イタリアの医師の話
小さな村の物語というBSの番組がある。
たまにテレビをつけて、番組表でこのタイトルを見かけたときは、観ようかなと私に思わせてくれる数少ない番組だ。
私が観た回では、イタリアの小さな村で暮らす医師が出てくる話だった。
愛した奥さんに先立たれた後も、彼は奥さんと過ごした家で一人暮らしをしている。
彼はその村で、医師としてたくさんの人達の看取りに関わってきたそうだ。
そして医師として、夫として、愛する妻の最期を看取った。
多くの死を見てきた彼の、死に対する概念が、番組の合間にぽつりぽつりと語られていく。
惹き込まれるように、私は彼の言葉に耳を傾けた。
毎日の日課である掃除をこなしながら、彼は愛する奥さんとの会話を楽しむ。
彼にとって、奥さんは今でも『ここ』にいる。
だから寂しいとは感じていないと彼は言っていた。
その番組を観たのは少し前だったので、もう正確には彼の言った言葉を覚えていない。
それでも、とても私の心の奥深くを揺さぶる言葉だったから、その言葉のイメージは私の中に残っている。
死というのは、その人がいなくなることではない。
死というのは、その人が消えることではない。
そんなことを言っていた。
その人と過ごした時間があって、その人が存在した形跡があって、その人との時間を過ごした自分がここに存在して、その人のことを想っている。
それはつまり、その人がここにいることと同じことだ。
そんなニュアンスのことを彼が口にしたとき、自分の中で何かが繋がったような気がした。
死は別れではない。
その人のことを想い、気持ちを向けた先に、その人はいる。
彼が奥さんを想う限り、奥さんは彼の傍で今も生きている。




