魔力なしの優等生②
……解き明かせる訳がなかった。
案の定と言うべきか、アドリアーノ先生が倒れる九カ月も前の現場に痕跡がある方が不自然だ。講堂周辺の様子に異常なし。その結果だけを寮に持ち帰ったことになる。
見慣れた相部屋の二段ベッドの下、お決まりの定位置に潜り込んで、わたしは腕を組んだ。
「ううーん」
さっき思い出した内容も含めて、もう一度状況整理してみよう。
まずわたし、ディアナ・エジャートン。十四歳。ティリッジ魔法学校に通う学生だ。
ロフタス寮を示す青いタイの上には学年最優秀賞者に贈られる紋章入りブローチが光っている。これを授与されたのは五年生の終わりのことだったので、今が最終学年であることは明らかだ。
本来の時間では、わたしは今日、十五歳の誕生日を迎えると共に、ティリッジ魔法学校の卒業パーティーに出席していた。
異変があったのは、アドリアーノ先生に講堂から連れ出された直後のことだ。言われるがままに手を握ったら、アドリアーノ先生が倒れてしまったのだ。
「……すごく冷たかった」
掴んだ先生の手の冷たさを思い出して、わたしは思わず身震いしてしまった。
ほんの少し前まで確かに人の温もりがあった筈なのに、まるで死者の手を握っているようだった。確かめる余裕はなかったけれど、多分、あの時にはすでにアドリアーノ先生は……。
そこまで考えて、わたしはぶるぶると首を振った。
「冗談じゃない!」
人が倒れるのを喜ぶような倒錯的な趣味なんてわたしにはない。痛いのも苦しいのもノーサンキューだ。わたしの周りにいる人達はニコニコ楽しく生きていて欲しい。たとえそれが特別課題を山ほど積んだ鬼講師でも、だ。
どういう訳か〈タイム・リープ〉しちゃったんだもの。やり直しのチャンスがあるのなら、今度はアドリアーノ先生を助けたい。
目指すはアドリアーノ先生の元気溌溂生存ルートだ。
いつも顔色が悪いという事実はとりあえず脇に置いておく。兎にも角にも、わたしの目の前でぶっ倒れる様な展開はご勘弁願いたい。
「そうと決まれば情報収集だね!」
わたしは腕を振り上げた。
アドリアーノ先生に直接相談すればいいって? 流石に元気印のわたしでも、アドリアーノ先生が何でも懇切丁寧に話してくれるとは思ってない。
「ディアナ、具合は大丈夫かい?」
相部屋の扉が開くと共に、もう一人の住人の声が響き渡った。
「ステラ!」
振り向いた先には、見覚えのある赤毛のポニーテールが揺れている。
小動物を思わせるような小柄な体躯に、大きな若草色の瞳。見るからに可愛い系なのに、その中身は姉御肌というギャップが詰まったステラ・コリンズは、わたしのルームメイトその人だ。
「案外元気そうだね」
「ご心配おかけしました。お陰様でだいぶすっきりしたよ」
〈タイム・リープ〉を受け入れる。その上で、アドリアーノ先生を救う道を探し出す。曖昧だった目的が定まれば、地に足も着くというものだ。
「そうだ。ステラに聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい? アタシが答えられることだったら何でも聞きな」
「やったー! ありがと、ステラ! 大好きっ!」
「はいはい。それで、何が聞きたいのさ。授業のこと?」
「それも後で聞きたいけど、今はアドリアーノ先生のこと知りたい」
口にして、わたしは身を乗り出した。
「何だっていいの。ステラが知ってる範囲で教えて貰えないかな」
ぴたり、とステラの挙動が止まる。
言い終えてから、「しまった」と思った。そう言えば、ステラは男性が苦手と公言するようになってたんだっけ。
この手の話をする機会がそもそもなかったから、完全に失念してた。
「……アドリアーノ先生ぇ?」
「ほ、ほら! 先生の授業って最終学年だけじゃない。あんまり先生のこと知らないっていうか、特別課題を完璧に仕上げてギャフンと言わせたいと言うか。な、何事もまずは敵を知らねば始まらないって言うじゃない!」
咄嗟に早口になってしまった。
我ながら誤魔化すのが下手すぎるんじゃないかな!?
「へー。ふーん。あのディアナがねえ。アドリアーノ先生に興味を持つのは意外……っていうか、知ってると思うけど、競争率高いよ?」
咄嗟に身構えたわたしとは裏腹に、ステラはにやにやと面白がる表情をしている。肩透かしを食らったような気になっていたら、そのまま顔に出ていたようだ。
「ディアナ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる」
「いや、話振っちゃったわたしがそもそも悪いんだけど……ステラってこういう話苦手じゃなかったっけ?」
素直に口にすると、ステラはきょとんとして若草色の瞳をわたしに向けた。
「いや? そりゃ確かに、接点ない子の話だったら興味ないだろうけど、ディアナの恋バナだろ? 普通に気になるってもんだよ」
ごくごくあっさりとした返事が返ってきて、わたしは目を瞬かせてしまった。
〈タイム・リープ〉前のことだ。最終学年の半ば……少なくとも冬休み後のステラは「苦手だ」とハッキリ言い切っていた。だから、こんな風に面白がられるなんて思っていなかったのだ。
あと、断じて恋バナじゃない。
「今はアタシよりディアナの話だろ? 何だい、課題積まれて目覚めちゃった?」
「ち、違う! もーっ、どうしてそうなるの!」
「ディアナが珍しく人間に興味を持ったからだね」
「どういうこと!?」
拳を握り締めるわたしとは対照的にステラは上機嫌だ。「アドリアーノ先生の情報を知りたいんだね」と唇に手を当てながら、二段ベッドの階段に腰を下ろす。
「アドリアーノ・ロフタス、二十二歳。ロフタス伯爵家の次男。跡取りではないから、魔法学者の道に進んだんだろうね。専門は夜魔法。火と木、金魔法にも適性があって、論文を出していた筈だよ。未知の論理を発見したとかで、稀代の天才魔法使いって大騒ぎになったみたい。現在は我がティリッジ魔法学校にて客員講師を勤める。……ざっとこんな感じかな」
「おおー……」
すらすらとアドリアーノ先生のプロフィールを読み上げるステラにわたしは拍手を送った。
「流石コリンズ商家の娘だわ」
「こんなの少し調べればすぐ分かる話さ。授業以外に接点なんてないし、今知ってるのも、せいぜいこのくらいだね」
「十分凄いよ!?」
わたしはぶんぶんと首を振る。即興でこれだけ話せるんだから、ステラ様々だ。
「まあでも、ファンの子の方がもう少しくらい情報持ってるんじゃない? アドリアーノ先生、顔だけはいいからね。性格は大分捻じ曲がってそうだけど」
「ファンの子から聞くのはいいや……怖そうだし……」
ステラのおかげで、アドリアーノ先生の簡単な生い立ちは理解出来た。ここから先は自分で調べていけばいい。
「この間も女の子が告白したらしいけど、手酷く振られたんだって。曲がりなりにも講師だし、あの顔なら女に困る事なんてなさそうだから、わざわざ生徒に手を出す理由がないんだろうねえ」
やっぱりアドリアーノ先生はやめときなよ、ディアナ。
ステラは大真面目な顔で見ている。わたしは慌てて手を振った。
「だから、アドリアーノ先生のことは別にそういうのじゃないんだって!」
「ほんとー? あの顔に騙されてない?」
「本当だって! 特別課題を完璧に仕上げて、アドリアーノ先生をギャフンと言わせてやるんだから!」
鼻息荒めに答えると、ステラはやれやれと肩をすくめるのが分かった。
「あれは居眠りしてたディアナが悪いんだけどね」
「それは言わないお約束ってやつよ!」
「実際、ディアナが居眠りだなんて珍しいよね。今は調子良さそうだけど、無理はしすぎないように」
そう言って、身を乗り出したステラがわたしの髪をぽんぽんと撫でた。同い年だけど、ステラのこういうところはすごくお姉さんっぽい。
「うん、ありがとう。ステラ」
変わらぬステラの笑顔に、なんだかほっとした。
わたしが九カ月も先の未来から戻って来たってこと、きっとステラは夢にも思ってないだろうな。
わたしだって未だに半信半疑なのだ。こんな訳の分からないことに、大事な友達を巻き込みたくない。
「よっし、やりますか!」
わたしは二段ベッドから這い出した。口にしたからには、アドリアーノ先生の特別課題を仕上げなくちゃならない。
アドリアーノ先生の言葉を思い出す。
〈夜〉において夜魔法の効果が上昇するとされるものを示しなさい。また、夜魔法〈転移〉を実施する際、距離、質量、時間は消費魔力と相対関係にあることを証明すること。実験対象はレポート作成者の任意とする。
「要するに夜魔法の実験レポート作ってこいってことだったよね」
そういうことなら望むところだ。しかも今のわたしは、本年度の授業内容を一通り受け終えていて、予習が終わっているようなもの。
「ふっふっふ。これくらい軽い軽い」
お手製のインク壺にガチョウの羽ペンを突っ込む。羊皮紙なんて高価なものは持っていないので、書きつける先は木札だ。
「夜魔法は月の満ち欠けに影響する。従って、満月の夜が最も効果が上昇する……っと」
まだ習っていない範囲の内容もちょちょいのちょいだ。
次は〈転移〉の実験だけど、確か条件があったんだよね。とりあえず、ほどほどに軽いもので試したいんだけど、何かいいものあったかなあ。
「そう言えば!」
ぱっと閃いたのは満月色のペンダントだった。
あれなら大きさも重さも申し分ない。思いつくままに制服を寛げて、わたしは間の抜けた声を上げてしまった。
「……ない?」
子供の頃から大事にしていたものだ。いつも首から下げていたので、まさかないとは思っていなかった。
うーん。どこにしまったんだろう……。
九カ月も前に〈タイム・リープ〉してしまったので、当時のわたしがどこにしまったのかまるで心当たりがない。
「こんな時こそ魔法の出番だよね」
確か、物探しにぴったりな魔法があった筈だ。わたしは机に置いてあった杖を取り出した。
シルバーバーチの木から自分で削り出して作ったものだ。魔法使いの杖としてはかなりシンプルな部類になるけど、手をかけて作った分、愛着は人一倍ある。
わたしは杖を握り締め、意識を集中させた。
魔力を言ノ葉に乗せ、体現させる。それがこの国における魔法の在り方だ。
『探索』
うんともすんとも言わない。
……というか、そもそも魔力が籠っていないような気がする。いやいやいや、そんな、まさかぁ。
『探索』
もう一度、魔法を唱えてみる。魔力のまの字も感じられなかった。
これ、魔法を唱える以前の問題なんじゃない……?
わたしはだらだらと冷や汗が流れ始めることを自覚した。
「ディアナ、さっきから変だよ。一体どうしたんだい?」
唸り声を上げるわたしを見かねてか、ステラが近づいてくるのが分かる。わたしは行き場のない手を振った。
「どどどど、どうしよう!」
「慌てすぎだって。ほら、息を吸ってー」
「すー」
「吐いてー」
「はー」
「……落ち着いた?」
「うわあああんっ、ステラ~~っ!!」
ひしっとステラに抱きつく。やっぱりふわふわのふかふか……ってそれどころじゃなくて!
「どうしよう、わたし退学になっちゃうかも!」
「はあっ!? ちょっとディアナ、どういうこと!?」
目を剥いたステラがわたしの肩を掴む。急に色んなことが生々しく感じられて、目尻にじわっと涙が浮かんだ。
「魔力が……なくなっちゃったみたい」
魔法学校における〈魔力なし〉。それがなにを意味するのか、考えるだけでも気の遠くなるような話だった。