〇七八 このお姫様
朝、トカクが庭をランニングをしていると、徹夜明けで顔を洗っていたリゥリゥと行き当たった。
「! おひめさま」
「おう、久しいじゃん」
「皇太女殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅうございます。お姿をひと目見ることが叶い天にも昇る心地です、ある」
「うまくなってきたな」
リゥリゥとこうして対面するのは久しぶりだった。
トカクは編入以来、連盟学院の講義の内容を、リゥリゥ含む研究者達に横流ししていた。なので、その場ではたまに会っていたのだが、それ以外では。
というのもリゥリゥは夜型の生活で、トカクと起きている時間が合わない。
最近のリゥリゥは完全に昼夜逆転し、薬の研究に明け暮れていた。
トカクからも「無理するな」と言っていたのだが、どうも完全に趣味でやっているだけらしい。『国』の潤沢な資金で学び調べられるのが楽しくて仕方ないとか。なんとリゥリゥは薬の調合の息抜きとして薬の調合をするのだ。
つまりリゥリゥの徹夜は、もう寝なさいと言われても聞かずに小説を読んでいるようなもの。
……いくら本人が楽しんでいるとはいえ身体に悪いよな、とトカクは思う。
「おまえ、夜は寝た方がいいし、身体も少しは動かした方がいいぞ」
「夜の方がはかどるんだから、夜にやった方がいいに決まてるある。そして運動はキライある」
リゥリゥは臣下の礼をしていた体勢を崩し。
「おヒメさま、最近どうね?」
「最近か……。……社交ダンスの授業を取ったんだが、これが女子しか参加できない授業だからユウヅツは参加できなくて」
「は!? 女子しか参加できないならオマエも参加できない違うか!?」
「……言われてみりゃそうだな」
トカクは最近『女子生徒』が板につきすぎて考えもしなかった。が、その指摘はごもっともだ。
「まあ、ともかく誘われて、ボクも参加することになったんだが」
「あああーっ、イヤある聞きたくないね」
リゥリゥは耳をふさいだ。
「お国のため仕方なし思てるあるけど、ほんとキショいある。せめて我の知らないところでやるよろし」
「……べつに男子禁制の場ってワケじゃないぜ? 講師は男だし」
「あーあーあー」
リゥリゥが耳をパタパタ叩くことで聴覚を閉じてしまったので、トカクは弁解をあきらめた。
「変な話を聞かせたな。忘れてくれ」
踵を返す。
「仕方ねーだろチュリー・ヴィルガが誘ってきたんだから」
「開き直るな! 聞こえてるあるよ!」
そして社交ダンスの特別授業の時間となった。
乗馬服のような動きやすい服装での参加が求められていたので、トカクはそのようにした。
こういう格好だと、トカクは『ウハク』より『トカク』っぽくなってしまうので気が気でない。しかも、ハナやコノハと言った側近達は、人の気も知らず「凛々しくて素敵ですわ」「そうしていると皇子殿下のようですわね」などと言ってくるので。
ちょっとでも女の子っぽくしようと、トカクが髪を側頭部でまとめてサイドポニーにしているのを見て、チュリー・ヴィルガも「では私も!」とおそろいにした。……同年代の人間相手にこんな表現はよろしくないが、『懐かれている』感じだ。
まず、それぞれの現時点での実力を測るとかなんとかで、一人ずつ前に出て講師と踊るらしい。他の者が踊っている間は、それぞれ練習なり何なり好きにしていろと。
(……わりとゆるいな)
授業、ではあるが放課後に開催というだけあり、クラブ活動的な側面があるのだろう。
トカクはチュリー・ヴィルガと談笑しながら自分の番を待った。
ややあって、『ウハク』の名が呼ばれた。
「あら! ウハクさんの番が来たみたい。がんばって! 見守っていますわ」
「ありがとうございます、行ってまいります」
トカクは立ち上がり、講師の元へ向かった。
(まあ、この数日の練習で、見られる程度にはなった……)
……『ウハク』はもっと上手に踊れるので、それを再現してやれないことがトカクは情けなかったが。少なくとも、恥ずかしくない程度には踊れるようになっていた。
(あまり目立つのも良くないし……こんなもんだ、こんなもん……)
トカクは自分をそう納得させ、講師役の手を取る。
そして音楽に合わせてダンスを踊った。
ひとまず失敗することなく終わらせて、トカクはほっと息をついた。及第点だ。
次の人が呼ばれているのを聞きながら、トカクは元いた場所に戻ってきた。
「…………」
「チュリー様、人前で踊るのって緊張しますね。…………?」
チュリー・ヴィルガが真顔でじっとトカクを見上げていたので、トカクは首をかしげる。
「チュリー様?」
「ウハクさん……。ダンスはお得意と言っていましたけど」
「…………」
トカクが、自分が女側のダンスのおぼえがまったく無いことを思い出す前のことだ。たしかに言っていたので、トカクはうなずく。
「大したことありませんのね。私、ウハクさんのことを買い被っていたみたい。がっかりですわ」
ぷい!とチュリー・ヴィルガは小さな頭を背けてしまった。
ピキッ。
とトカクは自分の頬が引きつるのを感じていた。
(……殺すか? このお姫様)
物騒なセリフが脳をよぎるが、まあ実行に移すわけでなし。
トカクはすまなそうにしおらしくして見せた。
「お恥ずかしいです。祖国では、上手だと褒められていたのですが……。みんな、ワタクシに気を使ってのことだったのでしょうか」
「そうに違いありませんわ。もう『けっこう踊れます』なんて言わない方がよろしくてよ? 恥ずかしいもの」
「…………」
(殺すか……)