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エジャートン家の事情①

 さきほどまでの不機嫌はどこへやら。

 サイモンはにっこりと愛想の良い笑みを浮かべてわたしを見ている。わたしはぶわっと鳥肌が立ってしまった。


「ああ、ディアナ! なんて親不孝な子なんだい? なかなか帰ってこないから随分心配していたんだぞ」


 台詞だけ聞けば、大事な娘を心配する父性溢れる父親だと思うかもしれない。ただし、残念ながらわたしはこの手に乗らない。

 この男が賭場に金をつぎ込み、家族を苦しめたことを忘れていないからだ。


「……便利に使える娘がいなくて不便していたってとこなんでしょう?」

「そんな悲しいことを言わないでおくれ、ディアナ」


 サイモンが悲しそうに眉を下げる。芝居じみた大げさな手振りと口調だった。


「やはり学校なんて行くべきじゃなかったんだ。女の子が勉強なんかしたって、嫁の貰い手がなくなってしまうだけだぞ」


 学のある女は可愛げがないと揶揄されるのがこの世界の常識だ。そういう意味ではサイモンの言葉は正しい。


「……わたしにはわたしの考えがあるの。今まで放っていたんだから、このままわたしがやりたいようにさせて」

「お前が出て行って、ボクがどれほど心配していたと思うんだい? 天へ昇ったサラだってきっと心配している。家に帰ってきなさい」

「っお母様のことを言わないで!」


 わたしは咄嗟に噛み付いた。いくら血を分けた肉親だと言っても我慢の出来ないことがある。わたしの気迫にサイモンの瞳が微かに揺らめく。


「……ボクだって、サラのことを忘れた日なんてなかったよ」


 ぽつん、と零すようにサイモンは呟いた。思わずわたしは顔を上げる。


「もう随分とサラの墓参りもしていないだろう? せめて、サラに挨拶でもしていきなさい」


 その言葉に、わたしは思わず手のひらを握りしめた。

 今更口にしても仕方のないことだ。分かってはいても、飲み込み切れるほど大人になれない。かといって、当たり散らせるほどの子供にもなれなかった。


「……お母様のお墓参りだけなら」

「……ああ。ああ! サラもきっと喜ぶ」


 わたしがティリッジ魔法学校に通学している間に、サイモンはサイモンで思うところがあったのかもしれない。

 殊勝なサイモンの態度に、わたしは小さく息を吐いた。

 いずれにせよ、お母様のお墓のことはずっと気がかりだった。折を見てお祈りに行きたいと思っていたから、いい機会なのかもしれない。わたしはサイモンの後に付いていった……ことを早々に後悔した。


「ディアナの婚約者を決めておいたからね♡」


 なんか途中で行き先おかしいなあ、とは思ったんだよ。

 やけに広い土地に立派なお屋敷が見えてきた時点で、お母様のお墓じゃないよね。「行き先が違うなら帰るけど」と告げたら、「サラの墓を綺麗にしたんだ。その出資者に挨拶くらいはしておきなさい」と言われる訳ですよ。あの粗末なお墓を綺麗にしようと思う人の心くらいは持っていたんだなー、なんて少しでも感心したわたしを返して欲しい。


 満面の笑顔で理解不能な言葉をのたまったボンクラお父様の前には大層立派な扉がある。やけに奥まった場所にあるのも、先ほどの台詞と相まって嫌な予感しかしない。


「すごくいい条件なんだよ。お前のような可愛げのない女でも良いと言ってくれているんだ。おまけに持参金もいらない。それどころか、引き続きうちに援助もしてくれるだなんて素晴らしい方だろう?」

「……念のために確認したいのですが、お相手のお名前と年齢とわたしの扱いをお答えくださいな、お父様」

「お相手はアンディ・ラタコウスキー男爵で、年齢は四十歳。ありがたいことにお前は正妻の扱いだぞ。将来的には男爵家の女主人として存分に采配を振るうがいいはっはっはっは」

「あっはっはっは、それはそれは……とんでもない条件ですねえ!」


 ラタコウスキー男爵の話は聞いたことがある。なんでも、金で爵位を買った商人上がりの貴族で、女遊びも相当激しいとか。その癖、正妻がいなかったのは、年老いてから若い妻と合法的に宜しくするためらしい。自他共に認める色狂いの成金男爵として、真っ当なご令嬢達からは大変嫌われている御仁だったと記憶している。


「そうかそうか、気に入ってくれたかディアナよ!」


 要するに、だ。

 この父親の皮を被った悪魔のような男は、一人娘を金欲しさに売り飛ばしたのだ。


「どうも体調が思わしくないようです、お父様。わたし、一度寮に帰らせて貰いますね」


 お母様に対して殊勝な態度を取るから、少しは改心したのかと思ったわたしが馬鹿だった。あんな演技にコロッと騙されてしまったわたしもわたしだ。


「それは大変だ、ディアナよ。だがもうここまで来てしまったのだから、顔合わせが済んでからにしなさい」


 ギイイ、と扉が軋む音がして僅かに意識が逸れる。まるでその隙を待っていたかのように、サイモンはわたしを扉の向こう側へと強引に押し込んだ。


「帰れるものなら、だが」


 落ち窪んだ目がにっこりと笑みを形作る。顔の造りも髪の色もよく似ていると言われたサイモンの眼差しは、他人のように冷たかった。


「存分に可愛がって来て貰いなさい」


 バタン、と音がした。続いて、ガチャリと響く硬質な音も。

 ……もしかして、鍵をかけられた?

 わたしは恐る恐る背後を振り返った。


「ごきげんよう、ディアナ嬢」


 まるで詰めすぎた麻袋のようにでっぷりと肥え太った大男が長椅子に座った恰好のままわたしを見ていた。

 頬は赤らんでおり、頭髪は薄い。お腹周りの肉は今にも服の中からはちきれんばかりなのに、手足は妙に小さくてずんぐりむっくりしている。その指すべてに、ギラギラとした純金の指輪がはめ込まれていることに気が付いた時には、あまりの趣味の悪さに眩暈がしそうだった。


「…………えっと」


 どうしてわたし、こんなところにいるのだろう? 今日は司書さんから本を借りる予定の筈だったのに。

 思わず自問自答してしまう。現実逃避の一つだってしたくなるものだ。


「ずいぶん恥ずかしがり屋なお嬢さんだ。返事の仕方も分からんと見える」

「あ、あはは……」


 ねっとりとした視線を上から下まで浴びて、ぞわわっ、と鳥肌が立ったのが分かった。この人に近付いたら絶対に駄目だ、と本能的に警鐘が鳴っている。


「婚約後、初めての顔合わせだというのに、どうしてそう遠ざかるのかね?」


 あなたの視線が普通に怖いからです、というのは一応飲み込んだ。流石に初対面の相手に暴言を吐く程常識知らずではないつもりだ。


「ふむ。私としては逃げるのを追うのもまた一興かな」

「ヤダ――ッ!!」


 前言撤回でわたしは声を上げた。

 なんかもう! 普通に視線が怖い! っていうか近付いてくる!


「話には聞いていたが、本当によく似ている……。いやはや、素晴らしい」


 口にして、男爵はにちゃりと相好を崩した。


「怯えることはないよ。なあに、少しばかり胸が小さいのは気にしなくていい。私が大事にしているのは肌の張りだからね。その点、君は若くて申し分ない。さあ、駄々をこねないでこっちへおいで」


 そう口にして、ぽんぽんと長椅子を手で叩いている。長椅子がわいせつ物に見えた瞬間だ。勿論わたしはじりじりと扉ににじり寄る。

 ガチャリと音が鳴った。やっぱり鍵がかかっている。

 婚約とか言いながらいきなり貞操の危機にぶち込まれるとは思ってなかったよ! 色々おかしいよね!?


 大混乱に陥っている間にも、丸々とした男爵はじりじりとにじり寄ってくる。

 はっきり言うと、自分の父親より年上の男性に性欲の対象として見られること自体が意味不明だった。

 目の肥えた男爵からすれば、わたしはちんちくりんでしょ! 何でだ! という気持ちでしかない。もっとこう……出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでるような美女を好むもんじゃないですかねえ!


「嫌がる君には教え込み甲斐がありそうだ。なあに、心配しなくともいい。女を悦ばせる方法なら、熟知しているからね」


 でっぷりとした指先がわたしに伸びてくる。その瞬間、わたしの脳裏には様々な魔法が駆け巡った。

 〈探索〉、〈付与〉、〈切断〉……。あっ、〈切断〉は丁度いいかもしれない。煩悩を断ち切る的な意味で。物騒な単語が頭を過ぎる中、連日便利に使っている魔法が思い浮かぶ。

 たとえば、わたし自身をこの部屋から……。


転移(移動する魔法)


 ぶわっと体の中から魔力が噴き出る感覚があった。視界が渦巻いていく。


「ディアナじょ――」


 男爵の声が、ぶちりと途切れるのが分かった。砂嵐のように流れた視界が、一瞬のうちに変化する。


 目を瞬かせたわたしが次に見た風景は、見慣れない部屋の中だった。

 美術品の保管庫だろうか。中にはいくつもの絵画や彫像が並んでいる。まさに目もくらみそうなコレクションの数々だ。一体どのくらいのお金がかかっているのだろうと、気が遠くなってしまう。


(……?)


 その中の一つに、ひと際目を惹くものがあった。

 巨大な石だ。わたしの背丈よりも大きい。何より気になったのは、その石の造形だった。


「これってもしかして、女の人……?」


 薄暗くて全貌はよく分からないが、ドレスを身に纏った女性の石像のようだ。

 女神像だろうか? 何とはなしにその不思議な石像に手を伸ばしてみる。


「女が逃げた! 付近をくまなく探せ!」


 はっとして、わたしは手を引っ込めた。

 声はそう遠くない所から聞こえている。わたしは物音を立てないように、保管庫の壁に耳をつけた。

 ……どうやらここは、先ほど通された部屋からそう離れていない場所のようだ。


(アドリアーノ先生の授業の通りなら、今は日中だから……)


 夜魔法である〈転移〉の効能が不十分だったのだ。

 影で繋がる屋敷内でしか転移が出来ていない。逆を言えば、すべての影が繋がる〈夜〉になりさえすれば、わたしはどこにでも転移して逃げることが出来るようになる。


 理屈が分かっている、というのは想像以上にわたしを冷静にさせてくれた。もし〈転移〉が中途半端に終わった理由が分かっていなかったら、わたしはパニックになっていたかもしれない。

 わたしは杖を握り直した。ゆっくりと深く息を吐いて、呼吸を整える。

 ……大丈夫だ。ちゃんと考えられる。


(動き回るよりは、身を隠すことに徹した方がいいかもしれない)


 幸いにも、わたしは魔法が使えて、相手は魔法が使えない。このアドバンテージを生かす以外に手はない筈だ。

 心臓は相も変わらずばくんばくんと激しく脈を打っている。だけど、頭の中は不思議と冴え渡っていた。


(こういう時使える魔法は……)


 私は夜属性しか持っていない。だから、水属性のように〈水鏡〉を利用して誰かに助けを求めたり、光属性のように〈光明〉で相手に目くらましをしたり、火属性の〈火炎〉で物理的な攻撃をしたりすることは出来ない。

 せいぜい夜目が良くなるくらいの力しかなく、〈夜〉でなければ本領発揮が出来ない夜属性で、今、何が出来る。


(……そう言えば、逆に視界が悪くなる魔法があった気がする)


 記憶の中の魔法を引っ張り出す。今はとにかく、身を護る術が欲しい。

 わたしはホワイトバーチの杖を構え、小さな声で言ノ葉を紡いだ。


暗闇(人目に付かない魔法)


 ずわっと保管庫全体の影が広がったような気がした。

 保管庫自体に魔法をかけたので、有効範囲内に足を踏み入れた人間の視界は悪くなる筈だ。つまり、わたしを発見出来る確率は格段に落ちる。

 わたしは先ほどの石像の影に身を潜めることにした。丁度わたしくらいの大きさがあるので、身を潜めるにはぴったりだったのだ。


「絶対に逃がすな! まだこの近辺にいる筈だ!」

「相手は魔法使いらしい。だが、年端もいかない女一人だ。見つけたらまずは杖を折れ」

「とにかく、足跡一つ見落とすなとご命令だ!」


 時折、保管庫の傍をガチャガチャと通り抜けていく足音が聞こえる。わたしはただ息を潜めて、暗闇の中からそれらが遠ざかることを祈っていた。


(お願い。見つからないで……!)


 〈暗闇〉の魔法が力を発揮していたのかはよく分からない。ただ、わたしが息を潜めている保管庫の中を物色しようという輩が出てこなかったのは、不幸中の幸いだった。

 窓から差し込む光が、オレンジ色になり、まもなく夜がやってくる。


 辺りが暗闇の中に包まれる頃合いを見計らって、わたしは再び杖を取り出した。

 夜さえ来てしまえば、わたしの勝利は確定だ。


転移(移動する魔法)


 唱えた次の瞬間、薄暗い保管庫は見慣れた寮の風景に切り替わる。


「きゃあっ!?」


 耳に届いた第一声は悲鳴だった。


「び、びっくりした……」


 若草色の瞳を真ん丸にしてわたしを凝視しているのは、見慣れたルームメイトの姿に違いない。


「家に帰っていたんじゃ……?」


 同じく目を瞬かせるわたしに向かって、ステラはなんてことはないように口にする。


「ディアナが心配だったから、少し早めに帰って来たんだけど」


 そこまで口にして、彼女は小首を傾げた。


「一体どうしたんだい?」

(……いつものステラだ)


 張り詰めていた糸が、ここにきてぷつんと切れたような気がした。

 不思議そうに首を傾げるステラの小さな体を、わたしは有無を言わさず抱きしめる。


「……っ!」

「ディアナ……?」


 案ずる声が聞こえる。


「うわああああんっ、ステラあぁ~~っ!」


 ようやく安心出来る場所に帰ってきて、わたしは声を上げて泣くことを許されたような気がした。

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