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三章 もう一つの国

 ピットが拠点を整えてくれている間、カリスはアトゥに「本当に、大丈夫なんでしょうか……?」と不安をこぼしてしまった。

「大丈夫、とは?」

「その……兄さん達を裏切って……もちろん、ピットについていったことは後悔していませんが本当に味方になってくれるのかなって……」

「……ピットは、負け戦は絶対しない女性ですよ」

 アトゥのその言葉にカリスは彼の方を見る。

 彼は不敵に笑っていた。

「だから信じていいと思いますよ。……俺も、彼女とあなただからこそついていこうと思いましたから」

「……そう、ですね。私達が信じないといけないですね」

 無理して笑顔を浮かべるカリスに、アトゥは不敬を承知で頭を撫でた。

「……大丈夫ですよ、ずっとお供いたしますから」



 しばらくして、拠点を快適に作り替えていったピットに「カリス、そろそろ行きましょうか」と声をかけられる。

「はい。その……兄さん達を説得しに行くんですよね?」

 怯えた様子でカリスが尋ねると、「いや、その前に二人には真実を見せないといけない」とピットは告げた。

「真実?」

 どういうことだと首を傾げるが、ピットはティナの方を向いて優しく微笑む。

「えぇ。……ティナ、ここを守っていてね」

「はい、姉様。お任せください」

 ティナに見送られ、元の世界に向かう。ピットはそのまま、二人を両国の間にある大きな渓谷のところに連れてきた。

「ピット、何をしようとしているんだ?」

 アトゥが冷や汗を流しながら尋ねると、彼女はサラッと「ここから落ちる」と答えた。それにアトゥとカリスが顔を見合わせる。

「安心して、死にはしないから」

 しかし彼女はそのまま、渓谷の下に身を乗り出した。慌てて二人もついていくが、

「ちょ、怖い怖い怖い!」

「か、カリス様!こちらに!」

 怯えている主君を見て不躾だと思いながら、アトゥはカリスを抱え二人は目を瞑る。

 しばらくして、風が収まるのが分かったため恐る恐る目を開く。そこは別の、崩壊している国だった。

「ここは……」

「ここはクリスティー王国。……かつて両国と貿易をしていた、見えざる王国よ」

 カリスの質問にピットはその国の説明をしていく。

 クリスティー王国……見えざる国であり、今は呪いのせいでこの国の民達は両国の者には見えないようだ。だから見えないところから攻撃されているように見えるのだと。

「王族は魔力が強いおかげであちらの国の人達にも見えるらしいね。……ねぇ、これがどういう意味か分かる?」

 突然話を振られ、二人はキョトンとする。それに気付いているか否か、彼女は続けた。

「つまり、この国の兵士達が攻撃してもあちらからしたらお互いが攻撃した、戦争を仕掛けたってことになっちゃうんだよ」

「……っ!」

「それって、つまり……」

「最近の戦争の引き金は、ここの兵士達のせいなんですよ」

 そう言い切るピットの瞳はどこか冷たく、それが二人には恐ろしく見えた。そして、疑問に思う。

「なんでお前は知っているんだ?」

 アトゥがカリスの代わりに尋ねた。

「だって、私はこの国のことを知っていたから。……この国のことを知っている人はあちらに戻っても見えるようになるんです。だから私には、見えない兵士が攻撃しているのが見えていました。……でも、ここの話はあちらの世界では出来ないんです。呪いのせいで、死んでしまうから」

 そう言いながら、ピットは歩き出す。どうやら彼女は慣れているらしく、迷うことなく進んでいくため追いかけるので精いっぱいだった。

「……ここには、邪竜がいるんです。この国を滅ぼした、恐ろしい竜が」

 歩きながら、ピットが話をし始める。

 この国はかつて、栄えていた。それは守り神にゆだねられた竜の努力の結晶だった。

 しかし、竜は次第に狂っていってしまった。それは地上にいすぎたがために、環境が合わず次第に心身を蝕んでいったからだという。守り神達も戻ってくるように進言したが、竜が聞くことはなかった。

 狂った竜はかろうじて残っていた理性を切り離し、完全に狂い果ててしまった。その結果、クリスティー王国が崩壊してしまったのだ。

「だが、ここに原因があるとしてそれなら連れてきたらいいだろ?」

 アトゥに言われるが、「逆に、話せないけどあの渓谷を飛び降りてくださいって言われてはいそうですかと従います?」ともっともな意見を言われた。確かに、ピットが目の前で飛び込んだから自分達も追いかけただけで言われただけでは絶対従わなかっただろう。

「……あなた達を連れてきたのは、説得に応じてくれなかった時に三人で太刀打ちしましょうってことを言いたかったからです」

「でも、私達だけで何とかなりますか?」

 カリスが不安そうに聞くと、ピットは「正直、難しいね」と答えた。それもそうだ、邪竜の相手なんて三人だけで太刀打ちできるわけがない。

「だからこそ説得したい。……三人でどうにかする方法がないわけじゃないけど、もちろんそれだと命の保証がないししたくない」

 むしろその方法があることに驚く。この子の頭の中は一体どうなっているんだ……?

「そうだよな。それで、どこに行こうとしているんだ?」

 アトゥが首を傾げると、「もうすぐで着きますよ」とだけ告げられる。

 ピットに連れられて来たのは、とある家の地下室。何の遠慮もなく入っていく彼女に「あ、あの!勝手に入っていいんですか!?」とカリスが止めようとする。

「大丈夫、ここ王族の隠れ家ですから」

「な、なおのことダメじゃないですか!」

 一体どこか大丈夫だというのだろうか?

「カリスは真面目ね。でも本当に大丈夫。ここに目的のものがあるの」

 ピットはただ「大丈夫」と何も話そうとしない。それに違和感を覚えつつ、そこにあるものを見る。

 そこには剣と弓矢が納められていた。ピットが両方を持ち、剣をカリスに渡す。

「これ、あなたなら使えると思う」

「え、え……?」

「事情は今度、説明するから。……だから受け取って」

 姉の瞳が真剣そのもので、カリスは逆らうことが出来なかった。

 それから、ピットは近くにあった魔導書も持つ。そして二人に振り返り、「戻りましょう」と答えた。

「本当はもう少しゆっくり出来る時に連れてきたかったんだけど……そうもいかなくなったからね……」

 ピットの小さな声は、どちらの耳にも届かなかった。



 元の世界に戻り、今度は中立国に訪れる。

「あら?ピット、早かったわね」

「アイナ様、こんにちは。いろいろありまして……」

 姉がアイナと話している間、カリスはアトゥに声をかける。

「あの……あの方は?」

「この国の王ですよ。ピットは知り合いだったらしいですね」

「そうなんですね……ところで、アトゥさんはピットを呼び捨てにしますよね?どうしてですか?」

 まさかそれを聞かれるとは思っていなかったアトゥは目を見開く。しかし笑顔に戻って、

「彼女に敬語は使わなくていいと言われたからです。ずっと同期として過ごしてきましたからね、それが抜けないだけですよ」

「王族だということは知っていたんですか?」

「本人から直接聞いていましたからね。フィオラは知らないと思いますが」

 フィオラはいい人だが、ドジだ。口を滑らせてしまうかもしれないからとピットはあえて話さなかった。

 しかし、アトゥとピットは十年以上の付き合いだ。主君のことと同じくらい、いやそれ以上に、お互いのことを信頼し、よく知っている。

「二人とも、なんの話をしているんですか?」

 もう少し聞いてみたかったがそれより先に、話を終えたらしいピットが二人に近付く。

「ピットのことを聞いていたんです」

「私のこと?面白い話なんてないと思うけど……」

 そう言いながら、アイナに一礼し三人は異世界に戻る。

 ティナに出迎えられ、この日はゆっくり休むことにした。

「明日から、両国の説得を始めましょう。……ただし、あちらの国の話は絶対にしないように。私からはそれ以上ありません」

 ピットはそれだけ言って、三人だけの会議は解散する。

 真夜中、書斎で仕事をしているピットにアトゥがホットミルクを渡す。

「ありがとうございます」

「構わん。……カリス様はもう寝られたぞ。お前も早く寝ろ」

「これが終わってから寝ます」

「まったく……あまり心配かけるなよ」

 ぶっきらぼうに言われ、ピットは「分かってるって」と笑う。

 カリスには丁寧に、しかしほかの人達には冷たいがそれは彼なりの優しさだと分かっている。だからどんなに口が悪くともピットにとっては好感しかなかった。

「……なぁ、本当に全員ついてきてくれると思うか?」

 アトゥに聞かれ、ピットはうつむく。

「……正直、分からない。少なくとも私が説得しても聞いてはくれないと思う。彼らがカリスの説得をどこまで聞いてくれるか……」

 ピットは自分なりに、彼らにとっての立場をわきまえている。

「お前もきょうだいだろう?聞いてくれるんじゃないか?」

 首を傾げると、彼女は悲しげに笑った。

「だって、彼らは私のことをきょうだいだなんて思っていないだろうから」

 ――ピットは、気付いていた。きょうだい達は自分のことを見てくれていないことを。

 そして彼は知らなかった。

 彼女が感情を、すべて抑えつけるようになることを。



(どうしよう……)

 アトゥとティナも寝た後、ピットは頭を抱える。

 二人に言った通り、三人でも勝てるピジョンは浮かんでいる。しかし、無事ではすまないのは確実だ。……カリスとアトゥだけは絶対に生かして帰すつもりだが、そのあと両国が戦争を終えるとは限らない。頭に血ののぼった兄達を、止められるとは思えない。

(……やっぱり説得するしかない、かなぁ……)

 ――裏切り者の話など、聞く理由もないですよ。

 拠点を整える傍ら、一人でルーチェ王国の軍師にかけあった時、そう言われた。彼は母が女王となった時から、ずっとそばに仕えてくれていた軍師だった。

「クレマン様達を見捨てたとしたくせに」

(……そうね。私からしたら……カリスが、最優先よ)

 妹を大事にするのは当然のことでしょう?

「本当にルーチェ王国が大事なら、すぐに帰ってきたらよかったでしょう?」

(あなたは、あちらの国の状況を知っているの?……記憶を失った妹を残しておくことが出来るの?)

 罵倒の言葉を浴びるが、ピットは言い返そうとはしなかった。

「……分かりました、また今度説得しに来ます。……期待せずに」

 それだけ言って戻ってきたのだ。

(……別に、私がきょうだいだと思われなくていい。せめて説得に応じてほしい……)

 ただそう、願うしか出来なかった。

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