〇八一 挨拶ぐらいで
トカクは勢いよくチュリーの身体を引きはがす。
「ちょ、ちょっと」
「あら! ごめんなさい、つい。大瞬では、家族でもあまりしないのよね?」
「は、はい。でも、だいじょうぶです。女の子同士ですから。それにいも……兄にはよくしていました」
ライラヴィルゴのお国柄として、親愛の表現としてのキスが友人間でも多用されることがあった。
知識はあったし、留学してからは現場を見かけることもあったが、自分に向けられたのは初だ。
カッと全身を紅潮させたトカクに、チュリーはすまなそうに「ごめんなさいね」を繰り返す。
トカクとしては、動揺していること自体が恥ずかしく、もう触れてほしくなかった。踊ったのが理由ではない汗が後頭部を蒸らす。
トカクは、自分に向けられている注意を外したくて、手をギャラリーの方へ向けた。
「ち、チュリー様、それより皆さんが……」
「あら! 皆さんありがとう」
「…………」
チュリー・ヴィルガは慣れた様子で手を振り愛想を返していた。
「なんだか場を独占してしまったわね、ウハクさん?」
「そっ、そうですね」
トカクはいくばくか落ち着いてきた。
仮にも授業の最中に遊ぶような形になったが、講師も、チュリーのやることなので「仕方がないなぁ」という感じでいる。
ギャラリー達は。
「チュリー様のダンスはさすがでございましたが、ウハク様もお見事でしたわ」
「ええ、本当。男性側のダンスがとてもお上手でいらっしゃいますのね」
「不思議と、女性側のダンスよりサマになっていたような……?」
と。
突っ込まれそうだな、と思っていたことをまんま突っ込まれて、トカクは。
「実はワタクシ……、ダンスを習い始めてから数年ほど、男性側と女性側を間違って覚えていたのです」
と適当な言い訳で済ませようとした。
「…………」
一瞬、場が静かになったのでトカクは(無理があったか……?)と別の言い訳を考え始めたが、次の瞬間にはどっと場が沸いた。
「やだ、おっかしい!」
「ウハク様ったら〜」
「案外親しみやすい方ですのね!」
「あ……あはは〜」
ごまかせてよかった!
トカクは冷や汗をかいた。
……チュリー・ヴィルガに対抗しようとするなど、自分はすこし冷静さを欠いていた。
と、トカクは段々と冷静になり、自覚しはじめる。
(なんで今、あんなムキになっちゃったんだ……!? 男だってバレたらダメなのに、よりによって男役……)
ごまかさねば。
『しとやかな姫君』の印象を取り戻すべく、トカクは一層かわいこぶった。
と、そのあたりで講師が「遊びは終わり」とこの一連の出来事を中断させた。
トカク達は練習を切り上げて呼び戻される。
講師の元へ戻る途中、チュリーがトカクの手をつないできた。ダンスの時にさんざん握っていたが、トカクはうろたえてしまう。
ひそ、と顔を近づけて小声でチュリーがささやいた。
「ウハクさん、意外と負けず嫌いでいらっしゃるのね」
「……そう思いますか?」
「とっても意外。けれど、次期皇帝たるもの勝気の方が普通かもね。なんにせよ、私ドキドキしてしまったわ」
いたずらっぽくチュリーが笑う。歯を見せて笑うのは初めて見た。
「かっこよかったわ」
すっとチュリーの手が離れていく。
「…………」
トカクはひどく動揺していた。
最近の自分の、『らしくない』行動の辻褄が合ってしまったからだ。
そもそもチュリー・ヴィルガに頼まれて、断りづらいから〜なんて理由で、何の益もない、女子しか参加できない授業への出席を決めたのもおかしい。あの時点で、トカクは正気じゃなかったのだ。
(まずい、まさか、ボクは……)
トカクは、ハナ達側近がそうであるように、女性に世話をさせるのは慣れている。同様に、女性の相手をするのも慣れていた。つもりだった。
歳近い妹がいることもあり、なんの自慢にもならないが、「異性だから」で緊張した試しがない。
しかし、トカクにとって国内にいるのはすべて守るべき臣民、庇護対象である。
つまりトカクは国内で、『女性』を意識したことがなかった。そもそもユウヅツが出張ってくるまで人間の友達すら作ったことがなく、他人のことは敵か味方か無能か有能かでしか測ったことがない。
つまりトカクは対等な同年代の少女と、ここまで親しくしたことがなかった。だから。
トカクは知らなかった。自分がこんなに簡単であることを。
(……ボクはチュリー・ヴィルガを好きになりかけている!?)
……おいおいおい……。
トカクは叫び出しそうになった。
やばいやばいやばい。我ながらキモすぎる。女装して周囲を騙して学院に通っている上、よこしまな気持ちまで持ってしまえば、いよいよ変態だ。リゥリゥからの誹りに言い返せない。
(というか、色恋沙汰なんかで冷静さを欠いたら、ウハクの二の舞だ……なんとかしないと……!)
トカクは講師の言葉に耳を傾けるふりをしながら、身の振り方を一身に考えていた。
しかし、血は争えない。
本来婚姻の予定のなかった将軍家の次男を、なかば強引に皇配へと引き上げた実母ダソク・ムツラボシ。
僻地の男爵家子息に執心し身を滅ぼした双子の妹ウハク・ムツラボシ。
彼女らと血を分かつトカクの、あらがえない生来の恋愛体質が猛威を振るいかけていた。
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