理解できない心
気がつけば一年の歳月が過ぎていた。
骸骨に近かった体を少しでも健康にするために費やした歳月は変わり映えのない日々で飽き飽きしたが契約の遂行するには必要事項だと言い聞かせ文句も言わず地獄のような治療に耐えた結果、まだ体は細く不健康極まりないが部屋中では誰の手を借りずとも活動できるまでは回復したのだ。
あまりにも長い道のり、いつになれば体を自由に動かせるようになるのだろうか。
体力に関しては地道にリハビリを続ける他ないだろうがそれよりも気になることがあった。
部屋に訪れた血縁が母一人とはどうなのだろうか。
聞いた話では屋敷には父と第二夫人、弟、妹が存在するらしいが見たこともなければ気配すら感じない。立場的に優遇されるべきなのだろうが10年もの間寝たきりとなっていた娘に裂ける時間はないということだろうか、実に利己的で悪魔としては好ましく感じる。
正直まだ会うべきではない人物でないのは明白なため、無関心で助かった。
母から父の話を聞いた瞬間、早い鼓動が全身を支配する。頭に大きく音は鳴り響き、呼吸は浅くなり胸が痛くなる。こんな状態で本物に会いでもしたら間違いなく体は耐えきれなくなり気絶するだろう、母には申し訳ないがのらりくらりと晩餐を何度も回避させてもらった。
母としては少しでも回復した娘を見て貰いたいのだろうがそれは間違いなく悪化をする行為だった。あと少なくても一年は見てもらわなければ気絶は必然だが今日の母はどこか固い表情しどこか覚悟を決めているかのようだった。
「エーレ、今日の晩餐なのだけど参加してみない」
側に腰をかけてから一言目に言われた。どうやら晩餐への誘いがあの表情の答えだったようだ。母の覚悟はわかったが私の答えは決まっていた、断固拒否である。
最近、話題に出してこなかった晩餐を口にしたということは家族全員が揃う必要がある内容なのかそれとも全員が揃うこと自体が特別なのかもしれない。
必然的にエーレにとっての爆弾と対面しなくてはいけないと思うと憂鬱でしかない上、ようやく使用人に運んでさえ貰えれば庭に出ることが許されたところなのに確実に体調が悪化しベッドに逆戻りになるのは御免だった。
ここで私が取る選択肢は回避一択、それしかない。
「どうしても参加しないとだめなのお母さま」
なんたる屈辱、悪魔である私が稚拙な言葉を発しなくてはならないとは。
いつも私の心は大荒れなのだがまともに人と関わってきていなかったエーレが流暢に言葉を話すのは怪し過ぎると考えた結果、幼子のような言葉を選び発言をするしかなかった。屈辱的ではあるが意志が小音でも伝えられるようになったことにより格段に活動をしやすくなったのは間違いない。
母はどこか困ったようの笑顔を作る、心は締め付けられるが同情なんてしようものなら大惨事を起こす未来しか見えてこなかった。
「そうよね、まだあなたの病は治ってないわ。無理をして悪化しても大変だわ、今日の晩餐も出なくて大丈夫よ」
「ごめんなさい、お母さま。少し怖いの、おみまいに来てくれないお父さまに会うのが」
意図的に避けられてきた話だが回避のために今回は使わせてもらおう。
ここまで放置し続けた父親が今更、常に死と隣り合わせな子ども一人に見向きもしないだろうし、そもそも私にとってはどうでもいいことだ。家族というものに執着もなければ興味もない、ただ体の持ち主であるエーレの感情を契約者として優先している程度でしかない。
今までは従ってきたが流石に私の努力を水の泡にするような行為は見逃すわけにはいかない、今回ばかりは逆らわせてもらう。
悲しそうに顔を歪めて見せれば母は息を呑んだ。暗い感情が母の体を包み込む、これは罪悪感だ。初めて出会った時に比べだいぶ薄れていたが私の発言がトリガーとなり再び再燃してしまったようだ。
心が不安で埋め尽くされる、契約者のケアも契約の内だフォローをしておくかと母の頬に手を添えて口を開いた。
「気にしないで、お母さま。私はお母さまの子どもでよかったと思ってるの、こんなにも私を愛して心配してくれてるんだもの。そもそも愛してもいない家族なんて捨ててもと思うわ、所詮この世は等価交換なのだから」
口が滑った、盛大に。とりあえず満面の笑みで誤魔化してみたがどうだろうか。
母から罪悪感は消えたが代わりに淑女らしからぬ表情で驚いていた。今まで淑女の顔を崩したことのない母らしからぬ表情に驚きを隠せない。
一応母を心配する娘のポーズを取り探りを入れる。
「お母さま大丈夫?」
私の声が届いていないのかなんの反応もない。
無反応にどうしたものかと思案していると、母の目から涙が溢れ出す。
なんの脈絡もない涙にギョッとする、想像していない反応に戸惑うことしかできない。
「なぜ、私はこんな家に執着していたのかしら。お父様もお母様も心配してくださってたのに。ありがとう、エーレ」
よく分からないが何か解決したらしく清々しい表情となった母にさらに戸惑う。
どれだけ生きていようがやはり人間の感情は理解し難いものばかりだ。
嬉しそうに微笑む母は私の手を取って優しく両手で包み込むとハラハラと美しい涙を流し続けた。