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五章 両国への説得

「ピット、よろしく」

 次の日、仕事をしているとフローラが嫌々ピットに挨拶する。しかしピットは一つお辞儀するだけで口をきこうとはしなかった。

「……ねぇ、あなた。コリンヌ様と仲良くする気はないの?」

 それを見たフローラが不機嫌であることを隠さずに尋ねると、ピットは「……そうですね……」と小さく考え込む。

「あなたには関係ないことでは?」

 そしてそう吐き捨てた。それにムッとしながらもそっぽを向いた。

「……あっそ。コリンヌ様に危害を加えなければいいわ」

 フローラ自身も、ピットとは関わりたくない。この挨拶も、リュシーに言われたからという理由があるからだ。それがなければ彼女に話しかけることはなかっただろう。

 それ以上は話をしないまま、ピット達は兄達を説得しに戻る。

「兄さん達はどこにいるんでしょうか……?」

 カリスが小さく呟く。ピットは考え込み、

「正直、見当がつかないですけど……とにかく、王族の誰かと話せたらいいかと」

 そう、答えた。事実、みんな戦場に出ているから探すのも一苦労するだろう。それでも、きょうだい達を守るために行動を起こさないといけない。

 シャッテン王国は危険だからその前に計画を立てようと中立国に行こうと進んでいると、矢が飛んできた。それは明らかに、カリスを狙っていた。

「っ!危ない!」

 咄嗟に、ピットがカリスを庇う。肩に刺さったが、特に痛がる様子もなく矢が飛んできた方向を見るとそこにはマルクが神弓を握って姉達を睨んでいた。

「……マルクさん」

 カリスが呼ぶが、マルクは彼女を恨めしく見つめた。

「なんだよ、僕達を裏切ったくせに」

「待ってください、話を」

「うるさい!」

 カリスの言葉を聞こうともせず、マルクは再び弓を引く。それを見てピットが妹を守るように立った。

 マルクはそんなピットを睨みながら、「どけよ、この裏切り者」と吐き捨てる。

「僕達のことなんてどうでもいいんだろ?だから捨てたんだろ?」

 弟のその冷たい口調ですら、ピットは動じる様子がなかった。それに苛立ちながらマルクは彼女の胸倉を掴んだ。

「…………」

「なんか言えよ、僕はお前のことを姉だと思ってないからな」

 忌々しげなその言葉でも、彼女は動揺した様子を見せない。ただ小さくため息をつくだけ。

「……別に私のことはどう思っていようが構いませんけど、せめてカリスの話は聞いてくれませんか?」

 その言葉にマルクは少し考え込み、鼻で笑う。

「……フン、仕方ないな。それなら、条件がある」

「なんでしょう?」

「あんた、そこをどいてよ。カリスと話すからさ」

 それを聞いて、今度はピットは考え込む。そして、後ろに下がった。

 ――本当は、この状況のマルクとカリスを近付けたくないけれど。

 それで話を聞いてくれるなら、それに従うだけだ。……何かあった時は自分が対応すればいいだけだ。

「へぇ……あんた、この提案を飲まないと思っていたんだけど。それだけ聞いてほしいんだ?……だったら裏切らないでほしかった」

 最後の言葉は、悲しげだった。カリスは前に出て、彼の目を見ていた。

「詳しいことは言えません。……でも、本当の敵はシャッテン王国ではないんです。もちろん、ルーチェ王国でもありません。信じてくれるなら……ついてきてくれませんか?」

「……フン、やっぱり聞くまでもなかったね。そんな言葉、信じるわけ」

「あの、マルク兄様!」

 鼻で笑うマルクに対して、コリンヌも一緒に説得する。

「お二人の言っていることは本当だと思います。だって、私達に取り入るのならもう少しまともな嘘をつくとは思いませんか?」

「……そうだけど、僕達を騙すためかもしれないよ」

 コリンヌはきょうだいの中で一番心優しい。姉だからと、信じ切っているのだろう。マルクはそう思っていたのだが。

「なら、なぜ兵士達を殺さないんですか?騙すつもりなら、そんなことしないと思います」

 コリンヌの言葉にマルクはうつむいた。確かに、騙すつもりなら兵士の一人や二人、殺すことにためらいなどないハズだ。

「……そう、だね。少なくともカリスがそこまで考えつくとは思えないし。まだ信用は出来ないけど……」

 そう言いながら、弓をおろした。そしてカリスの方を見て、

「……もし嘘だったら、絶対に許さないから。それだけは覚えててね」

 そう、告げた。カリスは微笑んで「もちろんです」と頷いた。

 ピットは、内心驚いていた。彼の性格上、何回も説得しないとダメだと思っていたから。

(まぁ、楽だから構わないけど……)

 一歩引いた場所に立って、考え込む。

(これも、カリスのなせる業だね……)

 自分が説得しても、きっと話を聞いてくれないだろう。カリスは自分と違って人々を惹きつける何かがある。それは姉から見てもよく分かっていた。

(だからこそ、説得はカリスに任せているわけだし)

 その代わり、自分が上に立つ者として汚れ役を背負う。ピットは、その覚悟を持っていた。

(だから……そこで笑っていて)

 血で汚れている私のところに来ないで。あなたは……花の咲き誇る居場所が似合っているのだから。


 夜、ピットが火の番をしていると「遅い時間に申し訳ありません」と青年に声をかけられた。

「……あなたは?」

「俺はノエル。マルク様の臣下です」

 ノエル、と名乗った青年は頭を下げる。ピットは詰めると、彼は隣に座った。

 あのマルクの臣下だ、少し癖が強くてもおかしくはないが……彼に関してはそんなことなさそうだ。

「申し訳ありません、本当はもう一人いるのですが……明日、挨拶させます」

「……いえ、お気になさらず。嫌ならそれでいいですよ」

 ピットは炎を見ながら答える。ノエルはそんな彼女を見ながら考え込んだ。

(……感情、読めないな……)

 やはり、恐怖を覚えてしまう。その瞳の奥に黒いものしか映っていないのがその恐怖を増幅させてしまうだろう。

(……でも、何かある気がする……)

 その瞳の奥の奥に、温かい何かが。

「どうされました?」

 顔を覗き込まれ、ノエルはハッと意識を戻す。

「あ、いえ……かわりましょうか?」

 動揺していることを隠すようにそう提案するが、彼女は首を横に振る。

「大丈夫です。あなたの方こそ休んだ方がよろしいのでは?マルク王子を守らないといけないでしょう?」

「それは……そうですが……」

 冷たい声で言われ、信用されていないと分かった。

(絶対に、悪い人じゃないのに……)

 彼女の双子の妹の態度や、一部の人に対する接し方を見ていると本当はここまで冷たい人ではないはずだ。どんな人なのか分からないから何とも言えないが……。

(身内に入れた人には優しい人も確かにいるが……)

「……おい」

「あ、マルク様」

 考え事をしていると、鍛錬から戻ってきたマルクがため息をつきながら近づいてきた。

「ノエル、まだ火の番じゃないだろ?ピットも何させてるんだ?」

「いえ、ピット様は」

「……申し訳ありません、彼を呼び止めてしまって。すぐに天幕に帰すので彼は責めないであげてください」

 何もしていない、と言おうとしたところでそれを遮るようにピットは謝罪した。ノエルが彼女の方を見るが、やはり考えを読めるわけがなかった。

「……フン。とにかく、早く戻って。明日も早いんだから」

「は、はい……」

 主人の指示となれば、従うほかない。ノエルが自分の天幕に戻ったことを見送るとピットは再び炎を見る。その隣にマルクが座った。

「……戻られないのですか?明日も早いのですよ」

「……嘘なんだろ?さっきの、呼び止めたって」

「……さぁ、どうでしょう。理解しかねますが」

「あいつは嘘が苦手だからね、すぐに分かったよ。……別に、庇わなくてもよかっただろ」

 マルクに言われ、ピットは弟の方を見る。意味が分からないと言いたげだ。

「……別に、庇ったつもりはないですけど」

「でも、あいつが僕に怒られないように嘘をついただろ?十分庇ってるじゃん」

 もしかして、自覚なしにしていたのか……?とマルクは信じられずに姉を見る。彼女はキョトンとしているだけで、何かを企んでいるということはなさそうだ。

「……ピット……姉さん。シャッテン王国で一体どんな生活してたの?」

 まさか、と思って尋ねるがピットは何も答えない。

「……別に、どんな生活をしていてもいいじゃないですか。マルク王子には関係ありませんし」

 それだけ言って。



 ジョセフは一人、カリス達が住んでいた塔にいた。

「……姉さん、なんで裏切ったんだよ……」

 涙を浮かべながら、ピットの部屋に入る。思えば、彼女の部屋に入ったことはなかった。

 ピットの部屋は必要最低限のものしかなかった。むしろ、これだけで生活していたのかと驚いたぐらいだ。

「……魔法、たくさん教えてくれたなぁ……」

 まだ、全員が敵だと思い込んでいた頃。ピットはそんな自分にも優しく手を差し伸べてくれた。何度振り払っても、温かく包み込んでくれた。

 そんな彼女は、ずっと心の奥では裏切ろうと思っていたのだろうか?……思っていたのかもしれない、だって彼女は光の国の王族で……。

「……うん?」

 そんな、暗い思考に陥っていると机の上に何かが置かれていることに気付く。

 それはピットのメモ帳だった。きっと慌てていたため片づけを忘れていたのだろう。几帳面な姉が不用心に置いているなんて珍しいと思いながら、何が書いているのだろうと読んでみる。

「……え?」

 そこに書かれていたのは、ピットの苦悩。

 もうすぐで、戦争が起こるかもしれない。でも、シャッテン王国の民達にはそれに耐えうる体力がない。農業や育てるための魔法も教えているけど、それもいつまで出来るか。

 ルーチェ王国は大丈夫かな?本当はすぐに帰りたいけど、シャッテン王国も情勢は安定していないからもう少し立ち振る舞いも考えるべきかもしれない……。

 どこまで、私が手を差し伸べていいのか分からない。セドリック王は私の行動に目を光らせているハズだ。民達に害が及ばないように行動は慎まないと。

 カリスを守りながら兄様達も守るためにはどうしたらいいだろう?殺されてもいいけど、カリス達だけは絶対に守らないといけないから。あの子達もようやく他人を信用出来るようになってきたのに、両国とも大事なのに。

 もう、嫌だ。苦しい、何も守れない自分が憎い。でもほかの人にそんな弱音は言えない。だからせめてここでだけは吐き出させて。……見るのは私だけだけど。

「……姉さん……」

 ジョセフはそれをギュッと握る。

 ――あの人の真意が分からない……。

 両国を大事にしているのは本当なのだろう。ピットは血の繋がっていない自分達ですら本当のきょうだいのように接してくれた。でも、それならなんでそう言ってくれなかったのだろうか?

「……話したい……」

 ピットの心の中を見たい。でも、あの姉は……きっと、教えてくれない。

「……裏切り者に、慈悲はない、か……」

 無理やり言い聞かせるが、やはり振り切ることが出来なかった。



「初めまして、ピット様」

 朝、声をかけられピットはそちらを見る。

 そこに立っていたのは、不満げな表情をしている青年だった。

「……初めまして」

「僕はマルク様の臣下のティムと言います。……マルク様の姉姫とお聞きしておりますが」

「別に、尊敬していないのなら無理に敬語は使わなくて構いませんが。尊敬に値するとも思っていませんしね」

 明らかに嫌悪感を醸し出している彼に冷たく言い放つ。それにイラッと来たティムもかみついてきた。

「……あっそ。はっきり言わせてもらうが、僕はあんたのこと、姉姫とは認めていないからな」

「何をいまさら」

 ティムの言葉にピットは小さくため息をつく。

「誰も私のことなんて王族とは思っていないですよ、別に。カリスがいるから嫌々ながらも認めているだけだって分かっていますから」

「フン、あんたがどう思おうと僕には関係ないね。……必要以上に話しかけないでくれよ」

 そう言って、ティムはその場を去る。それと入れ替わりでトニーがやってきた。

「どうされたのですか?」

「姉姫とは認めていない、ですって。何をいまさらって感じはしますけど」

 尋ねられたため答えると、「ピットさんは、誰よりも王族としての役割を果たされていると思いますよ」と言われた。

「そうでしょうか……それならうれしいですけど」

「えぇ、あなたは本当に、母君に似て慈悲深い方です。……どんな人にも優しく、誠実な方ですよ」

「そう言ってくれてありがとうございます。……カリスを、守ってくださいね」

「もちろんです。ほかの誰でもない、あなたの大事な妹様ですから」

 トニーの誓いに、ピットは優しく微笑んだ。


 湖近くにある劇場のところまで来ると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。

「ぴ、ピット。どこからでしょう?」

 カリスが不安げに尋ねると、耳を立てながら「劇場の中から、ですかね?」と答える。

「何があったのでしょうか……」

「……まさか」

 コリンヌの質問にピットは血相を変えて急に走りだした。どうしたのかと慌ててその背中を追いかける。

 劇場に入ると、そこは既に荒らされていた。その中心で、兄王子達がにらみ合っている。

「貴様らがこの劇場を壊したんだろう!?」

 クレマンが叫ぶと、ダニエルは「そんなわけなかろう!」と否定する。

 事実、両国ともこの劇場を壊したわけではない。ピットの目には、透明な兵士が映っていた。

「な、なんだよ……勝手に崩壊していく……」

 マルクが戸惑っているが、ピットはすぐに神弓で見えない敵を倒していっていた。

「カリス、アトゥさん、みんなを守っていてください。トニーさんは民を安全なところに導いてください。ここは私がどうにかします」

 そう指示を出すピットに、コリンヌが「わ、私はどうしたら……」と尋ねてきた。マルクも、指示を待っているようだ。

「トニーさんと協力して、観客を守ってあげてください。……危険なので、ここは私がどうにかします」

 携えていた剣を握りながら、ピットは周囲を見る。

 ――かなりの強敵……一人では難しいけど……。

 クレマンとダニエルは戦力にすらならない。そもそも本当の敵が見えていない上に自分を疎ましく思っているだろうから。

(でも、二人をすぐに逃がさないと……)

 下手をすれば、殺される。そうなると両国に混乱が巻き起こるのは免れない。そうならないようにするためには……。

「見えぬ兵士にこんなことをさせるとは……許さん!」

 ダニエルがクレマンに斬りかかろうと踏み出した。そして、神剣を振りかぶるとクレマンに勢いよく振り下ろす。

 クレマンは避けることが出来なかった。なぜなら、後ろでクリステルが民を守るために戦っていたから。

(くそっ……!)

 来るであろう痛みを覚悟する、がその前に誰かが二人の間に割り込んだ。

「……っ、チッ、痛いな……」

 水色の長い髪……それは、ピットだった。背を向け、ダニエルの剣を受け止めていた。

「ピット、何を企んでいるんだ?」

 クレマンはピットを睨む。それに怯むことなく「……別に」とピットはそっぽを向き、去ろうとするが「あ、そうそう」と立ち止まった。

「聞く気はないでしょうけど。この透明な兵士達は……どちらの国の者でもないですよ」

 それだけ言って、ピットはカリス達と合流する。

「ピット、大丈夫ですか!?」

 カリスが駆け寄ると、ピットは「これぐらい、どうってことないよ」と微笑んだ。

「無事じゃないだろ、姉さん。手当てした方が」

「別にいいです、動けないほどではないので」

 マルクがため息をつくが、ピットは聞く気がないようだ。

(なんで、こんなに冷たいんだよ……)

 そう思うが、それを口に出すことはしない。自分だって、彼女に冷たくしているから。

 ピットは怪我を癒すこともせず、兄達をチラッと見てそのまま去ろうとした。

「待て、ピット」

 しかし、それをクレマンとダニエルが引き留める。

「お前は、何を知っている?」

 そして、そう聞かれた。立ち止まり、振り返ると、

「……信じるのなら、渓谷に来てください。それ以上は言いません」

 冷たい瞳で、そう答えた。そしてカリス達が出たことを見た後、ピットも去っていった。



「ごめんなさい、ちょっと出かけてきますね」

 異世界で休んでいると、ピットはそう言って現実世界の方に向かった。

「……いつもあんな感じなの?」

 マルクに聞かれ、カリスは「はい、よくどこかに出掛けてるみたいで……」と答えた。どうやら双子の妹にも行き先は伝えていないらしい。妹大好きなあの姉が珍しい。

「ふぅん……」

 何をしているのだろうか……?

 気になるが、どうせロクでもないことをしようとしているのだろう。


(……そんなことを思いながらあとをつける僕って……)

 どうしても気になってしまったマルクはピットの後をつけていた。

(……何しているんだ?あの人……)

 シャッテン王国まで来たのはいいが、王城に行くわけではなく村の方に向かっていた。どうやらセドリック王に情報を売るために来たわけではないようだ。

「ピット様!?今、戦争中なのでは……!?」

「あなた達を見捨てるわけにはいきませんから。たとえ国王と敵対していても、あなた達に罪はありませんよ」

「……ありがとう、ございます……」

 村の人達は涙を流しながら、ピットを迎え入れた。

 彼女は一緒に畑作を手伝い、魔法を教え、必要な知識を与えている。

 その笑顔は優しく、慈愛に満ちていた。

(……あれが、姉さんの本当の姿……?)

 分からなくなった。自分達には冷たいのに、なんであんなに優しい顔をしているの?

(……僕、姉さんのことも何も知らない……)

 ようやく、そのことに思い至った。

 覚えていない、信じられない、ただそれだけで忌み嫌っていた。何も分かろうとしなかった。……裏切ったと、勝手に思い込んでいた。

 ギュッと、拳を握る。もう少し知りたいと、そう思った。



 その数日後、ジョセフが戦場から帰っていると遠くに何かが落ちていることに気付く。なんだろうと近付くと、それが人であることが分かった。

 その人を見て、ジョセフは目を見開く。

「……ピット……」

 そう、裏切ったハズの姉だった。なぜかボロボロで、服は血で染まっていた。

 このまま、見捨てればいい。それはジョセフも分かっていた。

 しかし、彼は愛馬から降りてピットを抱えた。そして偶然あった近くの小屋に入る。

(……なんで僕、こんなことを……)

 自分で自分のことが分からなくなるが、そのままピットをベッドに寝かせる。彼女は苦しそうにしているだけで、起きてくる気配はない。

 それにしても、なぜあんな道端で倒れていたのだろう?一人で攻め込むとは思えないし……。

 考え込んでいると、カバンに一枚の紙が入っていることに気付いた。慌てて入れたのか、くしゃくしゃだ。

(……ピットは、こんなふうに入れることしないよな……)

 そんなことを思いながら、ジョセフはその紙の内容を見た。

 シャッテン王国の人達は、この戦争で倒れてしまわないだろうか。

 ルーチェ王国の人達も、守らないといけないけど一人で立ち向かうにはシャッテン王国の兵士達は強すぎる。

 セドリック王も、もしかしたら兄様達に特攻令を言い渡すかもしれない。そうならないように説得をしないと……。でもどこまでなら聞いてもらえる?

 なんとか、特攻令を出さないようにする約束だけはしてもらえた。でも、前線に出ないようにするのは出来ない……どうしたらいいだろう。

 その紙には、そんなことが書かれていた。きっと、この紙は誰にも見せるつもりはなかったのだろう。

(……なんで……)

 なんで、ここまで尽くしてくれているんだ?

 嘘なんじゃないか?

 だって、姉は裏切って……。

(……そもそも、本当に裏切ったの?)

 裏切ったのなら、ここまでしなくていい。……もう、真実が分からなくなった。

「……ん……」

 ピットが身動きしたため、ジョセフは慌てて紙をカバンに戻した。

「……ここは……」

「ピット」

 ジョセフが声をかけると、ピットは彼の方を見た。

「……ジョセフ王子……」

「倒れてたんだよ、あんた。まったく……」

「助けてくださらなくてよかったのに」

 ため息をつかれ、ジョセフはムッとなる。助けたのにその反応はなんだ。

「……あなた達からしたら、私なんて死んだ方がよかったでしょう?」

 しかしその言葉にハッとなる。

 ――そうだった、自分達は彼女を……。

「……別に、あんなところで死なれたら目覚めが悪いと思っただけだよ」

 ジョセフの言葉に、「……あ、そうですか」とピットは起き上がる。そして、小屋から出ようとした。

「ちょっと、あんた無理したらダメだろ」

 止めようとするが、「ジョセフ王子には関係ないでしょう」と吐き捨てられる。

 彼女が小屋から出てしまい、ジョセフもため息をつきながら外に出た。そして馬に乗ろうとすると、フラフラしながら歩いているピットが目に映った。

 そのまま、放っておけばいい。ピットも言っていたではないか。

 でも、彼の身体はピットの方に向いていた。彼女を追いかけ、その肩を掴む。

「……なんですか?早く帰られた方がダニエル王子も心配なさらないでしょう」

「どこに行くの?」

 彼女の言葉を無視して尋ねるが、「別に、どこでもいいでしょう?」とそっぽを向かれた。

 ピットは、警戒心が強すぎる。隠し通すと一度決めると、決して口を割りはしないのだ。そしてそれは、信用していないと言うことでもある。

 それなら、と一つ聞くことにした。

「……なぁ、聞きたいことがあるんだ」

 ジョセフが口を開くと、ピットは彼を見る。

「エリーナがいなくなったんだ。何か知らないか?」

 その言葉に、彼女は目を見開いた。

「え……そんな……」

 思わずその言葉が漏れ出た彼女はすぐに元の表情に戻る。

「……すみませんね、私も分からないです。エリーナ王女を見かけたらあなた達のところに戻るようお伝えします」

 そして、そう約束してくれた。彼女が嘘をついていないだろうということはその反応だけでも分かった。

「……そうか。そうしてほしい」

「それだけですか?もう行きたいのですが。……あ、そうです。エリーナ王女の行方なら、もしかしたら城下町のお花屋さんが知っているかもしれません」

「花屋?」

「えぇ。彼女がいろんな場所に顔がきくのは知っているでしょう。特にかかわりがあるのはそこなのですよ」

 これでいいですか?とピットに聞かれジョセフは「あぁ、ありがとう」と答える。そしてしばらく黙っていると、

「……送って行こうか?」

「いえ、お気になさらず。これでもタフなので」

「気にしなくていいよ。……父上には内緒にしておくからさ」

 ほら、とジョセフが手を差し出す。ピットはそれをジッと見ていたが、譲る気がないと察したのか小さくため息をついてその手を取る。そのまま、ジョセフは彼女を愛馬に乗せる。

 ――こいつが落としたら、敵だ。

 きっと、ピットもそれを分かっていたのだろう。だからこそ、従ってくれた。

 彼の愛馬は、姉を振り落とさなかった。それは、彼女が自分達のために裏切ったということで……。

「……どこまで連れていったらいい?」

「……中立国まで」

「拠点まで送っていくけど」

「いいです。何かあったら困るので」

 やはり言ってくれないか、とジョセフは少し落ち込む。

 この姉は、一度警戒してしまうとそれを解くまでかなりの時間を要する。それこそ、年単位かかることもあるのだ。……一度、それを嫌というほど思い知ったのに……。

(……真実を、知りたい……)

 そう思いながら、中立国まで送り届ける。

「本当にいいの?」

「ここまで連れてきてもらえばもう大丈夫です。お手を煩わせてすみません」

 苦しそうにしながら、ピットは頭を下げる。

 ――本当は、すぐに帰った方がいい。

 しかし、この様子の姉を、大事な人を、見捨てることは出来なかった。

「あら?ピット。どうしたの?」

 アイナが声をかけてきた。ジョセフが事情を説明すると「なるほど」と微笑む。

「そう言うことなら、一部屋使っていいよ。ピットも、あまり無理はしないでね」

「……申し訳ありません、アイナ様」

「これぐらいいいよ、気にしないで」

 あとでお医者さんを送るね、と言ってアイナは部屋に戻る。

 ジョセフがピットを支えながら、あてがわれた部屋に入る。

 ピットが静かに座っていると、ジョセフは「横になったら?」と声をかけた。

「きついんでしょ?あんたが倒れたら、カリスも悲しむんじゃないの?」

「……別に、アトゥさんが見てくれているでしょうし大丈夫ですよ」

「そういう問題じゃないんじゃない?あの人、お人よしだしどんな人にも優しいじゃん」

 ジョセフの言葉にピットはうつむいた。口を開こうとすると、医者が入ってくる。

 ピットが手当てを受けているところを、ジョセフは横目で見る。彼女の身体は傷だらけで、見ていて痛々しかった。

 ジョセフが見ていると、ピットは彼の方を見た。慌てて顔を背けると、彼女は首を傾げる。

「ゆっくり休んでくださいね」

 医者が部屋から出ると、ジョセフは姉の前に座った。

「その、ピット……姉さん」

「私はあなたの姉ではありません。……そうでしょう?」

「いや、あの……」

 ピットのその言葉に、ジョセフはうつむく。

 知っていた。自分達が彼女を拒絶したら……こうなるって言うことなんて既に。でも、自分達は彼女達を信じられなかった。

「別に、姉だと思ってほしいとは考えていませんから」

「……そう、か。でも、僕は姉さんだと思ってる。だから……」

「……そうですか。まぁそれは勝手にしてください」

 ピットが外の景色を見ながら、そっけなく答える。ジョセフも同じように、外を見た。

「……ここは明るいね」

「……そうですね」

「シャッテン王国は滅多に太陽が昇らないからね。……本当に、過ごしやすいね」

 ジョセフの言葉に今度はピットがうつむく番だった。

「……多分、イザヤとアンガスが来ると思うから。父上には適当に理由をつけておくから安心して」

「……そう。あなたが無事ですむならそれに越したことはないです」

 ピットの、矛盾した言動は彼女が裏切ったわけではないことを教えてくれた。

 ――敵だったら、ここまで心配してくれない。

 彼女は、敵だと認識した人には容赦ないと分かっているから。

「明日には、僕もシャッテン王国に戻るから」

「別に、今日戻られたらいいでしょう。ここまで連れてきてもらっただけでも感謝することですし」

 ピットの反応はやはりそっけない。だが、その裏に優しさがあることも分かってしまった。だからこそ、胸が締め付けられた。

「とにかく、ゆっくりしなよ。僕、少し部屋から出るから」

 それだけ言って、ジョセフは部屋から出る。

 彼が向かったのは、アイナのところだった。彼女はジョセフを見て「あら?どうしたの?」と目を丸くされた。

「その、お尋ねしたいことがありまして」

「何?私に答えられることならなんでも」

 その、すべて見透かされているような瞳に一瞬たじろいだが、ジョセフは意を決して口を開いた。

「ピットは、本当に裏切ったんですか?それに、ルーチェ王国やシャッテン王国の出身、なんですか?」

 その質問に、アイナは怪しく微笑む。

「……そうね。確かにピットは裏切ったわ。でも、あなた達を、じゃない」

「僕達じゃないって……」

「彼女は、「自分の国」を裏切ったの。……あなたが思っている通りだと思うわ」

 その答えに、彼はうつむく。

 ――薄々、気付いていた。

 ピットは、自分達とは違う「どこか」を悲しげにずっと見ていた。

「あの子は自分の国では、次期女王様なのよ。でも、いろいろあってね……国の民を救うために、最後の女王としての役目を果たすつもりで動いているの。その尻拭いも、今しているところね」

「……尻拭い、とは」

「この戦争、どこかおかしいと思わない?」

 そう言われ、ジョセフは考え込む。

 何がおかしいというのだろう?確かに、最初に攻撃したのはシャッテン王国だったかもしれないが、それは相手が攻めてこようとしていたからで……。

「……あれ?」

 ルーチェ王国はシャッテン王国とは違ってかなり豊かだ。シャッテン王国に攻め込む理由がない。……戦争というのは、領地を広げたいなどという理由があるからこそ始まってしまうのだ。

「見えない敵に攻撃されそうになっていたんでしょう?」

「え、なんでそれを……」

「私、これでも神様の血を引いているもの。それぐらいお見通しよ。……その、見えない敵はね。ルーチェ王国の兵士でもシャッテン王国の兵士でもないのよ」

 アイナのその言葉に、ジョセフは「……えっ?」と呆然とするしか出来なかった。


 次の日、ピットが休んでいる部屋に入る。

「姉さん、僕そろそろ戻るね」

「……えぇ。ありがとう」

 それだけ告げて、すぐに戻る。

 城に戻ったジョセフは父に報告し、すぐ自室に戻った。そして、引き出しから透明な石を取り出した。

 それは幼い頃、ピットからもらった水晶だった。これを通して見ると、真実が分かる、らしい。

 それをギュッと握り、部屋から出る。そして、恐る恐る水晶を通して周囲を見ると――。

「……は……?」

 思わず声が漏れた。そして自身をバッと見る。……よかった、自分は生きている……。

 そう、城の中にいる人間はほとんど死んでいた。言ってしまえば、生きた屍だ。

 ――あぁ、そういうことかよ……。

 ピットはこのことを知っていたのだろう。だから自分達きょうだいを守ろうとしていた。民を、生き残っている兵士達を、救おうとしていた。……中立軍として自分達と敵対していた時も、ずっと。

 唇を噛む。自分は、なんてことをしたのだろう?

「……姉さん」



 数日後、戻ってきたピットとともにカリス達がシャッテン王国に向かう途中、目の前から誰かが近付いてくる姿が見えた。

「お姉ちゃん!」

「え、エリーナさん?」

 そう、シャッテン王国の末妹だ。彼女はカリスに抱き着き、「えへへ……お姉ちゃんのところに来ちゃった」とはにかんだ。

 ピットは少し考え込んだようだが、守ればいいかという判断をしたのか特に何も言ってこなかった。

 エリーナはピットの方を見て顔を輝かせる。

「お姉ちゃん!」

「……エリーナ王女」

 駆け寄ってきた妹に目線を合わせるように、ピットはしゃがみ込む。その目は黒く、何も感じ取れない。

 それでも、エリーナはギュッと抱き着いた。

「お姉ちゃん、会いたかった!」

 そう言う少女は純粋で、ピットの目には眩しく見えた。

 ピットはシャッテン王国の兵士に伝言を頼みこんだ。

「本当によろしいのですか?その……」

「エリーナ王女が見つかったら報告すると約束していたので」

「そう、ですか……」

「隠し通路を教えるので、そこから行ってください。捕まったら処刑されるかもしれないので」

 地図を渡し、送り出す。これで、とりあえず使命は果たしただろう。

「エリーナ王女、ジョセフ王子が心配されていましたよ」

 ピットがそう告げると、エリーナは「お姉ちゃんと一緒にいたいもん!」と頬を膨らませた。

「ピット、エリーナさんも連れていきましょう?私達が守ればいいんですから」

「……仕方ないですね。ですが、ダニエル王子やジョセフ王子が戻るよう言ってきたらちゃんと帰ってくださいね。きっと、お二人も心配なさっているでしょうから」

「はーい!」

 カリスの言葉にピットもため息をつきながら了承する。ピットは弟妹、特にカリスには甘いのだ。

 そうして、エリーナと彼女の後を追いかけてきた彼女の臣下を仲間に引き入れ、シャッテン王国に向かった。

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