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もし明日死ぬなら


「もし明日死ぬとしたら何しますか?」


 なんの脈絡もなく、そんな質問を唐突に同僚からされた。


 その同僚は、明日死ぬのが分かれば、全財産を今日のうちに全て使い切りたいのだと言った。

 欲しいものを欲しいだけ買い漁り、食べたいものを食べたいだけ食べたいのだそうだ。


 あ、そう。だから?

 あ、なに? お前も答えろってか?


「ふーん、自分だったら子どもに残せるだけ残したいから、子どもの口座に突っ込めるだけ突っ込んでから死ぬかなあ」


 私の答えを聞いた同僚は、なんとなく悲しそうな顔をしていた。


 自分の最期の時まで、自分のために金を使えないなんて、なんて可哀想なやつなんだと憐れんだのかもしれない。

 ほっとけ。


 その後、特に話を続けるでもなく『そうですか』と言って去っていったので、きっと私の返答がお気に召さなかったのだろうと思う。


 空気が読めなくて申し訳なかったなと思うが、そういう話し相手に私を選ぶこと自体が、すでに痛恨の選択ミスだったと気づいてほしかったとも思う。


 こちとらガチ勢ですから。



 満足のいく死を迎えるには何が必要か。

 そんなことを考えられるのは生きている時しかない。


 納得して死を迎えるには何をすればいいのか。

 その準備をするのは生きている時しかない。


 だから暇さえあれば考えている。


 どうしたら、良い死に方ができるだろうかと。

 どんな死に方が自分にとって最良の形なのかと。



 まだ死ねない。

 まだ死にたくない。


 そう強烈に感じたのは、エリザベス・キュブラー・ロスのワークショップに参加したときだった。


 少しずつ、しかし確実に近づいてくる死の気配を前にして、自分の大切なものを手放していく。

 その喪失の過程を体験するワークだ。


 当時の私はまだ独身だったけれど、後に結婚することになる人とお付き合いはしている時期だった。


 ワーク上の仮想の死期が迫り、自分の大切なものをひとつ、またひとつと手放し、当たり前だと思っていたことは次々と失われていく。


 捨てるものは自分で選べた。

 だから当然、捨てやすいものから順番に捨てていくことになる。


 当時はそれなりに仕事にプライドを持っていたけれど、仕事は序盤でさっさと捨ててしまった。お金も早々に手放したと思う。


 読書も。

 一人の時間も。

 順番に捨てていく。



 家族と、お付き合いしている人の名前が残った。


 残してはみたけれど、思ったよりも家族はあっさりと手放せた。


 別に自分がこの世からいなくなっても、この人たちはたぶん、どうってことないだろうな。そんなふうに思えたから。


 お付き合いしている人が、最後まで残った捨てられないものだった。


 まだこの人を手放せない。


 生きることが苦しい、生きてるのが辛いともがいているその人のことを、まだ一人にするわけにはいかない。


 一人ぼっちで孤独なその人を、また一人ぼっちにするわけにはいかない。


 でも、ワークは無情にも、死によって強制的にすべてと引き離してしまう。


 真っ暗な闇の中、もう私は誰にも干渉することができなくなる。


 完全な終わり。完全な暗闇の中。

 私はひとり途方に暮れる。


 もう、その人を助けてあげることはできない。


 手を伸ばしても触れられない。

 声も届かない。


 圧倒的な虚しさと無力感に襲われた。

 もうこの暗闇から出て、帰ることはできない。

 もう自分にできることは何もない。


 そのことが耐えられなかった。


 自分の無力さに絶望して泣いた。




 あれから何十年――。(きみまろ風)


 だけどその人は、今やすっかりたくましくなった。


 世界の大多数が死に追いやられるような災厄に見舞われても、たぶんその人は生き残る側になるんだろうなと確信するくらいたくましい人になった。

 たぶん私はあっさり死んでると思う。


 本当に人の可能性って未知数だ。


 

 たまたま何かのきっかけで、その人が言った。


「もしもこの先、家族がみんないなくなっちゃって天涯孤独の身の上とかになったりしたら、猟師になろうかなあ」


 絶対に似合うよ、猟師。

 根無し草な生き方のほうが性に合ってるって言ってたもんね。


 もし明日突然死ぬことになったとしても、その言葉のおかげで、安心して死んでいけそうな気がする。



 そんなこんなでもう一度最初のお題で考えてみる。


 もし明日死ぬとしたら何をするか。



 ひとまず最低限のことはやれたみたいだから、うまいコーヒーでも飲んでゆっくりしたい。

 そんで最高にうまい煙草の一本でも一服つけられたら、なかなかにいい最期かもしんない。



 そんな話を同僚にしてあげれば良かった。


 そうしたら、もしかしたらもっと話が盛り上がったのかもしれない。


 だけど、残念ながらもうその機会はない。


 また、なんて機会は当たり前に来るものではないのだから。

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