは間違いなさそうだ。


「おい、お前。ここはラタコウスキー男爵家だと分かっていてウロウロしているのか?」


 声に振り返れば、胡乱げな視線を寄こす男が近づいてくる。身なりからして、この屋敷の門番だろうか。


「上から下まで黒づくめで、見るからに怪しい奴だな」


 汚れが目立たないというただその一点のみで愛用している作業着(ローブ)にそのような評価を付けられるのは甚だ不満だが、今の問題点はそこではない。

 ラタコウスキー男爵家には私兵がいる。ということはつまり、私の障害になりえるということだ。


「……ふむ。少々厄介か」

「何をブツブツ言っている? これ以上、屋敷の前をうろつくようだったら、ひっ捕らえるぞ!」


 私は懐から杖を取り出した。


「なっ!? 魔法使――」

暗闇(人目に付かない魔法)


 言ノ葉に乗せた直後、屋敷の窓から灯りという灯りが一斉に消え失せる。


「な、なんだ!? 辺りがよく見えない……!?」


 続けて、私は自分自身に魔法をかける。


夜目(夜間に見る目の魔法)


 〈暗闇〉は屋敷全体を対象範囲として、たっぷり一時間は保つ程度の魔力を先払いした。今現在をもって、ラタコウスキー男爵家の敷地内はすべてが〈暗闇〉に包まれ、それは私も例外ではない。

 ここで〈夜目〉を使う。〈夜目〉があれば、灯りなどを使わずとも〈暗闇〉の中で自由に歩き回れるようになる。


「くそっ、見えない! 一体何なんだ!」


 門番の男は癇癪を起して腕を振り回しているが、視界が確保されている私の脅威にはならない。私は彼を素通りし、そのままラタコウスキー男爵家の正面玄関から屋敷に足を踏み入れた。


(外観もさることながら、内装も随分と悪趣味だな)


 広いエントランスホールにはけばけばしい色彩の絨毯が敷き詰められ、壁面には幾つもの絵画が並べられている。所々鎮座しているのは石像だ。どうやら、ラタコウスキー男爵は美術品の蒐集癖があるらしい。

 不意に、ぐにゃりとエントランスホールの風景が歪んだ。咄嗟にたたらを踏む。


(……やはり、血が足りないか)


 体調が万全とは到底言い難い。傷口は塞がってはいるものの、失った血液はそのままだ。恐らく貧血状態が続いている。

 立ち止まり、私は深く息を吐いた。

 酷い気分は相変わらずだが、視界は多少ましになった気がする。とにかく、今は一刻でも早くディナのところに向かわなければ。


「灯り! 灯りはどこだ!」


 慌ただしい声が聞こえる。見れば、視界を〈暗闇〉に覆われ、右往左往している使用人らしき男がいた。

 丁度いい。私は狼狽えている男の首根っこを掴み、その背中に杖を突き付けた。


「……ラタコウスキー男爵の場所はどこだ。素直に白状すれば危害は加えない」


 視界を奪われている男は、突如暗闇の中から出てきた私に泡を食って悲鳴を上げた。


「ひっ、ひい! 白状する! 白状するから、その物騒なのをしまってくれ!」

(脅しておいてなんだが、吐くのが早いな)


 それだけラタコウスキー男爵に人望がないということだろう。あるいは、この男がとりわけ小心者といったところか。


「ここから階段を上って右手に曲がった奥の部屋にいる! へ、へへ……今は娘と一緒にいるから、だまし討ちにはぴったりでさあ……!」


 ここまで喋ったんだから、放してくれますよねえ。……へ、へへへ。

 男は揉み手をしながら、媚びるような眼差しで見上げてくる。実際、男の示した場所は、先ほど〈探索〉で調べた位置とほとんど相違ない。嘘は言っていないことが図らずしも証明されたことになる。


「……なぜ、そのようなことまで知っている」

「へ?」

「なぜ、娘がいると知っている」


 ディナは保管庫の中にいると言っていた。水晶玉で助けを求めていたくらいなのだから、恐らくは身を潜めていたのだろう。この短期間に、それもいち使用人が彼女の動向を把握しているのはどう考えても不自然だ。


「そ、それは……偶然! そうっ、偶然話しているのが聞こえたんだ!」


 取り繕うにしても、男は不要なことを喋りすぎていた。何よりその珍しい銀髪は、どうしても目を惹いてしまう。


「……ディナを売ったのはお前か」


 発した声は、自分でもそうだと分かるほどに低かった。

 私は男の顔を掴んだ。そのぺらぺらとよく喋る口の中に杖を突っ込む。


「ぐぼっ!?」

「これは魔法使いの杖だ」


 口にして、その目玉にもよく映るように見せつけてやる。


「便利なものでな。〈切断付与〉かければナイフのように鋭い切れ味を得られるし、〈火炎〉を唱えれば、あっという間に火柱が燃え上がる」


 喉に杖を突っ込まれた男の顔面がみるみる蒼白になっていくのが分かる。

 本人に資質は目覚めなかったとは言え、身内には高名な魔法使いが存在していた筈だ。魔法を知らないとは言わせない。

 たとえば、そう。かの魔法騎士が最も得意としていたと言われる魔法。


「それとも……〈粉砕〉なんて使ってみてはどうかな?」

「――ッ!」


 そんなものが喉元で炸裂したらどうなるのか。魔法の存在を認識しているからこそ、男に効果はてきめんだった。

 口から泡を吹いて絨毯の上に崩れ落ちる。

 ……どうやら、随分と気の弱い男だったようだ。私としてはこの程度、脅し文句の内にも入らない。この男がしでかしたことを考えるならば、生ぬるいほどだ。


(だが、今はこの男に構っている場合ではない)


 男の言葉が正しければ、既にディナはラタコウスキー男爵に引き渡されている。もはや一刻の猶予も許されない。

 よろめきそうになる身体を叱咤しながら階段を上るが、一段一段がとてつもなく重い。足を振り上げる度に、ぐらぐらと視界が揺れる。理性で感情を押さえつけなければ、今にも叫びだしそうだ。


 なんとか階段を上りきる。そのまま右手に曲ると、男が言っていたように豪奢な扉が見えてきた。もはや手で抉じ開けるのももどかしく、ほとんど無我夢中で私は扉を蹴破った。


 いくつもの燭台の火が揺らめき、その部屋は明るさを保っている。

 毛足の長い絨毯の上にはいかにも高価そうな机と椅子。それからゴブレットだ。さらにその向こう側には天蓋付きの大きなベッドがあった。

 そのちょうど真上に、不格好な人影が見えている。


「ディナ!」


 彼女の名を呼んだのはほとんど無意識だった。ベッドの影がびくりと固まる。

 やがて、一拍の間があって大きな影が振り返った。

 醜い豚のような男だった。

 剥き出しになった腹は、でっぷりと肥え太っている。ずんぐりとした太い指全てに金の指輪がはめ込まれており、エントランスホールの趣味の悪さも納得なけばけばしさだった。ほとんど剥げかかった長い頭髪を額に張り付かせ、ラタコウスキー男爵は私を見て言い放った。


「私の楽しみを邪魔するとは何事だ!」

「…………楽しみ?」


 漏らした声は、酷くひび割れていた自覚があった。


「ぁ……リ、ア……?」


 微かな声が聞こえる。

 ラタコウスキー男爵の巨体の下敷きになって、ベッドに押し付けられていた少女は、満足な声すらも上げられずに私を見た。

 その満月色の瞳は涙に濡れ、頬が痛々しいほどに赤く腫れ上がっている。無残に破かれたすみれ色のドレスが、彼女を襲った凶事を物語っていた。

 口の中で、血の味が広がった。


「お前、私の屋敷の者ではないな?」


 ラタコウスキー男爵が何か口にしているが、今さらそれは些事だった。

 この男は、自分よりも二十五も年下の少女に手を上げ、乱暴し、その尊厳を奪ったのだ。

 八つ裂きにするだけでも足りない。泣いて許しを乞おうがありとあらゆる苦しみを味わった上で、死よりも辛い地獄へ落とさねばなるまい。

 私は杖を向けた。


火炎(燃え盛る火の魔法)


 言ノ葉を告げたにも拘わらず、魔法が発現しなかった。

 咄嗟に息を詰める。これは、一体どういうことなのか。


「誰か! 誰かー!」


 私の動揺を察知してか、ラタコウスキー男爵が声を張り上げるのが分かった。

 常ならば、その声と同時に屋敷内に配備された私兵が駆けつけるのだろう。しかし、辺りはしんと静まり返ったまま、足音の一つもない。


「どうして誰もこない……?」


 駆けつける者のいない部屋の中で、ラタコウスキー男爵の顔がさらに醜く歪むのが分かった。

 いずれにせよ、ラタコウスキー男爵に味方はない。

 魔法が通じないのであれば、あとはもう身体に言い聞かせるしかないだろう。私はラタコウスキー男爵に向かって、歩みを進めた。


「おい、お前。こっちに来るな! 近付くでないと言っておる!」


 ベッドの上でラタコウスキー男爵がモゾモゾと動くのが分かった。


「さてはその杖、お前も魔法使いだな!? この部屋には逃げ出したりなど出来ぬよう対魔法アイテムが配置されている。つまり、お前らのような魔法使いの魔法は、一切私には効かないのだ!」


 口にして、ラタコウスキー男爵は下卑た笑い声を上げる。

 その声で、私はようやく頭に血が昇っていた自分を自覚した。

 今、しなければならないことはラタコウスキー男爵の安い挑発に乗ることではない。冷静に状況を見極め、確実に奴を追い詰めることだ。

 激情に身を任せ、自ら手を汚すのではない。誰もが納得出来る手法で裁きを与えることが、私の出来るこの男への断罪だ。


「こ、この女が目に入らないのか!? お前がこれ以上、一歩でも近づこうものなら、この女の首を掻き切るぞ!」


 私の目の色が変わったことを理解したのだろう。

 ラタコウスキー男爵はベッドサイドに隠し持っていたナイフを取り出すと、あろうことかディナの首元に当てて、彼女を無理矢理引きずり出した。


「……っ」


 ディナの顔が苦痛に歪むのが分かった。咄嗟に私の足は止まる。


「ふ、ふふ……いいぞ。お前はそこでじっとしていろ……。いいな、一歩でも動けばこの女の命はない」


 この一手で、自分の優位性を実感したのだろう。ラタコウスキー男爵は満足げに口元を緩めると「立てッ」とディナを強引に引きずっていった。私から距離を取ったまま、扉に向かって後ずさる。


「リア……ッ」

「っ」


 ディナが私の名を呼ぶ。そんな彼女を見下ろし、ラタコウスキー男爵は口元を吊り上げた。


「なんだ、知り合いか? だったら、この男がこれから私の兵に八つ裂きにされる様を特等席で見せてやろう!」


 口にして、ラタコウスキー男爵はディナを引きずるようにして扉の外へ足を踏み出した。

 その、刹那の出来事だった。


「ぐああああっ!」


 ラタコウスキー男爵が鋭い悲鳴を上げる。

 確かに部屋の中では対魔法アイテムが効力を発揮していたのだろう。しかし、外に出てしまえばそこは私の〈暗闇〉が及ぶ範囲だ。明るさに慣れきったラタコウスキー男爵の視界は、今まさに闇で塗りつぶされている。

 私は部屋の外まで躍り出て、ラタコウスキー男爵に向かって杖を向けた。


「――『火炎(燃え盛る火の魔法)』!!」


 次の瞬間、杖の先からは燃え盛る炎がラタコウスキー男爵の脳天ギリギリを焼いた。


「~~~~ッ!」


 残り少ないラタコウスキー男爵の毛髪に火が宿る。ラタコウスキー男爵は金切り声を上げて、髪に移った火をかき消そうと躍起になった。


「ディナ!」


 ラタコウスキー男爵の手がディナから離れる。私はディナに手を伸ばした。


「リア!」


 弾かれたように、彼女が駆け寄ってくる。

 十四の頃から、ずっと焦がれ続けた少女だった。

 会いたくて、でも会えなくて、もうその手に触れることは叶わないのかと一度は諦めかけた少女。

 私はあの日からずっと、もう一度彼女に触れたくてここまでやって来た。

 飛び込んできたその小さな身体を掻き抱けば、ディナは目を細めて顔を摺り寄せる。腫れたその頬が痛々しかった。


「……すまない。遅くなった」

「大丈夫。……ちゃんとリアは間に合ってくれたよ」


 細い腕が私の背中に回ることが分かる。その腕が微かに震えていることに気が付いて、私は唇を噛んだ。

 叶うことならば、ディナにこんな思いなどさせたくなかった。それでも彼女は、涙を零しながらも笑いかける。


「助けに来てくれてありがとう」


 それから。

 口にして、彼女は満月色の瞳で私を見上げた。


「リアにもう一度会えて、嬉しい」


 遠くから喧騒が聞こえる。

 勇ましい声と、突然の事態に狼狽える使用人たちの声。ウィリアムズに頼んであった証文が効力を発揮し、衛兵が雪崩れ込んできたのだ。


「アンディ・ラタコウスキー男爵、貴殿の不正取引について証文が上がってきている。同行願おう」


 魔法の心得がある者が同行していたようで、〈光明〉と共に現れた一団が、ラタコウスキー男爵を連行していく。

 その後ろには、ウィリアムズとコリンズの姿もあった。どうやら、私達は随分と心配をかけていたようだ。


 私はディナを見た。ディナも私を見返して、瞳を瞬かせている。

 ――そうして、私達の波乱に満ちた十五の夜は幕引きを迎えたのだった。

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