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会遇

 どうして幼い頃のわたしと同じ顔をした女の子がいるのか。リアは一体どうなったのか。そもそも、十五の夜は新月になったのか。

 考えなければならないことは山のようにある。ぐるぐるとまとまらない思考が頭の中を駆け巡っていて、今にも叫び出しそうになるわたしを前に「ひゃあっ!」と甲高い声が響き渡った。


「その手……!」

「……手?」


 言われて、自分の手を見る。

 手のひらは血で紅く染まっていた。


(やっぱり、リアが刺されたのは現実なんだ……)


 わたしは唇を噛んだ。

 〈タイム・スリップ〉をしようとしたあの瞬間、刃物と共に現れた女子生徒には覚えがあった。ゲイリー先生の授業でわたしに前に出るよう口にし、指輪を盗られた時には教卓に向かって押し出してきたクラリッサの取り巻き女子。

 まさかあの子が以前クラリッサを刺そうとしていた……そして、今回の事件の犯人だったなんて。


 それだけじゃない。わたしを庇って、代わりにリアが刺されてしまった。

 あの出血量だ。単なるかすり傷にはならない。

 〈タイム・スリップ〉が発動し、わたし自身が時間を移動してしまった以上、もはやどうにもならない話だ。頭では理解していても、心が追い付かない。

 もし、またリアが死んでしまったら……。そんなの、とても耐えられない。


「あの……」


 戸惑う声に、わたしははっとして女の子を見た。

 とにかく、今は目の前のこの子だ。

 幼い頃のわたしそっくりな女の子は、血まみれの手を見てすっかり怯えている。


「怪我……してるの? 痛い?」


 とにかく安心させてあげることが先だろう。どうしたものかと視線を動かしたところで、地面に転がっているホワイトバーチの杖が映り込んだ。


(わたしの杖!)


 どうやら〈タイム・スリップ〉と一緒にやってきたらしい。わたしは杖を握りしめると、女の子に向き直った。


「大丈夫だよ。見ていてね」


 日は高く昇っており、そよそよと気持ちのいい風が流れている。暑すぎることもなく、かといって寒すぎることもない過ごしやすい気候だ。遠くに豊かに実った麦畑が見えていることから、少なくともここはティリッジ魔法学校内ではない。


(今は昼だから……)


 夜魔法は大したことが出来ない。ただし、目の前の女の子を安心させるだけなら、この魔法で十分だ。


転移(移動する魔法)


 自分の手のひらに張り付いていた血痕を、わたしの足元の地面へと〈転移〉させる。


「えっ!? あれっ!?」


 女の子は信じられないものを見たと言わんばかりに目を丸くしている。目線を合わせ、わたしは女の子に笑いかけた。


「お姉さんは魔法使いなんだよ。だからこれくらいへっちゃらなの」

「魔法使い!?」


 女の子の満月色の瞳はいよいよまん丸になって、今にも零れ落ちそうだ。


「すごい! すごーい! 痛いの消えちゃった! 魔法使いってすごぉい!」


 元々痛くはなかったんだけどねー。

 女の子の素直すぎる騙されっぷりに、将来が心配になってしまう。どうか強く生きて欲しい。


「ねえねえ、魔法使いさん。一生のお願いっ! わたしに魔法を教えてっ!」


 今度は私がきょとんとする番だった。女の子は短い手足を精一杯使って、身振り手振りで話し始める。


「あのね、わたしディナって言うの。お母様が病気でずーっと寝たきりなのよ。魔法使いさんの魔法があれば、お母様もきっと元気になると思うの!」

(……この子、自分のことを『ディナ』って言ったね)


 薄っすらそんな気はしていた。

 ただ、認めてしまうと色んなことを考えなければならなくなるので気が付かない振りをしていたかった。いたかったけれど、知ってしまった以上は考えなければならない。


(ここ、過去だ)


 しかも、半月とかそんなレベルの話じゃない。お母様が生きている頃だから恐らく、七、八年くらい前だ。

 わたし、半月後の新月じゃなくて、過去に飛んじゃったんだ!


「……魔法使いさん?」


 女の子、ことディナは不思議そうにわたしを見上げている。


(えーっとえーっと、あの頃私は……)


 忘却の彼方へ追いやった記憶を必死になって思い起こす。その時ふと、昨晩リアから聞かされた話を思い出した。


(十四歳のリアは、七歳のわたしの〈転移〉で助かったって言ってた。そんでもって、七歳のわたしは本来〈転移〉なんて知ってる訳がないから……)


 ディナが〈転移〉を使ったのだとしたら、それを教えた魔法使いがいた筈だ。つまり、彼女に〈転移〉を教えた魔法使いこそが……。


(わたしだ――っ!)


 ほとんど記憶がない理由も思い出した!

 せっかく教えて貰った〈転移〉を使う間もなくお母様が亡くなってしまったのだ。大好きだったお母様の死が悲しくて、魔法なんてあってもお母様を助けられなかったら意味なんてないと思って、それでわたしは……。


(魔法を一度やめてしまった)


 だけど、リアはわたしに言った。「あの日君が救ってくれたから、今の僕がある」と。


「……魔法使いさん?」


 わたしはディナを見た。いずれわたしになるわたしを。


「そうだね。……それじゃあ、ディナにわたしの知っているとっておきの魔法を一つ教えちゃう」

「ほんとう!?」


 ディナはぱっと顔色を輝かせている、わたしは彼女を見下ろして笑った。


「うん。でも、ディナだけだよ。ちゃんと秘密に出来るかな?」

「できるよ!」


 元気いっぱいの返事にわたしは頷いた。


「ならあなたは魔法使いになれるよ。それじゃあ、まず――…」


 子供というのは末恐ろしい。

 一度口にしただけなのに、即実践でものにしてしまう。我ながら飲み込みの早さにびっくりだ。打てば響くというのはまさにこのことを指すのだろう。

 将来を知らなければ、「将来楽しみだね」と言っていたところだ。自分自身なのでしょうがない。


「あっ、猫ちゃん!」


 ミャーオという、なんとも心惹かれる鳴き声に目を凝らせば、小さな子猫がトテトテと歩いている。白くてふわふわしていて、思わず抱きしめたくなるような愛らしさだ。

 わたしが惹かれるということは、当然、ディナも目を輝かせている。


「猫ちゃーん!」


 子猫はディナを見るや否や、飛び上がって走り始めた。


「待ってー!」


 ディナは子猫を追いかける。

 猫は警戒心の強い生き物だから、近づいてくるまではそっとしておいた方がいいんだよ、という言葉は伝えられなかった。


「嘘でしょ……」


 信じられないほど足が速い。素早さで言えば、子猫に負けないと思う。わたしは呆気に取られて、小さくなっていくディナの姿を見送るしか出来なかった。


(……ってこんなことしてる場合じゃない!)


 ディナのおかげで、今が大体七、八年前くらいであることにはあたりが付いた。リアのことは心配でたまらないけれど、すでに〈タイム・スリップ〉をしてしまった以上、現時点では手の出しようがない。目下、考えなければならないわたしの問題は、今日が新月かどうかだ。

 まずは今日を生き延びる。それから、帰る方法を考える。わたしはリアのことを諦めたくなんてない。


「ただ、今日の月齢となると……」


 この時代の人に尋ねる他ない。しまった。さっきディナと話した時に、今日の月のことを聞いておけば良かった。

 わたしは考え込んだ。状況と風景から察するに、ここはエジャートン家の所有していた土地の一部だ。実父であるサイモンが賭博に負けて手放すことになるまで、この辺りの麦畑はわたしの遊び場だった。


「お父様に聞く……のは論外。お母様は……」


 会えるものなら、もう一度会いたい。

 あの優しい腕に抱かれて、「可愛い私のディナ」と呼ばれたい。だけど、それをして貰うのは……わたしじゃなくて、ちっちゃなディナだ。

 未練を断ち切るように首を振る。

 両親の所へは行けない。じゃあ、今のわたしが頼ることの出来る人物って誰だろう。


「……お祖父様」


 筋肉日記の冒頭に必ず月齢を記入していたお祖父様は、この頃はまだご存命だった筈だ。


「お祖父様にお会い出来るなら、色々なことが分かるかも……」


 日記には筋肉のことしか書かれていなかったことは一旦棚に上げておく。いずれにせよ、わたしにはほとんど時間が残されていない。


(エジャートン本邸はそんなに遠くないけど、一人で乗り込むのは流石に無謀よね)


 ディアナだと名乗っても、「お嬢様はこんなに大きくない」と追い出されるのが関の山だ。装い的には、リアの贈ってくれたドレスのおかげで、かなり貴族らしくなっているんだけど……。


「そっか!」


 わたしはポン、と手を打った。

 わたし一人だと怪しまれるなら、お祖父様が可愛がっている孫娘のディナと一緒に行けばいい。幸い、わたしはすでに彼女と顔を合わせている。


「ディナー!」


 彼女はまだ遠くにまでは行っていない筈だ。子猫を追いかけて一体どこへ行ったのだろう?

 麦畑を通り抜け、わたしはようやくちっちゃなディナの後ろ姿を見つけることが出来た。……と思ったら、もう一人、こちらはわたしとそう年齢の変わらない少年がいる。わたしは思わずホワイトバーチの木陰に身を隠してしまった。


「だから出来るって言ったもん!」

「一体どうやって」

「だってわたし、魔法使いだもの」

(暴露するのが早すぎる!)


 教訓。子供に話した秘密は拡散されるもの。

 わたしは頭を抱えた。そうこうしている内に、ディナの頭がかくんかくんと揺れ始める。


「これでリアも安心だよね……ふわぁ……」


 糸の切れた人形のように崩れ落ちるディナの身体を、少年が支えるのが見えた。


「っ、ディナ!?」


 どきり、とする。

 少し高いその声には、どことなく聞き覚えがあったからだ。


(もしかして……)


 そろりと木陰から顔を覗かせて、わたしは確信を持った。

 眠るちっちゃなディナを抱きかかえている少年は、まるで天使の彫刻かと見間違えるほどに整った顔つきをしていたからだ。あんな綺麗な黒髪の子供がポコポコ量産される筈がない。どう考えても、十四歳のリアに違いなかった。


(えーっと、つまり……)


 わたしがディナに〈転移〉を教えた。

 ディナが十四歳リアの〈愛し子の印〉を〈転移〉した。

 リアはディナのことを覚え続けていて、現在に至る……ってことだったんだね!?


 話には聞かされていたけれど、見ると聞くとでは大違いだ。

 わたしが軽いパニックに陥っている間にも、リアはディナを見下ろしている。

 その視線がディナの大きく開いた襟ぐりを向かったことに気が付いて、わたしは思わず動きを止めてしまった。

 リアの白い指先がゆっくりとディナに伸びる。わたしはほとんど反射的に声を上げていた。


暗闇(人目に付かない魔法)


 ずわっと周囲が暗くなり、リアの身体を包み込む。ディナを抱えたまま、リアが地面に横たわったのが分かった。


「……流石にその年で幼女趣味に目覚めるのは良くないと思うの」


 いくら相手がわたしとは言っても、それは良くない。これでもわたし達は節度あるお付き合いをしているのだ。

 わたしは隠れていた木から姿を現した。

 リアもディナも横たわったまま静かな寝息を立てている。まさか〈タイム・スリップ〉直後に、リアの〈愛し子の印〉を〈転移〉することになるとは思ってもみなかった。というか、こんな一大事にわたし自身が関わっていたとは、一体誰が思うだろうか。

 わたしは息を吐いて、リアを見た。


「……また、未来でね」


 リアのすみれ色の瞳は閉じられたままだ。本音を言えば、一言くらい彼と言葉を交わしたい。

 だれど、未来から来たわたしがそんなことをすれば、余計な混乱を生んでしまうのは目に見えている。ディナとは違ってリアは用心深く、簡単に心を開いたりはしないだろう。

 わたしは倒れているディナを背負うことにした。それなりに重いけれど、動けないほどではない。このままエジャートン本邸に向かうくらいならどうにかなりそうだ。


「アドリアーノ! どこだい、アドリアーノ!?」


 リアを探す声が聞こえる。

 以前聞いた話の通りならば、リアの叔父だろう。声の感じからしても、そう時間のかからない内にリアを見つけてくれる筈だ。

 最後にもう一度だけ振り返って、わたしは歩き出した。


 太陽は丁度、頭のてっぺんを昇ったところだ。麦が実る季節であるなら、日が沈むまでにまだ多少の猶予がある。

 わたしは背中のディナを背負い直し、エジャートン本邸に向かった。

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