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四章 感情をなくした姉

 次の日、まずはルーチェ王国から説得しようと三人は向かう。クレマン達はカリスに危害は加えないだろうという、ピットなりの意見を取り入れた結果だ。

 王城に来ると、ピットに向かって矢が飛んでくる。しかし彼女は魔法でそれを払いのけた。

「……急に攻撃するなんて酷いですね。カリスを狙わなかったのは感謝しますけど」

「なぜここに来たのですか?私はあなたと話すことなどないのですが」

 ピットの言葉にお抱え軍師が前に出て告げる。カリスは姉の様子を見て震えてしまった。

 ――なんで、そんなに冷たい表情をしているんですか……?

 今まで見たことのないほど、ピットの表情は冷めていた。まるで、すべての感情を捨ててきたような……そんなことを思ってしまうほどに。

「悪いですが、ここは通しません。あなたのような裏切り者、ここに入る権利すらない」

 軍師はピットを睨みながら、ナイフを投げてきた。ピットが微動だにせず見ていると、それが頬をかすりそこから血が流れた。

「何をやけになっているか分からないけれど、別に王座には興味ないですよ。この戦争が終わったらルーチェからもシャッテンからも出ていくつもりですし」

「信じられませんね」

「信じてもらおうとも思っていませんから」

 そう言いながら、ピットは矢を放つ。それは軍師の顔の横に刺さった。

 そこから、彼女とルーチェ軍の戦いが始まった。相手はかなりの数がいるのに、ピットは一人で倒していっている。

「このっ……!」

「動かない方がいいですよ、死にたくなければ」

 冷たいその瞳に睨まれ、兵士達は動かなくなる。いや、恐怖で動けなくなる、と言った方が正しいか。それほどに恐ろしかった。

 コツッ、コツッ、とピットが軍師のもとに近付いていく。

「ち、近付かないでください。殺しますよ」

「……あ、そう」

 ピットはそのまま、軍師を斬り捨てるかと思われた。しかし、彼女は目の前で武器を捨てたのだ。

「……え?」

 信じられないと言いたげに見る軍師とは反対に、ピットは冷たい目を向けていた。

「殺したければどうぞ。私の首でも持っていったらクレマン王子も喜ばれるんじゃないですか?」

 懐に入れていたナイフや魔法石も、何もかも地面に投げて無防備になる。魔法石がなければ発動までに時間がかかる。……殺してくださいと言っているようなものだった。

 それでも、軍師は動けなかった。無防備な少女一人に、本能で恐怖を覚えているのだ。

「……っ、クレマン様は、あなたを」

「きょうだいだと?ハッ、嘘も大概にしてちょうだい。私を見てくれてないくせに。……あんた達も、私のことを何とも思ってないくせに。もう少しまともな嘘をついてくれないかしら?私だって、そんな嘘に騙されるほどもう子供じゃないの」

 ヒッ、と小さな悲鳴が上がる。それほどに冷たく、視線だけで殺されるのではないかと思うほどだった。

 明らかに怯えている彼に、ピットは小さくため息をつく。

「まぁ、いいわ。クレマン王子達に伝言してくれますか?」

「あ、あなたのことなど私は」

「あなた達は伝言しなくても私達は分からないので勝手にしていいですけど。あなた達を信用だってしていませんけど、言うことは言わないといけないので。

 ……もし私を……カリスを信じてくれるなら、二か月後、国境にある渓谷に来てほしい。それだけお伝えください」

「私からもお願いします。信じてもらえないかもしれませんが、とにかく来てほしいのです」

 カリスも頭を下げ、軍師達は顔を見合わせる。それを横目にそのまま去っていこうとすると「あ、あの!」とコリンヌとトニーが三人に駆け付けた。

「ま、待ってください!姉様!」

「どうしたんですか?コリンヌさん。それに、トニーさんも……」

 カリスが驚いた顔をした。なんで二人が引き留めたのか分からないのだ。

「その……わ、私も行きます!」

「私も連れて行ってください」

「……え?いいんですか?」

「はい。……どうしても、姉様達が嘘をついているとは思えないんです。私はお二人のことをよく知りませんが、だからこそ嘘をつく人ではないと思うんです」

 コリンヌのその真剣な瞳にカリスはピットの方を見る。冷ややかながら自由にしていいと目線で言われ、カリスは頷いた。

「ありがとうございます、ついてきてくれますか?」

「もちろんです」

 コリンヌが頷き、トニーも笑う。そのあと、彼女は呆れている軍師に向き直った。

「すみません……ですが、私はどうしても姉様達が騙そうとしているとは思えないのです」

「……はぁ、仕方ありませんね。もしコリンヌ様に何かあったら……その時は、覚悟してくださいね」

 軍師が睨みつけると、ピットは「……どうぞご勝手に」とだけ答えた。


 そのあと、湖に来るとピットに「二人で話して来たら?私は離れた場所で待ってるから」と言われ、コリンヌと二人きりにしてくれた。

「あの、カリス姉様」

 その気遣いに感謝しながら、コリンヌはもう一人の姉の方に向き直った。

「どうしました?」

「私、お二人を信じていますから。きっとトニーさんも、姉様達を信じているからついていくと言ったのでしょう」

 そう言って、コリンヌは笑う。その純粋な信頼は、カリスの心にぬくもりを与えてくれた。

「だから、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 二人で笑いあっていると、遠くで馬が走ってくる音が聞こえてくる。振り返ると、馬に乗った二人の女性がコリンヌのもとに来た。

「コリンヌ様!私達を置いていかないでください!」

「そうですよ、心配しますから」

 二人はリュシーとフローラ。コリンヌの臣下だ。彼女達はカリスを見て、「あ、初めまして」と頭を下げる。

「カリス様ですよね?」

「え、はい、そうですが……」

「ピット様はどこにおられますか?挨拶しないといけませんので」

 リュシーはそう言っていたが、フローラはムスッとした顔をしていた。やはりよくは思っていないのだろう。

「その、あっちにいますよ」

「私はコリンヌ様の傍にいるわ」

「分かったよ、私だけで挨拶するわ」

 フローラのわがままにリュシーは困ったような表情をするが、一人でピットのもとに向かう。

 ピットは木にもたれかかっていた。寂しげに、湖を見ている。

「ピット様、初めまして」

 声をかけられ、彼女は面倒そうにリュシーの方を見た。

「……どちら様?」

「コリンヌ様の臣下のリュシーと言います。あちらがフローラです」

「あぁ……コリンヌ王女の……」

 それを聞いたピットは姿勢を正し、頭を下げる。

「知っていると思いますが、ピットと申します。この軍では軍師をさせてもらっていますので、何かあったら話してください」

「ありがとうございます。そうさせてもらいますね」

 リュシーが小さく笑う。そして、ピットの顔をジッと見た。

 ――この人、感情が読めない……。

 笑っているわけでもなく、怒っているわけでもなく。本当に感情が読めず恐怖を覚える。

(……こういう人、見たことない……)

 まだ若いとはいえ、それなりに臣下を務めている。それなのに、ここまで何も読めない人は初めてだ。

(きっと、感情を読まれないように訓練したのでしょうね……)

 戦場は、駆け引きと同じだ。焦りを見せてしまうと、そこに付け込まれてしまう。

 人間、多少なりとも感情が見えてしまうものだ。だからこそ、こうやって見えない人には恐怖を覚えてしまうものなのだ。

 コリンヌ達を連れて、拠点に行くと驚いたようにキョロキョロと周囲を見渡していた。

「ここは……」

「ここなら攻め込まれませんし、元の世界と時間の流れは違いますからゆっくりしてください」

 カリスが言うと、四人は頷いた。

 夜、ピット以外の人が食堂に来るとアトゥが「お食事が出来ました」と料理を出してきた。

「あの、ピット様は?」

 トニーに聞かれ、アトゥは「書斎にいるはずだぞ」と答える。

「そうですか……」

「なんだ?話があるのか?」

「え、えぇ……」

「……なら、ついでにこれを持って行ってくれ」

 アトゥに夕食を渡され、トニーは頷く。

 書斎に行き、「ピット様」と声をかけると彼女は顔をあげた。その顔は昼の無表情とは違い、穏やかさを纏っていた。

「あぁ、トニーさん。どうしました?」

「お話があって来ました。それと、お食事です」

「ありがとう、置いてて。……それで、話って?」

 ピットがトニーを見つめる。

「その、あなたも覚えているでしょう?」

 トニーが口を開く。ピットは彼の言葉を聞いて小さく笑った。



 次の日、ピットとトニーが二人で話しているところを見かけたカリスが声をかける。

「お二人とも、仲がいいんですね」

「ん?まぁ、彼とはルーチェ王国にいた時に仲良くしていたから」

「そうですね。まだ幼かったピットさんにはお世話になりました」

 そうなんだ……と思ったが、あれ?とカリスは違和感に気付く。

「トニーさん、昨日までピットのことを……」

「あぁ、それですね。昨日、二人で話して「友として」ともに戦おうと誓い合ったのですよ。それに伴って、ピットさんの方から「様付けしなくていい」と言われましたから」

 トニーの言葉に、「実は、昔からそれなりの関係だったんだ」とピットも付け加えた。

「いろいろあってね……でも、トニーさんはいい人だとはっきり言えるよ」

「そうなんですね。……ピットがそこまで言うの、珍しいですね」

 そう言って、カリスは笑う。

 実際、ピットはカリスとは違い警戒心がかなり強い。それにかなりのしっかり者だ。アトゥをはじめ、カリスの周囲にいる人達は信用出来る人を集めてくれたのだ。

 そんな彼女が言い切るのだ、本当にいい人なのだろう。

「どんな接点があったのですか?」

 カリスが尋ねると、「そ、それは……」とピットが頬を染めた。

「その、いろいろと、話せるようなものじゃないんだ……」

「そうなんですか?」

「ピットさん、中々懐かなかったですからね」

 ピットとは反対に、ほのぼのしているトニーを見て「本当に仲がいいんですね」と微笑んだ。

「あ、少し畑を見てくるから。親睦を深める意味も込めて話をしてきたら?」

「そうですね……トニーさん、どうですか?」

「では、一緒にお話ししましょう」

 ピットの提案に、二人は乗ることにした。それならとアトゥにお茶の準備を頼んで、ピット自身は本当に畑に行ってしまう。

 アトゥが紅茶を準備すると、カリスの後ろに控える。

「……あの、話しにくいのですが」

 その様子にトニーが苦笑すると、「カリス様に何かあったら困るからな」と鼻で笑った。

 アトゥはカリスを神聖視している節がある。ピットからそれを聞いているため、トニーは追い払うことをしなかった。

 結果的に、三人で話すような形になったが有意義な時間になったと笑った。



 夜、ピットが一人でお茶会をしているとティナが「ね、姉様」と声をかけてきた。

「どうしたの?ティナ」

 おいで、と姉が手招きすると彼女は頷いて、隣に座る。ピットは紅茶を淹れながら話を促す。

「……姉様、本当に大丈夫なのですか?」

 不安げに聞かれ、ピットは静かにティナの頬に触れる。

「……正直、お姉ちゃんにも分からないよ」

「……うん、そうですよね……」

「でも、絶対にあなたをあの人のところに帰すようなことはしないから。だから安心して、もうあなたを苦しめるような男のところに帰さないからね」

「……うん」

 ティナを抱きしめて、ピットは優しく告げた。

 ――ねぇ、あなたは誰に頼るの?

 ピットは、姉だからと妹達を甘えさせてくれる。でも……この姉は、誰にも頼ろうとはしない。

「……姉様も、あの人の言いなりにならないでくださいね」

「もちろん。お姉ちゃんはカリスも、ティナも、ほかの人達も守ってあげるから。……この、命に代えてても」

 その言葉に、ティナはギュッと手を握り締めた。



 次の日、カリスが食堂に行くとピットが本を読んでいた。

「ピット、おはようございます」

「ん、おはよう」

 隣に座ると、ピットに「朝食は食べる?みんなが来てからにする?」と聞かれた。

「みんなを待ちますよ。ピットは?」

「私は書斎に行きます。いろいろと考えないといけないので」

 そう言って本を閉じ、ピットは立ち上がった。

「ゆっくりしていいからね。また戦場に行かないといけないから、休める時に休んで」

「分かりました。……その」

「どうしたの?」

「依頼を受けるのもいいんじゃないですか?盗賊退治とか……」

 その提案に、ピットは少し悩み、

「そうだね……考えてみる。もしかしたらクレマン王子やダニエル王子も説得に応じてくれるかもしれないし」

 そう答えて、食堂から出てしまった。

 ――クレマン王子、ダニエル王子……。ピットは、「兄様」って呼ぶのに……。

 それは、ピットが心を閉ざしたことを意味した。

「……兄さん、私、どうしたらいいんですか……?」

 きっと、ピットは疑心暗鬼に陥っているのだろう。カリスの前ではあまり出さないようにしているだけで、自分達を守るためにすべてが敵に見えてしまっているのだ。

「……絶対に、説得して見せます」

 ピットが自分を守ってくれたように。……自分が、兄達を救い出して見せる。

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