兄弟
内容の追加と再編集を行いました
しばらく腕の中で揺られていると周囲に雑音が増えていき、人間たちの生活の音が聞こえてくる。程よく入り混じった欲望が心地よく感じる。
しばらく街中を歩き続けるとぴたりと歩みが止まる、ようやく宿に辿りついたようだ。それも仕方がない徒歩に切り替えたのは屋敷の目と鼻の先だった上に体に負荷を掛けないようにかなり遅い速度で進んでいた。結果、屋敷から一番近い宿に辿り着くだけで1日を費やすことになった。
「ありがとう、マルス。とても助かったわ、明日も頼むかもしれないからゆっくり休んで頂戴。ルーベン、エーレをベッドまで運んでくれるかしら」
「奥様、お気遣いありがとうございます。今後も誠心誠意努めさせていただきます」
馬車から降りてきた母の声が聞こえる。ようやく解放されると思うと喜びが隠しきれない。流石に恋心を持たない悪魔と絵本の恋愛しか知らないエーレにはまだ荷が重すぎる、今回は唯一私の意思でとれる寝たふりを使ったが明日以降も共に行動する以上乱発する訳にもいかない他の方法も考えなくては。
今まで蓄積された悪魔としての知識を総動員し方法を探すがろくなものがないなと考えに耽っている間に私はベッドに寝かされていた。
目を開ければ私をベッドの両側から覗き込む4つの目、バレンシアとジェラルドがいた。
どこか不安そうに見つめる二人は馬車での印象とは異なる、あの時は感情が大きく出ていたジェラルドに目が行ってしまったが諦めてしまっているだけでバレンシアも同じだったのかと思い直す。今までエーレが取得してきた記憶や感情を模倣したとて悪魔は人間を理解しきれない、その差がここで出てくる。
きっとエーレなら助けたいと願うと思い恩を売るついでに口にしたがどうやら母に助けられていたらしい。今後、深く眠りにつきエーレの感情が感じ取れない時の方針としては目につく範囲で助けが必要そうな人間には積極的に関わっていこうと決める。
「鼻息が荒くなってますけど大丈夫ですかエーレ様」
「患部はまだ熱を持ってるけど他は大丈夫そうよ」
話しかけられるとは想像していなかった二人の声に反応が遅れてしまう。ジェラルドは不安が拭えないのか布団を何度も握りしめ、バレンシアは慣れた手つきで患部の確認をしていく。
「ありがとう、ジェラルド、バレンシア。このくらいは大丈夫。それよりも様じゃなくてお姉ちゃんて呼んで欲しいわ」
病床に伏せったばかりのエーレに医者やメイドは慰めるように会ったこともない弟の話を聞いては思いを馳せていた。物語で読んだ仲睦まじい兄弟に夢を見て、いつか会えたその時に姉と呼んでもらえる日々を想像して。
そういえばバレンシアに関しての記憶が曖昧だ、記憶を探ろうとしたがジェラルドの意を決したのか強く握りしめられた布団に意識が向かう。緊張からか腕が震えている、そんなに言いづらかったかと顔を見ればこちらが驚くほど顔を赤くしていた。
「え、えっとエーレお姉様ですか」
これでエーレの願いに一歩近づいたかもしれないと一人満足気に心の中で頷いているとバレンシアから嫉妬の気配を感じる。
「嬉しい、ジェラルド。・・・バレンシアは呼んでくれないの」
嫉妬が嘘だったかのように消え失せ、顔を背け一向に呼ぼうとしないバレンシアを見つめる。何も言わずただ見つめ続ける。
すると沈黙と視線に耐えられなくなったのか閉じられた口が開かれる。
「エ、エーレお姉さま」
「バレンシア」
柔らかく胸が締め付けられる、まるで優しい夢を見ているようだ。実際、エーレが寝ぼけているようだが感情を感じる程度には意識が浮上してきた。しかしエーレの喜びは束の間だった今までの感覚とは対照的に胸に痛みが走る。心臓が痛いほどに早鐘を打ち音を支配する、呼吸は浅くなって身体中から脂汗が吹き出していく意識を持っていかれないように歯を食いしばる。脳裏に浮かぶのは父の姿ばかりでまさか記憶だけでこの拒絶反応とは予定外だった。
次第に父の姿が意識から消えていくと痛みも共に消えていくエーレが再び深い眠りについたようだ。深く息を吸う、これは次の目覚めの時覚悟がいるなと思案していると両方の手が塞がれていることに気づく。
二人は体を震わせ息を殺し涙を流していた。
咄嗟の判断にしては悪くない、恐らく二人が手を握っていなければ本能的に痛みを中和するために身体中を掻き毟る可能性は高かった。契約内容が分かるまで、エーレの体に傷をつけるのは好ましくないと思っていたので非常に助かった。あとで母に頼み褒美でも取らせてやろうと考えているとバレンシアは涙を拭うとジェラルドに託し部屋から駆け出し出て行ってしまった。
何か慌てるようなことでもあっただろうか、ジェラルドは理解しているようで涙を流しながらも意思のこもった目で私を見つめ手を離すことなく握り締め続ける。
「ジェラルド、私は大丈夫。初めての外で疲れただけだから」
「でも、すごく苦しそうでした」
「たまにあることだから平気」
事実とは違うが実際、エーレの体を修復する前は何度も発作を起こしていたので怪しまれることはないだろう。この事実をまだ母に伝えるのは早すぎる、これは私ではなくエーレ自身が解決しなければいけない問題だ。エーレの心の問題である以上私が行動を起こしたとて根本的な解決に至らない、ならば目覚めた後に手を貸してやる方が効率的でもある。
誤魔化すためにジェラルドに向かって微笑みかけ、止まらない涙を空いていた手で拭う。
「ほら、そんなに泣いてたら目が溶けるわ」
「そんなのは迷信です」
涙は手を伝い服の袖を濡らしていく、きっと二人にとって衝撃的な瞬間だったのだろう。
大人ぶった返しをするジェラルドだが涙はどれだけ拭おうがこぼれ落ち体の震えが今だに伝わってくる、そして出て行ったバレンシアも恐怖が強く滲み出ていた。
悪魔である私は私に対する恐怖は知っていても失われる恐怖を持たれることなかった、だから私自身は分からないがエーレならきっとこう言うのだろう。
「初めて知った、ジェラルドってとっても泣き虫なのね」
ジェラルドは一瞬呆然とすると涙を拭っていた手と握っていた手を払いのけ奇声を発して顔を伏せてしまった、それほどエーレの言葉が嬉しかったか。
死の恐怖や苦しみよりも知らなかった兄弟のことを知れたことを喜ぶ、エーレはそんな少女なのだ。改めて私は何故エーレを選んだのだろうか、汚れを知らず純粋で美しい心を持つ少女の肉体はさておきこんな美しい魂を食べれば混沌と欲を司る悪魔は間違いなく腹を下す。記憶を失う前の私は何を考えていたのか一向に答えは見つからない。
今はただエーレの願いを模索し邁進する他ない、私は答えの見えない契約から目を逸らすために顔を伏せてしまったジェラルドの頭を撫でた。




