初夏の始まり
それからは、まさに怒涛の日々だ。
〈転移〉なら肉体の移動を実現出来る。応用すれば肉体を伴う時の移動〈タイム・スリップ〉も夢ではない。
仮説を立てることは出来ても、その論理を実現させるとなると話は別だ。おまけに、要として使える月光石はたった一つきりで、一世一代の魔法もぶっつけ本番になる。絶対に失敗出来ない以上、念入りな調整が必要だった。
最終学年という残り僅かな学生生活をこなしながら、時間を見つけては〈タイム・スリップ〉の構築の為足繁く魔法準備室に通う。気が付けば雪は解け、新芽は芽吹き、揚げ菓子と蜂蜜入り炭酸水でお祝いする季節を通り過ぎていた。その頃になると、〈タイム・スリップ〉の魔法論理も大詰めまで出来上がっている。
わたしが十五歳を迎えるまで、残すところあと僅かとなっていた。
「ディアナ先輩ってさ」
リアが忙しくて魔法準備室が使えない時、わたしがたむろする場所と言えば秘密基地だ。羊皮紙に書き込んだ魔法論理とにらめっこをしているわたしを前に、ルークが何気なく続ける。
「卒業後はアドリアーノ先生の奥さんになるんだよね」
「ふぎゃっ」
握っていた羊皮紙を落としてしまった。
慌てて取り上げる。羊皮紙が皺になっていないか確かめて、わたしはルークを睨みつけた。
「ビックリさせないでよ」
「今更そんな純な反応しちゃう? 付き合い始めでいきなりチューしてたでしょー」
「十五の夜を越えなきゃ先がないんだから、それどころじゃないんだって!」
実際、ここ数か月はとんでもなく忙しかったのだ。〈転移〉を応用させた〈タイム・スリップ〉だなんて、どの研究会にも確立されていない魔法論理だ。考えることなんて山のようにある。
「そもそも在学中はちゃんと講師と生徒でいようって話だったし」
「ということは、あんなに惚気ておきながら最初のチュー以外は進展なしってこと?」
信じられない、と言わんばかりの顔つきでルークはこちらを見ている。せ、節度あるお付き合いなんだよ!
「…………そんなに変、かな?」
「まあ、アドリアーノ先生ファン多いし、今は大人しくしといた方がいいだろうなーってのは分かるよ」
実際、リアは客員講師としてそれなりに忙しい。その上〈タイム・トリップ〉の魔法論理を組み上げなければならないのだから、猫の手も借りたいほどの慌ただしさなのだ。
会える時間はどうしても限られてしまうし、何より日中は他の生徒の目もある。とりわけ女子生徒への人気の高いリアが迂闊な行動を取るわけにもいかず、清く正しい交際が続いているという訳だった。
「いやはや、アドリアーノ先生すごいなーと。俺、見直しちゃったね」
そう言われると、ルークとステラの進展具合を尋ねたくなるものの、やぶ蛇になることは分かりきっている。今やルークとステラは、学内一と言っても過言ではないラブラブカップルとしてその名を轟かせていた。神殿で祝福を受けるのももはや時間の問題だろうとまで言われているのだ。
今となっては、お互いすれ違ったまま長らく話もしていなかっただなんて、信じられないよね。
「わ、わたし達のことはいいからっ! それより、昨日もクラリッサ来てたんでしょ。大変だったんじゃないの?」
わたしの言葉にルークはにこにこと笑顔を浮かべている。
「そりゃあウィリアムズ商会の太客ですから、おもてなしもそれなりにってもんだよ。でもまあ、しっかり儲けさせて貰ったかなー」
「うーん。相変わらず推し活に励んでるんだねぇ……」
リアの熱烈なファン筆頭であったクラリッサの豹変を、一体誰が想像出来ただろうか。
トンプソン家の貴族令嬢として育て上げられたクラリッサは、務めは務め、推しは推しと割り切る強かな女性でもあった。要するに、自分の婚約は貴族の務めとしてさっくり認め、その上で好きなようにするという考えなのだ。
リアとの婚約騒動も、彼女はあくまで真実しか話しておらず、勝手に邪推した周囲が悪いという姿勢を崩していない。
好きなものは好きだし、認知もされたいし、何だったら他人を押しのけてもいい。強火な姿勢は相変わらずであるものの、クラリッサは自身の領分を弁えている。要するに、貴族令嬢としての一線を越えない程度に推し活を楽しんでいるらしい。
「……ステラはキレてたけど」
「今回の商売では一枚噛んでる筈なんだけどなー」
「それはそれ、これはこれなんだと思うよ」
乙女心とは難しいものなのだ。恋をしてみて初めて分かったことでもある。
「……そう言えば、クラリッサに刃物を向けたって女子生徒は結局見つからなかったんだっけ」
「だねー。クラリッサ先輩がアドリアーノ先生に絡まなくなったっていうのもあるんじゃないかな。とにかく、大事にならなくて何よりだよ。このままディアナ先輩も卒業だしねー」
「ん? どうしてそこでわたしの名前が出るの?」
「やだなー。例の犯人、アドリアーノ先生の熱烈なファンって感じじゃん? だからもし次を狙うんだったら、先生とくっついたディアナ先輩が一番危ないって思ってたんだよ」
口にして、ルークは困ったように眉を下げた。
「まあでも、先輩達もう卒業だから大丈夫だと思うけどね。これでも心配してたんだよー」
それは気が付いていなかった。ルークには本当に細かい所で助けられてばかりだ。わたしは「ありがとう」と改めてルークにお礼を告げた。
「こうやって秘密基地でディアナ先輩と話すのもあと少しと思うと寂しくなるねー」
「ルークはあと一年あるもんね」
「そ。俺もステラと一緒が良かったな……」
「もう。そんなこと言わないの」
〈タイム・リープ〉を果たして、二度目の最終学年を送ることになったこの一年を振り返る。
魔力を失い、とんでもない目に遭ったと思った。ルークに仲を取り持って欲しいと頼まれ、ステラの知らない一面を見た。恋を知り、辛い想いをした。涙に濡れた日もあった。どう立ち上がればいいのか分からなくて、声が枯れるほどに叫んだりもした。
それでも、振り返ってしまえば、こう思ってしまうのだ。
「きっと楽しい一年になるよ」
わたしやステラがいなくとも、ルークの周りには多くの人がいる筈だ。その出会いや繋がりを大切にして欲しいと心から願う。
「……そうかな」
ルークは少しだけふてくされている。年相応な仕草に、わたしは思わず笑ってしまった。
「だって、わたしがそうだったもの!」
* * *
「ディアナ、荷物が届いてたよ」
寮のいつもの部屋に帰ってくると、見慣れない大きな箱が部屋の真ん中に鎮座していた。全く心当たりなどなく、わたしは目を瞬かせてしまう。
「ステラ宛じゃないの?」
「だからディアナ宛てなんだって」
ステラは呆れたように腰に手を当てている。とは言っても、分からないものは分からないのだ。差出人を確かめようにも、手掛かりになるようなものが何一つ出てこない。こうなってくると、いよいよ怪しいという訳だ。
「とりあえず、見てはみよう」
分からないけれど、わたし宛ということはわたしに充てられたものなのだろう。警戒をしながらも、わたしは大箱の前に膝を付いた。しゅるりとリボンを解いていく。
「……おお?」
箱の中から出てきたのは一着のドレスだった。
大人っぽい印象の一着だ。すらりとした身体の線が出るシルエットながらも、膝周りにはたっぷりとした布地があてがわれている。こういうのってマーメイドラインって言うんだよね。
「ディアナにすごく似合いそうじゃないかい!」
後ろからのぞき込んできたステラが歓声を上げる。わたしは思わず眉を下げてしまった。
「そりゃすごく素敵だと思うけど、どうしていきなりこんなものが……」
「それ、本気で言ってる?」
ステラの声のトーンが下がったのが分かる。
「はあ……アタシ達、もうすぐ卒業じゃないか。卒業パーティーで制服を着ていくつもりかい?」
「わたしは〈タイム・スリップ〉で新月の日に移動するから、パーティーには出ない予定だし、制服で十分だよ」
口にすると同時に、ステラは「まったく!」と憤慨した。
「それでも、ディアナにとってはティリッジ魔法学校卒業の大事な日であることに違いないじゃないか!」
言われてみて、思い出す。そう言えば、二回目になるけれど、わたしはきちんと卒業パーティーに出席したことはない。
頓着しないわたしの行動を見越して、ドレスを贈ってくる人なんて、実質一人しかいなかった。何より、このドレスはまるで明け方の空のように綺麗な黒から紫のグラデーションに染め上げられている。
より正確に言うならば、紫よりもすみれ色。誰かさんの瞳の色だ。つまり、このドレスを贈ってきたのは……。
「リ……アドリアーノ先生からの贈り物ってことだよね」
差出人を記せない訳だ。学内の誰かに見られでもしたら騒ぎになってしまう。
「アタシ達はちゃんとティリッジ魔法学校を卒業するんだ。卒業して、大人になって、これからを生きていく。このドレスを贈ってくれたアドリアーノ先生も同じ気持ちだと思うよ」
十五の夜を越えなければわたしは生きていけない。だから卒業パーティーなんて二の次で、わたしはわたしが生きるための術に全力を賭けるべきだ。
それも一つの考え方なんだと思う。
だけど、ステラやリアはわたしに、わたしの人生を大切にしろと語り掛ける。
「……ステラはいつもわたしを大事にしてくれるね」
「っ、当たり前じゃないか!」
わたしの言葉に、ステラは間髪入れずに声を上げた。
「大体、ディアナが頓着しなさすぎるんだよ。アンタが自分を大事にしてくれないなら、アタシが言って聞かせるしかないじゃないか……っ」
ステラはいつもそうだった。わたしがリアへの気持ちに蓋をした時も、アンディ・ラタコウスキー男爵のところから逃げ帰って来た時も、〈夜の愛し子〉であることを知った時も。
どんな時も、一番にわたしの心に寄り添って、わたしの傍にいてくれた。
「……勉強しか取り柄のなかったわたしに、最初にステラが声をかけてくれたこと、本当に嬉しかったんだよ」
言葉は自然に口から出た。
「わたしがここまで来れたのはステラのおかげ」
ステラは若草色の瞳を驚いたように丸くさせている。
「そんなの、アタシもだよ」
ステラは、わたしがいなければルークと仲違いしたまま卒業式を迎えていただろう口にする。心のどこかでルークのことを引きずりながら、見ないふりをして、気付かないふりをして、生きていったに違いない、と。
「コリンズ家とウィリアムズ家の仲の修復も出来ないままだったと思うんだ」
ステラとルークの関係が修復された後、ステラの父であるイアンとルークの父であるドミニクの交友は再開されたそうだ。
影では途切れていなかったのかもしれない。それでも、コリンズ商会とウィリアムズ商会が表立って交友関係を深めたのは、五年ぶりとなる。
話を聞けば、それぞれの店の見習い達は泡を食ったような有様だったらしい。そりゃそうだ。店に入った時からライバル店だと火花を散らしていた相手と急に仲良くすることになったのだから、戸惑いもするだろう。
「入れ替え研修が始まった時はそれなりに大変だったけど、昔を知っている古参がとりなしてくれて、最近ようやく落ち着いたところさ」
口にして、ステラは笑う。
「……パパはやっぱり、ドミニクおじさんと商売している時が一番楽しそうだ」
「そっか」
コリンズ商会、ウィリアムズ商会でそれぞれ会った二人を思い出す。すれ違いの末に、家同士を巻き込んだ諍いに終止符を打てたのなら、これ以上のことはない。
「ディアナがルークとアタシを取り持ってくれなかったら、きっと今はなかったと思う。だから、アタシは本当にディアナに感謝してるんだよ」
口にして、ステラはぎゅっとわたしを抱きしめた。
ステラの体温を感じる。いつだってステラはふかふかとして温かい。わたしはステラの背中に手を回して抱きしめ返した。
「たとえきっかけは私だったとしても、コリンズとウィリアムズのお家がもう一度仲良くなれたのは、ステラとルークが頑張ったおかげだよ。……頑張ったね、ステラ」
「……うん」
少しだけ鼻にかかった言葉。わたしは赤毛のポニーテールに顔を埋めた。花のようないい匂いがする。
「わたし、こんな素敵な女の子と親友になれて良かった」
「アタシも。ディアナと親友になれて良かった」
口にして、わたし達は顔を上げた。思いがけず額と額が軽く触れて、笑みが零れてしまう。
「卒業したら、ウチを贔屓にしとくれよ。もう家が貧乏だから行けないなんて聞かないんだから」
「……それは、ちょっと気が早い」
わたしの言葉に、ステラはにやっと口角を上げた。
「絶対に生き延びるんでしょ?」
「それはそう」
二人で過ごした寮の部屋に明るい声が満ちる。
そういう他愛のないやり取りが出来るのもあと少しのことだ。わたしはステラのふかふかした身体をもう一度ぎゅーっと抱きしめた。




