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夜の魔法使い

 光が沈むと、やがて夜がやってくる。

 空には青白い月が昇り始め、星々が淡い輝きを放っていた。

 アドリアーノ先生の応用魔法学は、予告されていたように夜に開かれる。授業棟はひっそりと静まり返っていて、まるで別世界に迷い混んだようだ。

 校内の高い所に設置された水晶玉からは〈光明〉が放たれていて、暗い教室の中を照らし出す。なんとも雰囲気のある空間にざわめく生徒達の中、わたしは独り、杖を握りしめて立ち尽くしていた。


(ステラ……)


 わたしがやらかしたあの日、ステラは部屋に帰ってこなかった。どうやら友達の部屋にこっそり泊めて貰ったみたいだ。次の日には帰ってきたのだけれども、わたしとは目も合わせてくれず、満足に話し合うことも出来ないまま今に至っている。当然、授業だって別行動だ。

 ステラとわたしは同じ文科を選択しているので、わたし達の不仲はあっという間に知れ渡ることになってしまった。


 わたしは周囲を見渡した。アドリアーノ先生のいない教室は、生徒達が思い思いの場所でお喋りに興じている。その中の一つのグループにステラの姿はあった。

 ティリッジ魔法学園に入学したての頃を思い出す。あの頃は、ただ結果を出さなければならないという一心で、追い立てられるように勉強漬けの日々を送っていた。友達らしい友達も出来ず、かといって他に何をすればいいのかも分からない。ぽつんと教室の片隅に佇んでいたわたしに声をかけてくれたのが、ステラだったのだ。

 ずきん、と胸が痛くなってわたしはステラを見た。遠目からでも、ステラのいるグループは楽しそうで、なんだか切ない。


「少し宜しいかしら?」


 死角から声をかけられて、わたしは思わず目を瞬かせた。耳に残る甲高い声には覚えがある。


「わたし、ですか?」


 振り返った先には、予想通りというべきか豪奢な金髪の巻き毛が揺れていた。透き通るような青い瞳に、レースたっぷりの改造制服。こんなド派手な女子生徒を見間違える筈がない。

 クラリッサ・トンプソン。アドリアーノ先生のファン筆頭格であり、先日授業の片付けで従者を寄こそうとしてきた女子生徒だ。

 ファミリーネームからも分かるように、本校創設者の家系であるトンプソン本家筋ゴリゴリのお貴族様で、わたしとの接点は当然ない。今日も取り巻きの女子生徒が数名侍っていて、ぼっちのわたしとは対極に位置する存在と言ってもいいだろう。

 そんなクラリッサが一体何でまたわたしに。


「ええ。貴女に用があってよ。ディアナ・エジャートン」


 名指しされてしらばっくれる訳にもいかず、わたしは丁寧な口調を心掛けて返事した。


「どのような御用でしょう?」

「貴女が身に着けている指輪を見せてくださらないかしら?」


 青い目を細めてクラリッサは優雅に微笑んでいる。わたしは思わず身構えてしまった。


「指輪ですか?」

「先日の授業で親指に嵌めていらしたでしょう? とても素晴らしい意匠でしたから、参考にしたいと思いまして」


 わたくし、指輪にはこだわりがありますのよ。

 ほほほ、と口にするクラリッサの指には確かに女性用の指輪が嵌まっている。着飾ることにかけては誰よりも熱心な彼女のことだ。見慣れぬ意匠に関心を寄せるというのは腑に落ちる。


「そういうことなら……」


 ネックレスにして首からかけていた指輪を取り出すと、クラリッサは困ったように小首を傾げてみせた。


「よく見えませんわ。外して見せてくださいます?」


 注文が多い。かといって、衆目のある教室内で貴族であるクラリッサの頼みを断るというのも角が立ってしまう。

 わたしはしぶしぶネックレスから指輪を外して、クラリッサに手渡した。正直、あまり関わりたくない相手だ。さっさと終わらせてお引き取り頂こう。

 指輪を様々な角度から透かし見て、満足したのだろう。クラリッサは手のひらで指輪を包み込んでから、わたしに差し出した。


「大変参考になりましたわ」

「お役に立てたなら良かったです」


 にこりと微笑み返して指輪を手に取る。

 その時、あれっと思った。微かな違和感と言えばいいのだろうか。手に取った時、指輪が少し軽くなったような気がしたのだ。


「そろそろ授業も始まりますし、失礼致しますわ」


 取り巻きの女子生徒達を引率して、クラリッサは教室のいつもの定位置へと戻っていった。その後ろ姿を見送って、わたしは改めて指輪を持ち上げた。


(やられた)


 意匠はかなり近い。だけど、指輪に嵌まっていた石はもう少し黄色に近い色をしていた。何より致命的だったのは、指輪のサイズだ。アドリアーノ先生の指輪はもう一回りほど大きい。


(……よく似た別物にすり替えられてる)


 わたしは何食わぬ顔でお喋りに興じているクラリッサを見た。彼女が指輪をすり替えた犯人であることは、疑いようもない。


(アドリアーノ先生の指輪だってバレてたんだ)


 どこから情報が漏れたのかは分からない。少なくともステラは、共同風呂(サウナ)で指輪がアドリアーノ先生の私物であることを見抜いていた。同じようにアドリアーノ先生のファンであるクラリッサが気付いた……というのはおかしなことではないだろう。

 問題は、わたしが〈魔力なし〉になったことまでバレてしまったかどうかだ。ていうか、指輪が別物になったってことはわたし、魔法が使えないってことだよね!?

 返してって言っても絶対しらばっくれるだろうし、えっ、どうしよう……!?


「授業を始める。席に着きなさい」


 わたしが頭を抱えている内に、アドリアーノ先生が教室に辿り着いてしまった。こうなってしまっては、指輪を取り上げられたことも相談出来ない。なんとも言えない顔で席に着いたわたしへの追い打ちは続く。


「前回の授業では、日中の夜魔法は効力が落ちることを説明した。〈転移〉が不完全な結果を出したことは、諸君らも見ての通りだっただろう。今回は夜半で〈転移〉を行い、その結果がどうなるか確かめていく。ではエジャートン、前に来なさい」


 心地の良い声で流れるように進んでいく授業は流石のアドリアーノ先生だと思う。流石なんだけど、このタイミングでの実技は色んな意味でマズすぎる。

 兎にも角にもなんとかしなければ、クラス中にわたしの〈魔力なし〉が露見してしまう。そうなれば、最悪退学だ。わたしの学校生活が終わってしまう。

 わたしは助けを求めてアドリアーノ先生を見上げた。


(今、実技はマズいんです!)


 なんとか目線で訴えかけてみる。アドリアーノ先生なら気が付いてくれる筈……!


「ちょっと、そこでモタモタしないでくれる?」


 どんっと身体を押し出されて、わたしは思わず目を白黒させてしまった。咄嗟に振り向くと、薬学の時に舌打ちした女子学生がわたしを睨んでいる。

 あ、あー。そういうこと。どうやらクラリッサのお友達(取り巻き)だったみたいだ。こちらはボスと違って、敵意を隠そうともしていない。


「授業中に私語は慎みなさい。エジャートンはそのまま教卓へ」


 アドリアーノ先生に弁明する最後のチャンスを逃してしまい、わたしは絶望的な心地になった。

 指輪はない。魔力もない。こんな状況で教卓に乗っている石膏棒(チョーク)を教室の扉まで移動させろと言う。一体何の公開処刑だ。

 わたしはふらふらとしながら教卓の前で杖をついた。

 せめて、格好だけでもどうにかならないか。ほとんどやけくそで石膏棒(チョーク)に触れ、もう片方の手のひらで杖を握り締める。


(……あれ?)


 私は目を瞬かせた。その感覚には覚えがあったのだ。まるで世界から音が消えて、自分だけになったかのような。真っ暗闇の中、青白い光がまるで道筋のようにわたしの中を照らしている。

 イメージすることはごく自然に出来た。

 身体の中にある魔力の源泉から力を引き出す為に、言ノ葉を編んでゆく。


転移(移動する魔法)


 フッと石膏棒(チョーク)が教卓から消えたのが分かった。


「成功だ」


 アドリアーノ先生の言葉が聞こえる。わたしは慌てて教室の入り口を見た。正真正銘、わたしが先ほどまで触れていた石膏棒(チョーク)が扉の位置にまで〈転移〉している。


(……魔力が戻ってる)


 わたしは呆気に取られて、自分の両手を見下ろしてしまった。

 それは当たり前のようにわたしの中にあって、ごくごく自然に引き出すことが出来た。指輪の力がなくとも、わたしは魔力を引き出すことが出来たのだ。


「前回行った日中での夜魔法では満足な結果を得られなかった。しかし、月の出ている夜半では違う。夜魔法の真価は〈夜〉の中で発揮されることは、諸君らの見ての通りだ」


 同じ術者が使用して異なる結果が出たことが何よりの証明だろう。

 アドリアーノ先生の言葉は滑らかで、淀みはない。わたしは放心したまま自分の席に戻った。〈タイム・リープ〉を果たした日、一切発動することのなかった魔法が当たり前のように使えてしまった。その事実がなんだか信じられなかったのだ。


「先生、質問です」

「言ってみなさい」

「一般魔法と違って、属性魔法はその属性を持っている人にしか使う事が出来ませんよね。たとえば自分は木属性と土属性持ちです。そういう人間が、夜属性を学ぶ必要はあるんですか?」


 わたしがぼんやりとしている間も授業は進んでいく。

 アドリアーノ先生は相変わらず淡々としていて、その表情は読みにくい。今日は教室の薄暗さも相まってなおさらだ。


「〈光明〉等のように分かり易いものからそうでないものまで、多岐に渡るのが属性魔法だ。〈転移〉は一見属性依存と分かり難いが、影を移り渡って発動する〈夜〉特有の魔法になる」


 そういう理由があるなら、日中失敗したのも納得だ。昼は影が途切れてしまう場面が出てしまうが、夜はすべてのものが影で繋がる。


「そういった魔法の特徴を知らぬ者は、必要となる場面で適切な魔法の選択を誤るものだ。たとえば、病にかかった者に一刻も早く薬を届けたいと考える。その時早馬を飛ばすよりも、夜半ならば近くにいる夜属性持ちに〈転移〉を頼んだ方がよほど早い」


 知らないということは、自ら選択肢の幅を狭めるということだ。アドリアーノ先生は言う。


「魔法学とは自分の属性だけを修めればいいというものではない。他の属性を知り、必要となる場面で最適となる魔法を選択出来る広い視野と英知を養う。それが魔法学と知りなさい」


 アドリアーノ先生の言葉は、まるで乾いた大地に染みこむ水のようだった。

 必要となる場面で最適となる魔法を選択する。

 噛み締めるように口の中で反芻して、わたしは誰にも聞こえないような小さな声で魔力を乗せた。


転移(移動する魔法)


 再び唱えてみたのは、多分、確かめたかったからなのだと思う。

 滞ることなく発動した〈転移〉は、わたしの持つ偽者の指輪とクラリッサの持つ本物の指輪に対して行われた。二つの指輪を同時に〈転移〉させて、そっくりそのまま入れ替えたのだ。首から下げていた革紐に慣れた重みが帰ってくるのが分かる。


(戻ってきた……)


 意匠も石の色も見慣れたものになっている。

 指輪が返ってきたということは、わたしの魔法は成功したということだ。クラリッサのところには、元の指輪が戻っていることだろう。つまるところ、これで何もかもが元通りだ。

 高揚感はなかった。ただ、指輪なしでも魔法が成功したという事実だけがそこにある。

 それを喜ぶべきなのに、不思議とわたしの心は凪いでいた。

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