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(閑話)願いの行く末①

 この子は長く生きることは出来ませぬ。

 十五を迎える前に夜に誘われ、神の世界ルキギナロクへ召されることでしょう。


 生まれたばかりの僕の右手首にあった痣。それを見るや否や、取り上げ婆はそう口にしたそうだ。

 彼女は古い魔法使いの一族だったので、家は上から下への大騒ぎになった。なにせ、ようやく生まれた次男坊だ。子供なんていとも容易く命を失うこの世界、大切な跡取りに何かあっても、次男(スペア)がその役割を果たせないなら、単なる穀潰しでしかない。


「この子は〈夜の愛し子〉。いわば神への供物です。けして無体をせず、大切にお育てになりなされ。でなければ、大いなる災いを呼ぶでしょう」


 取り上げ婆のこの言葉がなければ、多分、僕は屋敷の離れにある塔にでも幽閉されていたのだろう。

 幸いなことに、古いしきたりを尊ぶ我が家は、取り上げ婆の言葉を忠実に守ってくれた。

 黒髪の子。アドリアーノ。

 そう名付けられた僕は、十五歳まで生きられない神への供物『アドリアーノ・ロフタス』として、最低限の生活を保証された。


 要するに、飼い殺しだ。

 生きることは許されているけど、生き抜くための教養は許されない。どうせ、あの子は死ぬのだから。


 五つ歳の離れた弟が出来てからは、ますますそれは顕著になった。既に死が定められた次男はロフタス家にとって価値はなく、父と母の関心は専ら兄弟達に注がれた。僕はもう、二人の顔を思い出すことも出来ない。

 何もかもが虚ろだった。生きながらにして、死んでいるも同然だ。


 唯一、僕のことを気にかけてくれたのは叔父だった。実の両親から見放され、満足な教育も受けられない僕を哀れに思ったらしい。叔父は暇を見つけては、ふらりと現れ、僕に字の読み書きを教えてくれた。字が読めるようになってくると、本を与えてくれ、分からないところがあれば丁寧に教えてくれた。


 まもなく叔父の計らいで、屋敷内にある書庫への出入りが許されるようになった。

 家柄だけは由緒正しい名家だ。兄弟は手を伸ばすことのない蔵書の山にどっぷりと浸るようになっていたのは、ある意味当然のことだったのかもしれない。

 叔父は神出鬼没な人で、ふらりと現れてはすぐに消えてしまう。彼の教えを乞える時間は限られていたものの、それでも僕にとっては唯一と呼べる師だった。博識な人で、どんな問いかけにでも必ず真摯な答えを出してくれたからだ。将来があるのなら、叔父のような人になりたいと思った。


 願うだけならば自由だ。だけど、右手首の痣が、僕に夢を諦めさせる。

 黒い痣のことを〈愛し子の印〉というらしい。右手首に宿るそれは刻一刻と僕の命を飲み込もうとしていた。


 転機が訪れたのは、十四歳の夏だ。麦が黄金色に色づく美しい季節のことで、まもなく僕が十五歳の誕生日を迎えようとしているある日のことだった。

 〈夜の愛し子〉としての役目を果たす日は、まもなくだった。

 神に命を捧げるのは喜ばしいことで、死後、ルキギナロクで仕えられるのは名誉あることだ。

 素直にその言葉を信じられたなら、まだ良かったのかもしれない。だけど、僕はあまりに多くを知りすぎてしまった。歴史や文学、芸術に社会学。人間の英知はまるで地層のように堆積していき、果てがない。それは後世に託された書物からも明らかだ。学問の世界に終わりなどない。

 楽しい。知りたい。――もっと、生きたい!


 それでも日は昇り、夜が来て、一日は通り過ぎてゆく。

 元々貧相だった僕の身体は痩せこける一方だった。急き立てられるように書庫に向かい、蔵書の中に〈夜の愛し子〉に関する記述がないのか目を皿にした。なんとか印から逃れる術がないか躍起になっていたのだ。

 そんな僕を見かねてか、叔父が外の世界に引っ張り出したのが始まりだった。


「……どこか痛いの?」


 蹲る僕を見下ろしてきたのは、満月色の瞳を持った女の子だった。

 年の頃は七歳くらいだろうか。僕よりひとまわりもふたまわりも小さい。きらきら光る銀色の長い髪を持っていて、仕立ての良い服を着ている。多分、いいところのお嬢さんなんだろうと思った。


 一体どうしてこんなところに。そう考えてから、人のことを言えないと思った。

 「今は麦が見頃だよ」と叔父に連れられて領地の外までやって来たのはいいものの、肝心の叔父は何やら人と話し込んだまま。仕方がないので、ぶらぶらと麦畑の傍を歩いていたのだ。


 この麦の収穫が終わる頃には、僕は死ぬ。

 そんなことを考えていたら、急に気分が悪くなって座り込んでしまったのだ。

 今にして思えば自棄になっていたのだと思う。目の前の彼女に非はなかったのに、突き放すような言葉が滑り出ていた。


「……放っておいてくれ」


 女の子はニコニコと屈託のない笑顔を向けている。

 人の話を聞いていなかったのだろうか?

 思わず緊張感のない顔を睨み付けてしまった。


「ねえねえ、怒る元気があるならわたしを手伝って!」


 有無を言わさず引っ張られる。とは言え、相手は僕よりずっと小さな女の子だ。


「う~~~~ん」


 体格差に負けて、彼女は唸り声を上げる。ぴくりとも動かない僕を前に女の子はちらっともう一度僕を見て、それから再度「うーん」と唸り声を上げた。

 ……もしかして、僕が動くまで待っているのか?


「手伝ってほしいな~~」


 そういうのは従者がやることだと知っていた。だけど、僕に付いてくれるような従者はいない。おまけに女の子にも、どういう訳か従者は付いていなかった。


「……何をだ」


 どうせ大してすることもない。少しくらいなら時間を潰してもいいかもしれない。ため息を吐いて、僕は立ち上がった。


「わあ、ありがとう! えーっと……」

「……リアでいい」

「リアね! わたしはディナ! よろしくねっ」


 屈託のない顔でディナは笑う。

 眩しいな、と思った。〈愛し子の印〉がなければ、僕もこんな風に笑えたのだろうか。

 柔らかい手のひらが黄金の麦畑の中へ誘った。甲高い声でディナは歓声を上げている。


「一体どこに?」

「こっち!」


 まもなく麦畑を通り抜ける。そのままディナは、迷いのない足取りで大きなホワイトバーチの木の下にやって来た。


「一体、何が……」


 ミャーオ、という何とも悲壮感漂う鳴き声が聞こえた。


「あそこ、見て」


 ディナが指さした方向に視線を向けると、ホワイトバーチの木に子猫がしがみついているのが見てとれた。


「下りられなくなっちゃったの。助けるの、手伝って!」


 だったら最初から登らなければいいのに。

 僕は子猫の頭の悪さに呆れてしまう。降りられもしないのに登るなんて理解不能だ。


「自業自得なんだから放っておけばいい」


 あんなものは自己責任だ。大体、あの子猫くらいの体格があれば、飛び降りても問題ない筈だ。

 僕の言葉に、ディナは驚いたように目を丸くして反論した。


「そんなのダメだよ!」

「助けたところで、一体何の得になるんだ? この程度のことなら僕は戻――っておい!?」


 戻る、と言い終る前にディナは木に張り付くと、するすると登り始めてしまった。


「危ないぞ! 降りてこい!」

「猫ちゃん助けたらねー!」


 口にして、ディナはあっという間に子猫のいる枝まで辿り着いてしまった。


「怖くないよーちっちっちー」


 子猫は背後からやってきたディナを警戒して、毛を逆立てている。

 ああ、馬鹿! あんな不安定な体勢で落ちたらどうするんだ!


「あっ」


 ディアナの手をすり抜けた子猫は、しなやかな放物線を描いてシュタッと地面に降り立った。そのままシュバババッと猛スピードで茂みの中へと走り去っていく。


「言わんこっちゃない……」


 子猫はどうにかなったが、これではただの骨折り損のくたびれもうけだ。呆れて視線を上げれば、ディナは手を伸ばした格好のままプルプルと震えている。


「おい、まさか……」

「結構高いねえ。あ、あははは……」


 結局、ディナは僕の助けを借りながら、半べそになって木から降りてきた。

 自分一人の力でどうにか出来ないから助けを求めた筈なのに、後先考えないで行動するからだ。

 手痛い目に遭ったというのに、地上に戻ったディナは開口一番こう言った。


「猫ちゃん助かって良かったねえ」

「……正気か? 君は碌な目に遭っていないだろう?」


 僕の言葉に、ディナは満月色の瞳をきょとんと丸くさせた。


「? わたしも猫ちゃんも元気だよ?」

「そういう問題じゃない。君は損しかしていないじゃないか!」

「うーん……?」


 ディナは相変わらず首を傾げている。僕の言葉が分からないほど、幼い……いや、頭が悪いのだろうか。


「損とか得とかじゃなくて、「助けて」って言われたら、助けてあげるものじゃないの?」


 その言葉に虚を突かれた。

 多分、想像だにしない言葉を投げ掛けられたからだ。直後に沸き上がってきたのは、嘲笑だった。


「自分の面倒だって満足にみられないのに、乞われたら助けようとするのか」

「……難しいことは分かんないよ」


 ディナ相手にむきになってどうする。頭では分かっていても、一度堰をきった言葉は止まらなかった。


「僕が助けてと言えば助けるのか」

「助けてほしいの?」


 満月色の瞳が真ん丸になって僕を見る。まるで満月みたいだ、と頭のどこかでそう思った。


「ああ、そうさ! 出来るものなら助けてほしいね!」


 どこかで冷静な自分がいるのも分かっているのに、感情の暴走が止まらない。気が付いた時には、僕は叫んでいた。


「この印のせいで、僕の人生滅茶苦茶だ!」


 そこまで言い切って、ハッとする。

 こんな小さな女の子相手に一体何を言っているのだろう。ディナは何にも関係がないのに……。


「分かった。この印がリアからなくなればいいのね?」


 ディナのその言葉に、僕は開いた口が塞がらなかった。


「…………出来るわけない」


 口にして、自分に言い聞かせる。こんな、自分の人生の半分も生きていないような女の子の言葉に縋るなんてどうかしている。今度こそ侮蔑の眼差しを向けて、僕はディナを斬り捨てた。


「二度と、こんな勝手なことを言わないでくれ」

「出来るもん!」


 間髪入れずにディナが噛みついた。


「近寄るな!」

「やだ!」


 思わず押し返した僕の手をディナが掴む。次の瞬間、ぶわっと物凄い光が視界を覆い尽くした。


『――――!』


 ディナの声が聞こえたような気がする。

 一拍遅れて、光は収縮した。

 先ほどと変わらぬ光景が辺りには広がっている。大きなホワイトバーチの木も、遠くに見える麦畑もそのままだ。


「何、が……」


 そこまで口にした僕は、自分の右手首を見て愕然とした。


「印が消えてる……」


 はっとしてディナを見る。彼女は「ふふん」と言わんばかりに胸を張っていた。


「だから出来るって言ったもん!」

「一体どうやって」

「だってわたし、魔法使いだもの」


 それは答えになっていない。

 なぜなら、今までどのような魔法使いに診て貰っても、〈愛し子の印〉を消すことは出来なかったからだ。それをこんな、小さな女の子が。

 信じられない気持ちで僕はディナを見た。彼女は誰にも出来ないと思われていたことをいとも容易く成し遂げたのだ。


「これでリアも安心だよね……ふわぁ……」

「っ、ディナ!?」


 ことっと糸の切れた人形のようにディナの身体が崩れ落ちた。寸前のところで僕は彼女の体を抱きかかえる。


「すぅー」

「…………寝てる」


 あまりに唐突過ぎたから、驚いたではないか。

 僕は安堵の息を吐いた。改めて、腕の中の女の子を見る。まさか、こんな小さな子が誰も消すことの出来なかった〈愛し子の印〉を消してしまうだなんて思わなかった。本人は魔法使いだと言ったけれど、一体どんな魔法を使ったのだろう。


 そこまで考えたところで、ふと僕はディナの大きく開いた襟ぐりの下から、見覚えのある黒い印が浮かび上がってくることに気が付いた。


「〈愛し子の印〉!?」


 印の形がまもなく完成する。それに気が付いた時、ざっと僕の血の気が引いた。

 もしかすると、ディナが唱えた魔法とやらは、単に〈愛し子の印〉を彼女に()()()だけに過ぎなかったのではないか。


「っ!?」


 不意に、視界が黒く滲んだ。


「……っは、……何……?」


 急速に視界が悪くなり、立っていられなくなる。気を失うも同然で、僕はディナを抱えたまま意識を失ってしまったのだった。

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