〇七四 進捗
「万能解毒薬を手に入れる作戦の進捗が悪いーーっ!」
放った矢が的の中心を貫く。
トカクは弓道場での鍛錬に勤しんでいた。
「ウハクの目覚めが遠いーーっ!」
バシュ!と次の矢も中心を貫く。
背後で見ていたユウヅツはぱちぱちと拍手した。
「じれったい!」
「わかります」
「もともと、図書館にも一ヶ月は行けない予定ではあった。それが少し伸びただけといえば、そうだが……」
——夜会で失態を犯したクラリネッタ・アンダーハート。
彼女はあれから、自宅での謹慎処分——学院への出席停止が下されてしまった。……トカクが必死に庇ったのだが、お咎めなしとはいかなかったのだ。
「余計な真似を〜……」
「うん、まあそれは……。大瞬帝国の皇太女という身分が、きちんと尊重されている証拠ではないですか?」
「こんな時ばっかり! あいつら、大瞬帝国のことを、仕事ができない無能のカスを送る島流しの左遷先に使ってるくせに!」
「は、斜に構えて見過ぎですよ」
ユウヅツは、そんなことを言うものではない、とトカクを止めた。
トカクは窓に刺さった矢を回収すべく的場へ降りる。
「早いとこクラリネッタと『お友達』になって、万能解毒薬をプレゼントしてもらいたいのに、……そもそも学院に来てないんだからなぁ」
的から矢を抜き取って、トカクは射場へ戻ってくる。
「妙な因縁が生まれちまったし」
「しかし、殿下。夜会でクラリネッタ嬢と因縁のようなものができたのは、むしろ良かったかもしれません。彼女の復学後、和解を目的に呼び出せるではないですか。もし図書館で会えなくても交友を深められそうです」
「前向きだな、おまえ」
トカクは、早く万能解毒薬を手に入れたくて気が急いていた。ウハクが目覚めるまで期間が開けば開くほど、彼女の筋力なんかは落ちていくわけで。
それに、……寝たきりの経管栄養のみで生きながらえている状態が、いつまでも保つわけではない。それが叶うなら、人間は理屈の上では不死だ。
「……まあ、おまえの言う通りだ。急がば回れと言うし。クラリネッタの復学を待ち、図書館で接触する。それまでは、学院における大瞬帝国の権威を高めるのに使ってもいいだろう」
「…………」
「おまえの出番もしばらく無いな」
クラリネッタ・アンダーハートの実家へ慰問するとか、はやく復学できるよう取り計らうとか、そのあたりの案は既に諦めていた。『皇太女』は動きづらい。
「……だが」
トカクは話を切り出す。
「……あの、クラリネッタ・アンダーハートとかいう女。おまえから聞いてた人物像と、なんか違うよな?」
——ゲームと違う。
これは『ゲームシナリオ』をなぞろうとしている二人にとって死活問題だった。
「クラリネッタだけじゃない。チュリー・ヴィルガもそうだ。ゲームとどこか違っている。何が起きていると思う?」
「? チュリー・ヴィルガ様もですか?」
「なんだか、異様に『ウハク』のことを気に入って可愛がってくるだろう。正直、心当たりがなくて気持ち悪い」
「き……」
「一緒にダンスの授業を取らないかとか、お茶にするから来ないかとか、やけに誘われるし。……昔のものとはいえドレスを貸してくれたのも、なんというか……可愛がり過ぎじゃないか?」
妹ならまだしもチュリーのドレスを着るのはちょっと恥ずかしかったので、それを思い出してトカクは微妙な顔をした。
ユウヅツは。
「……すでに説明した内容を、繰り返すようなことになるのですが……、ゲームにおけるチュリー・ヴィルガ様の人物像について、俺なりの解釈をお話いたしますね」
「ああ」
「……チュリー・ヴィルガ様は、陰で女王様などと呼ばれるような方。……言ってしまえば、あまり慈悲深い方ではなく……、それはゲームの『主人公』に対しても同じでした」
ゲームのチュリールートにおいては、普通のヒロインのような甘酸っぱい恋物語が展開することはなかった。
チュリールートでは、『主人公』の方からチュリー・ヴィルガに接触することになる。チュリー・ヴィルガから話しかけてくることはほぼない。
何度か話しかけていると、主人公は、チュリー・ヴィルガの言い出したワガママに振り回されるようになる。
主人公が必死に無理難題をこなしていくうちに、チュリーが主人公の有用性を認め、「あなた、まあまあ使えますわね。他に都合のいい方もいないし、大瞬帝国へ輿入れしてさしあげてもよろしくてよ?」となり、側妃となる。
……おどろくべきことに、これが『恋愛エンド』なのである。(ちなみに友情エンドだと「よい国交を結びましょうね」で終わる)。
「そういう方でしたので、プレイヤーからは非難轟々……は言い過ぎですけど、賛否両論ありました」
ユウヅツは『スタ☆プリ』界隈の空気を思い返す。
「いわく、チュリー・ヴィルガは損得勘定で動いてるだけで主人公を好きなわけではないヒロイン失格のキャラクターである、という『チュリーアンチ』派閥と、いいやチュリー・ヴィルガはツンデレヒロインであり主人公にさえ最後までデレを一度も見せなかっただけで実は主人公に好意を抱いていたんだ、という『チュリー擁護』派閥があったりしました」
「おまえはどっち派だったの?」
「損得勘定で動いてるだけで主人公を好きなわけではないところが良いんだろ〜!と思ってました」
「ああ……?」
「へえ、主人公になびかないなんて、おもしれー女。と思って」
——ユウヅツがいた前の世界の『ゲーム』のおもしろさをトカクはいまだよく分かっていないが、多分そういう楽しみ方をするプレイヤーは稀だったのではないか。
「つまりチュリー・ヴィルガ様は、対人——特に異性のことを、常に採点しているというか。相手が自分にどんな利益があるかを、とても気にする方ですよね」
「そうだな」
「だからこそ俺としては、チュリー・ヴィルガ様が殿下のことを気に入られたのは、そこまで不自然とは思いませんでした」
ええ?
とトカクは表情を歪める。
「ゲームじゃチュリー・ヴィルガは、あんなんじゃなかったろ?」
「人間が、相手によって対応を変えるのは当たり前のことですよ。単純に、落ちたハンカチを拾って渡すだけのことでも、相手が幼児か老人かで、声のかけ方が違ってきます」
それはそう、とトカクはうなずく。
「ですから俺はむしろ、納得しました」
「納得?」
「チュリー・ヴィルガ・ライラは、『対等に話せる同性』が現れると、あんなふうになるんだなぁ。……と、普通に思いました」
「…………」
「ゲームは結局、主人公の視点——男目線だったわけですから。それも、将来的には嫁ぐ嫁がないの話になるような身分の。……そういうしがらみがない相手なら、チュリー様の対応も変わるでしょう」
「…………」
トカクは黙った。そして。
「……じゃあチュリー・ヴィルガが変な理由は、……ボク達側に起こった変化が、向こうに影響を及ぼしているということか」
ウハクに『婚約者』がいないことがキッカケで、チュリー・ヴィルガからお茶会を持ちかけられたように。
たとえば側近に男がいるとか、たとえば『ウハク』の身長が一寸高いとか、たとえばトカクが本当のウハクならやらないことをやってしまったとか……。
それによって、向こうの対応が少しずつゲームシナリオとズレてきている、ということ。
「クラリネッタ嬢も、そうなのではないでしょうか」
とユウヅツは推理しているのだった。