魔力なしの優等生①
信じられないことに、わたしは卒業パーティーの真っただ中からアドリアーノ先生の授業中に吹っ飛んでしまったらしい。
何がどうしてこうなった。訳が分からないとはこのことだよ!
「ディアナ!」
よろよろとわたしが教室から這い出てくると、待っていましたと言わんばかりに小柄な女子生徒が駆け寄ってくる。
「一体どうしたんだい。アンタらしくない」
「す、ステラぁ~!」
赤毛のポニーテールはこのクラスでは彼女だけなので、わたしは条件反射でステラの胸に泣きついた。
うう、相変わらずふわふわのふかふかで羨ましい……って今はそれどころじゃなくて!
「ねえ、ステラ。今日って何月何日だっけ?」
「紅ノ月の六日だけど。……本当に大丈夫かい?」
心配そうな若草色の瞳がわたしを見ている。多分、わたしがステラの立場だったら同じ反応をしていたと思う。ところがどっこい、今のわたしは当事者なのだ。
「あ、あはは! なんだか頭がぼーっとしちゃって。もしかしたら体調が悪いのかも~っ」
「うーん。ちょっとわざとらしくない?」
「そんなことないよー」
わたしはスッと視線を逸らした。ステラが「はあ」とため息をつくのが分かる。
「まあ、ディアナが挙動不審なのはいつものことか」
「いやいやいや、それは聞き捨てならない!」
「はいはい。後で授業内容教えたげるから、今日はもう寮で休んできなよ」
実際、ちょっと顔色悪いよ。
ステラの指摘にわたしは目を瞬かせた。わたしの演技力も意外と捨てたものじゃないかもしれない。
「ディアナはアドリアーノ先生に特別課題も出されちゃったしね」
「それは思い出させないで……」
「まっ、後のことは気にしないで、とにかく休んできなよ」
「うん。ありがとう、ステラ」
ひらひらと手を振ってステラが遠ざかっていく。後ろ姿を見送り、わたしは息を吐いた。
なんていうか、何もかもがいつも通りっていうか、久しぶりと言うか。駄目だ。考えていたら本当に頭痛くなってきた……。
如何せん情報量が多すぎる。色んなことが起きすぎて、わたし自身が呑み込めていないのが正直なところだ。
(ステラは紅ノ月って言ったのよね。わたしの認識だと、昼ノ月だったから……大体九カ月分、時間がずれているってことになる)
「いやいやいや」
自分で考えて、自分でツッコミを入れてしまう。
「時間がずれるってどういうこと!?」
普通に考えればありえないことだ。だけど、先ほど受けたアドリアーノ先生の授業内容は、確かに以前受講した内容そのものだった。
「わたし、夢でも見てる?」
とりあえず両頬を摘まんでみる。ぎゅむっと思い切り引っ張ってみた。
「いひゃい」
やめよう。痛い。
とりあえず、自分の認識が正しいものだとする。わたしは九カ月前の未来からどういう訳か過去に戻って来てしまった……らしい。
「何でよ!?」
意識だけで時間跳躍し、過去や未来の自分の体に意識が乗り移るだなんて、まるで物語で見た〈タイム・リープ〉そのものだ。そういう魔法があったとしても確実に高等魔法の類になる。
勿論、〈タイム・リープ〉なんて一介の学生が起こせるようなものじゃない。
「だとしたら……アドリアーノ先生?」
あの場において、そんなトンデモ魔法を発動出来る人がいるとしたら、天才の称号持ちであるアドリアーノ先生くらいだけど……。
「うーん、流石に分かんないや。とりあえず現場は見ておこう」
アドリアーノ先生が倒れて、わたしが〈タイム・リープ〉をした最初の起点は講堂の外れだ。あの日の出来事を思い出す。
(卒業パーティーの真っただ中だったんだよね)
今でこそ、最終学年の新学期まで巻き戻ってしまったけれど、これでも優等生のまま卒業パーティーまで通してみせたのだ。
ドレスの用意とか、ダンスの練習とか、準備も結構大変だったんだよね。まさか一曲始まる前にアドリアーノ先生に引っ張り出されるとは思ってなかったけど。
いつもの作業着姿で講堂に現れたアドリアーノ先生を思い出す。
考えてみれば、あの時の先生は何だかいつもと様子が違っていたような気がする。強引だったと言うか、何というか……えーっと。
「焦っていたような?」
口に出してみて、しっくりきた。
あの時のアドリアーノ先生は、珍しく何かに焦っていたのだ。
(思い出せ……!)
ううーん、と頭を捻ってみる。ただ、悲しいかな。あの時のわたしは「はやく会場に戻してくれないかな」という雑念まみれで、アドリアーノ先生のことを大して注目していなかった。意識をしたのは、先生に手を握られた時だ。
「あれって何だったんだろう?」
今にして思えば、一番怪しい行動だったように思う。「手を出しなさい」と言われるままに手を差し出したわたしもわたしだけど。
あの時、先生の右手に何か浮かび上がった気がするんだよね。見覚えあるような気もしたんだけど……うーん、何だったのか思い出せないや。
考えながら歩いている内に講堂まで辿り着いていたみたいだ。わたしはそのままぐるっと脇道に入る。講堂の外れはちょっとした緑が生い茂る林になっていて、程よく人目を避けられるようになっていた。
(ここで急にアドリアーノ先生が倒れたんだよね)
当然ながら、今はなにもない。
それでも卒業パーティーの夜、確かにここでアドリアーノ先生は倒れたのだ。触れた手のひらがぞっとするほど冷たかったことを、わたしはまだ覚えている。
(……分からないことだらけだ)
何だか急に怖くなって、わたしは自分の体を抱きしめた。
「んー?」
間延びした声と共に枝葉が揺れる。わたしは思わず視線を上げた。
「センセー、授業をサボってる生徒がここにいまーす」
「うっひゃあっ!?」
授業中だと思って完全に油断しきっていたわたしは、その一言で飛び上がってしまった。
「あっ、あああのですね! ちょおっと講堂に用事が出来まして!」
振り返った先には誰もいない。
「え? ……あれ?」
「こっちこっち」
頭上から声が降ってきて、わたしは慌てて視線を向けた。
「さっきのは冗談でーす。ビックリした?」
けらけらと楽しそうな笑い声をあげていたのは、男子生徒だった。癖のある茶髪に灰色の瞳が印象的な生徒で、いかにも人懐っこそうな雰囲気がある。
「よっと」
掛け声と共に木の上から飛び降りてきた彼が立ち上がると、ぬっと大きな影が出来上がる。
「でっか……」
「うん。俺、成長期に入ったみたいで休みの間に伸びたの」
屈託のない表情でニコニコしている。その大型犬みたいな顔つきを見て、ようやくわたしは彼の名前を思い出した。
「えーっと、ルークだっけ。確か一つ下の学年だったよね?」
「俺のこと知ってたんだ」
うん、まあ。わたしは適当に言葉を濁した。
まさか冬休み前に同い年の彼女が出来て、ラブラブカップルとして学内にその名を轟かせていたから……とは到底言えない。
「確かに学年は違うけど、同じ寮生だしね」
即興にしては及第点な答えじゃないかな。にっこり笑ってルークを見上げれば、意外そうな灰色の瞳とぶつかった。
「えっ、そんなに変なこと言った!?」
心の声は外に出てしまったらしい。わたしの言葉にルークはきまり悪そうに頭を掻いた。
「正直、ディアナ先輩って俺みたいな素行の良くない生徒に関心がないと思ってマシタ」
一体その評価はどこからきたんだろう……。
わたしの心の声は再び顔に出てしまっていたようで、ルークは困ったように眉を下げている。
「やー。学年最優秀取るような優等生だし。真面目が服着て歩いてるような人だと思ってたんだよねー」
言いながら唇を尖らせている。大きな図体にそぐわない子供っぽい仕草に、わたしはからかわれたことも忘れてため息を吐いてしまった。
「勉強は確かに嫌いじゃないけど、そこまで四角四面なつもりはないんだけど?」
「だねー。真面目ちゃんは授業サボってこんなところ来たりしないだろうし」
俺の思い込みだったみたい。ごめんなさい。
真正面から言われてしまっては、「いいよ」と言う他ない。そもそも今日までルークと喋ったことすらなかったので、彼の言っていることはあながち外れているわけでもないのだ。……授業をサボったのだって、今日が正真正銘初めてのことだし。
「それで、こんなところまで何の用があるの?」
ルークはわくわくとした表情を隠そうともしていない。単純にわたしの行動に興味があるようだ。
「げ、現場検証?」
「何それ?」
「わたしも自分で何を言ってるのかよく分かんない……」
「変なのー。……ていうか、喋ってみたらディアナ先輩って面白いねー」
え、そうなのかな。ちょっと嬉しいかも。
「全部顔に出てる」
「そうなの!?」
「うん、そう」
ルークは相変わらずけらけらと楽しそうだ。人懐っこい大型犬って多分こういうタイプのことを指すのだと思う。
「イメージ変わった。良かったらまた話そーよ」
「今日みたいにからかうのはなしにして欲しいんだけど」
「えー? 可愛い後輩の頼みを聞いてくれないのー?」
「うっ、そう頼られると弱い……」
「ディアナ先輩ってチョロイって言われなーい?」
「言われない!」
「あはは、見た目と中身のギャップー」
そんなにギャップがあるんだろうか。わたしとしては普通のつもりなんだけどな。
そんなことを考えている内に、ルークの関心は他所へ移ってしまったらしい。
「それじゃ俺はもう行くねー。現場検証頑張ってー」
「がんばるー」
釣られて手まで振ってしまった。ルークはぱっと明るい顔色になってぶんぶんと両手を振って去っていく。
うん。愛嬌があってなかなか可愛い後輩だと思う。
「よおっし!」
わたしは腕まくりした。
とりあえずは現場検証だ。〈タイム・リープ〉の謎を解き明かさなくっちゃね!