九章 少女の過去
リーナがルーチェ王国に来たのは、双子を産んですぐの頃だった。
自分が過ごしていた国はもはや国として成り立っておらず、絶対に戻ると誓って亡命したのだ。
ルーカスと会ったのは、ルーチェ王国に来てすぐだった。ボロボロになりながら双子を守っていたリーナを見て、彼が声をかけた。
事情を聞いた彼は、彼女を王城に連れて帰った。彼の前妻も、リーナやその子達に優しくしてくれていた。
その一年後、リーナは後妻としてルーカスと結ばれた。
双子の姉であるピットは身体が弱く、目が離せない状態だった。
「……ごめんなさい、おかあさま」
二歳になったピットはある日、リーナに謝った。
「どうしたの?」
「わたしがいるから、おかあさまは大変なんですよね……」
悲しげにするピットを見て、リーナは抱きしめた。
「そんなことないわ。あなたのことが大事なんだもの」
「でも、カリスも泣いているから……わたしは大丈夫だから……」
ピットは気付いていた。彼女の小さい手はギュッと布団を握る。
「お姉ちゃんだもん……我慢できるから……」
思えば、ここからピットは我慢することが多くなったのだろう。
リーナは、ルーカスに頼んでトニーをつけてもらった。カリスにも、違う人をつけてくれた。
「ピット様、お食事です」
トニーが食事を運んでくるが、ピットは黙ったまま。この当時はまだやんちゃだったトニーは少し苛立ちながらも彼女に寄り添っていた。
「あの、早くお食べください」
強く言うと、ピットは恐る恐るスプーンを握った。そしてそれを一口食べる。
半分食べたところ、ピットが吐きそうになっていることに気付いた。
「……大丈夫ですか?」
さすがに心配になったトニーが尋ねるが、ピットはただ首を縦に振るだけだった。
それから、トニーは何が食べやすいのか調べるようになった。
「トニー、ちょっと変わった?」
ほかの兵士に聞かれ、トニーは目を丸くした。
「そう、ですか?」
「あぁ。なんか少し纏う雰囲気が変わった気がする」
そんなこと言われても、と首を傾げる。自分はただ、命令に従っているだけなのだ。
ある日、トニーがピットの傍で本を読んでいると彼女がジッと見ていることに気付いた。
「……どうされました?」
尋ねると、ピットは目をそらしながら「あ、いえ……」と焦る。
「……一緒に読みますか?」
「え、でも……」
迷惑だし……とピットは困った表情を浮かべた。
思えば、彼女は自分が隣で何かをしている間は騒ぐでもわがままを言うでもなく大人しくしていた。
……私がもう少し、大人になるべきですね。
彼女を見ていると、どうしてもそう思ってしまう。
「迷惑とは思っていませんよ」
トニーが微笑むと、ようやく少女も笑顔を浮かべた。きょうだい以外で初めて心を開いた瞬間だった。
ある日、リーナに連れられてピットは一緒に湖に来た。
「お母様、なんでここに……?」
「ピット、これから見るものは誰にも話してはいけませんよ」
娘の言葉に答えず、リーナは歌いだす。すると湖が光り出し、リーナはピットの手を握って歩みを進めた。
気付けば、そこは違う土地だった。
「こ、ここは……?」
「ピット、あなたには伝えないといけないことがあります」
戸惑っているピットを落ち着かせ、リーナは話し出す。
自分は、ここの国の王妃だったこと。
ピットはこの国の次期女王であること。
偉大な竜だった王が暴走して、この国は滅亡しそうになっていること。
何もかもを話し終えたリーナはピットの肩に手を置き、
「あなたに何もかもを押し付けてごめんなさい。……でも、どうか……ここの民を助けて……」
その時の母の涙を、ピットは忘れられなかった。
クレマンはピットとカリスを見て、心のどこかで焦りを感じていた。カリスは人を惹きつける魅力があり、ピットは幼いながらに王としての素養があると分かっていたから。
しかし、ピットは常にクレマン達から一歩引いた場所に立っていた。常に正妻の子を優先させ、顔を立てる。使用人のように清掃や料理を覚え、何でも出来るように学んでいった。それがさらに、クレマンを焦らせていたと思う。
だからだろうか、ピットがシャッテン王国に連れ去られたカリスを追いかけた時は心配すると同時にホッとした自分もいた。
――しかし、仲良くしたい自分ももちろんいて。だからクリステルからピットにきょうだいの証として短剣を渡さないかと言われた時、賛成したのだ。その時の驚いたような、それでいて嬉しそうなピットの表情を、よく覚えている。
ピットはクレマンに疎まれていることに気付いていた。だからこそ、ルーチェ王国にいない方がいいだろうと思ったのだ。
(本当は大好きだけど……兄様が苦しいならいない方がいいの……)
トニーには、話した。彼は悲しげな顔をしたが、
「……私は、あなたのことをお慕いしています。もし離れていても、私はあなたの味方です」
そう言って、ピットを送り出してくれた。その言葉に、ピットも救われた。
シャッテン王国に行く途中、中立国であるサンライト公国に立ち寄る。
「……あら?」
茶髪の女性――アイナがピットに気付き、近付いた。
「どうしたの?疲れているみたいだけど……」
「あ、その……」
戸惑っていると「あ、初めての人に声をかけられても困るね」と微笑んだ。
「おいで、泊めてあげるよ」
そして、少女にそう告げて歩き出した。彼女を追いかけると、大きな屋敷に着いた。
「ここは……」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。私はアイナ、女神であるアポイナ様の血を引いているの」
それを聞いてピットは驚く。
「も、申し訳ありません。無礼を……」
「気にしなくていいよ。ほら、ゆっくりしなさい」
アイナに言われ、ピットは恐る恐る座る。
「さて……あなた、ピットよね?」
名前を当てられ、ピットはバッと彼女を見る。アイナはフフッと微笑んだ。
「私、ある程度なら分かるの。女神様の血を引いているからね」
その言葉にうつむくピットにアイナは話を続けた。
「私はあなたの味方よ、いつまでもね。だからいつでも頼って」
アイナの言葉に少女はギュッと拳を握り締めた。
シャッテン王国はルーチェ王国以上に酷い状況だった。セドリック王の妾達がその地位を争っていた。
シャッテン王国に初めて来たピットは、その異常性に驚いた。民は疲れきっていて、痩せすぎていた。
倒れている人を助けていると、金髪の男の子が声をかけてきた。
「君、誰?」
その子はピットを冷たく見ていた。服装を見て、身分の高い子だと気付いたピットは「すみません」と一つ頭を下げ、
「失礼を承知で少し聞きたいことがあるのですがいいですか?」
「……何?」
「水色の髪の少女を知りませんか?」
その質問に、彼は目を丸くする。そしてハッと気付いたようだ。
「……もしかして、あんたカリスの……」
カリス、という名前を聞いてやはり彼は妹の居場所を知っているのだろうと悟ったピットは騙されることを覚悟でさらに聞いた。
「私はカリスの双子の姉なんです。あの子を探してここまで来たのですが、どこにいるのか知っていますか?」
「へぇ、カリスの……。いいよ、父上のところに連れて行ってあげる」
一瞬ニヤリと笑った気がしたが、気にしてはダメだとピットは彼についていく。
少し歩いて、彼がピットの方を向く。そして、
「君、ピットだろ?天才と名高い……」
「……っ!」
「まさか、あんたが来るなんてね。思ってもみなかったよ」
そう言いながら、彼は後ろを指さす。
「逃げるなら今だよ。分かってるだろ?シャッテン王国はルーチェ王国とは違って貧しいんだ。あんたが思っているほど甘くないよ」
その言葉にギュッと胸の前で拳を握り、
「……私は逃げません。カリスを連れて戻るまで絶対に」
そう、答えた。それを見て彼は「あっそ」とそのまま歩く。
彼に連れてこられたのは王城だった。そのまま、セドリック王の前に連れてこられる。
「父上、彼女が話をしたいと」
彼が言うと、セドリックはピットを一目見て「……あぁ」とニヤリといやらしく笑った。
「まさかこいつが自ら来るとはな」
「カリスはどこですか?」
ピットは睨みながら尋ねると、「あいつなら塔に閉じ込めた」と高笑いしながら答えた。
「あいつの記憶は奪った。あいつはもう、この国の王女だ」
その言葉は、ピットに頭を強く殴られたような衝撃を与えた。唇を噛み、下を向くが、
「……あの子を一人にするわけにはいかない……」
小さく呟いたその言葉に、セドリックはさらに口角をあげた。
「それなら、お前も娘としてやろう」
きっと、これが目的だったのだろう。そう判断するのに時間はかからなかった。それでも……カリスを救い出すにはこれを受け入れるしか出来なかった。
「それなら、カリスの従者として彼女の傍にいさせてください」
屈辱ではあった。しかし……妹を守るためなら、自分のプライドなどちっぽけなものだった。
そうして、ピットはカリスの臣下として身分を隠したまま仕えることになった。
ピットはガラスペンを見ながらそんな昔のことを思い出していた。
「どうした?」
そんな彼女に、ダニエルが声をかける。
「……いえ、何でもないです」
「それ、ずっと持っているな。気に入っているのか?」
「……まぁ、そうですが」
妹が大事に持っているそれを、ダニエルはジッと見る。
かなり美しく、精巧に作られているそれは確かに気に入ってもおかしくないだろう。
「使いやすいのか?」
「そう、ですね。少なくとも私にとっては使いやすいですよ」
もう少し質問しようとすると、ピットは立ち上がる。
「申し訳ありませんが、仕事があるのでこれで」
それだけ言って、ピットは去っていく。関わらないでほしいと言いたげな行動にダニエルはむなしさを覚える。
カリスのことなら答えられるのに、ピットのことは何一つ答えられない。
好きな食べ物や花さえも。
それは、夕食の時に起こった。
「本当にピットはなんであんなに冷たいんだろうな」
兵士の一人が言うと、それにつられてほかの人達もピットの悪口を言い出した。
「おい、本人がいないからってあまり言わない方がいいぞー」
「大丈夫だって。どうせ何も感じていないでしょ?」
きゃはは、とあざけるように少しずつ大きな声で話していた。兄達が止めてもそれは止まらなかった。
「お姉ちゃんを悪く言わないで!」
ずっとそれを聞いていたエリーナがとうとう叫ぶ。彼女の悲痛な声に全員が静かになった。
「お姉ちゃんはずっとあたし達のことを考えてくれてた!お兄ちゃん達が合流する前に何回もお父様を説得しに来てくれてた!どうせそのことだって何も知らないでしょ!?」
エリーナの言葉に全員が驚く。
彼女は知っていたのだ。ピットがずっと、みんなを守ろうとセドリックを説得していたことを。
「お兄ちゃん達を前線に出さないようにしてほしいって言っていたことも!応じてくれたら絶対に手出ししないってことも!全部あたし達が優位になるように説得してくれてた!どんなに殴られても諦めなかった!だからあたし、お姉ちゃんと一緒に説得しようって……!」
それは、兄達も初めて知ったことだった。そして、ジョセフは思い出す。
あの時、ボロボロで倒れていたピットは……父を説得していたのだ。だからあそこまで酷くボロボロになってて……。
エリーナが涙を流しながら食堂を飛び出す。――食堂に入ろうとしていた人の横を通り抜けて。
「――エリーナ!?」
仕事だったのだろう、少し遅れてやってきたピットは持っていた書類を床に落としながらエリーナを追いかけた。
兵士の一人がそのあとを追いかけようとするとパリン、と何かを踏んだのか割れる音が聞こえる。恐る恐る床を見ると、紙と一緒にガラス片も散らかっていた。それが、ピットが愛用していたガラスペンであったことを誰もが気付いた。
「……あ……」
その瞬間、全員が青ざめた。
エリーナは木陰で泣いていた。それを見つけたピットは優しく抱きしめた。
「お、ねえちゃん……」
「……エリーナ、大丈夫だよ。だから泣かないで」
自分の悪口を言われるより、あなたが泣いている方がつらいよ。だから泣き止んで。
そう言って頭を撫でるピットは姉のものだった。
――あぁ、やっぱり……。
姉は、自分達を「きょうだい」だと思ってくれている。それに気付いたエリーナはピットの胸の中で涙を流していた。
しばらくして、エリーナを部屋まで送った後食堂に戻る。そして書類を拾っていると、割れてしまったガラスペンの残骸を見つけてしまった。
「……っ……」
それを見た瞬間、ピットは絶望した表情を浮かべた。本当に一瞬だけだったのに、全員の目に残った。
「あ、あの、姉さん……」
マルクが声をかけるが、そのまま立ち上がり、
「……もういい……」
破片を隅に寄せて、そのまま書斎に戻っていってしまった。
それを見たトニーが「やはり、それだけが心のよりどころだったんですね……」と小さく呟く。
「どういうことだ?」
クレマンが尋ねると、アトゥとトニーは顔を見合わせ、
「……そのガラスペンは彼女にとって本当に、心のよりどころだったんです。花の色がきょうだい達のようで、見ているだけで元気が出ているのだと」
「え……」
確かに、九輪の花がありそれぞれ色と大きさが違った。それは……きょうだい達のことを思い出していたのか。
トニーは、ピットから聞いたことを思い出していた。
「ピットさん、なぜガラスペンを使っているのですか?」
トニーに聞かれたピットは優しく微笑んだ。
「花がきょうだい達のイメージとあっているからですよ。本当に気に入っているんです。何をしているのかとか、そんなことを考えると胸が温かくなるの」
そう言ってそれを見るピットは幸せそうだった。
「あっちがきょうだいだって思ってなくても、私は彼らをきょうだいだと思っているし、本当に大事に思ってる。……でも、私は私の役目を果たさないといけないもの。皆を守るためには……この方法しかなかったの」
嘘に聞こえるかもしれないけどね、と自嘲するように告げる彼女は少しの後悔と前へだけ進む力があった。
それほどに大事なものが壊れてしまったのだ。……絶望するのは当然だろう。
しばらくして、書斎にクレマンがやってくる。ピットは羽根ペンで紙に何かを書いていた。
「ピット、その……」
クレマンが声をかけても、ピットは反応しない。
「ガラスペンは弁償する。だから」
「いいです。どうせ自分で買ったものですから」
「しかし」
「もう放っておいてください」
妹に言われ、クレマンは何も言えなくなった。
「……ガラスペンって、こんなに高いのか……?」
次の日、ガラス細工の店に来たクレマンとダニエルが値段を見て呟いた。
ピットは節約家だ、だからというわけではないがそこまで高くないと思っていたため本当に驚いた。
もちろん、普段だったら簡単に買える。しかし今は戦時中で高い買い物は出来るだけ控えたいものだ。
「あんたら、ガラスペンを探しているのかい?」
店主らしき人に聞かれ、二人は頷く。
「実は、大事な人のガラスペンを割ってしまってな……弁償したいんだ」
「そうなのかい。でもガラスペンは精巧に作らないと使い物にならないからねぇ……その分高くなるんだよ」
うーん……と考え込むが、不意に店主は二人を見る。
「もしかして、あんたらピットの知り合いかい?」
そして、そう聞いてきた。
「あ、あぁ……確かにピットの……知り合いだが……」
「なるほどなぁ、確かに彼女、ガラスペンを大事に使ってるからな」
クレマンの答えに店主はふむ……と少し考え込み、
「ピットには世話になってる。特別価格で作ってやるよ」
そう言って微笑んだ。
どうやら、ピットは時間があれば手伝ってくれていたようで、その感謝の気持ちらしい。
一か月ほどで完成すると早速設計を紙に書いている彼に尋ねる。
「なぁ、あいつは手伝ってくれると言っていたが……」
「あぁ、彼女は暇があればこっちに来て手伝ってくれてるよ。いつも助かっているんだ」
「そうなのか?」
「ピットは本当に手際がいいんだ。初めてのこともすぐに出来てな」
思い出すように話してくれる店主は本当に楽しそうだ。
ピットは、ガラスペンだけは絶対に触らせようとしなかった。一度だけ、落としたら嫌だからと預かったことがあるが、その時も仕事が終わったらすぐに回収したほどに。
「本当にあれは大事に使っている。一度触っただけでも分かったよ、だからデザインもよく覚えているんだ」
彼女に買ってもらった職人もガラスペンも本望だっただろうなぁ。
その言葉に二人はうつむいた。そんな大事なものを、自分達は間接的とは言え壊してしまったのだ。そのことに罪悪感を覚える。
「ピットは本当にきょうだい思いでなぁ。兄達が死ぬぐらいなら私の命を差し出してやるっていつも言ってたよ。ピットにそこまで言わせるきょうだいがうらやましいって思ったなぁ」
しかし続く言葉に二人は目を丸くする。
――兄達が死ぬぐらいなら、私が……。
ギュッと拳を握る。ピットは、そんな子だった。誰かを守るためなら、自分のすべてを捨てて犠牲にする……サユリとイージスが彼女に仕えたいと、アトゥとトニー、フィオラがピットを慕っている理由が分かった気がした。




