〇八〇 ダンスバトル
この曲はジギナスアクイラ出身の音楽家による作曲だ。
ライラヴィルゴでも大瞬でもなかったのはフェアでいい。トカクは内心で思う(まあ、連盟学院で大瞬の曲が使われることはないだろうが……)。
チュリーはトカクに近づき、その手を取る。
トカクが伴奏に合わせ、自分の身体の重心を後方へ移動させた。チュリーはそれを追って一歩、また一歩と踏み込む。
基本のステップ。音楽に身を任せ、ゆっくりと空間を移動する。
チュリー・ヴィルガは、ふと不安そうにした。
「……ウハクさん、やっぱり怒ってない?」
「チュリー様のすることに、どうしてワタクシが怒れましょうか? ワタクシは身の程をわきまえているつもりです」
「…………」
チュリー・ヴィルガは困ったように眉を下げた。
「ウハクさん、私あなたを怒らせたかったわけでは……」
「チュリー様、ワタクシは、あなた様に何を言われたところで心を煩わせたりしませんが……自分の言動を、よくよく顧みた方がよろしいかと存じます。敵は少ない方がいい、『お友達』としての忠告です」
「そ」
ぐんっ、とトカクのリードに引っ張られて、チュリーの脚が大きく開く。
「っと!?」
「ああ、ごめんなさい。ダンスが不得手なもので」
言いながら、トカクは軽快な足捌きでフロアの端から端までを突っ切った。チュリーが付いて来られる程度の速度で、しかし彼女を振り払って置いていくようなイメージで。
壁にぶつからないよう方向転換。ネックチェンジ。
「…………っ、…………!」
チュリーは、自分に無駄話をする余裕がないのを悟った。トカクのリードに合わせて身体を動かす。
「ほら、チュリー様、ここからですよ、この曲の楽しいところは」
「こ、これは……このテンポじゃ、ウハクさんにはちょっと難しいんじゃなくって……!?」
「ついて来られませんか?」
「あら! ご冗談!」
チュリー・ヴィルガは己の体勢を整えて、踊ることに本腰を入れた。トカクに引っ張られるようだった動きが、『みずから追随する』ものに変わる。
トカクは内心、目を見張った。
(帝国で踊った誰よりうまい!)
そりゃそうか。こーいうダンスは大陸が本場だもんな。民族舞踊で地元民に張り合おうなんて良い度胸だ。
だからこそやりがいがあるのだが。
「——うふふっ」
チュリー・ヴィルガはいつもの、歯を見せない上品な笑みを口元にかたどった。
「ウハクさん、情熱的ね。楽しむのは結構だけど、独りよがりはダメよ?」
「……失礼。どうも、ナメられてるように感じたので飛ばしてしまいました」
ムチャなステップを強要してつまづかせてやろう、とトカクはセコいことを考えていたが、方針を変えることにした。
「次、二脚のロンデやってもいいですか?」
「ええ」
許しを得たので、トカクはぐっと前にせり出し、チュリー・ヴィルガに仰反るような姿勢で静止してもらう。それから身体を引いて、足を払うようにしてグルリと半回転した。
決めポーズまでバシッと決まる。
(……本当にうまいなこの人!)
トカクは感心した。
たしかにこれだけ上手ければ、『ウハク』のつたないダンスを見て不機嫌になる気持ちも……いや、分からん。あれはやっぱ最悪!
(能力はあるのかもしれんが、人格は破綻している。ウハクのためにもここで縁を切りたい)
どうせ最後だし、言い訳の効く範囲で無礼を極めてやろう。
怒りを込めてトカクはチュリーを引っ張った。
急にダンスの種類を変えたらビックリするかな。
思い立ったトカクは、伴奏の転調に合わせて、クイックステップの足型を踏む前振りを見せた。チュリーは目ざとく気付き追尾してみせる。
「!」
ぶわっとチュリーの髪が香った。
跳ねる、跳ぶ、走る。目まぐるしくチュリーの足が動いていくのにトカクは合わせた。トカクの想像にかなり近いステップが実現して気持ちがいい。
トカクは夢中になってきていた。たった一曲で汗をかくのは、いつ以来だろうか。握った手にチュリーの肌が吸いつく感覚がある。
「……ッはは!」
思わず男の笑い方が出かけて、トカクは口をつぐんだ。いけない。
——『あの……殿下って、ダンスがお好きですよね?』
その通りボクはダンスが大好き!
音楽は終盤に差し掛かっていた。クルクルとまわりながらフロアの中央へ向かう。
(——人、……いない! やってみるか)
「チュリー様、お身体を持ち上げてもよろしいですか?」
「リフト!? できるの?」
「チュリー様くらいなら。今日はお召し物も軽くていらっしゃるので」
ドレスは重たいのだ。しかし今日は動きやすい軽装である。
「ムリしないでいいのよ。ウハクさんの細腕で私の体重を支えるなんて……」
「見くびってもらっては困ります。ワタクシは、いずれ皇帝陛下を補助する立場。チュリー様ひとり支えられない者が、どうして国政を支えられましょうか?」
「…………。肩より高いところはイヤよ」
「承知しました」
タタタン、と足を進めて、静止。
身体を持ち上げてやると、チュリーはキャアと子どものような声を上げた。それでもチュリーの重心はぶれず、支えやすい姿勢は崩さないのだからさすがだ。
「ウハクさん、すごいすごい!」
「もう終わりですよ」
伴奏が締めに入っていた。合わせて、回転の速度をゆるめていく。
チュリーを地面に降ろしたところで、音楽がやんだ。
「!」
パチパチとフロアにいた学生達が歓声と拍手を向けてきた。
踊りながらトカクも察してはいたが、かなり視線を集めていたらしい。チュリー・ヴィルガはただでさえ注目されるから。
「あ……」
「ウ、ハ、ク、さんっ!」
「ぐえっ」
トカクはギャラリーへ反応を返そうとしたのだが、チュリー・ヴィルガに体当たりされ——もとい、抱きつかれたことで阻まれた。
「すごいすごい! とっても楽しかったわ。けっこう踊れるんじゃない!」
「そ、そう言いましたが」
「うふふふ! またウハクさんの新しい一面を知っちゃった!」
チュリー・ヴィルガは本当に楽しそうに、トカクの手を握ったまま足をぴょんぴょんと交互に跳ねさせた。
トカクはチュリー・ヴィルガの機嫌の乱高下に付いていけずに固まるしかない。かなり怒られるようなことをしたつもりだったのだが。
「チュリー様、あの」
「素敵だったわよ! また踊りましょ!」
と言うや否や、チュリーはぐっと顔を近づけてトカクの頬に口づけを落とした。
それでトカクはひどく狼狽した。