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プロローグ 14歳のわたしへ

 ふわり、と魔法書の匂いがした。

 満月の光が遮られて影が落ちる。わたしは慌てて声を上げた。


「アドリアーノ先生!?」


 視界を奪ったのは全身黒ずくめの作業着(ローブ)だ。

 何もこんな日まで真っ黒にする必要ある? 呑気にそんなことを思っていたのに、急に抱きしめられてわたしの頭はパニック状態だ。


 いやいやいや、あのアドリアーノ先生だよ!? 美形だけど愛想がなさ過ぎて、鉄壁とか課題の鬼とか言わしめられたアドリアーノ先生ですよ!?

 何がどうとち狂って、わたしなんぞを抱きしめる事態になっているのでしょうか。ていうか、先生のファンに刺されそうで怖いんだよ!


「あの……」


 兎にも角にも、まずは離れて貰わないと。わたしに覆い被さっているアドリアーノ先生の肩に手を置くと、その身体がずるりと不自然に崩れ落ちた。


「え、嘘、ちょっと……!?」


 慌てて膝を折る。アドリアーノ先生は倒れ込んだ姿勢のままぴくりともしない。見れば、元々不健康そうな顔色が真っ白になっていた。掴んだ手のひらは冷たい。


「お医者様を連れてきます!」

「……待ちなさい。無駄、だ……」


 掠れた声がわたしを呼び止めた。


「でも!」

「これで良かったんだ」


 アドリアーノ先生が何を言っているのかよく分からない。

 稀代の天才魔法使いと呼ばれた人だ。頭の構造がそもそもわたしとは違う。


「君を救えて……良かった」


 ことりと手のひらが地面に落ちた。


「アドリアーノ先生?」


 目の前で起こったことがよく分からなくて、わたしはアドリアーノ先生の肩を掴んだ。


「たちの悪い冗談でしょう? 先生がそんなことする人だなんて知りませんでした」


 肩を揺さぶる。アドリアーノ先生はわたしに揺られるままだ。


「ねえ、そうなんですよね。そうだって……言ってくださいよ……っ」


 その瞼が持ち上げられて、ちょっと怖いすみれ色がわたしを覗く。


『冗談を言う必要性を感じられない』


 アドリアーノ先生ならそう言いそうだ。だって、すごく気難しい先生だから。


「……嘘」


 違う。

 そんな風に想像出来るほど、わたしはアドリアーノ先生のことを知らない。

 本当に何にも知らないのだ。


「わたしを救えてって……何?」


 ずっと肩を揺らしているのに、アドリアーノ先生は目を覚ましてくれない。口を噤んだまま、静かに横たわっているだけだ。

 黒い痣が浮かび上がったアドリアーノ先生の手はぞっとするほど冷たかった。


「わたし、何にも知らないよ……」


 アドリアーノ先生は何をしたの?

 わたしを救えたってどういうこと?

 どうして先生は目を覚ましてくれないの?


「起きて」


 脳裏に浮かんだのは、一度だけ見た先生の横顔だった。

 何かを懐かしむような遠い目をしていた。いつも感情の読み取れない難しい顔をしているから、それが何だか珍しくて。思わず見とれていると、先生は困ったように眉を下げたのだ。


「ねえ、起きてくださいよ……」


 喉の奥がツンと痛くなる。

 信じられない。信じたくない。だけど、冷たい手のひらは否が応でもわたしに現実を突きつける。

 アドリアーノ先生の魂の炎はすでに消えてしまっていることを。


「ちゃんと説明してよ、アドリアーノ先生……っ!」


 不意に胸元から淡い光が零れ落ちていることにわたしは気が付いた。咄嗟に手を伸ばすと、指先が満月色のペンダントに辿り着く。


「っ!?」


 光が強くなる。

 目を開けていられなくなって、わたしは瞼を閉じた。途端、何かに引っ張られるような感覚がある。


(な、何が起こったの!?)


 まるで大鍋の中に放り込まれて、ぐるぐると掻き回されているかのようだ。そのまま、真っ逆さまに落ちていく。

 そうしてわたしの意識は、一度そこで途切れ、て……。


「――トン」


 暗い。

 最初に思ったのはそんなことだった。


「起きなさい。ディアナ・エジャートン」


 ゆるゆると重い瞼を持ち上げる。そうして映った目の前の光景に、わたしは呆然としてしまった。


「アドリアーノ先生……?」


 だってそこには、アドリアーノ先生が平然と立っていたのだから。


「み、脈は大丈夫ですか!? 動けてますよね、息してますよね!?」


 良かった、動いてる……。

 顔色は相変わらず良くないけれど、許容範囲内だ。って言うか、さっきが病的に白すぎた。

 ちゃんと両足で立てているし、眉間の皴もくっきりだ。その手のひらには石膏棒(チョーク)が握られている。


「ん? 石膏棒(チョーク)?」


 思わず呟いて、もう一度顔を上げる。

 眼前には、どういうわけかアドリアーノ先生の冷たい眼差しがあった。わあ、綺麗なすみれ色。


「エジャートンはどうやら随分と寝ぼけているらしい」

「え? 寝ぼけ……? うえぇっ!?」

「私の授業中に居眠りとはいい根性をしている。本日の課題を期待しているように」


 慌てて周囲を見渡せば、「ご愁傷さまです」と言わんばかりの同級生の視線がある。

 え、嘘。わたしさっきまで講堂の外れにいたし、何だったら卒業パーティーの真っただ中でしたよね!?

 もう一度右を見て、左を見る。何回見ても、見覚えのあり過ぎる教室の中だった。


「ええええ~~~~~~!?」


 素っ頓狂な声を出したわたしが、アドリアーノ先生に再び注意されたのは言うまでもない。

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