予定にない外出②
(主にわたしの中で)後世にも語り継がれることになる美形致死量事件は、なんと服代をアドリアーノ先生に持ってもらうことで決着がついた。いや、もう、びっくりだよ。アドリアーノ先生の用事とはいえ、あくまでわたし用の服だからね。
払いますと言ったものの、そのお値段にわたしはひっくり返りそうになってしまった。オーダーメイドじゃなくっても、やっぱり服って高いんだね……! 自分で拵えるのとはまったく勝手が違う。
ガクブルするわたしを他所に、アドリアーノ先生は店員と話をつけて来たらしい。曰く、私の用事に付き合わせるのだから私が出す、とのこと。この場は頼ることしか出来ないけれど、いずれお支払いしますと口にすると、「くどい」と一蹴されてしまった。
そういった経緯を経て、わたしは真新しい洋服に身を包み、アドリアーノ先生の隣に立っているという訳だ。
「買ってもらっておいて今更ですが、制服じゃ駄目だったんです?」
わたしが小声で話しかけると、アドリアーノ先生は「本当に今更だな」と言いたげにすみれ色の瞳を向けた。
「学外で講師と生徒が連れ立って歩いているのを、誰かに見られでもしてみろ。面倒なことになる」
その一言に、わたしはぞっとしてコクコク頷いてしまった。ただでさえクラリッサに目を付けられているのに、これ以上の面倒事はご免こうむりたい。
「なるほど。そのための変装ってわけですね、アドリアーノ先生」
見上げると、アドリアーノ先生は何とも形容しがたい顔をしていた。
「私と君は講師と生徒の関係で違いないが、今日だけは『先生』と呼ぶのはやめなさい」
(あ、そっか。せっかく変装してるのに、先生って呼んじゃったら意味ないもんね)
ごもっともなアドリアーノ先生の指摘にわたしは頷いた。
「ええと……じゃあ、先生のことは何て呼べばいいんでしょう?」
少しだけ眉をひそめて考え込んだ後、アドリアーノ先生は簡潔に告げた。
「リアでいい」
「……分かりました」
ファミリーネームで呼べばいいかな、とも思ったけど、出自が漏れちゃうもんね。ロフタフ家は有名だし。
事情があるとは言え、まさかあのアドリアーノ先生を愛称で呼ぶ日が来るとは思ってもみなかった。
そこまで考えて、わたしは顔を上げた。
「でしたら、わたしのことはディナと呼んでください。リアだけ愛称って、なんだかちぐはぐになっちゃうでしょう?」
うん、これならばっちりだ。子供の頃に呼ばれていた愛称だから、聞き洩らす心配もない。
わたしがにんまりすると、アドリアーノ先生……じゃなかった。リアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。なんだか今日は、いつも見ないようなリアの表情が目白押しだ。
「分かった。君の言う通りにしよう、ディナ」
その響きに懐かしさが込み上げてきて、わたしは思わず立ち止まった。
土と、それから麦の香り。
黄金に揺れる麦畑の傍らで、子供のわたしは確かにそう名を呼ばれていた。言葉では言い表せない、望郷の念が確かにそこにある。
……この間、夢に見たから引っ張られちゃったのかも。優しい手のひらを思い出してしまって、なんだか妙にドキドキとしてしまう。
突然動きを止めたわたしを不審に思ってか、リアが振り返るのが分かった。
「どうした?」
「い、いえ。なんでもありません」
わたしは慌てて足を進めた。今は懐かしさに後ろ髪を引かれている場合じゃない。気持ちを切り替えるように、顔を上げる。
「ところで、わざわざこんな格好してまでどこへ行くんです?」
そう言えば、行き先を聞いていなかった。今さらと言えば今更な質問に、リアは呆れたようにわたしを見た。
「ここに用がある」
リアの視線を追いかける。
馬車も行き交う活気のある大通りだ。庶民が集まる季節の市場とは違って、しっかりとしたレンガで組み上げられた商店が続いている。その中に、一際立派な店構えがあった。
「ウィリ……アムズ商会!?」
軒先に吊り下げられた看板を見て、わたしは目を疑った。見間違いでなければ、ここはまさしくふわふわ茶髪系わんこルーク・ウィリアムズの生家の筈だ。
「行くぞ」
わたしの驚きを予見していたかのように、リアは店内に入っていく。わたしは慌ててその後を追った。
「いらっしゃいませ」
ウィリアムズ商会は風格のある外装にひけをとらない豪奢な内装になっていた。
広い店内には色鮮やかな絨毯が敷かれていて、壁にはタペストリーが飾られている。服飾店で気後れしていたわたしでは、当然しり込みしてしまうような格式高い大店だ。調度品はどれも品よくまとめられていて、店内からは微かに良い香りが漂ってくる。
そんなウィリアムズ商会の中を、特に動じることなくリアは歩いていた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
年若い店員に連れられた先は、店の奥にある応接室だった。促されるまま、革張りのソファに腰を掛ける。細部に至るまで職人の技巧が凝らされていて、非の打ち所がない逸品だ。これ一つで一体どれほどのお金が必要になるのか、考えるだけでも眩暈がしそうだった。
「アドリアーノ様、お待たせしました」
どうやら先触れが通っていたらしく、きっちりリアが本名で呼ばれている。扉の向こう側から姿を現したのは、長身の男性だった。
「わたくしはドミニク・ウィリアムズ。本店の店主を務めております」
ルークの灰色の瞳は父親譲りのものだったのだろう。そう確信が持ててしまうほど、男性の顔つきには面影がある。
ドミニクが小難しい挨拶を述べるのを、わたしはリアの隣で黙って聞いていた。下手に口を挟んでこちらに話を振られでもしたら大惨事になってしまう。
「眼鏡を探すのならばここに来ればいいと聞いている。良い品はないだろうか」
「失礼ですが、アドリアーノ様は近視でいらっしゃられますか?」
「ああ。普段は魔法で矯正している」
全然知らなかった。ていうか、魔力をそんなところに使っていたのか。
わたしは内心の動揺を顔に出さないよう努めながら、横目でリアを見た。
たまに難しい顔をしてたのって、単純に目が悪かったということだろうか。だとすれば、結構衝撃の事実だ。
「検査用の眼鏡をご用意しておりますので、まずはそちらで度を合わせてみましょう。お急ぎのようでしたら、既製品の中からお選びいただくことも可能ですし、勿論オーダーメイドも承ります」
流石は大店の店主というだけあって、ドミニクの手際は群を抜いていた。木製の枠で作られた検査用の眼鏡が机の上にいくつも並べられる。
「では、こちらから順番にかけて頂き、最もよく見えるものをお選びください」
眼鏡を主力商品として格を上げた店というのも納得の接客手腕だった。木製、革製、金属製とフレームは多種多様で、中に嵌まっているレンズも透き通る様に輝いている。
「当初は革に嵌めて耳の後ろで結ぶ形状だったのですが、最近では耳に引っかけるものがわたくしどもの最先端でございます」
言われてみれば、確かに耳にかけられるような形になっている。これなら両手が空くことになるので、かなり利便性が高い。
「確かにこれは便利そうだ」
眼鏡を覗き込んで、リアは感嘆の息を吐いている。
そりゃ普段から魔力を使っている身からすれば、魔力要らずで視力矯正出来るアイテムがあるなら、そっちを使いたいよね。
「鼻に乗せる形状もあると聞いていたが」
「そちらはコリンズ商会の商品でございますね。わたくしどもはお互いに眼鏡を取り扱っている商会でございますので、形状にはそれぞれ趣向を凝らしております」
ウィリアムズは耳掛けの、コリンズは鼻掛けのというように、それぞれ利便性とデザイン性で売りがあるということだ。わたしは感心して、机の上に並べられた眼鏡を見た。
「ひとまずこちらを購入しよう。使ってみて良いようだったら、いずれオーダーメイドも検討したい」
そう口にしてリアが手に取ったのは、金属製の眼鏡だった。装飾の少ないデザインで、すっきりと落ち着いた印象がある。
お値段は全然可愛くなかったものの、リアは平然と手に取っていた。うーん、流石はロフタス家のお坊ちゃま。
「ありがとうございます。どうぞ、今後ともごひいきに」
商談はとんとん拍子でまとまった。リアは新品の眼鏡を手に入れ、どことなく上機嫌そうだ。
ウィリアムズ商会を後にして、わたしはリアを見上げた。
「眼鏡のお買い物だったんですね」
正直、わたしがついて行く理由はあったのだろうかと首を傾げてしまうものの、眼鏡を見れたのは良かった。わたし一人では絶対に縁のなかった場所だろう。
「ああ。君はウィリアムズ商会に行ってみてどう思った?」
リアの問いかけに、わたしは唇に手を当てた。
「立派な店構えだと思いました。品ぞろえも豊富でしたし、店主の説明も分かり易く丁寧で、流石の大店でしたね」
「他に気が付いたことは?」
リアの質問の意図はなんだろう。少し考え込んで、わたしは心当たりを見つけた。
「……ウィリアムズ商会とコリンズ商会は仲が悪いと聞いていましたが、御店主は普通に話しているように感じました」
ルークの話では商材を盗み盗まれた関係性だった筈だ。普通に考えれば険悪な仲なんだろうけど……。
「我々は客という立場だからな。上客相手に店主自ら悪感情を曝け出すというのは悪手だろう」
「確かに」
そう指摘されると、納得してしまう。他店のことを口汚く罵るような店主だったら、わたしだったら次はないなって思っちゃうもの。
「うーん、分かんないなあ……」
わたしはむむむと首を捻った。人づてに聞いた印象と、実際に自分の目で見た印象は全然違う。分からないことだらけだ。
「えーと。この後はどこか行きますか? それとも学校に帰ります?」
言いながらも、わたしの心の天秤はもう少し歩き回りたいという方向に傾いていた。
リアと一緒だなんて間が持つだろうかと昨晩心配したことが嘘のようだ。他愛ないことでも当たり前のように返事が返ってくることが、ただ楽しい。現状、ステラとうまくいっていないということもあって、人恋しくなっていた自分を思い知った気分だ。
「もう一軒、向かうところがある」
その言葉にわたしは思わず顔が緩んでしまった。
ご機嫌になるわたしとは対称的に、リアは驚いたような顔をしている。
「? どうかしました?」
「いや、君は……」
少しだけ悩んだ素振りを見せて、リアは結局口にすることに決めたようだ。
「……そうやって笑うんだな、と」
言いながら、リアは柔らかい眼差しで口許を綻ばせた。
すみれ色は、ただ、優しい。
わたしは思わず目を奪われて、それから、どっと体温が上がることを自覚した。
(あ、あれ……?)
心臓はばくばくと痛いくらいに音を立てている。
おかしい。わたしは一体どうしてしまったんだろう。
「よ、よし! じゃあ! 今すぐ向かいましょう!」
訳の分からない衝動に突き動かされて、右手と右足が同時に出る。サカサカと歩き始めたわたしに、リアが慌てて声を上げた。
「目的地も分かってないのに先に行く奴があるか!」
「そうでした!」
リアの指摘はごもっともだ。わたしは急ブレーキをかけて足を止めたのだった。




