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彼女に至る魔法①

(……ディナ!)


 その鈍い光を視界に収めたのは偶然だった。

 口元は醜悪に歪められ、瞳には燃え滾るような憎悪を宿している。握り締めていたのは、満月の光を反射するナイフだ。

 凶刃がディナに向かっている。認識するや否や、私の身体は動いていた。


「ディナッ、危ないッ!!」


 ディナの体を突き飛ばす。次の瞬間、激しい痛みが腹部から脳天に突き抜けた。


「え?」


 満月色の瞳が驚いたように丸められたのが分かった。

 血に濡れた手のひらを見下ろして、動きを止めている。その顔には「信じられない」と書かれてあった。


「ひっ!?」


 短いコリンズの悲鳴。それとほぼ同時に、ウィリアムズの鋭い声が響き渡った。


「暴れるなッ!」


 私の身体に凶刃を突き立てた犯人がウィリアムズによって取り押さえられる。

 まるで獣のように髪を振り乱し、今にもウィリアムズに噛みつかんばかりだった。それほどまでに激しく抵抗しながらも、彼女の瞳はある一点に向けられたまま、外されることはない。

 ディナだ。彼女がディナを害そうと刃を向けたことはもはや疑う余地もなかった。


「この女狐ッ! おまえがッ、おまえがッッ、アドリアーノ先生を誑かしたんだあァァッッ!」


 私はその女の顔を見た。驚くべきことに、私が担任している応用魔法学の生徒だ。

 新学期早々に好意を告げられた相手と特徴が一致する。

記憶が正しければ、「私は本校の客員講師でしかなく、君の好意には応じられない」と返答した筈だ。


「殺してやるッ! 殺してやるうぅぅッ!! ウゥゥゥウウウアアアアァアアアアァァッッ!!」


 特徴は一致するが、本当に同一人物かと見間違えるほどの豹変ぶりだった。

 ウィリアムズに取り押さえられながらも、彼女はギラギラと目を血走らせて暴れまわっている。


 ……彼女の凶刃がディナに突き立てられることがなくて良かった。

 くらっと視界が滲んだ。

 まともに立っていることが出来ずに蹲る。刺された腹部は、今や燃えるように熱かった。とめどなく血が流れ出ていることは分かったが、今刃物を抜けば出血多量で確実に死に至る。霞む視界の中、辛うじてそう判断出来た。


「リアッ!?」


 ディナの声が聞こえる。

 嫌な予感がした。

 今や〈タイム・スリップ〉の発動条件は言ノ葉を告げるのみだ。正しく次の新月への移動を宣言しなければならないこの場において、ディナはあまりにも動揺し過ぎている。


「誰かリアの命を助けてぇ……っ!!」


 その言ノ葉では、次の新月には行けない。

 訂正するよりも、月光石が輝く方が早かった。目も眩むほどの眩い光が辺りを包み込む。

 輝きが収束するまで、さほど時間はかからなかった。ディナの姿が掻き消えたことは認識出来たのだろう。女子生徒は呆気にとられた表情のまま、首だけを動かしてこちらを見た。

 ようやく自分が刺した相手を認識したのだろう。


「違う、違うの……。あの女から目を覚まして貰いたかっただけで、先生を殺そうとしたわけじゃ……」

「もう黙ってろ」


 凍り付くような冷たい声だった。普段の飄々とした態度をかなぐり捨てて、自身の上着で女子生徒の手首を拘束したウィリアムズが、コリンズに視線を向ける。


「ステラ、コレを頼むわ」


 コリンズが女子生徒の傍に付き、無言で杖を向ける。魔法使いであれば、それがどういう意味を持つのか分からない者はいない。


「アドリアーノ先生。俺は〈治癒〉が使えます。癒師ほどの高位魔法は無理でも、止血くらいは出来る。……ナイフ、抜きますよ」


 恐らく顔色は最悪なのだろう。加えて言えば、悪寒と脂汗も止まらない。私は返事をすることもままならず、視線でウィリアムズに合図をした。


「了解です。んじゃ、行きますよ」

「~~っ!」


 激痛が再び脳天を突き抜ける。燃え滾るような腹部からは血が流れ出ようとする感覚があった。

 温かい何かに包まれる。それがウィリアムズの〈治癒〉だと認識出来るようになるまで、僅かに間があった。どうやら少しの間、気を失っていたようだ。


「~~っはー。とりあえず傷は塞ぎましたけど、出た血は返ってこないので、当分絶対安静っす。あとでちゃんと癒師に診て貰って下さいね」


 先生基本ひきこもりで、運動もろくにしてこなかったでしょ。それじゃあ駄目ですよ。

 口では軽口を言っているが、地面に座り込むウィリアムズの額には脂汗が浮かんでいる。

 〈治癒〉は術者の精神力を大きく消耗する魔法だ。ましてやウィリアムズは武科の学生で、癒学を専門とはしていない。かなりの負担を強いた筈だ。


「……す…ま、ない……」

「いいってことです。うちの店のお得意様に死なれちゃ困りますから」


 口にして、にかっと人懐っこく笑う。


「とりあえず、一休みしたらさっきのアレは突き出すとして、問題はディアナ先輩ですよね」


 私がろくな返事を返せないのは分かっているのだろう。ウィリアムズは特に気にした様子も見せず、言葉を続ける。


「肝心の言ノ葉でしくじっちまってますからね。かといって、今の俺達じゃどうにも……って、ん?」


 口にして、ルークは何かに気が付いたようにゴソゴソとポケットを漁り始めた。まもなく出てきたのは、手のひらに乗るような小ぶりの水晶玉だ。


『ルーク。聞こえたら返事して、ルーク!』


 水晶玉から響いてきた声は、今まさにその身を案じていたディナに他ならない。

 私達は目を見合わせた。


「ディアナ先輩!?」


 まともに動けない私に代わって、ルークが水晶玉を覗き込む。次の瞬間、水晶玉の中で今にも掴みかからんばかりにディナが身を乗り出すのが分かった。


『リアの怪我は大丈夫っ!?』

「……さっき止血が終わったとこ。すぐに塞いだから大丈夫だよ」


 ウィリアムズはゆっくりと頷いた。その言葉に、みるみる内にディナの表情が崩れていく。


『リアは生きてるんだね……』

「ん。このまま安静にしてれば問題ないと思う。だからそんな泣かなくったって大丈夫だよ、ディアナ先輩」

『うん……うん……ありがとう、ルーク……』


 口にして、ディナはその瞳からぽろぽろと涙を零す。

 私が言うのもなんだが、酷い顔だった。衆目に憚らず涙を流し、鼻水まで垂れている。せめて鼻水くらいはチンしなさい。思わずそう言いたくなる。


『……良かった』


 だけど、その一言を聞いたら全てがどうでも良くなった。

 彼女は私の身を心から案じてくれている。そう気が付くと、今すぐにあの締まりのない顔を見たくなった。


「ディアナなのかい!?」


 こちらのやり取りに気が付いたのか、コリンズがやって来る。彼女は驚いたように水晶玉のディナを見つめていた。


「十五の夜は!?」


 そう、十五の夜だ。

 私達はそれを越える為に、これまで準備をしてきた。

 ディナから連絡が入ったということは、失敗したということに等しい。しかし、満月は既に昇っている。タイミングを考えるのであれば、〈愛し子の印〉は発動していてもおかしくない。


『色々あって越えられたの。今はもう平気だよ』


 それは一体どういうことなのか。

 尋ねたくとも満足に聞き出すことは出来ない。新たな疑問に私が顔を顰めるのに反して、コリンズは小さく鼻を鳴らした。


「良かった……」


 そうだ。ディナが規格外の動きをするのは今に始まったことではない。

 今は、彼女がただ無事だったことを喜ぼう。

 私が安堵の息を吐くのとほぼ同時に、再びウィリアムズが水晶玉を覗き込む。


「なんかいい雰囲気でまとまってるとこ悪いけど、ディアナ先輩ってば今どこにいるのー?」


 その言葉に「そうだった!」と言わんばかりに、ディナの満月色の瞳が丸くなった。


『それが、アンディ・ラタコウスキー男爵邸の保管庫にいるみたいで……。おまけに今、わたし〈魔力なし〉になっちゃってるから、助けてほ――』


 彼女の言葉は最後まで言い切ることなく掻き消えた。直後、聞き覚えのない男の声が響く。


『誰もいない筈の保管庫で声がすると思ったら、ずいぶんと久しぶりじゃあないか』


 お父様、と呟くディナの声音は、今まで聞いたことがないほどに他人行儀なものだった。

 事情を察するには十分なやり取りだ。図らずしも水晶玉の魔力が途切れて、映像が掻き消える。

 最初に声を上げたのはコリンズだった。


「すぐにディアナを助けに行かないと!」


 アンディ・ラタコウスキー男爵の話は、以前コリンズから聞かされていた。元より品のない遊び方をするともっぱら悪評しかない男だ。そのようなところに年頃の娘を放り込むなど、とても正気の沙汰とは思えない。


「ステラ、待った」


 今にも飛び出さんばかりのコリンズに待ったをかけたのはウィリアムズだ。


「金で爵位を買った元商人とは言っても、相手は男爵だ。しかも評判がすこぶる悪い。俺やステラがそのまま行っても門前払いされるのが関の山だ」

「だからって、ディアナを見捨てられる訳ないだろうっ!? あの子は今この瞬間にだって怖い思いをしてる筈なのに!」

「それでステラが危険な目に遭うのは本末転倒だ」


 ウィリアムズの意見はもっともだった。武科のウィリアムズはともかく、文科のコリンズが荒事に飛び込むのは危険でしかない。


「……そう、かもしれないけど」


 口にしながらも、納得は出来ていないのだろう。コリンズは唇を噛んでいる。

 つくづく思う。ディナは良い友人を持った。

 私は息を吐いた。地面に手を付き、腹に力が籠り過ぎないように、ゆっくりと起き上がる。


「アドリアーノ先生はまだ動けるような状況じゃ……」

「今、私が動かなくていつ動く」


 傷は既に塞がっている。万全とは言い難いが、手も足も動いて、頭も回る。何より、私が唯一だと心に決めた彼女が、今も危険の中にいるのだ。どうしてじっとしていられるだろうか。


「コリンズは殺傷沙汰を起こした生徒を、他の先生に引き渡しなさい。……そうだな。薬学のゲイリー先生なら上手く対応してくれるだろう」


 ちらりと先ほどウィリアムズが縛り上げた女子学生に視線を向ける。どうやら目を離している間にコリンズはしっかり拘束を強化していたらしく、いつの間にか猿轡まで増えていた。道理で先ほどから静かな訳だ。


「任せてください。ディアナを狙って先生まで傷つけた以上、しっかり引導渡してきます」


 同性である分、寧ろ遠慮はなさそうだ。女子生徒の件はコリンズに任せて問題ないだろう。


「ウィリアムズには伝令を頼みたい。魔法準備室の机の引き出しの一番上に、ラタコウスキー男爵の不正取引に関する証文が入っている。これを持って詰所に行きなさい」


 コリンズからラタコウスキー男爵の話を聞いた後、密かに調査を進めていたものだ。ゆくゆく利用しようと考えていたが、今が使いどころだろう。


「吹き込み方は俺好みにしちゃっていいすか?」


 意図は察したのだろう。ウィリアムズは即座にそう返してきた。


「好きにしなさい」


 授業態度はあまり思わしくないのに、頭の回転が速いのは流石商家出身と言うべきか。私の言葉に、ウィリアムズはニヤッと笑ってみせる。


「お任せあれ!」


 コリンズとウィリアムズが動き始めると同時に、私は自身の杖を取り出した。


(ラタコウスキー男爵家はティリッジ魔法学校から見て南東の方角)


 屋敷の前なら一度通り過ぎたことがあった。

 従って、〈転移〉の使用が可能となる。場所に対する〈転移〉の成立条件は、一度でも訪問したことがあるかどうかだ。


 〈転移〉はディナが十四歳の私を救ってくれた魔法だった。

 ただ彼女の面影を求めて名前を付けた魔法が、彼女に辿り着くための言ノ葉になるとは、一体誰が予見出来ただろう。

 因果めいたものを感じながら、私は己の杖を握り締め、瞼を閉じる。


(どうか無事でいてくれ)


 祈り、紡ぐ言ノ葉は決まっていた。

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