月光石と夜の愛し子③
お祖父様となると、うちのボンクラお父様のそのお父様。つまり、先代エジャートン家当主となる。
細かいことは気にしない豪快な人で、わたしが小さい頃はよく可愛がってくれたものだった。こう見えてわたしは、エジャートン家の特徴を強く継いでいるらしい。銀色の髪に満月色の瞳のことをお祖父様が褒めてくれたことを覚えている。
(身内だけど、先代ご当主様なので本当は先触れを出した方がいいんだけど)
それをやるとボンクラお父様ことサイモンにわたしの動きを察知される恐れがある。金の為に娘を売り飛ばすような男だ。うっかり捕まって、アンディ・ラタコウスキー男爵に再献上されるような事態だけは避けなければならない。
そういった事情もあって、今、わたしは実家の実家、エジャートン子爵家本邸の正面入り口……ではなく、使用人入り口の前にいた。
「はあ、お貴族様の家ってこんな風になってるんだねえ」
「俺は商談の付き添いで何度かあるけど、エジャートン家は初めてだねー」
扉の前からでも分かる立派な本邸を前に口を開いたのはステラ、続いてルークだ。サイモンに見つかることを警戒して、二人は今、わたしの従者という設定でここにいる。
「ここは実家の実家だからね。わたしの家は極貧なので、そこんとこお間違えなく……」
昔はもっと広い土地に立派なお家もあったんだけどね。サイモンが賭博に負けて全部手放すことになったので、今は街の貧民街に小さなボロ家があるだけだ。当然、本邸とは比べ物にならない。
「お貴族様も大変なんだねえ」
「大変だよぉ」
うちは爵位を継いでないから、実質平民落ちだけどね!
「人が出てきたよー」
ルークの言葉に、わたし達は扉の前に向き直る。使用人入り口から出てくるのは、当然使用人だ。エプロンドレスを身に纏った壮年の女性と目が合った。
「ディアナお嬢様!?」
「バーバラ!」
見覚えのあるその姿に、わたしはすぐさま駆け寄った。記憶の中にある姿よりも幾分年を重ねたようだけど、子供の頃よくしてくれた彼女に間違いない。
「久しぶり! 元気だった?」
「ああ、ディアナお嬢様……。見ての通り、バーバラに変わりありませんよ。お嬢様はすっかりご立派になって……」
わたしの姿を上から下まで眺めて、バーバラは微かに涙ぐむ。最後に顔を合わせたのはもう随分と前のことだから、背丈も体つきもかなり変わっている筈だ。
「このバーバラめにディアナお嬢様のお姿を見せてくださいまし」
「あはは、こんなんでも良ければいくらでも!」
くるりと回ると、一張羅でもある制服のスカートがふわりと翻る。いや、ほんと、制服があって良かった。流石にボロ服だと、バーバラ泣いちゃってたかもしれない。
「急に押し掛けちゃって申し訳ないんだけど、バーバラにお願いがあるんだ」
これまで本邸に寄りつかなかった四男の娘が突然やって来たのだ。バーバラにはすでに心構えは出来ていたのだろう。「どのような御用でしょうか」と尋ねる口ぶりは、すっかりエジャートン家の使用人になっていた。
「お祖父様に取り次いで欲しいの」
わたしの言葉に、バーバラの瞳が丸くなる。一拍置いて、バーバラは言い難そうに眉を下げた。
「ディアナお嬢様。先代様は二年前にお亡くなりになっております」
「お祖父様が!?」
考えてみれば、お祖父様もそれなりにいいお年だ。
平民なら三十歳がおおよその平均寿命。貴族でも六十生きれば大往生と言われるこのご時世、お祖父様が天寿を全うしたのもなんら不思議な話ではない。
「お葬式の話も聞いてなかったのに……」
バーバラは痛ましいものを見るような眼差しになっている。わたしはひとまずこの話を切り上げた。
このまま引き下がれば、〈夜の愛し子〉が十五の夜を越える方法が闇の中だ。なんとかしてお祖父様が〈愛し子の印〉を持ちながら生き延びたのか、その理由を探さなければならない。
「ディアナお嬢様。僭越ながら申し上げます。せめてお祖父様の遺品に触れて、故人を偲ばれてはいかがでしょう」
さっとフォローに入ったのはルークだ。というか従者ごっこが板に付きすぎではないだろうか。ウィリアムズ商家は後継ぎが優秀で安泰だね!
「バーバラ、お祖父様の遺品に触れさせて貰えないか確認を取って貰えないかな」
わたしの言葉に、バーバラは頷いた。
「旦那様に確認を取って参ります。今しばらくお待ちくださいませ」
流石はベテラン使用人のバーバラということもあって、わたし達は待合室に通される。扉を閉めて三人きりになったところで、わたしは頭を抱えた。
「まさかお祖父様が亡くなっていただなんて!」
サイモンとは徹底的に接点を絶つ方向性で学校に籠りきになっていたから、知らなかった。完全に予定外だ。
「〈愛し子の印〉持ちで十五歳の夜を越えた人なら、色々情報を持っていただろうに……」
「諦めるのはまだ早いよ。そういう特殊な事情を持ってた人なら、どこかに書き残すくらいのことはしてると思う」
ステラの言葉にルークが続く。わたしは一縷の望みをかけて頷いた。
「そうだよね。そんな大事なことなら、お祖父様が何か遺してくれていてもおかしくないもの」
あんまりマメな性格じゃなかったと思うけど、仮にもエジャートン家の当主だった人だ。何か手掛かりを残してくれていることを祈るしかない。
コンコンコン、とノックの音がする。わたし達は顔を見合わせて、居住まいを正した。
「バーバラ、どうだった?」
扉の向こう側から姿を現したバーバラに問いかける。
「申し訳ございません。ご当主様からディアナお嬢様をお通しすることは出来ないと言付かっております」
わたしは思わずあんぐりと口を開けてしまった。
「駄目なの!?」
「大変面目ありません……」
謝罪一辺倒のバーバラの前に、ステラが粘り強く声を上げる。
「なんとかならな……いのですか? ディアナ、お、お嬢様はお祖父様に会えるのを楽しみにしていたん……です!」
「ご当主様はサイモン様の当家への立ち入りを禁じておられます。その娘であるディアナ様も同様の措置を取られるとのことです」
あのボンクラお父様――ッ!
脳裏に「てへっ」と笑うサイモンの小汚い笑顔が容易に過ぎってしまう。わたしはソファにあったクッションを投げ出したくなる衝動を必死で噛み殺した。
「あの……お父様がもしかして、ご当主様に何か粗相を……?」
「バーバラの口からはとても……。申し訳ございません、ディアナお嬢様」
実の兄弟とは言え、やっていいこととやってはいけないことがある。残念ながらサイモンという男は、やってはいけない一線をひょいと飛び越えるような男だった。エジャートン家の金品をくすねて売り飛ばすくらいは平気でやりそうだ。
「分かった。……色々とありがとう、バーバラ」
実の兄弟間で実質絶縁宣言を出されるサイモンの娘であるわたしの取次ぎをしてくれただけでも、相当負担だったはずだ。これ以上、バーバラに迷惑はかけられない。
わたしは礼をとって、立ち上がった。ステラとルークもそれに続く。わたし達はエジャートン家を後にすることしか出来なかった。
「……お祖父様方面は諦めた方がいいかも」
本邸の屋敷が見えなくなった頃、わたしようやく息を吐いて立ち止まった。
「そんなに難しい?」
わたしの呟きに眉根を寄せたのはルークだ。
「うん。元々わたし、今のご当主様の覚えがいい方じゃないんだよね」
わたしはエジャートン家の銀髪と満月色の瞳を受け継いで生まれたこともあって、お祖父様から可愛がって貰っていたと思う。そして、現在のご当主様はあまり特徴を継いでおられない。お祖母様似なのだ。
実父が、兄弟の娘を猫可愛がりしていただけでもご当主様の心証は良くないというのに、その上サイモンのやらかしだ。結局何をやったのかはバーバラから聞き出すことは出来なかったものの、絶対にろくなことをしていない。
「せっかくの手掛かりだったってのに」
悔しそうなステラを前に、わたしは首を振った。
「引き際だよ。これ以上突っ込むと、衛兵を呼ばれかねない」
「そこまでなのかい!?」
「お父様はそういう人だからなー」
「いやー、人様ん家の父親だけど、聞けば聞く程クズ野郎だねー」
わたしの言葉に遠い目をしているのはルークだ。わたしも一緒に遠くを見てもいいかな?
「苦労してるんだね、ディアナ……」
しみじみと言ったステラの気遣いが心に染みいる。
「はあ、ふりだしに戻ったねえ……」
お祖父様から十五の夜の越え方を聞き出せなかった以上、手掛かりが失くなってしまった。肩を落とすわたしを慰めるようにルークが明るい声を上げる。
「ディアナ先輩のお祖父様は駄目だったけどさ。〈夜の愛し子〉でも十五歳以上を迎えた人がいたってことは重要な収穫だったと思うなー。他にもそういった人がいなかったのか、ウィリアムズ商会の方でも調べてみるよ」
「アタシも! パパと兄さんに頼んで、コリンズ商会からも情報集められないか動いてみる!」
「ルーク、ステラ……」
二人にはそもそも関係のない話だ。そうだというのに、こんなにも親身になって考えてくれる。今日だって従者のふりまでしてエジャートン家に向かう義理なんてなかった筈なのに、こうして付き合ってくれた。
「二人共、本当にありがとう」
当たり前のように傍にいてくれる二人に感謝の言葉を伝えれば、何を当然と言いたげに二人は振り返った。
「ディアナ先輩にはでっかい借りがあるからねー」
「親友が困ってるのに、アタシが助けない訳ないでしょ!」
思わず声に詰まってしまう。目の奥が潤みそうになったわたしの背中を、ステラがばしんと叩いた。
「まだまだこれからだよ。絶対に死なせたりなんてしないからね、ディアナ!」
ステラとルークはその言葉通り、残りの冬休みをわたしと一緒になって奔走してくれた。
十五歳の夜を乗り越える為に、何か出来ることはないかと図書館に通い、二つの商会に立ち寄る魔法使い達に話を聞いてくれた。しかし、〈夜の愛し子〉の存在自体がとても珍しいものらしく、これといった収穫はないまま、ただ悪戯に時は流れていく。
そんな日々を過ごしている内に、あっという間に新学期がやってきてしまった。
「アドリアーノ先生を見るのも随分と久しぶりじゃない?」
冬休み前に中断されていた応用魔法学の授業が再開される。その報せを持ってきたステラは、伸び上がってわたしの顔を覗き込んだ。
「そこんところどうなのよ、ディアナ」
「別にどうもしないよ」
わたしは努めて平静を装って返事をした。
そもそも、わたしとアドリアーノ先生は単なる生徒と講師の関係でしかない。こんな風に勘繰られるようなことなんて一つもない筈だ。
(というか、アドリアーノ先生には無事生き延びて欲しいから、わたしには関わって欲しくないし)
本来であれば、〈夜の愛し子〉に関係のない部外者の筈だ。それなのに勝手に印を〈転移〉して、死んだりして。……わたしが一体どれほど苦しい思いをしたと思っているのだ。
あの人はわたしを苦しめた人! 縁切りついでに告白したので、アドリアーノ先生から見れば、スッパリ対象外になっている筈だ。なので、今後はわたしと接点が増えない人!
そう、自分に言い聞かせて視線を向ける。
ばさりと黒い作業着を風に翻して歩くその人の顔には見覚えのあるレンズが乗っていた。あれは、ウィリアムズ商会で買っていた眼鏡だ。
「アドリアーノ先生が眼鏡かけてる! きゃああっ、かっこいい!」
小物が増えてさらにきらきらしくなったアドリアーノ先生に、女子生徒の黄色い悲鳴が飛ぶ。
「~~っ」
わたしはぎゅっと唇を噛み締めた。
アドリアーノ先生が前より輝いて見えるような気がするのは、眼鏡効果なんだろうか。長い睫毛が持ち上がり、すみれ色の瞳がこちらに向けられる。
どきり、と心臓が痛いくらいの音を立てたのが分かった。
「……っ!」
何か言われるのだろうか。思わず身構えてしまう。
だけど、アドリアーノ先生の視線はわたしを通り過ぎて、その先に向かっていた。
「アドリアーノ様!」
軽い足跡と共に、聞いたことのある甲高い声が聞こえる。わたしの目の前を通り過ぎて行った金色には見覚えがあった。
「ロフタス家の婚約者を置いて行くだなんて酷いですわ」
周囲にざわめきが走るのが分かった。その言葉を口にした女子生徒は、衆目の関心を一身に集めてもなお平然としている。
「教室までエスコートしてくださいませ」
豪華な改造制服に今日もきっちりと巻かれた金髪が揺れている。
「ねえ?」
甘くとろけるような声音でクラリッサ・トンプソンはアドリアーノ先生にそう告げたのだった。




